あおげばとうとし、わがしのおん





各々の思いが詰まった歌声に、女子生徒の嗚咽が混ざる。
私の隣に並んでいる子なんかハンカチ持参で、泣きじゃくっている。
あーあ、目、腫れちゃうのに。



卒業式も3回目となると、妙に慣れてしまうものだ。
それとも、私が冷めてるのかな。
でも正直、もうすぐ卒業だね、なんて感傷に浸る時間なんてなかった。
受験戦争は、少女にセンチメンタルを味わう時間さえ与えてくれなかったのだ。
実感がわかない。今日で、卒業なんて。



3年間通ったこの高校とも、今日でお別れなのに。
すっかり気慣れて、肩のあたりがくたびれてしまったセーラー服とも。
女子高生という特別な$g分とも。



いざ、さらば
歌の余韻が響く体育館。

私はそっと、沢田先生を盗み見る。
きっちりとしたスーツに身を包んだ先生は、背筋をしゃんと伸ばして立っている。
その瞳は私たち生徒を見ているようで、遠い日の自分に思いを馳せているようでもあった。





沢田先生とも。今日でお別れなんだ。





その事実に、私は狼狽せずにはいられなかった。
わかりきってたことなのに、そんなこと。
どうしよう。もう先生と会えない。これも全部、受験がいけない。





隣の少女のすすり泣きが、酷くなってゆく。







卒業生、退場





その言葉と少女のしゃくりあげた声が重なった。
クラスを受け持った、私たちの学年の教師たちが卒業生を見送るため前に並ぶ。
沢田先生も。

教え子達は皆、担任の教師に「ありがとうございました」やら「先生大好き」やら、クラスで相談して決めた言葉を口にする。そうして、教師に見送られながら退場していく。今日だけは、先生の悪口ばかり言っていた女子生徒も、良い生徒になるのだ。


不意に、沢田先生と目が合う。そんなに長いこと見つめていたのだろうか。恥ずかしい。
でも今日だけは。もう少しだけ見つめていたい。
先生は目を逸らさない。私も、まるで張り合うような気持ちで見つめる。


「せんせい、」


小さな呟きは、しかし声にならなかった。声になったとしても聞こえる訳ない。
けれど沢田先生は、ほんの少し首を傾げて、微笑んだ。
うれしい。


今すぐに飛び出して行って、先生に抱きついてみたりしたら、どうなるだろう。
そんな空想が頭をよぎる。うろたえる先生の表情が、ありありと浮かぶ。
少しドキドキして、先生から目を逸らした。
妄想を現実にすることなく私は背を向ける。静かに、退場の列に倣う。




あーあ。




こうやって、卒業式は終わるんだ。感慨もなく。ドラマチックな展開もなく。あーあ、私、今日で女子高生終わりなのにな。



もらい泣きの連鎖で泣きじゃくる女の子たちにちらりと目をやる。ホームルームの教室。
卒業式の後だからと中々帰らないクラスメイト達を横目で見ながら、私はくたびれたカバンを引っ掴む。



さらば女子高生。


廊下。靴箱。上履き。先生。沢田先生。先生、



祈るような気持ちで。沢田先生を探す自分がいた。
先生。最後だから、もう最後だから、会いたい。
ありがとうとかさよならとか、言ってないもの。



昇降口を出る。砂利を踏みしめる。先生。先生。





校庭。まだ蕾の桜の木の下。まるで一枚の絵画みたいに沢田先生はそこにいた。



「……どうした?もう帰るのか?」


ふんわりと。こちらを振り返った先生はそう言った。
桜が咲いていればよかったのに。私はぼんやりそんなことを考える。


「……はい。最後だし、先生にお礼言って帰ろうと思って、」


先生は微笑む。先生、私、その笑顔がとても好きです。でもそれは、口にしない。


「俺も良い生徒を持ったなぁ……」


「私も沢田先生が先生で、よかった」


ほんとに。よかった。だってね先生、入学式の日からずっと憧れてたもん。
なんて綺麗に笑うひとなんだろうって。
お話してみたいって。


「……でも早いな。がもう卒業なんて、」



なんか実感わかないよ。
そう言う先生に、私は目を細める。



「私も。実感がわかなくて。涙も出ませんでした」


「は気丈だから。でも本当に……寂しくなるな、卒業すると」


「寂しい、ですか?」


「教え子が巣立って行くのは寂しいよ。は?寂しくないの?」



先生が、じっと私を見る。
私はいつもの何十倍も軽いカバンをぎゅっと抱きしめる。
寂しいのだろうか。私は。
わからない。ねぇ先生、わからないよ。教えてよ。



「……寂しい、のかな」



ぽつりと呟く声は、驚くほど弱々しかった。
まだ冷たい初春の風が、頬を撫でる。先生はにこりと笑った。


「いつか、わかるよ」


そう言って先生は、まるでどこか遠くを見るみたいに校庭に目をやる。
いつか、って、いつなんだろう。その時、先生がこうやって私の目の前にいることはきっとない。
先生。私たぶんきっと、ずっとわからないままだ。わからなくていい。寂しさなんて。


寂しさなんていらない。涙もいらない。今私がしたいのは、笑って先生にお礼を言うことだもの。



「せんせい、今までほんとに、ありがとうございました」



深々と頭を下げる。それから背筋を伸ばして沢田先生に向き合うと、先生は本当に綺麗に微笑んだ。
思わず見惚れる。目に焼き付けるみたいに。ぜったいぜったい忘れないように。


「お礼を言うのは俺の方だよ。ありがとう、」



チャイムが、鳴り響く。



「……じゃあ、ね。気をつけて帰れよ」



ああ、本当に、お別れだ。
私はやわらかく微笑みかえす。



「はい。さようなら、先生」


「ああ」



くるりと、背を向けて歩き出す。よかった。ちゃんとありがとうとさよならが言えた。よかった、






けれど背を向けた途端、私の目からぶわりと涙が溢れた。視界が霞んで、思わず立ち止まる。
どうしちゃったの、私。涙腺が壊れたみたいに、ぼろぼろと涙が溢れ出る。



「……?」



後ろから、先生の声がした。それで私は、悟った。





私、寂しいんだ。今。





止まらない。涙が、あとからあとから頬を伝う。先生、どうしよう。寂しい。寂しいよ。
卒業なんてしたくない。明日もまた学校に来たい。セーラー服、脱ぎたくない。
ねぇ先生。先生。私。





「せんせい、私、先生と、離れたくない」





沢田先生が息を呑む。
嫌だな、先生を困らせてしまう。でも、駄目だ、止められない。苦しい。先生。先生。


歩き出すことも振り返ることもできなくて、もちろん涙は止まらなくて、私はただ俯く。


砂利を踏む足音が、聞こえた。



「」



「嫌、もう会えないなんて嫌なんです。先生。せんせい、」




「、」




ふわ、と、頬を包んだぬくもりに、驚いて顔をあげる。
見上げれば沢田先生が目の前に、先生の右手が私の左頬を包みこんでいた。
そのまま、指先で私の涙を拭う。それでも涙は止まらないけれど。あたたかな指先に少しだけ、落ち着いた。
そして途端に恥ずかしさが込み上げる。




「……せんせ、」



「もう会えないなんて勝手に決め付けるなよ」



「……、……」




潤む瞳に映す先生は、真剣な表情だった。




「……いつでも、会いに来ればいいだろ、」



いつもの沢田先生よりも、少しだけ乱暴な口調。言葉が出なくて、私はただ何度も頷く。



「……それと、」



頬に触れた先生の手が離れて、私は名残惜しいような気持ちで、先生を見た。





「俺はもう先生じゃないよ……名前≠ウん」




息を呑んで、かぁ、と頬が熱くなる。だって、名前で呼ばれたことなんて、なかったから。
動揺する私に、先生は悪戯っぽく微笑む。こんな表情、初めて見た。心臓が、うるさく鳴る。
恥ずかしすぎて、居た堪れない。


遠くで、沢田せんせぇー、写真とろーぜー、と声を張りあげる生徒の声がした。
ばたばたと慌ただしい足音も。目をやると学年でも不良で有名な生徒らの姿。先生は、不良にまで懐かれている。



「うるさいな、あいつら」



やれやれという風に肩を竦めた先生に、私は泣きじゃくったあとのぎこちない表情で微笑んだ。



「じゃあ、またな」



ぽん、と先生のあたたかい手が去り際に私の頭を撫でる。
涙は止まっていた。



「はい、また……綱吉さん=v



「上出来」




そう言って勝気に笑ってみせた彼の顔を、私はたぶん一生忘れない。




さらば女子高生。さらば先生=B










いつのまに握らされていたのだろう、右手にあった小さな紙切れ。
沢田綱吉の名前と、080から始まる番号の羅列が踊るその紙を、眺めながら歩く。とんだ芸当だ。あのひと。


たくさん泣いて熱った頬に、初春の冷たい風は心地よい。やわらかな日差しに、目を細める。








春は、すぐそこだ。




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