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これと同じ設定


「恐怖の克服が生きることと言った?」

一度は死を迎えたこと。生きている限りに存在する死を恐怖しない者がないこと。彼もまたそれを忌々しく思う以上におそれていること。
彼は何ひとつ認めたがらないのだ。子供のような男。

「あなたは死ぬのも怖くはないの?」

嘘でしょう、断定的に首を傾げた私を睨みつける赤い目は暗闇で光る。まばゆい金髪を振り立てて、彼はおっくうそうに寝台から立ち上がった。

「今度は何の謎かけだ?」
「不思議なだけ」

あなたは棺で眠る。彼は生きながらにして死んでいて、一度は死んだ彼も今生きている限りは死を迎えること。
何度同じ夜を迎えてもあなたに恐怖の微塵もないなんて思えない。

「私は、日の光がおそろしい」

あなたは違うの?

「お前は」
「本当に何の恐怖もないなら、すべてに万能なら」

おそろしくないと言って。でなければ私と死んで。
たとえば恐怖の克服の先に、あなたの日々には何が残るのか。決して中身を飲み干すことのできない杯が、ただあなたの前に置かれている。たったそれだけだ。何が面白いものか。

「お前がいる」
「いつか死ぬわ」
「死ぬものか」

男はその目をみはるような美しい体躯に私を抱き寄せてささやく。

「お前は私の同族にまでなっておいて何をまだ不安に思う?」
「あなたが勝手に私をそうしただけよ」

男の胸板に耳をつけ、血のめぐる音を聞く。鼓動というほど強くはないけれど彼には脈拍があった。一度は死んだも同然の吸血鬼のくせに彼にはそれがあった。

「死ぬものか、名前。お前がそう望まない限りは決して」

彼は深みを帯びた低い声であやすように言う。
しかし私の心は動かなかった。彼がまさしく繰り言をささやいて私に執着するふりをしたところで、そんなのはばからしい茶番だと承知している。
与えられた部屋の豪奢な天蓋つきのベッドに無理やりDIOと並んで寝転がされて身じろぎもできないまま、私は彼が眠るのをじっと待った。



DIOが眠りについたのを見計らって、夜明け前、邸の屋根の上に立って朝日を待った。眼下のエジプトの街並みに人けはなく静かで、砂漠の砂をはらんだ冷たい風がふいていた。
街の端がほのかに明るくなってきた。あとほんの少しで朝焼けに身体がふれる。
するといつの間にか私は屋内に引っ張り込まれていて、男の腕の中にいた。目をこれ以上にはないというほどに見開いて瞠目するDIOは、私に向かって低い声で「何をしている」と訊ねた。

「怒っているの?DIO……おかしな人」

私の腕を折れそうなほど強く掴んだDIOは、鼻白んだような顔をして目を逸らした。

「怒ってなどいない。正気を疑っているのだ」
「正気よ」
「バカなことを」

かぶりを振って呟き、彼は階段を下り始める。

「あなたこそ、正気なのね」
「いい加減にしろ。いくら私が寛大でもそれ以上狂人の真似事などすると本当に朝日の下に放り出してやるぞ」

一度、憤って力の入った彼の手で腕が折れた。痛みはあったけれど何ほどのことではなかった。それに、すぐに治ってしまった。
DIOは階段の半ばで足を止めて、歩くのを不精して彼より二段上にいる私を見上げた。

「自ら死ぬことを正気じゃあないと言ってるんでしょう、あなた」
「それ以外に何がある」

彼は振り返って私を見た。大柄な彼を見下ろすことなど珍しいので笑ってしまった。それに彼は自分が他人に見下ろされるだとかいうことがとにかく物理的にも精神的にも許せない性質だった。

「普通はそれを恐怖して忌避するから、正気じゃあないと言うんでしょう?」

DIOの赤い目がすっと細められて、こちらを睨んだ。その顔はなぜか眩しげにしているように見える。ざわめくように屋敷の外に広がる朝の気配に、心がふるえる。

「あなただって逃げるように中へ入ったものね」

DIOは私の言うことの意図を察してか何も言わずに憤っているようだった。彼は階段を一段上がって、私と目線を合わせた。ぎらつく双眸に私の顔が映る。男の唇からちらりと覗いた牙が白い。

「ねえDIO、あなただって分かっているのよ。それだけはどうしようもないこと」

腕がもう一度折れた。ぼきん、と音がして今度は盛大に。痛みに顔をしかめ、けれどそれでも期待したような哀れっぽい声を上げない私に苛立った彼は折れ曲がった女の腕を放り出すようにして離す。それから私のうなじにその手を持っていって無理やりに自分の方へ引き寄せると、唇の端へ噛みついた。冷たい唇の間で互いに剥いた牙がぶつかる小さな音がした。
私は口を開いた。間近に見る赤い目に向かって。

「おそろしいんでしょう?あなたは口先で何と言おうが分かってるのよ」

執着するものがあれば恐怖するのは当然のことだ。生きることに貪欲になればなるほど死ぬのはおそろしい。
致命的な弱点と、その先に死を持っている以上彼は強くなどない。か弱くはなくとも決して、この世の主になどなれない。

「あなたに認めさせるわ、恐怖していると。それが私の復讐よ」

あなたに残った人間を、あなたの底の方から引っ掻き起こして屈辱させてやる。それが私の復讐だ。甘い血と夜の夢からあなたを目覚めさせ、その昂りきった尊厳を殺してやる。
あなたが幸福な平凡に気付かずにいた私にそうしたように。


title/にやり
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