ざわざわと、騒ぐ場内。
観客達は、今か今かと、その時を待っていた。
ミナコも、沢山の観客の一人。
ドキドキする胸を抑えつけて、その時を待っていた。
やがて、照明が暗くなり――司会者が語りだす。
「本日は、ようこそ、“Arts & Leisure Weekend”へおいで下さいました……」
挨拶の後、待ちに待った人の名前が。
「Mr,アラン・リックマン!」
どっと、拍手の嵐。
インタビューアーと共に、静かな足取りでやってきたその人を見たミナコは、目を見開いた。
『アランだ……』
黒っぽいジャケットどズボン。
少し、青みがかったシャツを着て、ウールのインナーを羽織っている。
少し乱れた髪は、メッシュになっていた。
アランは用意された椅子に座ると、インタビュアーから質問を受け、それに一つ一つ、とても丁寧に答えていく。時折、ウィットを滲ませながら。
観客からは、時折笑い声が聞こえる。
ミナコは、一生懸命に聴こう、聴こうとするが、頭がぼうっとして、彼の言葉が頭に入っていかなかった。
トークイベントは、時折シリアスあり、笑いありで、映画のワンシーンも流しつつ、和やかな雰囲気で終わった。1時間が、あっという間だった。
『ほら、終わったわよ!』
一緒に付いてきてくれた友人の声で、ハッと気が付いたミナコ。
『…終わったの?』
ぼーっと返事をするミナコに、友人は呆れ顔だった。
『あんた…大丈夫?心ここにあらずみたいだけど…』
『だ、大丈夫…』
本当は大丈夫どころの話ではなかったが、ミナコはそう答えると、席を立った。
この日のために奮発して買ったワンピースに、ロング手袋を装着して、バッグを持った。
『出待ち……ホントにしなくてもいいの?すっごいファンなんでしょ?アランの……』
友人の言葉に、はミナコ慌てて首を振った。
『冗談…!そんな恥ずかしいこと出来ないよ……』
『恥ずかしいってあんた……今を逃したら一生逢えないかもしれないのに…』
『…………』
友人の忠告に、ミナコは頬を染めた。
逢えるはずない。
今よりも近い距離で、アランさんを感じたりしたらきっと私は壊れてしまう。
今だって……まだ、この胸が苦しい……。
そう言うことも出来ず、ミナコは慌てて友人と一緒に会場を後にした。
*****
ホテルのバーに寄り、カクテルを飲みながら、今日あった話をしていた二人。
このバーにいる日本人は二人だけ、というのもあるが、彼女達はとても目立っていた。
ミナコの、オリエンタルなドレスが一際目を引く。勿論、彼女はそんなことは一切、気づいていなかったが。
メニューを見た友人が、声をあげてきた。
『これ、一度頼んでみたら…?』
面白そうじゃない?と言った彼女が指示したカクテルの名は―――、
『Velvet Trap…?』
『アランみたいじゃない?旅の記念にさ!』
ベルベットってアランのことでしょ!しかもトラップとか…まんまよね!友人はそう言うと、さっさと注文してしまう。
『ち、ちょっとお〜…』
『あはは…ものは試し、ってね!』
笑ってくる友人に、苦笑しか返せない。
『もう…。私がお酒に弱いこと、知っているくせに……』
優しくなじるにミナコ、友人はニヤニヤ笑ってきた。
『酔わせて襲うつもりなのだよ……なーんちゃって!』
『ばか……』
届いたカクテルは…緋色で、いかにも、濃度が濃そうなカクテルだった。
一口飲んだミナコは、頬を真っ赤に染める。
『強…ッ』
『あら、やっぱり?』
メニューをよく見てみると、テキーラと書いてある。
『あら〜…こりゃ、トラップだわ……』
『でも…おいし…』
不思議と癖になる味だった。一口…また一口と飲んでしまう。
『ちょっと、ピッチ早いんじゃないの?』
『大丈夫よ。今日はあと、ホテルで休むだけだもの…』
心配する友人に笑いかけると、ミナコはカクテルを飲んだ。
ふらふらする。ミナコは後悔していた。思ったより、あのカクテルが強かったのだ。
それでも心配する友人と別れ、何とかエレベーターに乗ったミナコは、部屋へと向かう。
カードキーをかざして、部屋に入ろうとするのだが、どうにもこうにも部屋に入れない。
『ひっく……変だわ……』
カードの磁気がいかれてるのかと思い、ミナコはカードを振った。とたん、バランスを崩して後ろに倒れ込む。
『きゃ…ッ』
「おっと危ない……君は?」
後ろから、誰かに抱きしめられる。
その、低い声。艶があって、とても魅力的なその声。
聞き間違えるはずはない、その声の持ち主は、
「ア、アランさん…?」
(H24,1,8)
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