waltz in the moonlight

手をとって



ギルガメッシュがダヴィンチの用意したスリーピースのスーツに身を包み、マスターである名前を振り返れば、同じようにドレス姿に着飾った彼女は薄く開いた唇から吐息のように小さな声を漏らす。

「かっこいい…」
「当たり前であろう、我だぞ」
「…そういうこと言わなければ、本当に完璧です」

感情をそのまま顔に出す名前は、柔らかそうな桃色の唇をつんと突き出してギルガメッシュを見上げる。


 ここ一月ほど何かをやっていることは明らかだったが、それを知りながらも、危険もないようなので名前が言い出すまでは放っておいた。しかし、数日前から何か言いたそうに四六時中ギルガメッシュの様子を伺うそぶりを見せる名前に痺れを切らし、先ほど居室に呼びつけさっさと言えと半ば脅すように問い詰めたのだった。真っ赤な顔で声を震わせて名前が白状した内容は、それこそこちらの想像のどれとも違っており、久しぶりに声を出して笑ってしまった。


「我と踊って欲しいなどと言い出すとはなぁ」
「だってせっかく素敵な施設を見つけて、月の光の舞踏会だなんて言われたら女の子は誰でも憧れます…」

英霊であるギルガメッシュから見れば幼子の如く、魔術師としても人としてもまだまだ未熟なマスターを、召喚されてからずっとその一番そばで見守って来た。もう一人のマスター、藤丸立香がデミサーヴァントのマシュ・キリエライトに支えられてきたように、名字名前を導いて来たのは間違いなくギルガメッシュだ。人理などと言う大層なものをその細い肩に背負わされた星の子は、それに見合うマスターであろうともがき続けて来たことを彼はよく知っている。

そんな彼女が己を慕っていることも、分からないはずがなかった。


「…手をとってくれますか?」

 恥じらった顔で消え入りそうな小さな声に誘われれば、男であれば悪い気はしないだろう。己のマスターの普段見せない少女のような姿に、ギルガメッシュは充実感を感じるとともに名前を誰にも見せずに隠してしまいたくなるのだった。

名前が身に纏った首元の詰まった白いレースのドレスは、アジア人らしいスレンダーな彼女によく似合っていた。
一点の曇りもない白は純潔の象徴のように禁欲的だ。それにも関わらず男に手を伸ばされることを待つ姿は、ある種の背徳が感じられる。庇護の対象であるはずの名前を汚して泣かせたいという加虐的な欲求を己の中に感じながら、その手を無言で引く。ゆっくりと二人きりのロストルームの中央まで歩いていくと、どこからかゆったりとした音楽が流れ始めた。

ギルガメッシュの手の中にある名前の小さな指は冷たく、緊張していることがありありと伝わってきた。
「女の子」であると自分で言っておきながら、一度戦闘となれば、どんな戦況からも目を逸らさずに指揮官として立ち居振る舞っているくせに。こんなことが名前を落ち着かなくさせているのかと思うと、ギルガメッシュは知らないうちに口元に笑みを浮かべてしまうのだった。


「今宵はレディとして扱ってやろうではないか。光栄に思えよ」

指先を絡めるようにして握ってやれば、分かりやすく名前の体が強張った。

「もっと寄り添って踊るものであろう?この程度で身を固くしてどうするのだ」
「ち、近いです!」

 ダンスなど本来王のやることではない。
現界とともに流れ込む知識の中で、社交を目的としたダンスの文化があることは知っている。だが音に合わせて女と踊るなど、詰まらないものだろうと興味もわかなかった。
しかしこうして実際にやってみれば、名前を自分の意のままに動かし、両腕の中に閉じこめると支配欲が満たされる部分もある。
ステップを踏み出すと名前の身体がそれに合わせて付いてくる。右に、左に、こちらの思い通り、白い花が風に揺れるように名前ドレスの裾が翻る。ギルガメッシュが支える背中から、握り合ったその手から、その意図をしっかりと捉える名前と耳障りのいい室内楽の音色にあわせて踊る。

「上手…ワルツやったことあるの?」
「ふん。こんなもの知識があれば誰でも出来るであろう。まぁ…貴様はどこぞの凡百なサーヴァントと我のために練習したのであろうがな」
「…凡人はこんなの一回で出来ないもん」

 天窓から降り注ぐ月光が名前の顔に儚げな陰影を落としていく。着飾った彼女は淑やかで美しく、月の光を受けて花開く夜にだけ咲く幻の花ように思われた。
ギルガメッシュを見上げる名前は、恥ずかしそうに、しかし幸せだと隠しきれないというようにその唇に微笑みを浮かべていた。本物の月ではない人工的な光だということを忘れさせるような、幻想的な微笑みに気づけば暫し見惚れてしまっていた。

「よもや、こんな思いを抱く日がくるとはな」

名前はギルガメッシュと踊る為に、ワルツを練習したのだろう。それでもこの手を他の誰かに握らせていたのかと思うと、いい気はしなかった。身体を寄せて自分以外の男のリードに身を任せていたのかと思うと、ひどく不愉快な気持ちになる。

「王様、私いまとても幸せです。願いを叶えてくれてありがとう」

こちらの不機嫌など気にもせずに、名前は心底嬉しそうに微笑みを浮かべる。

「これが名前の願いか」
「…こうやって綺麗な格好で、こんな素敵な場所で王様と出会うなことなんて、きっとどんな世界でも起こるはずのないことです。そんな世界はきっと、ないんだけど……だからこそ今がとても幸せです」

噛み締めるように言葉にした名前は、月を見上げて微笑んだ。輝く星々を閉じ込めた黒い瞳を滲ませるようにして、ギルガメッシュに視線を戻す。


 逃げるという選択肢は、この小さな人の子の中にははじめから存在しない。
放り出すことも、諦めることも、目を逸らすことも許さなかった。そのようにギルガメッシュが導いたのだ。平凡であることを許さずに、全てを飲み込ませて、立ち続けることを彼女に科してきた。

何度やり直そうとも、ギルガメッシュは名前をマスターの責から逃してやることはしないだろう。

マスターとして、庇護の対象として名前を接してきたギルガメッシュの中に、小さな波紋が起きる。
この感傷的な空間がそうさせるのだろう。冴えた月明かりの下で、名前と二人で生きるここではない世界を夢見る。
それは瞬きするほどの、ほんの僅かな時間。


「全てが終わったのならば、もう一度願いをきいてやらんこともない」

曲に合わせてターンしながら、小さく名前の耳元で囁く。聞こえなかったのか、名前は変わらず楽しそうににこにこと笑っている。

「貴様というやつはまことに…」
「王様?」
「もうよい、そのまま我に見惚れていろ」
「み、みとれてなんて…っ!」

 分かりやすく赤くなった名前は体を固くすると、動揺したのだろう、ワルツのステップを間違える。ふらりとバランスを崩す名前の体を引き寄せて、腕の中に抱きとめる。すっぽりとギルガメッシュの体で覆い隠せるような、華奢な女の体を抱きしめるように支えていると、おずおずと背中に名前の手が回された。
遠慮がちにスーツの生地を撫でるようにしていた手が少しづつ力を入れて、ぎゅうと体を擦り付けてきた。下を見れば表情を隠すようにスーツに顔を押し付けた名前の真っ赤な耳が覗いている。細い腰を抱いたまま、もう一方の手でその頭を撫でる。綺麗に纏められた髪は、ギルガメッシュの長い指が梳くたびにはらはらと崩れてしまった。

それでもその手を止める気にはならず、次の音楽が鳴り始めてもギルガメッシュは名前をその腕に抱いていた。