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「何故だ」

男は美しかった。鼻に皺を寄せて不機嫌な子供のような表情を作っていてさえそうだったので、私は彼の質問とも独白ともつかない一言を追及するような気持ちになれなかった。

「貴様、殺す前に私が言ったことを聞いていなかったわけではあるまい?」

私は、一度死ぬ前よりもずっと鋭くなった自分の爪を見た。手首をひっかいてみる。傷ができ、そして見る間に治った。五官が敏感になったようにも思う。
ぼんやりしていると首もとに大きな手が伸びてきて、顎の下の喉のくびれを掴まれた。ゆっくりと身体が持ち上がっていき、息のしづらさに眉をしかめると、拗ねた子供の顔の吸血鬼が途端に笑う。

「貴様はままならん女だ」

友人が、この美しい男に陶酔し信仰のように彼を愛し始めたとき、私はそのかたわらに立ってただ見つめていることしかできなかった。知っていれば彼女を止めたのに、と思った。そうすれば彼女はまさか若さと美しさの絶頂で死ぬことはなかっただろう。そうして私もこの男に出会わずに済んだに違いない。

「ねえ、あなた」
「私は貴様に名乗ったはずだが?」
「DIO」

DIO。この美しい男が彼女の白い首筋に歯を立てて、ごくりと一度嚥下した音を聞いたきり私は耳を塞いだ。目を閉じることもそらすこともできなかった。彼女がゆっくりと死んでいくところを、彼女の不思議に恍惚とした表情を、私は見ていた。

「もう一回」
「殺せ、か?」

男は私の喉を放した。私の身体ごと放り投げたといった方が正しい。咳き込んで背中を丸める私の首根っこを彼は再び掴んだ。

「もう一回でもあんなことしたら、あなたを殺すわ」

声はくぐもって床に当たり、跳ね返りでもしたように、そしてあたかも彼の眉間を貫きでもしたように、暗い部屋の中は静かになった。

「殺すだと?……このDIOを、貴様がか?」

たっぷりの沈黙のあと、美貌の吸血鬼は愉快げに声を荒げた。

「やるがいい。貴様のその貧弱な腕に何かこのDIOを打ち倒すほどの力があるのならばな」


男は、血を吸い上げて殺した女のそばで立ち尽くしていた私を殺した。満腹だったのでそうしたらしかった。
手にかけたあと、虫の息の私を見下ろして彼は言った。


──神を愛すように私を愛するならば救ってやってもいい



私は神様を信じたことがなかったし、愛したこともなかった。



──別にいいわ、このままで




見ていた限りでは、彼は少し考えるそぶりを見せてから口角をわずかばかり持ち上げて秀麗な微笑を作り、そして自分の手首に傷をつけた。私は目を閉じ、そうして目覚めると暗い部屋にいた。生きているとも死んでいるともつかない身体のだるさにめまいがあった。



「しかし媚びも怯えもしない神経の図太さは認めてやろう」

DIOは、目覚めた私を見て笑った。にたりといやらしいのに、いやしいはずのその顔ですら彼は美しかったのだ。彼に殺されたときの傷のあとがうずく身体を、まるで蘇らせてやった自分に捧げろと言わんばかりの横暴な手に暴かれながら、私の頭の中にはただただ死んだ友人の恍惚の表情があった。

「名前、貴様が気に入ったぞ」

耳元でDIOがささやく。
私を殺した男は私を生き返し、その上ではずかしめた。呪わしい男。

「だから吸血鬼に?」
「少し違うな」

手のひらで撫でるように、彼は私の背や肩にふれた。身につけるもののない身体にその手は冷たくて、私はふいに泣き出しそうな気持ちになる。

「死ぬ間際の数瞬、言ったな。神を信じたことも愛したこともないと」
「言ってない」

少なくとも口に出してはいなかった。あのときの私にそんな余力はなかった。
髪を鷲掴まれて顔を上げさせられる。不思議と痛みはなかった。頬に、男の頬が当たる。口の開閉の動きや、息遣いや、声が口腔にくぐもる音まで感じられるほど近くにDIOはいた。

「そう、口に出してはいなかった。貴様が死に際に発現した”幽波紋”を通して聞いたのだ」
「スタンド……」
「そのことについては追々教えてやるとしよう」

髪を掴んでいた手が離れ、やんわりと後頭部へ回っていく。今はこちらが先だ、と聞こえたのと同時に男とも思えないほど蠱惑的な唇が近付いてきた。
私は友人の首筋を思った。それを襲った、牙と呼んで相違ない鋭い歯のことを。
しかし私が連想したものとは裏腹に唇は唇に当たり、やんわりとこじ開け、舌を弄んだ。
私が見開いた目をDIOはおかしそうに見つめ返した。

「はて、そういえば何をすれば私を殺すと言ったかな」
「もう一回でも私をはずかしめたなら」

唇を冷たい指先がなぞる。男の赤い目は私を、今、私だけを見ている。冷たい身体の女を。

「殺せはしまい、名前。このDIOが、今からは貴様の神なのだから」

屈強な腕は身体を丸めて逃れようとする私を軽々とまるで幼い子供にするように抱き上げて寝台に下ろした。

「これからは私を信じ愛すると言うなら、お前に永遠に続く安心感をやる。……名前」

二度と日の光に愛されることのない、氷のような身体を寄せ合って、この彼はまるで置き去りの子供のようだった。子供じみて無垢な残酷のかたまりが上体を折る。

「……呪わしい神もいたものね」


title/喘息

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