アラン・映画夢 | ナノ

9 身代わり




震える指先が、パスワードを入力する。後ろに、ハンスの存在を感じながら。

だってこのパスワードを入力したら、私は……私の命は……。


静かに回る青い輪。数秒の後、パスワード画面が変わった。


「Authentication is complete. Please enter the following password(認証完了。次のパスワードを入力してください)……か。19300218という番号の意味は?」

チカチカと点滅するカーソルを見つめながら私は言った。

「その番号は、冥王星が発見された日なんです。私と…父の間での秘密の番号…」

「そうか……」


ハンスは静かな声でそう言うと、トランシーバーを取り出す。
ああ、きっとあれで、私を殺せって言うんだわ。私……出来れば一発で殺してほしい。痛みを感じる暇もないくらい、素早く。
破裂しそうな心臓の音がうるさい。ハンスの唇が、トランシーバーに寄せられる。セクシーなその唇。

私にキスをした唇で、私を殺せと命令するのね…。

酷い男。だけど私は……貴方の事を嫌いになれない――――。


「テオ、認証完了だ。すぐこちらに戻ってこい」

「らじゃー!カウボーイはどうする?」

「放っておけ。代わりの者を行かせる…テオ、早く来い」

「お〜ボスに頼られるのって快感だねぇ〜待っててね、ダーリン♪」

「…………馬鹿が」



交信を切ったハンスの顔が凄い事になっていた。あの眉間の皺…!

トランシーバーをスーツの中に閉まったハンスは、私に向き直る。テオとのやりとりで薄れていた緊張感が蘇ってきた。ハンスが私を殺すの…?


「協力感謝する…」

「……………」

何と返事をしてよいか解らない。どういたしまして、というのは変でしょうし。人質の立場で発言するのは難しいわ。

「申し訳ないが……このままでは、君を帰せそうもない。大変申し訳ないが――」

「?」

殺すんでしょ?私を……。ハンス、貴方……一体何をするつもりなの?


訳が分からない、という顔をする私のみぞおちに、強い衝撃。

「あ……ッ」

「しばらくお休みいただこう……可愛い可愛い私の……メイ」


薄れていく意識の中、彼がそう囁くのを、私は確かに聞いた――。




*****




遠くに見えるとうさまの背中。

どんなにどんなに追いかけても…とうさまの元へは行けない。


ああ、そうだった。それを知ったのは……私が小学3年生になった時。とうさまは星になった、と伯父様が教えてくれた。
とうさまは、事故で死んだのだと。


最後にとうさまの顔を見たかったのに……大人に反対され、開けられなかった棺。
理由は教えてくれなかったけれど、大人になった今ならわかる。きっととうさまの顔は、子供には見せられないほど、事故で変わってしまっていたのだと。

けれど、あの日から私の心にはぽっかりと穴が開いたまま。とうさまにさよならが言えなかったあの日は、私の誕生日だった。
とうさまは冥王星に連れて行かれてしまったんだと思った。子供心に思ったことだったけれど。

忘れてしまいたいのに、忘れられない。その日から私は、夜空を見上げることをしなくなった。


とうさま……とうさま……私も、私ももうすぐとうさまの側に行くみたい……。





*****




パチパチと、何かの燃える音と、鼻をつく異臭が、私を現実の世界へと引き戻した。
これは……これは何かが燃える匂い……?


「………う…ッ」

みぞおちが痛い。ハンス…手加減しなかったのね…酷い男だわ、ホントに。

『私って……男の趣味悪かったのね…』

つぶやきながら笑ってしまう。最初の男がテロリストだなんて……私の予想を遥かに超えていたんだもの。


「メイ……気が付いたのね…」


その声は……ジェナロ部長!私は目を開けた。するとそこには…シャツを若干はだけた、ジェナロ部長がいたのだった。
金庫室は開けられていて、辺り一面は滅茶苦茶だった。書類が辺りに散乱し、一部から火が出ていた。火災を感知して、スプリンクラーが作動したらしい。天井からはシャワーのように水が降ってくる。


「これは一体……?」


よろめきながら立ち上がる私に、ジェナロ部長は手をかしてくれようとした。けれども彼女は縛られていた。どうして…ジェナロ部長がここに?
なんとか立ち上がり、痛むみぞおちをさすりつつ私は聞いた。どうして、彼女がここにいるの?


「ハンスの奴……大層な事を言っておきながら、結局は金庫室に保管してあった6億ドルの債券が欲しかったのよ!!アイツ、ただの泥棒だったのよ…。私がここに居るのはね……裸足のカウボーイが……私の夫だからよ」

ええっ?さっきからハンス達を困らせていた人がジェナロ部長の旦那様…?「簡単に死ぬような人じゃない」って言っていたのは…。
驚きを隠せない私に、ジェナロ部長は肩を竦めてきた。


「ジョンはゴキブリ並みにしつこい男よ。彼、刑事としては優秀だから…」

「刑事さんだったんですか!凄い!そんな風に見えませんでした…写真では…」

私がそう言った時、金庫室の扉から、誰かが出てきた。

「写真からは、確かにそうは見えなかったな…Mrs,マクレーン」

ハンスはそう言うと、左手に握った拳銃を、さりげなく見せてくる。
ジェナロ部長がここにいるということは…彼女も連れてこられたの?人質として…カウボーイ、と呼ばれていた、マクレーン刑事への切り札として。

あれ…?じゃあ、私は?
殺されてもおかしくないはずなのに、なんで生きているのだろう。普通ならあの、冷たく光る拳銃を一発、私の頭に撃ち込められるはずじゃないかしら。伯父様のように……。

そんなことを考えている間、ジェナロ部長とハンスが言い合いを始めた。凄いわ…ジェナロ部長、肝が据わってる。あなたなんかジョンにやられてしまえばいい、うるさいだまれ、ただの強盗と同じね笑っちゃうわ、私を怒らせるな、こんなやり取りが続いた。
二人とも元気ね……。

二人のやり取りを聞いていたら、ふいにジェナロ部長が言ってきた。


「何故、メイがここに…?」


それが私にも良くわからないんです、ジェナロ部長。
そう言おうと思ったら、ハンスが素早く言ってしまった。


「今彼女のことはどうでもいい」


不自然な素早さで。
するとジェナロ部長は片眉を上げてきた。


「はっは〜ん……凄いわねメイ…貴方、6億ドルの債券と一緒みたいよ…?」


6億ドルの債券と一緒?


「私……債権じゃないですけど…」


意味が解らない、という顔をする私に、ジェナロ部長とハンスが同時にがっくりと肩を落とした。
なぁに?どういう意味…?


「メイ、あなたって子はホントにもう…!」

「?」

「……………はぁ」


ハンスが溜息を付いた。え、どういうことかしら。


「?」

「もういいわよ……後でちゃんと教えてあげる」

「はぁ」


よく解らないけど、返事をした私だった。

その私の声に、重なるようにハンスの声が。


「教えられると良いがな……」



*****



しばらくは、ハンスとその手下が、債券をバッグに詰める時間だった。
ハンスは急いでいるみたい。いつの間にかスーツの上を脱いでいた……と思ったら、急に思い出した。私の身体にさっきまで掛けてあったものって…!
慌てて横たわっていた場所を見た私は、驚いてしまう。だってそこにあったものは…彼のスーツ、だったから。
すっかりしわくちゃで、濡れていたけれど。


私の身体に掛けてくれた……?


彼にそこまでされる理由がわからない。
私を人質にしても、お金なんて貰えないだろうし……。

そんなことを考えていたら、部下の手下が一人、バッグを一つ持って何処かへと向かった。きっと逃走用の車かなんかに積みに行ったのね、と思ったら。

ドカッ、バキッという音が聞こえ、手下が吹っ飛ばされた!

そしてそこに立っていたのは………、


「ハァ〜ンス!!」


ボロボロのズボンを履いて、血まみれ、汗まみれの男の人――ってこの人って!

「ジョン!!」

やっぱりジェナロ部長の旦那様?!

ハンスの行動は素早かった。ジェナロ部長を引き寄せると、拳銃を突きつける。

「残りの弾に気を付けるんだな……気を付けないと、お前の妻に当たるぞ?Mr.カウボーイ……」

「………」


こんなこと…こんなことが起こるなんて。
数秒の沈黙の後、ジョンと呼ばれたジェナロ部長の旦那様は、持っていたマシンガンを捨ててしまった。ガシャン、という音を立ててマシンガンが転がる。
どうして武器を捨てたの…ジェナロ部長の命が危ないじゃない!そう考えていた私は、あるモノに気が付いた。
私は位置的に斜めになっていたので、良く見えたのだけれど……両手を上げている彼の背中の当たりに、何かが貼ってある。あれは武器ではないかしら……ということは……ということは……、


彼は隙を見て、ハンスを撃つつもりなの……?





その後のことはあまり憶えていない。
何と言ったのか……確か、ダメ、だったのかもしれないし、イヤ、だったのかもしれないけれど。
私はそう言いながら、ハンスの前に飛び込んだのだと思う。


同時に、響く銃声。



「ふ…ッ……あ…あれ……痛……い……」


ジェナロ部長の叫び声が聞こえる。


「メイ……メイ……嘘よね……嘘って言って!!」



うっすらと目を開けると…ジェナロ部長が必死な顔をしていた。赤毛の巻き毛、ブルーの瞳……それがなんだか凄く綺麗に見える。


「ジェナロ部長………怪我…は…?」

「私は大丈夫よ……って今は私の事なんてどうでもいいの!」

ジェナロ部長が怒ってる。怒ると赤毛ってますます綺麗ね…。
自分の声が酷く弱々しい。まるで死にそうじゃない。そこまで考えて私は笑ってしまう。だって…だって私、


これから死ぬんだわ………。


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