※ ぬるーく腐ってます。
ぬるいけど!
――時折、目を奪われてしまう。
珈琲を飲んでるときの伏し目がちな横顔とか。脱力するみたいな屈託の無い笑顔とか。
ふとした瞬間にみせる、飾らないあの人の表情に、どうにも気を取られてしまう。
それは、小学校の頃、クラスメイトの美香ちゃんに感じていた気持ちであり、中学の時に綾坂に抱いていた感傷とおんなじもの。出来るなら、高校の頃、笑顔の可愛い夕陽と築いた、あのくらくらするような関係を、あの人と結びたい。
(いやあ。やけどなぁ……)
俺は壁に寄りかかって、無糖缶コーヒーを煽る。休憩中の俺とは反対に、隣で自販機がせっせっと業務を遂行している。弱く発せられる熱が、あの人のものだったなら、と考える。
……俺、相当、参っていんなあ。
「と、いうか、アホやな」
こんな初々しい生娘みたいな事を考えてしまうなんて。本人に知られれば、笑われてしまう。……もしかしたら、引かれるかな。
低く唸りながら、コーヒーを啜る。
「そない怖い顔しとったら、折角の男前が台無しやでー?」
さして美味くもないコーヒーを飲みながら、そんな事を考えていたら、急にからかうように声を掛けられた。
咄嗟に顔を上げる。
俺を見下ろして笑う、あの人の顔。
隈の目立つその顔が、けれど、酷く眩しかった。
「佐藤先輩……」
惚けた顔をしていたと思う。
ついさっき考えていた人が急に現れたのだから。それでなくても、この人に会うと年甲斐もなくふわふわしてしまうって言うのに。
「なんや、汐見君。先輩を差し置いて、休憩とか、ええ根性しとるやん」
「やって、今、昼休みですやん」
彼は酷く疲れきった顔をしていた。隈はいつもの事だけれど、今日は更に先輩は草臥れていた。目は充血しているし、髪はぼさぼさだ。顔は青白い。
それでも先輩はにやにや笑って、俺の髪の毛をくしゃくしゃ掻き乱した。今日はちゃんとセットが決まったのになあ、と思うが、嫌な気はしない。それどころか、先輩のでかくて骨張った手のひらの感触に、つい頬が緩みそうになる。
(うわ、やば……!)
慌てて、口許を押さえる。缶コーヒーが不安定に揺れ、ばしゃばしゃと缶内で音をたてる。しかし、先輩はと言えば、隣の自販機で自分用の飲み物を買っていた。肩透かしを食らったようで、力が抜けた。
がごんと、缶一個がおちてくるには仰々しい音が鳴る。先輩が買ったもの。わざわざ確認しなくっても、察しはついた。――緑茶だ。
なんでも、コーヒーよりもカフェインが多くて眠気が飛ぶとかなんとか。以前先輩が教えてくれた事だ。
仕事を何よりも愛していると豪語する先輩らしくって、しっかり覚えているのだ。彼の目の充血も、顔色の悪さも、全部、仕事第一の性格のせいなんだと思うと、きゅんとする。……仕事のできる男って、かっこいいな。
俺の隣に立つと、先輩はぐびぐびと音を立てて、緑茶を飲んだ。先輩の日に焼けた喉が上下に動くのを、横目見る。
(うっまそうに緑茶飲むなあ)
あの喉を甘噛みしたいと思う。
そんな事、言えやしないけど。
「汐見?どーしたん?」
「っ!?な、なんもないです!」
つい、ぼーっとしてしまっていたのだろう。
怪訝そうに先輩は俺を覗き込んだ。考えていたことが考えていたことだから、思わず、大袈裟に反応してしまう。
「そーなん?また、僕に見とれとるんや思ったわー。ま、僕、かっこええもんな。見とれてしまうんも分かるわ」
あっはっはっ、と明朗に笑われる。
が、俺は先輩に合わせて笑うことができなかった。
「見とれるって!……気づいてたんですかっ」
「そりゃ、ちょー熱視線なんやもん。さすがに気づくわー」
ぱくぱく口を開閉させる俺に、先輩は笑顔を崩さずに答える。
「……なんで、言ってくれへんのですか」
思わず、恨めしげに尋ねる。
先輩は暫く、首を捻って考えた後、
「まあ、お前に見つめられんの、いややないし?」
と、笑った。
暫し、沈黙。
そして、俺がその真意を聞き返すよりも早く、緑茶を飲み終えた先輩がひらりと俺の隣から離れた。職場に戻るのだろう。もうすぐ、昼休みも終わる。
ぱたぱたと小走りで、職場に向かう先輩をなんとなく目で追う。すると、ふと、先輩が足を止めた。
勢いよく振り返る。
視線がかち合う。
そして。
「!?」
にやっと、笑まれた。
……その時、俺は初めて自分はとんでもない人に引っ掛かってしまったのと自覚したのだった。
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[2013.0317]