※ミナト班生存、平和な上忍if設定(オビトと夢主は20代くらい)



「――私たち、別れましょう」

は、とただオレは、名無子の口から紡がれる言葉を呆然と聞いていた。

「だから」

指を組み、ソファに深く腰掛けた彼女は、天井を仰いでこう言った。

「あなたを諦めることにしたの」



* * *



その日、「バレンタインのチョコを渡したいから」と言って、夜に会おうと誘ってきたのは名無子の方だった。それが突如“ドタキャン”されたのが昼過ぎのこと。なにか事情があったのだろうか、気にかかりつつも普段どおり仕事も終えて、さあ帰宅するかといったところだった。

「あーあー、オビトくーん、おっそ〜い」
「はいはい、すいませんね」

「名無子が酔い潰れているから引き取ってくれ」と、一緒に飲んでいたらしい同期の一人に呼び止められ、無駄に絡んでくるのを宥めすかしながらどうにかおぶって帰途につく。

「オービートー」
「んー?」
「んー……、んー……」

すうすう、とやがてかすかな息遣いだけが聞こえるようになって、オレは黙って家まで歩いた。


「ほら、着いたぞ」

玄関までたどり着き、慎重に名無子を下ろそうとしたところで、急に背中が軽くなり「うおっ」とよろめく。

「ありがとう」
「は?」

てっきり寝ているとばかり思っていた名無子が、すっと立ち上がって、さっさと靴を脱ぐと、そのままズカズカと家の奥へ入っていく。

「おい、待てよ!」

迷うことなくしっかりとした足取りで進んでいく名無子を追いかけると、彼女は冷蔵庫から冷茶を取り出して、自分のコップになみなみと注ぎ入れた。

「……、」
「……」

別に今更、「人ん家の冷蔵庫勝手に開けるなよ」とかケチつける気はない。ひとまず名無子がいつもの定位置、お気に入りのソファに座って、ごくごくと一気にあおるのをじっと待っていた。

「……オビト」
「あ?」

「私たち、別れましょう」



* * *



にわかには信じられない言葉だった。オレは名無子がまだ酔っ払っているのではないかと一瞬そう思ったが、彼女の瞳には、はっきりと意思が宿っていた。頬も赤くなるどころかむしろ白くさえ見えた。

「……何を言うんだよ、急に」
「別に、急なんてことはないよ」

だって、最初から言ってたじゃない、と名無子は淡々と告げる。

「“遊びで付き合おう”って、そう言ってたじゃない」
「は?」

なんのことだ、そんなの聞いてない、と食い下がれば「そうだっけ?」と名無子はとぼけた様子で頬杖をついて言う。

「じゃあ今言うよ。あなたとは“遊び”だったの」

一向にこちらを見ない、視線を逸らした名無子は、まるで“オレへの興味を失った”とでも言いたげな表情だった。

「あなたは全部忘れたのかもしれないけど、私から“遊びで付き合ってみない?”って持ちかけたんだよ」
「…………」
「そしたらあなたが“ああ”って、そう言ったから。それは話したよね?」
「……、」

……確かに。はじめは名無子から「付き合おう」と言ってきた。そしてオレはそれに応じた。おぼろげだが憶えてはいる……だがそれが、“おぼろげ”だということが何よりも問題だった。



――時は遡ること、1年と2ヶ月ほど前。去年の……いや、正しくはもう一昨年か。ともかくクリスマスの一週間前、オレたちは同期との忘年会、兼、“クリぼっちの会”で飲み明かしていた。その中に、名無子もいた。

名無子とオレはいたって普通の同期仲間だった。友人といえば友人なのだろう。だがそれ以上に親密な関係ではなかったし、ましてや自分たちが恋人同士になるだなんて夢にも思っていなかった。飲み会の間も特段そういった会話を交わした記憶はない。

だが、飲みすぎたオレは気がつけば名無子とホテルに居た。

普通そこは逆だろう、と冷静になってから思うものだが、とにかくオレは自分の状況が飲み込めず目を白黒させていた。差し込む朝日。隣に眠る裸の女。見知らぬ天井。それこそ俗に言う“朝チュン”というやつだった。

「おはよう、オビトくん」
「っ!?」

なぜそんなに悠然としていられるのか、混乱していたオレにとって名無子のその笑顔はやけに印象に残っている。

「……なあに? 何も覚えてないの?」
「ああ……、すまない……」
「……ふふ、いんだよ。だって、“お持ち帰り”したの、私だもん」

自分がどうしようもなくかっこ悪く思え穴があったら入りたい気分だったが、取り繕っても仕方がない、とオレは洗いざらい名無子に白状した。何度も何度も頭を下げた。そうしたら彼女はけらけらと笑って、こう言ったのだ。

「ねえ、私たち、付き合うことになったんだよ」
「はっ!?」
「私がね、“付き合おう”って言ったらオビトくんが“うん”って言ったの」
「……、」

オレは必死で頭を巡らせた。断片的にだが、ぼやけたやり取りが蘇る。

『……寂しいの?』
『……、』
『ねえ……オビトくん……私も同じだよ。だから、私たち……――』


いくら手繰り寄せても、互いの声はぼんやりとしか思い出せない。だが、不意に名無子が顔を寄せてきた光景がフラッシュバックする。そして、唇に触れた柔らかい感触。


――黒だ。何が、とまでは自分でもよくわからなかったが、瞬間的にそう思った。

「……名無子」
「うん?」
「その……あのだな。こんな形になってしまって悪いが、オレたち……恋人として。これから、付き合おう……」

オレはそれこそ、一世一代のつもりで絞り出したのだが。名無子は「プッ」と吹き出して、破顔した。

「あはは、あははは、オビトくん、いいんだよ、別に。無理しなくても」
「それは……」
「だって、今どき“責任とって”なんて言うつもりもないし」
「……いや! とにかく、オレは……」


名無子は「気にしなくていい」としきりに言っていたが、オレが気にした。だからそんなこんなで、名無子とオレの交際がはじまった。きっかけはどうあれ、オレたちの関係はそれなりに上手くいっていたと思う。ただ、オレの方が一方的に名無子に振り回されるようなことも多々あったわけで。

名無子は掴みにくい女だった。オレが“女心”というものを全くわかっていないというのもあっただろうが、それにしてもオレは一体、彼女の何パーセントを理解できていたことだろう。


「――ん、オビトくん」
「名無子……?」
「ねえ、どうだった?」
「……うん? どう、って……」
「だって、“はじめて”だったでしょう?」

それはオレと名無子が、“はっきりと意識のある状態で”はじめて行為に及んだ後のことだった。

「気持ち良かった?」

良いか悪いか、で言ったら“良かった”のだろう。現にオレは何度も出していた。ただ、

「……悪かった」
「え?」
「いや。オレが、下手クソで。悪かったな」

「初めては誰でもそんなもんだから」なんて言うが、オレは激しく自己嫌悪に陥っていた。いや、厳密に言えばオレは“はじめて”ではなかったはずなのだが……それもかえって名無子を幻滅させたのではないかと思った。オレは彼女を満足させたという自信が全くなかった。事後で少しやけっぱちな気分になっていたせいもあって、延々とそんなことばかり考えてしまう。

――今思えば、もっと名無子に優しくしてやるべきだった。いつまでも不機嫌そうに、黙って天井を見上げるオレから名無子はそっと離れて、それから寝返りを打って、小さなその背で呟いたのだ。

「……ごめんね」
「え?」
「……オビトくんの、童貞もらっちゃって。ゴメンね」
「……――、」



* * *



いつだってそうだ。オレは肝心なときに、気の利いたセリフのひとつでも囁いてやることもできない。「名無子をリードしてやりたい」という、ちっぽけなプライドの狭間で葛藤して、うまくいかないことの繰り返し。それでも名無子は、いつもオレの隣にいた。いつの間にかそれが当たり前になりつつあった。


「……私ね、」
「――、」

すう、と息を吸い込む名無子に、はっと意識を引き戻される。

「いつかはオビトくんが、振り向いてくれるかもって思ってた」
「……」
「でも、もういいや。遊びはもうおしまい」

じゃあね、とだけ言い残して立ち上がる名無子の手首を掴む。

「おい! なんだよ、それ、オレは――」
「やめてって」
「!」

強い力で振り払った名無子に、オレは狼狽する。ああ、そうか。名無子にこんな風に拒絶されたことなんて、今まで一度もなかったんだ。

オレがひるんだ隙に名無子はどんどんと足早に部屋を出ていく。オレも一瞬ののち、慌てて追いかける。

「名無子!」
「……、っ――」

もう一度、彼女の肩に手をかける。再び振り払おうとした名無子が、少し頭を振って、そして、

「……私だってね。勝てないゲームでいつまでも笑っているほど、お人好しじゃないの」
「――!」

「……じゃあね、」

“さようなら”


追いかければよかった。醜くてもいい、追いすがって引き止めればよかった。何度もそう思った。だが、できなかった。

最後のあの一瞬、彼女は、あの小さな背中で、きっと泣いていた。



「……、」

部屋に戻った後、オレは先ほどまでと同じように、ソファに腰を下ろした。まだ残っていた自分の体温がやけに生ぬるく感じる。


何をするでもなくただ、ぼうっと視線を投げかけていると、ふと、テーブルの片隅に置いてあった小さな箱が目に入る。

「……、バレンタイン、か」

それは昨日、いつも世話になっている婆さんからもらった“義理チョコ”だった。

「なんで、よりにもよって」

申し訳程度にラッピングされていたそのチョコは、中身は普通の市販のチョコレートだった。欠片をひとつ、口に放り込んで、舌で転がしじりじりと齧る。

『……まずい』

そこにはもういないはずの、彼女の声が重なってこだました。

甘いのか、苦いのか、辛いのかよくわからない、チョコミント。彼女が、名無子が嫌いだったチョコミント。一通り食べ尽くした後で、口の中に残った味をさっさと洗い流してしまおうと洗面所へ向かう。

「……ああ、まずいな」

口を濯いで、歯ブラシを手にとって、チューブから歯磨き粉をひねり出したところで、また思い出す。

『これあげる。私ミントって、苦手なんだよね』

そう言って何本も何本もオレに押し付けてきた、この歯磨き粉。なんつったっけな、名無子がいつも使っているクリーニング屋で、よく貰うらしくて。毎回オレのところへ持ってくるから、もう何本も同じ歯磨き粉のストックが溜まっている。

『まずい』

自分で持ってくるくせに、彼女はオレがこの歯磨き粉で歯を磨いた後は、キスをすると“まずい”と言って決まって不機嫌になった。ミント味がまずいからと。

「……あーあー」


彼女は、遊びだったと言っていた。もちろん、オレにはそんなつもりはなかった。だが、本当の、心の底の本音を言えば、“本気”のつもりもおそらくなかった。彼女が言っていた、責任感。そんなものに当初オレは突き動かされていたような気がする。……なのに。


「……オレ、振られたのか」

はは、と笑い出しそうになった自分の声があまりにも情けなかった。オレは驚いた。

「……名無子」

どうせなら、「嫌いになった」とか「二度と会いたくない」とか、こっ酷く言ってくれればよかったのにな。

鏡の中のオレは、ただただ疲れた顔で立ち尽くしていた。



ホワイトデーにつづく→

(2019/02/17)

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