短編 2 | ナノ


▼ ブルーマラカイトの魔法

※教授×女生徒


静寂の中に走る緊張感。
スネイプはあちこちに目を光らせながら歩きまわる。調合とはデリケートなものであり、手順を間違えれば死ぬこともある危険な行為なのだ。
それゆえ、スネイプは授業中は特に神経を尖らせていた。集中していない生徒には容赦なく減点を与えてきた。
スネイプの授業である魔法薬学では、沈黙の授業と言ってもよいものだった。今日もいつもと同じ、材料を切りそろえる音、本の頁をめくる静かな音、そして、鍋を静かにかき混ぜる音…それ以外は聞こえない…はずだった。

スネイプの耳は、小さな溜め息を拾った。

スネイプは眉を顰める。
自分の授業では、溜め息をつく暇などはないはず。集中が必要な授業なのだ。溜め息など、つくような余裕などはない。スネイプはくるりと身体を回転させると、溜め息の主を探す。生徒の間を彷徨っていたスネイプの視線は、目的の人物を見つけたとたん、鋭いものから戸惑いのものへと変化した。
何故なら、その者は、スネイプが思うところの平凡な生徒だったからだ。

控え目な容姿に態度。減点など、入学してから一度もされたことがない。
授業では私語など一切しないし、提出物が遅れたこともない。
魔法薬学の成績は中から上あたり。かといって、他の教科が特に秀でているわけでもない。
寮がグリフィンドールであるという事実が信じられないほど静かで謙虚。だが、孤立しているわけではなく、友人はきちんといるようだ。
そんな、一人の生徒…それが、溜め息の主だったからだ。


*


魔法薬学の授業中であるというのに、どうしても集中できない。
危険であることは十分分かっていたが、心がざわめき、落ち着かない状態のままなんとか調合をしていたレイは、集中しなければ、と何度も自分に言い聞かせていた。今日の調合はいつにも増して工程が複雑なのだ。少しのミスも許されないだろう。ああ、けれど……。
鍋をかき混ぜる手を止め、ぐつぐつと煮立った薬をぼんやりと見つめる。あと、少しなのだ。どうしても、どうしても完成させたかった。何故ならリミットはもうそこまで来ていた。

いけない。今はそんな事、考えていては駄目。

レイは己にそう言い聞かせると目を瞑り首を振る。そして息をつくと再度調合を再開した。
一部始終をスネイプに見られていた事には全く気づかずに――。


*


なんとか授業も終わり、レイは出来上がった薬を提出すると、逃げるように教室を後にする。
レイの目には、不審げな顔をするスネイプなど一切見えていない。彼女の全ては、ある一つのことだけに向いていたからだ。
速足から、駆け足に。一秒でも早く、辿りつきたい。息が上がるのも構わず、レイは校内を走り抜ける。後ろから、スネイプが追いかけているとも知らぬまま。

ホグワーツの奥、人気のない廊下を走るレイの足は迷うことがない。目的をもってある場所へ向かっているのだ。スネイプは眉を顰めた。あのように、目を輝かせ、頬を薔薇色に染めて真っ直ぐに向かうのだ、てっきり恋人の所でも行くのだろうと、スネイプは考えていた。年頃の娘である。自分の授業に集中せず、溜め息ばかりをついている原因は、恋の病かと彼は考えていた。だが、どうやら違うようだ。ここは、仮にも逢引きをするような場所ではない。学生など訪れる者など誰もいないであろう、暗く、不気味な場所である。そんな場所で上がる息のまま、懐から杖を取り出したレイは指揮を振るように杖を振った。すると、目の前に扉が開かれる。

「急がなくちゃ…」

レイはそう言うと、扉の中へ入っていった。
彼女が扉の中へ消えた直ぐ後、スネイプが扉の前に立つ。辺りを見まわしながら、スネイプは考えた。これは…必要の部屋、か? ホグワーツで長く働いているスネイプも知らない部屋、しかも学生が入ることができる部屋となると、それ以外考えられない。
ここで一体、何をしているというのか。自分は、何故こんなにも気になっているのか。たかだか、自分の授業に集中していない生徒がふいについたいくつかの溜め息……それだけでここまで彼女を追ってきたのだ。自寮の生徒でもあるまいし、放っておけば良いものを…何故かスネイプは、それができなかった。気づかなかった事、にはできなかったのだ。
スネイプは一瞬迷った後、懐から杖を取り出し振る。
自分がここに来たのは、教師としてなのだ、だ。と自分に言い聞かせながら。


*


部屋へ入ったスネイプは、まず、部屋の広さに驚愕する。
魔法の力が働いているのだ。無理もないが、その部屋はとてつもなく広かった。そして、何もない。本当に、何もない部屋だった。
いや、完全に何もないとは言えないな。スネイプは目を眇める。部屋のほぼ中央辺りに、大きなカンバスのようなものがあった。そして、その前には椅子が一脚。そこに坐っているのは、先程自分の授業を上の空で受けていたあの生徒だったのだ。
このような場所で、遊んでいたのか。唇を歪めながら、レイに近づくスネイプは、彼女に近づくにつれ、目つきを変えていった。
近づけば近づくほど、カンバスに描かれた絵がよく見えるようになる。初めは風景かと思った。しかしより近づくと違っていることがわかる。輪郭のようなものがはっきりとわかる。目も…鼻も、口もある。微笑んでいるように見える。優しげな眼差し…そしてその髪型、服装。スネイプの視線は驚愕に見開かれることとなる。
なんと、目の前に描かれているその絵、それはまさしく、どうみても……?

「……」

言葉にならない。
スネイプは口元を片手で覆う。これは一体、どういうことなのだ…?
言葉を失い佇むスネイプ。そんなスネイプの存在に、かなり遅れて気がついたレイは叫び声をあげた。と同時に持っていた筆とパレットを投げ捨ててしまう。その声と音に我に返ったスネイプがレイを見た。

「……」
「……」

気まずい沈黙が辺りを支配した。
レイは心臓が飛び出るのではないかというくらい驚いていたし、スネイプはとにかく衝撃のあまり何といって良いのやら分からない。そんな事は、スネイプにとっては非常に珍しい事であった。
だが、それも仕方がないとも思った。こんな場所で、よりにもよって生徒が、しかもグリフィンドールの生徒が、自分の肖像画を描いていたのだ。しかも何故か微笑んでいるではないか。我輩が、微笑んで…いる……?

「…何故」
「?」

てっきり怒鳴りつけられると思っていたレイは首を竦めたのだが、何故、と言われて首を竦めたまま今度はそれを傾げる。
スネイプはそんなレイをチラリと見つめると、咳払いをした。

「何故、この絵は笑っているのだ」
「……」

何故、自分を描いたのだ、と聞かれるのなら理解できた。なのに、スネイプがしてきた問いは、レイの心臓をおかしなくらい騒がせた。
レイがスネイプの微笑みを絵にした、その理由は一つしかなかったのだ。覚悟を決めると、レイは、少しだけ震える声で言った。

「見たから…」
「見た?」

眉を顰めるスネイプに、レイは唾を飲み込む。そして、澄んだ声で言った。

「温室で、貴方が笑うのを。珍しい薬草を、摘んで…」
「……あぁ、あの時か」

言われて初めて、あの場所に居たのは自分一人だけではなかったのだと言う事に、スネイプは気がついた。
だがあの日は真夜中であったはずだ。生徒が出歩く時間はとうに過ぎていた。

「あの日、私もあの薬草を摘みに来ていました。だってあの薬草は…」
「満月の夜にしか採取できぬから、な」
「…そうです。ひょっとしたら、使えるかもしれない、って思って」
「? 何に、だ」

あの植物は、調合でも一部の薬にしか使われないはずだが。だからこそ希少価値も高く、スネイプは嬉しさの余り、表情を崩したのだ。疑問に思ったスネイプがレイを見る。するとレイは床に落ちたパレットを拾い上げる。そこに広がった藍の色に、指先をのせた。

「この色…」
「あの薬草に似ているが…それが?」

訊ねるスネイプにレイは頷く。

「この絵具は、とても希少な石から採れるのですが…この国にはありません」
「そうなのか」
「私の故郷でつくられている絵具なんです。藍銅鉱…アズライト、という鉱物を加工してつくられます。無くなりそうだったから、ひょっとしたら…」
「あの薬草で代用できないか、と考えたのか」
「はい…」

カンバスを見上げながら、レイははにかむように笑った。

「どうしても、この色で仕上げたかったんです」
「…我輩は、このように美しい藍色をしておらぬがな」

自分を描くのなら、漆黒の色の間違いであろうに。スネイプは暗にそう匂わせながら、自分の絵を見つめる。藍色のそれが自分を微笑みながら見返してくる。随分と優しい視線だ。自分のようで、まるで自分ではない。暗く冷たいというよりは、柔らかく優しい表情をしているように見え、スネイプは視線をずらす。どうにも居心地が悪かった。

「そんなことない!」

思いもよらないレイの大声に、スネイプは目を見開いた。

「吸い込まれそうに、綺麗な色なんですよ。まるで…まるで――」

その後の言葉はうまく聞き取れなかった。静かな部屋なのに、くぐもったような、小さな声だったからだろうか。スネイプは聞き返してしまった。止せばいいのに。普段のスネイプなら、決して踏み込まない一線に、踏み込んでしまった。

「まるで…何なのだ」
「……」

頬を染めたまま、スネイプをひたと見つめるその視線には熱がこもっていた。それがなんであるのか、いかに鈍いスネイプにも理解できた。

「貴方の瞳の色みたいに……」


光に当たる貴方の瞳は、加減によって深い藍色に見える。
それを知っているのは、世界でただ一人、私だけかもしれない。
だから、それを残したかったの。
優しい貴方を、大好きな色で、永遠に閉じ込めておきたかった。
記憶は薄れていってしまうから。忘れないうちに…。

レイの言葉に、スネイプの思考は停止する。間違いなくその告白はとても危ういものだった。
決定打を言われたわけではないが、それはスネイプにとって果てしなく深く、そして甘く、危険なものだった。

応えるべきなのか。それとも……スネイプは迷った。決断せねばならなかった。
だが、どちらも、選ぶことなどできはしない。

嘘を言うことはしたくなかった。この娘の、純粋な気持ちを踏みにじることはしたくない。
だが、受け入れるだけの勇気もない。それほど、彼女のことを知っているわけでもない。スネイプにとっては、彼女は今までは大勢の中の生徒の一人、であったのだ。
かといってはねつける度胸もない。このような場所で、自分の肖像画を湧き上がる衝動のまま描きつづけた人物に…生まれて初めて、そこまで想われる人物に対して、拒絶することなど、スネイプには出来ない事であった。

時間はない。
どの道が正しいのか…選ぶのは自分自身である。

スネイプは腹を決める。
杖を取り出すとレイに向かって忘却魔法を唱えた。レイは悲しそうな顔をすると、一瞬で意識を失い、その場に崩れ落ちる。

「ど、うして――」

レイの目尻から流れ落ちるひと筋の涙を見たスネイプは胸を痛めた。

「すまない……」

決して届かない謝罪の言葉を呟くと、スネイプはレイの涙を拭う。
夢であったと思ってほしいと…思春期の憧れにすぎないのだと、ぶつけることも出来ない言葉がスネイプの胸の中で渦巻いた。
生徒が教師に憧れる事など、よくある事。広い世界に出れば忘れるに違いない。

レイの身体を抱き上げ、部屋を後にしながらスネイプは心の中で考えた。
卑怯な大人に惹かれた憐れな娘よ…もしも思い出したら、我輩を憎んでもいい。
その方が、よほど自分に向けられるべき、相応しい感情なのだ、と。


*



大広間で、グリフィンドール生が騒いでいる。
元気なことだ。食事の時間くらい、静かに過ごせないのだろうか。スネイプは青筋を立てながらスープを啜る。いつもの日常が返ってきた。
その喧噪の中にある人物を見つけ、スネイプの心はざわめく。騒ぎの中心にいる娘…あれから何か月か経過したが、彼女が思い出すそぶりは見られなかった。今日も、スネイプの方を見ようともせず、友人と楽しそうに話している。

どうか、想い出すな。これ以上、我輩の心を掻きたてるな。

スネイプはそう願いながら、大広間を後にする。
大広間を出る寸前…娘の後姿がちらりと見えた。その瞬間、スネイプの胸は鷲づかみにされたかのような衝撃を受けた。
娘の黒髪に映える、美しい髪留めの色。それは、あの日、指先に移した色と同じ、藍色だったのだ。友人なのだろう、一人の女生徒がその髪留めに触れながら、レイに話しかける。

「レイ、その色好きよね」
「そう、大好き! とっても大好きなの…何故だか、胸が締め付けられるくらいに、好きなの……」

ドキリ、と大きく心臓が騒いだ。
スネイプは逃げるように足早に立ち去る。胸を押さえ、甘く毒のように広がる感情を持て余しながら、スネイプはほろ苦く笑った。
彼女が卒業するまで、あと4年…その間、自分はきっと、藍色を見る度にこうなってしまうに違いない。
魔法にかけたつもりが、逆にかかっていたとは。あの娘は、なんと強力な魔法使いなのだろうか。

「あぁ…レイ……」

スネイプの熱い囁きは、誰に聞かれることもなく、地下に響き消えていった。

(H30,03,13)


☆リンから青池さんへ

このたびは遅くなりまして申し訳ありませんでした;;
切甘みたいなお話になりましたが、気に入ってくださると嬉しいです。
ほんとに遅すぎますが…お誕生日おめでとうございます! そしてリクエスト、ありがとうございました^^

prev / next

[ back to top ]



「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -