貴方のための銀の牙

終焉のひとひら

深夜、柳洞寺へとつづく道でセイバーに手を引かれて何重と連なる石段を下から見上げる。

「大丈夫ですか、透」
「うん、でも私遅いから先に行って。セイバー」
「戦闘になれば構えませんが、移動くらいは手助けをさせて欲しい」

騎士王なのだと教えてくれた彼女は、女性の身を持ちながらも紳士的に振舞う。透は状況も忘れてその所作はいちいち見惚れてしまいそうになった。
シルバーの甲冑に包まれた左手を借りて、引き攣れる傷口に顔を顰めながら石段を登り続ける。衛宮家で痛み止めも飲んだし、魔術で身体強化もかけたのだがいつも通りのスピードで走ったりは出来そうになかった。

「私は十年前にもあの男と会っていますが、正直なところあまり好きではないのです」
「そうだったんだ」
「でも私の知るあの男と、透の知る男ではきっと見える面が違うのでしょう」
「人の心は平面ではないものね。あ、まぁ王様は人でもないんだけど」
「それは違います。王は王であることに違いませんが、それでも人でなくてはやはり人の王にはなれません。ですから、あなたの純心を理解する心があの王にもあることを祈っています」

しかし、急ぎ足で登った山門の手前で出会ったのは予想外の人物だった。

「アサシン!何故あなたが…」
「待っていたぞ、セイバー」

キャスターに召喚されたアサシンが、山門を依代にこの世に止まっていたことに驚き足を止めそうになる。

「透、先に行ってください」
「でも…」
「アサシンの目的は私です。あなたはあなたの目的のために、さぁはやく」

彼女の青い背に庇われ、ありがとう、ともう何度目か分からないお礼を言ってまだ上へと続く石段に足をかける。


ずっと、助けてもらってばかりだ。

セイバー、衛宮くん、遠坂さん、いろんな人にいろんな縁で助けられて、手を引いてもらって、私ここまできたんだ。そこにはきっといろんな人のいろんな目的があって、どれも同じではなかったけれど縁と縁が重なって繋いだ今なのだ。

世界とはそうやって出来ているものだと思う。
王様がそうであるように、価値がないと言われた人間だって日々選択を繰り返して生きている。思い通りにならなくたって、その不自由さも含めて生きる自由なのだから。



山門を通り抜けると、眩い金色の輪が藍色の空に浮かんでいた。
剣戟の高い音に心臓が早鐘を打つ。猛攻と言える凄まじい武器の射出に、衛宮士郎が何度も地面に倒れ込む様子が見えた。砂利を踏む足音などかき消すような絶え間ない攻撃を仕掛けるギルガメッシュは、不適に笑う。

「我に勝ち得ないと考え、聖杯だけでも取り外す判断は正しい。だが聖杯を止めたいのであれば慎二を殺してしまうことこそが確実だ。だというのにまだ救おうというその偽善、まさに雑種の具現よな」

衛宮士郎の側に向かおうとしたその時、湖に浮かんだ禍々しい肉塊から巨大な腕が形作られた。

「核を失った代わりに我を求めるか」

柳洞寺の本殿ごと叩き潰すように、屋根の上のギルガメッシュに向けて伸びていく悍しい巨大な腕に背中がぶわりと嫌な汗をかく。
金の輪の中からいつもの宝剣の類ではないのか、自らその手に大剣の柄を掴みとったギルガメッシュは迷いなくその剣を振り下ろす。

「一掃せよ、エア」

空気がざわめくような魔力の反応に透は魔導書を取り出して、衛宮士郎の元に駆け寄る。どれだけの防御魔術を張ればいいのか本の知識を参照し、赤い暴風が吹き荒れる様を見上げて魔術の干渉を試みる。脳が限界だというように痛んだが、体に叩きつけられる風圧をまともに当たれば死んでしまう。ぎりぎりで作り出した障壁に遮られた空間に二人で身を寄せる。

「月島さん!」
「衛宮くん、間に合ってよかった」

本殿を半壊させた暴風の威力に、恐れから指先が震える。ギルガメッシュはじろりと二人を見下ろすと、透がまさに殺そうとしてた男を庇ったことに不愉快そうに眉を寄せた。

「せっかく見逃してやったものを、自らまた王の前に現れるとは……我に歯向かうつもりか?そこな雑種を守る義理など貴様にあるまい」
「王様、私は貴方のものだと言ったはずです!」
「ならば疾くそこを退け!」

波打つ黄金の輪の中から再度、長剣が飛んでくる。
避けきれない、と壊れた魔術障壁と同じものを本から呼び出そうした時、頼もしい青い背中がギルガメッシュとの間に立ち塞がった。

「セイバー!」
「無事ですか、士郎、透」

聖剣の攻撃で足場を失い、地上に降り立ったギルガメッシュは鋭い目をいっそう細めて、三人を睨みつけた。衛宮士郎は何を思ったのか、セイバーには遠坂の救出を頼むと、ギルガメッシュの相手は自分がすると言い出した。セイバーとギルガメッシュでは相性が良くないという話をしていたが、今だって身を守る魔術すらなかったというのに本気なのだろうか。

「俺とアイツだけは例外だ。信じろ…俺はきっとあいつに勝てる」

さっきまで防戦一方だった人間の言葉とは思えないほど、自信を持って言い切る彼にセイバーも了承してしまった。

「衛宮くん、本当に大丈夫なの?」
「任せとけ、ギルガメッシュは俺が止める」

その会話を聞いていたギルガメッシュは高笑いして、その紅い目を光らせた。

「セイバーを使わず自分を捨石にするだと?たわけ、自らを犠牲にする行為など偽りにすぎぬ。それを未だに悟れぬとは、筋金入りの偽善者よ!」
「そうだ、俺は確かに偽善者で、この想いも所詮借り物だ。でも借り物で何が悪い、それでもこれが俺の理想だ!」

月島さんごめん、そう小さく呟いた言葉の意味を図かねて一拍反応が遅れる。
左肩の魔術刻印から青く光る魔力を引き出した衛宮士郎はこちらを一瞥し、ギルガメッシュに向かって駆け出した。


体は剣でできている
血潮は鉄で心は硝子
幾たびの戦場を越えて不敗
ただ一度の敗走もなく、ただ一度の勝利もなし
担い手はここに独り、剣の丘で鉄を鍛つ
ならば、我が生涯に意味は不要ず
この体は無限の剣で出来ていた


詠唱であると気付いた時には、透は固有結界の外側に取り残されていた。指先を伸ばすとチリッと電気が走るように結界に阻まれる。
手出しをするなと阻まれてしまえば、自分にできることなどもう何も無かった。
邪魔はしないと、誓ったのだ。ギルガメッシュを止めるためにここに来たのだ。生死は問わない、王様と世界を天秤にかけて、彼の手を取ることはできない。できるはずがない、月島透がそういう人間だと知って側にいてくれたのではなかったのだろうか。

言葉を交わすことができなかったら、もうあとは行動でしか示すことはない。
ここに来た意味は貴方のためだと。
自己満足にしかならなくとも、それでも大切なのは貴方なのだともう一度伝えよう

セイバーが向かった聖杯は木立を優に超える人型になっていた。その影を見上げ、呪いの具現のような災厄が降り注ぐのが先か、目の前の固有結界の中の戦いが決着がつくのが先か。何も見えない結界内部がどうなっているのか分からず祈るようにその場に直立し、透はぎゅっと両手の拳を握りしめる。

「目を逸らさない。何が大事かちゃんと自分で決めたんだもの」

自身の命、この世界、王様。命の危機を迎えるたびに透は選択を迫られた。
世界を救うと決めたけれど、二番目もとうに決まっている。

昏く静かな紅い瞳が、どこともしれない闇を見る。
透を映す紅玉がふとした瞬間に陰る様子が堪らない気持ちにさせるのだ。
その闇をどうか光に向けて欲しい、そう願わずにはいられなかった。


数分だったのか三十分以上経っていたのか、時間が早く流れているようにも遅いようにも感じた。
前触れなく目の前の固有結界は音もなく消滅し、霧が晴れるように二人の人間のシルエットが浮かび上がる。
満身創痍の衛宮士郎に対峙する、右腕を失い血を流すギルガメッシュの姿を目にし、透は無我夢中で駆け寄った。

「魔力切れとは……お前の勝ちだ。満足して死ね」
「王様!やめて、もうやめてください!」

体当たりするようにその体に縋り付くと、右腕から流れる赤い血が頬にかかる。

「離せ、貴様にできることなどもう何もない」
「そんなことありません、王様にまだちゃんと伝えられていません!私はあなたのものだ、あなたがどんなひどい王でも、私はあなたを愛しています」
「愛などと…!この場で言うことがそんな世迷いごととはほとほと呆れる」
「いいえ、あなたは人として愛されたことがない。だからこんな世界と切って捨てられる非情な王様なんです…でも、愛されたことがないから愛せないだけです。あなたは人類を背負う、英雄王でしょう!」

涙声でみっともなく掠れた言葉は、王様に届いているのだろうか。握り締めた黒のジャケットに顔を埋めたまま絶対に離れないとさらに身を寄せる。その時、衛宮士郎の声と共に急激に体が後ろに引っ張られた。

「月島さん!!」

顔のすぐそばで、ギルガメッシュの傷口から魔力の塊が大口を開けた穴へと豹変する。ごうごうと恐ろしげな音を立てて、凄まじい嵐の様相をなした聖杯の穴にギルガメッシュと二人で引きずり込まれる。

「あの出来損ないめ!まだ核を求めるか…!」

ギルガメッシュは衛宮士郎の左腕に鎖を巻きつけ、引きずり込まれるのを踏み留まった。透はギルガメッシュにしがみつきながら、高濃度の魔力反応に本能が警告を鳴らし、体の芯から凍っていくような恐怖を感じていた。

「透」

耳元で低い声に静かに呼ばれ顔を上げれば、ギルガメッシュと目が合う。感情の読めない目は、苛立っているようにも困っているようにも見えた。こんな時なのに、ぎゅうっと引結んでいた口元に弱々しく笑みを浮かべると、紅の眼が瞬いた。

「先ほどの言葉偽りはなかろうな!望み通りその身我に捧げよ」

大きな声で不敵に笑ったギルガメッシュは、透の前に彼の宝具である黄金の輪を出現させる。あぁ、やはり戯言だと殺されてしまうのか、と歯を食いしばるとぐいっと体をその輪に向かって押し出された。透が瞬きをする間も無く、波打つ黄金色に視界が奪われとぷんとその中に入ってしまった。



「飽きた。此度は退いてやろう。アーチャー!そこにいるのであろう早くせよ…我の気が変わらぬうちにな」


言い終わるや否や衛宮士郎の腕に繋がっていた鎖が消滅し、赤い一閃がギルガメッシュを貫いた。

聖杯の穴がその体を取り込み、口を閉じるように衛宮士郎の前から消え去った時にはそこには何一つ残っていなかった。サーヴァントの気配も、一人の人間の気配も、何もかもが消えたのだった。