waltz in the moonlight

あと一曲だけ



 管制室で名前から今日はよろしくね、と声を掛けられた。こちらから強請った甲斐があり、今回のレイシフトは初めてマスターと二人で取り組むことになったのだ。思わず頬を緩めてしまうほど、この剣をマスターのために振るえることが嬉しく、また誇らしかった。

「太陽の騎士の名に懸けて、貴方に完全な勝利を」

スタッフのカウントダウンを聞きながら、名前にそう告げると彼女は笑顔で一つ頷いた。


 ミッションは順調だった。マスターの的確な指示とサポートのおかげで魔力を温存しながら、次々にエネミーを殲滅する事が出来た。どうやら不足しているレアアイテムなるものも多く補充できた様で、名前はぴょんと小さく飛び跳ねて喜んでいる。

「ガウェインやっぱり強いね」
「お褒めに預かり光栄です、マスター」

私が強いというのならば、それはマスターの采配の結果でもある。自己評価の低い彼女は面と向かって褒めると、困ったように視線を泳がせてそんなことはない、と言うだろう。

「…無理させていない?」

周辺の状況を管制室との通信で確認しながら、名前のタブレットを二人で覗き込む。マイクをオフにし、少し背伸びをした名前に耳元で囁く様に尋ねられた。こちらが屈んでいても、彼女との体格差が大分あるのだったと思い知る。

「もちろんです、まだいけます」
「じゃあ…もう少し付き合ってくれる?」
「お任せを」

両手を合わせてありがとう、と喜んでくれる名前の様子に胸が波打つ様に高鳴る。貴方が喜んでくれるのならば、私を求めてくれるのならば、いくらでもこの身を差し出そう。名前に柔らかな笑みをもたらせることが幸せだと思う。

今日だけでなく、これからもずっと私を頼りにしてくれればいいのに。

胸に芽生えた願いに気付きながらも、それは決して口には出せない、望むことすら痴がましいものだと、ぐっと奥歯を噛み締めた。


 予定より多くミッションをこなし、今日はもうこれで終わりにしようと管制室に連絡を取る名前の側で愛剣を鞘に仕舞う。
普段通りならばクリアに聞こえる万能の天才の声が、何かに阻まれるかの様に途絶える。

「名前、ちゃん、き……る?通信……が、……、から、……待って」

ノイジーな通信に眉を寄せる。名前はじっと通信機からの音声に耳を澄ませていたが、遂に無音になってしまったそれから視線を上げると考え込む様に唇に手を当てる。

「切れてしまいましたね」
「うん……」

落ち着いたマスターの横顔を眺めながら、彼女からの言葉を待つ。一点をじっと見つめる姿は理知的で、急に彼女がどことも知れぬ国を治める君主のように見えた。
生前の己が仕えた王とも違う、まるで、いつもマスターのそばを離れないあの男を彷彿とさせる怜悧な横顔に、はっと息を詰めてしまった。

「ガウェイン?」
「いえ……、いかがしますかマスター」

首を傾げてこちらを見上げる少女の顔に、詰めていた息をゆっくりと吐いて微笑みを浮かべる。同じ様に困り顔で微笑む名前は、この非常時にも取り乱すことなく冷静だ。

「しばらく帰還できそうにないし、暗くなってきたからどこか雨風の凌げる場所を探そうと思うんだけど…」
「賛成です。異変があれば気付ける様に少し高地の方が良いでしょう」

方向性が決まったところで、二人で歩き出すと急に空が陰った様な気がした。太陽が射すうちはおよそどのようなエネミーが出現しようとも勝つ自信がある。しかし夜は……。薄闇に染まる空を見上げると、名前も同じ様に見上げていた。

「暗くなる前に、急ぎましょうマスター」


 どうにか見つけた岩の裂け目に入ると、中は広い空洞になっており奥は随分と天井が高く夜空が岩の隙間から少しだけ覗いていた。拾った薪に名前が魔術で火を起こせば、明かりも温かさも十分で少し落ち着くことができた。相変わらず管制室との通信は不通であったが、一先ずマスターの安全を確保できたことで二人の間に張り詰めていた緊張感が和らいだ。


「大丈夫ですか、マスター」
「うん。カルデアには天才がいることだし、私たちは大人しく待ってよう」

焚き火のそばに座らせた名前は、ゆらゆらと揺れる炎の動きをぼんやりと見つめていた。隣に座り、その細い肩に外した外套を掛けると、丸い目がぱちりと瞬いた。

「ガウェインが寒くなっちゃう」
「サーヴァントですから大丈夫ですよ」

小柄な名前には私の外套は大きく、襟元の飾り毛が小さな顔をふわふわと囲っている。その組み合わせが可愛らしく、自分のものを彼女が身に纏っているということもあり、非常時だと言うのににこにこと頬を緩めてしまう。

「でも今は現界しているし…、こうしよう」

外套を内側から広げ片腕をあげた名前の意図することが分かる。隣に入れということだろう。しかし己の決して小さいとは言えない体躯は、華奢なマスターの隣であっても収まらないであろう。

「お気持ちだけで…」
「ガウェインは頑固だね」
「…マスターもなかなかかと」

こうして軽口をきくことが、特別に感じていると言えば貴方はどんな顔をするだろうか。名前は諦めていないようで、膝立ちになって二人の背中に外套が回るようにとぐいぐいとその身体をこちらに押し付ける。

「あ、あれ?足りない…」
「ですから、貴方だけでいいと」

ガウェインの肩に戻ってきたふわふわの外套は、今度は名前の肩には少しも残っていない。はたと手を止めた名前の顔が思っていたよりも随分と近くにある。名前も同じことを思ったのか、急に動きが固くなり、よく動く唇がぴたりと沈黙した。

ワルツを踊っている時は、もっと密着していてもガウェインの長身では名前を上から見下ろしてしまう。こんな風に名前と近い目線で触れ合うことはなかった。睫毛の長さや、少し乾燥した丸い頬、炎の揺らめきを写す水鏡のような黒い瞳。どれもこれもが初めてで、じっくりと仔細まで目に焼き付けるように見入ってしまう。

「……ガウェイン見すぎ」
「貴方も先ほどから私の顔を見ているでしょう」
「それは…」

赤くなった頬に、もう一歩踏み込む。二人で話す機会が増え、前よりもずっと彼女のことを知っているはずなのに、もっともっとと欲は止まらない。まだ知らない名前を見せて欲しいと思ってしまう。誰も知らない名前を、自分だけの特別を与えて欲しいのだ。

「なにを熱心に見ていらしたのです?」

名前は外套を掴んでいた指をそろりとガウェインの頬骨にのせる。皮膚の表面をただ撫でていく指先が瞳の下で止まる。

「…青。穏やかで、透き通る海みたい」

名前に覗き込まれたガウェインは、彼女の目が夜空の様に思われた。数多の星をその目に宿す、満天の夜空。輝かしい栄光を持つ英霊が彼女にならば、とその大いなる力を貸している。そんな広く大きな空の様な名前が今は自分だけを見ている。その事実に胸が締め付けられる様に苦しくなった。

ガウェインの顔に触れたままの名前の指先を縋る様に掴む。逃げられるぎりぎりの力ですっぽりと包み込めてしまうような小さな手を握る。

「ガウェイン……」

頬を赤くして忙しなく黒い瞳が揺らぐ。嫌ならこの手を振り解いて、いけないと叱ってくれればいい。そうでないのならば、今、この手を離すことは出来そうにない。

「こ、こんなの、だめだと思う」
「では、理由があれば触れてもいいのですか?」

この時間は永遠ではない。あと五分で通信が入るかもしれないし、明日の朝まで入らないかもしれない。それならば一秒も無駄には出来ない。

「レディ、一曲踊っていただけますか」

掴んだ手を引いて、月光の差し込む下まで進む。月明かりで輝く名前の黒い髪が波打っていた。何度も二人で踊ったワルツの姿勢で微笑みかけると、名前は唇を噛み締めるようにして逡巡の末、こくりと頷いてくれた。

音楽はなくとも、二人の耳には同じ曲が鳴っている。あのロストルームで何度も耳にした、美しい旋律。ゆっくりとステップを踏むガウェインに身を任せる名前の頬は赤く色づき、恥ずかしそうに目線が彷徨っている。その表情を見つめながら、どうかこの二人の時間が少しでも長く続いて欲しいと、そう願わずにはいられなかった。