貴方のための銀の牙

わたつみより

愚かで弱く、従順で素直な、半人前の魔術師。
それが月島透という人間だ。

死を前にして愛を告げる透に、ギルガメッシュはありていにいえば負けたのだ。

人のように愛せないと知っていて、透は愛していると言ってきた。しかもそれが愛されたことがないからだと言う彼女の言葉に怒りよりも納得してしまった。
遠い過去の自身を愛した人間はいただろうか。人として愛そうなどと、ふざけたことを言う者は誰もいなかったではないか。

半神半人のこの身の人の器を愛すと口にした透を、半神の力を使って宝物庫に閉じ込めた。
そうしてしまえばもう二度と透を人には戻せない。
透の身体が纏ったギルガメッシュの魔力があったから、彼女は宝物庫の中で一定の自我を保ち顕現できるだろう。ギルガメッシュ自身が座に還って仕舞えば、そこに時間の概念は存在しない。透という一人の人間はその存在ごとこの世から消え去ったが、遥かな時空の先まで英霊の座にギルガメッシュがいる限りその側にある。

「望み通り側に置いてやろう。だが今は暫し休むが良い」

透の存在は、ギルガメッシュのすぐ側に感じられた。霊子空間ではお互いにはっきりと姿形が見えなくとも、そこにいるということは確かに分かる。霊子のうねりの中を揺蕩い、朧げな透を抱えるとギルガメッシュも英霊の座という隔離世の安寧に身を任せた。

もし、これから先もう一度人の世に英霊として喚ばれることがあるのなら。
その時はもう一度、その柔い髪を、小さく微笑む頬を、撫でてやれるだろうか。丸い目を滲むように溶かして笑い、彼女は澄んだ声でこの名を呼ぶのだろうか。





 体という入れ物を無くした透は、乳白色の世界を一人漂う。意識すれば周りを見ることもできたけれど、触ることもどこかへ行くということもできないようだった。死んでいるのか生きているのかも曖昧な、夢の中に浮遊する感覚で眠っているのか起きているのかも分からない。
ただ、すぐ側にギルガメッシュの気配があることが、意識の深いところで安心させてくれる。

この空間にふわふわと浮かぶ数多の煌びやかな武器も、同じように今はしんとその荘厳な輝きを見せるだけだ。温かく静かな空間は透という存在をそっと受け入れて、昼下がりの午後の雲のようにゆっくりと漂うことを許された。

「王様」

声に出しているのか、いないのか、よく分からないけれどその名を呼べば、全身を大きな毛布に包まれたように幸福感が溢れるのだった。

「おやすみなさい」

眠れと言われた気がして、そう返せば意識は波にさらわれるように深く沈んで行った。





「士郎、そろそろ行きましょう」
「あぁ」

消え去った月島透という人間がいたことを証明するものは、何一つ残っていなかった。ほんのわずかな時間しか彼女と過ごしていないのに、その消失はこの短い期間に訪れた数々の別れと同じように、胸の奥に小さな痛みを残していった。

「その湿っぽい顔やめなさいよね」
「だって、月島さんこれで良かったのかな…」
「当たり前でしょう。あの子あんたなんかよりよっぽど優秀な魔術師だって言ったじゃない。選択も覚悟もとっくにしていてあの金ピカの手を取ったんだもの」
「そうだけど…」
「私は良かったと思うわ。それにね、結局のところ人の願いの形なんてその本人にしか分からないものよ。私たちが不幸だと思っても、案外本人たちは幸せってこともあるわ」
「そうだな…うん、まぁあんな愛の告白見ちゃったら、そうなのかもと思えるよ」


衛宮士郎は遠坂凛と目を合わせると、長い長い聖杯戦争の結末を迎えた柳洞寺に背を向けた。

それは多くの出会いと別れと、成長と覚悟、そして眩い黄金の王に焦がれた一人の魔術師の結末であり、また永久を旅する始まりである。