“どうして私じゃだめなの”

そんな、ありふれたラブソングの、陳腐で安っぽい女みたいなことばっかり考えているのがイヤになった。


始まりはいつだったか、なんて、もうこの際そんなことはどうでもいいんだけど。私は、うちはオビトが好きだった。けれど彼は、のはらリンが好きだった。――だから私は、彼を一度諦めた。何もかも、忘れようとした。

けれどね、運命って、ときに皮肉なもので。この世に神様がいるとしたら、なんて悪戯なんだろうって、あのクリスマス会の日の晩、私に“チャンス”が巡ってきた。巡ってきてしまった。

「魔が差した」とか「据え膳食わぬは」なんて男の人は往々にして言うけれど、そのときの私はまさにそれだった。

彼の良心につけ込んで、私たちは恋人になった。


ああ、それからのことは、本当に楽しかった。嬉しかった。もちろん、不安なこともたくさんあった。だけど、確かに彼が私を求めてくれたとき、私は「このためにこの世に生まれたんだ」って、本気で信じられた。そのくらい、好きだった。大好きだったの、彼のことが。

でもね、彼の本当の一番は私じゃない。はじめっからわかってた、だから私もずっと、予防線を張っていた。

『“遊びで付き合おう”って、そう言ってたじゃない』

どうせならオビトくんが私なんか嫌いになってくれたらいいなって、そんな気持ちもあったの。

最後のあのとき、本当は、「もう二度と会いたくない」とか「触らないで」とかいろいろ、捨て台詞も考えてたんだけど、そんなの全然口にできなかった。だって優しくて、かっこよくて、あったかくて、でもちょっぴり抜けてて、そんなあなたが大好きだったから。

だから、これが私のせいいっぱい。


「――あなたを諦めることにしたの」



* * *



いつからか、時の流れが随分早くなった気がする。子供の頃は一週間、一ヶ月がいくらでも続きそうな気がしていたのに、今や2月があっという間に過ぎ去って、3月も半ばが近づいていた。

「ねーちゃん、この手裏剣ガムひとつ!」
「はいはい。いつもありがとね」

手を振り去っていく男の子を見送ってから、私はまだまだ肌寒さの残る店先で、ひとつ欠伸を噛み殺した。

親戚のおばあさんが切り盛りしている、小さな駄菓子屋さん。たまに近所の子が来るくらいで、“繁盛”なんて言葉とは程遠い場所だけど、私はたまに店番のお手伝いをしていた。特に先日、おばあさんが腰をやってしまってからは、時間を見てちょくちょく顔をだすようにしている。

「いらっしゃいませー」

茜色の夕日が差す店内。もうすぐ店仕舞いかな、なんて頃合いに、チリンチリン、と入り口の鈴が鳴って、誰もいなかった店内に仮面の男が現れた。

「おつかれー名無子ちゃん!」
「出たな不審者」
「ちょっ! それやめてって!」

大げさに狼狽えてみせるのはこの場に似つかわしくない、黒いフードを目深に被った、オレンジの面の大の男。

「なに? 今日もチョコ?」
「えー? うーん、どれにしよっかな〜?」
「さっさと選んで、この変態」
「ちょっ!? 酷くない!? 仮にも客にその言い草は!?」

やかましさと胡散臭さの権化みたいなこの男は、名をトビというらしい。なんのつもりか知らないけど、2月も終わりの頃にひょっこり現れて、以来しばしばこの店にやって来るようになった。

「あんたみたいな怪しい奴がうろついてたら、うちの店の評判が下がるでしょ」
「うっ、グスン……名無子ちゃん、最近ちょっとボクへの当たり強くない?」
「そうかな」

棚を物色しだしたトビの背中をぼんやりと眺める。

「だって、優しくしたって意味ないでしょ」
「え?」
「それともあんたってさぁ、私に気でもあるの?」
「ええっ!?」
「だっていちいち、こんな寂れた店になんて来なくてもいいのに」

「えーっ!」と大声をあげながらトビは両手を頬のあたりに当てて、キャアだかワアだか喚きながら飛び跳ねる。

「あーあー、冗談だから。冗談だから騒ぐのやめて」
「図星っス!」
「はあ?」
「だーかーらー、気があるって言ってるんですよ、名無子ちゃんに!」
「……勘弁して」
「むぅー、そんなこと言ってェ」

カウンターに頬杖をついていたら、トビが上から覆いかぶさるようにして覗き込んでくる。

「知ってるんですよ」
「……」
「名無子ちゃん、今、優しくされたくないんでしょう」
「……何を、」
「言ってましたもんね、この前。彼氏と別れたばっかりなんだって」

……ああ、そんな話、トビにしたっけ。こんな面倒なことになるなら、言わなきゃよかったなぁ。

「……トビ」
「……あっはは、そんな顔しないでくださいよ! 冗談ですよ、冗談」
「……」
「あれれ? 意外と、ガッカリしちゃってたり?」

……なんだろう、トビと話していると、いつだって調子を狂わされる。

「はい、それじゃあ可愛い名無子ちゃんには、これあげる」

ポン、と突然カウンターの上に置かれたのは、ピンク色のリボンに包まれた小さな箱。

「え?」
「ほら、今日、ホワイトデーでしょ」
「つっても、私、別にあんたにバレンタインとかあげてないし……」
「細かいこと気にしない! あげたいからあげるんです、ほら!」

半ば強引に押し付けられる形で私は結局、それを受け取ってしまった。

「んじゃ、早速開けてみて、名無子ちゃん!」
「……は?」
「中身チョコレートなんで、食べて感想聞かせてくださいよ」

ええ、と呆れながらその仮面を見上げる。

「……あのねぇ、これでも今まだお店、営業中だから」
「えー? じゃあ終わるまで待ってますから。どうせもうすぐでしょ?」

いいって、とできうる限り露骨に嫌そうな顔をしてみたのだが、トビには通じない。これ以上言い争いにでもなって騒がれでもしたら面倒だし、仕方なく最終的に私が折れることになってしまった。

「じゃっ、店の裏で待ってまーす!」
「はいはい」


――まあ、なんだかんだで、嫌い、ではないのだと思う。のろのろと店仕舞いしながら考える。
不思議と憎めないキャラというか。しかしかと言って、百歩譲ってそこに「ライク」はあっても「ラブ」はない、はずだ。

店のシャッターを下ろし、帰路に就く頃には、あたりはすっかり暗くなっていた。



* * *



「うわぁ、ほんとに待ってた」
「あったりまえでしょう!? 約束破ったりしませんよ、ボク!」

一応仕事帰りの、この時間帯にこのテンションはキッツいなぁと、我ながらよくわからないことを考える。
そうこうしているうちにトビが「家まで送っていきますよ!」とか言い出し、「それは勘弁して」と返せば「じゃあせめて近くまで!」としつこくひっついてくる。

「あーあー、わかった、じゃあ近くの公園までね」
「ヤッター!」

何がやったーなんだろう、と思いつつも仕方なしに歩き出す。夜道でこうして並んでみると、トビは結構長身なのもあって、なんだか一層不気味に見えた。

「名無子ちゃーん」
「……なに?」
「なんか歩くの速くありません?」
「そうかな?」
「そうです! せっかく二人きりの時間なんだし、もっとゆっくり――」

くだらないお喋りをしているうちに、目的の公園まで到着する。

「はー、じゃ、ここでお別れね」
「あっ! そうだそうだ、さっきのチョコ。開けてみてくださいよ」

促されるがまま、とりあえずベンチに腰を下ろし、街灯を頼りに包みを開ける。それは、

「ジャジャーン!」
「…………、」
「あれっ? 嬉しくないですか、チョコミント」

ああ、嬉しいわけがないじゃない。なんでよりにもよって。この私に、チョコミント。

「……名無子ちゃーん?」
「……」
「おーい。ねえ、食べないの?」
「……、最悪」
「……どうして? 嫌いだった?」

嫌い、といえばそのとおり。だけど今、不機嫌な理由はそれだけじゃない。

(……オビトくん……)

どうしたって彼のことを、思い出さずにはいられないから。

自分でもどうしてかわからないけど、その瞬間、なぜか私の手は包装紙を開けていた。そしてひとつ、そのチョコを口へ運んだ。

「あっ、」
「……、」

口の中に広がる、チョコレートと、そしてミントの味。

「……っ、」

急に目の辺りがカッと熱くなって、気がついたら、ぽろり、涙が零れていた。

「……名無子ちゃん」
「……、」
「ねえ。オレ以外の前では、そんな顔、見せちゃ駄目だよ」
「――、」

不意に、隣に座っているトビがフードに手をかける。そしてその下から現れたシルエットに、強烈な既視感と違和感を覚える。

「――名無子、」
「――っ、」

それは一瞬のことだった。

仮面をずらしたトビが、私に口付ける。

唇と唇が触れ合ったとき、記憶のピースがバチリと噛み合ったような、雷に打たれたような衝撃だった。

「っ!」
「!」

混乱しながらも私は咄嗟に彼を押しのけて、一目散に逃げ出した。どうしてそうしたのかもわからなかったけど、とにかく家に向かってひた走った。

「はあっ、はあっ」

追ってきている気配は全くなかった。

だから家の前の、最後の曲がり角で足を止めたとき。

「つかまえた」
「ッ!」

心臓が止まるかと思った、どこから現れたのか、私は彼に抱えられあっという間に自宅へ連れ込まれる。


「――ちょっと、何するの!!」
「おい、暴れないでくれ」

勝手知ったる様子で人の家に上がり込むこの男を、キッと睨みつける。

「なんで、こんなこと……」

威勢を失った私の言葉に、彼は少しだけ目を伏せて、しばらくしてこう言った。

「お前のことが、まだ、好きだから」
「……っ」

困ったような、シュンとしたようなその表情は、私が好きだった彼そのものだった。

「オビトくん……」
「なあ、名無子……お前は言ったよな。『オレを諦める』って」
「……」
「でも、オレは言ってない。お前を諦めるなんて言ってない」

彼はまるで縋るように、私の手をとった。

「もし、お前が……オレのことを心底嫌いになったのなら、そう言ってくれ」
「……」
「『お前なんか嫌いだ』って、なあ……一言でいいんだ。そしたら諦められるから。だから……頼むから」
「……、なにそれ……馬鹿な人」

「じゃあ言うよ」と私は、すう、と息を吸い込んだ。


「…………好き」

「――!」

「今でも、好き。大好き、あなたのことが」


ぴくり、と彼の手が震える。


「だから、辛かった。あの日。私、見ちゃったの。あなたがリンからチョコもらってるとこ」
「……――ちょっと待った」

少しだけ涙を浮かべながら語りだした私の言葉を、オビトくんが思い切り遮る。

「ちょっと待った。オレが、リンに? チョコを?」
「……なに? そうだけど」
「いや、オレはリンからチョコなんてもらってないぞ」
「……そんなわけない。しらばっくれないで! 今更、そんな――」
「本当だって! ――いや、そうだ! それだ!」

頭を振って、なんだか勝手に納得し始めた彼に眉を寄せる。

「だって、私ちゃんと見たもの! オビトくん、すごく嬉しそうにしてて――」
「ああ、ああ、そうだ。確かにバレンタインの日、オレはリンからチョコを受け取った」
「なによっ、じゃあやっぱり――!」
「違うんだって! あれは、リンからじゃなくて! 前にオレが助けた婆さんからのチョコだったんだよ!」
「……ハア?」

……オビトくん曰く。
以前、道端で具合の悪くなっていたお婆さんを助けた。そしたら、そのお婆さんは木ノ葉病院によく通っていて、リンとも知り合いのお婆さんだった。その日、ちょうどリンに会ったお婆さんは、オビトくんへチョコを渡してくれるよう頼んだ……という話だったそうだ。

「……、なに、それ」
「信じられないか? なら、リンに直接確認してくれたっていい」

オビトくんの顔は、とても嘘を吐いていそうには見えなかった。

「……それになァ、オレはリンからのチョコなんてもうずぅーーっともらってねえんだよ」
「……ふぅん?」

なにそれ、でも昔はもらってたってこと?
目線で続きを促せば、オビトくんは突然苦悶に満ちたような、ひどく苦々しい顔をして目を閉じる。

「リンはな……昔はオレとカカシとミナト先生にちゃんとチョコをくれてた」
「……」
「一見それはな、全部同じに見えてたんだ……だがな、ある年、オレは見ちまったんだ。オレと、ミナト先生の分。そしてカカシの分。肝心の中身が……全っ然違ってたんだ」

「アイツだけ手書きのメッセージカード付きだぞカード付き!?」と、心なしか目を潤ませ、拳を握り迫真の表情で語るオビトくんは、それはもう本気なのだなとよくよく伝わってきた。

「あれ以来オレは自ら……」
「……ああ、わかった。わかったから、その話はもういいや」

それから、自然と沈黙が落ちて。私たちは互いに顔を落とす。


「……名無子。ごめんな」
「……何を」
「もしお前が、まだオレを許してくれるなら。もう一度、オレたち……」
「やだなあ。謝るのは、本当は私の方なのに」
「そんなことない。オレがもっと、お前を――」
「ううん、違うの。私が言いたいのは、それだけじゃなくって」
「?」

このタイミングで言うのも卑怯な気がした。でも、もう隠しておくこともできなかった。

「オビトくん。最初、私たちホテルで寝てたよね?」
「……、それが?」
「あのときさ。本当は、やってなかったの」
「…………は?」
「だから、してなかったの、最後まで」

ぽかんとした彼の表情は、いつもなら笑いだしてしまいそうなものだったけど、今はひたすら罪悪感に襲われる。

「あの日はね、オビトくん、酔っ払ってて。確かにキスはしたんだけど……それからすぐ寝ちゃったから。なんにもなかったの、私たち」
「…………」
「でも、“そういうこと”にしておけば、オビトくんなら付き合ってくれるんじゃないかって……だから。ごめんなさい」

項垂れた私をよそに、彼は「そうか……で?」とあっけらかんと言い放つ。

「で、って……」
「だからなんだ? やっぱりオレと別れるか?」
「いやいや、だって! 私はそんなの嫌だけど、オビトくんは……オビトくんは私でいいの?」
「いいに決まってんだろ、さっきからそう言ってる」
「でも、でも! だってオビトくん、初めてのとき、すごくショック受けてたふうだったし……」
「あ?」
「てっきりリンに操でも立ててたのかと……」

ハア? とオビトくんはこれみよがしに溜息をつく。

「あのなあ。今どき男が操って」
「だって……」
「……」

彼を騙してしまったこと。それはずっと私の中で引っかかっていた。

「……名無子」
「……」
「顔、上げて」

オビトくんがポンポンと私の肩を叩く。

「あー、もう、いいんだよ、御託は」
「……」
「オレはお前が好き。わかったな?」
「……ぅん」
「なら、それでいいだろ?」
「……、うん。……ふふっ」

抱きしめられて、自然と笑顔が零れた。



「……それじゃ、落ち着いたところで。今度はオレにチョコくれよ」
「え?」
「結局バレンタイン、もらいそびれてたからな」
「あー、そうだね……ごめん。それじゃあ今度用意して……」
「いや。ちょうど今ここにあるから。じゃあこれオレに食わして」
「え?」
「これ。さっきのチョコミント」
「……、じゃあ……あーん?」
「あーん……、ん、」
「んっ!?」
「ん、…………、」
「……ふ、ぅ、……」


「ん? どうだった、久しぶりのキスの味は?」
「……、まずい」


でも、好き。


END

(2019/03/31)

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