貴方のための銀の牙

陽炎と細い手

会いたいか、会いたくないかに関わらず一度出会った人と人は縁が結ばれるようだ。
そこにどんな意味があるのか、それはきっと最後の最後まで誰にも分からない。


「あれぇ?小間使いちゃんだよねー?」


不意に後ろから掛けられた声は、昨夜もう忘れようと決めた男の声だった。食材の詰まった重たい荷物を持ったまま、首だけ振り返ると予想通り「道化」がいた。走って逃げるには荷物が重すぎるので、仕方がなくこんにちは、と挨拶を返す。
青味がかった癖毛を掻き上げて、こちらをじろじろと値踏みする不躾な視線にやはり逃げるべきだったろうかと、すぐに後悔の念が押し寄せる。

「奇遇だね、二日連続会うなんてさ。ギルガメッシュは君のところにいるの?」
「いますけど…」
「ふぅん…仲がいいんだねー?でも僕のサーヴァントってこと忘れないでね」

仲がいい、という表現は私と王様の関係を指す言葉としてはとても変な感じがする。彼と私は王と臣下、いや臣下以下だと言われたのだった。王と小間使い、食べる者と作る者、強者と弱者、そんなものである。それは決して対等などではない。私が抱いた畏怖と彼が抱いた興味と条件がたまたま合致しただけの関係だ。

言葉の違和感に眉を顰めていると、彼は徐ろに距離を詰める。王様よりは随分小柄だと思ったが、こうして近づかれるとやはり男性は皆自分よりも大きく、威圧感があった。

「一応自己紹介するよ、僕は間桐慎二。透ちゃんさぁ、あいつと一緒に暮らしてるわけ?」
「ずっといるわけではありませんが…」
「へぇ、小間使いって何してんの?オーサマだかなんだかしらないけど偉そうだし、すっごいこと頼まれたりしてんの?」
「別に…大したことはしていないと思います」
「へぇでも言われたことは何でもするんでしょ?犬と一緒じゃないか」

犬。
流石に王様は私のこと犬だと思ってないと思う。
この人、ある意味あの傍若無人で唯我独尊な王様よりも性格歪んでいるのではないだろうかと、訝しみながら一歩後ろに下がる。

「ねぇ僕にもあいつにしているみたいに服従してみせてよ。前から欲しかったんだよねぇ、何でも言うこと聞く女」

どういう感覚で生きているのかと耳を疑うような言葉とともに、コートの上から太腿を撫でる掌の感触にぞわりと寒気がする。考えるよりも先に反射で「ブック!」と魔導書を呼び出すと、彼は目を瞬いた。

「な、なんだよお前!魔術師なのか!?」
「…あなたのことやっぱり好きになれそうにない」
「はぁ!?おい、お前はギルガメッシュの下僕だろう!?僕はマスターだって分かってるのか!こんなことっ…ギルガメッシュにお前のこと殺させてもいいんだぞ!」
「好きにしていいよ。あの王様なら私なんてなんの躊躇もなく殺してくれるだろうし」

魔術で彼を縛り付けることも、気を失わせることもできる。けれど傷をつけることはしたくない。それに王様のマスターだ。いくら契約してないと分かっても、勝手なことをしていいとは思えなかった。
もう家に帰ろう。この人といると調子が狂う。

ぱたんと本を閉じて踵を返す。これじゃあ昨日と同じだなと思いながら足を踏み出すと、後ろから腕を引っ張られた。重たい荷物をもっていたこともありバランスを崩してそのままどしんと尻餅をついてしまう。

「お前もか、お前も俺を馬鹿にしやがって!早く使えよ、そのすっごい魔術で何でも出来るんだろう?!くそっくそっその何でも持ってますって顔がむかつく!衛宮も遠坂もお前も!!」

一方的に物凄い剣幕で喚く間桐慎二に馬乗りにされ、抜け出そうと体を捻ってもびくともしない。同い年ぐらいだからと男女の体格差を甘く見てしまった。首を両手でぐっと押さえ込まれると気道が圧迫されて息がうまく吸えない。こんなところでこんな死に方は嫌だと、自分の首を締め付ける彼の手を引き剥がそうと爪を立てるが締め付けは酷くなるばかりだ。
呼吸ができない苦しさで視界に涙が滲む。くぐもった呻き声すらももう出ないというところで急に力が無くなった。

「シンジ、何をしている」
「ギルガメッシュ…!別に…こいつにちょっと教えてやってただけだよ、誰がマスターなのかってことをね」

求めていた酸素を吸い込むと同時に咳き込んでぽたぽたと涙がながれた。咽せる私の前にはいつの間にか現れた王様が立っていた。へたり込んだまま仰ぎ見る後ろ姿はいつもと変わったところはないように思えた。

「貴様も退屈を感じているのであろうが…我の物を勝手に壊してくれるなよ。なに、心配せずともすぐに貴様には最高の余興を見せてやる」

金髪の髪を掻き上げる仕草に間桐慎二が大袈裟にびくつく。目を泳がせて私と目線が合うと脱兎のごとく駆け出した。

「わ、分かったよ!いいか、次はちゃんと僕の言うこと聞けよ透!」


捨て台詞のような言葉に嫌な人、と悪態の一つもつきたくなる。立ち上がって衣服の汚れを払って整えていると、王様が何とも言えない顔で私の髪を整えてくれた。
美麗な顔に静かな怒りを湛えたギルガメッシュは無言で髪を撫でていた手で、絞められた首筋にその手を這わす。大きな彼の手ならば片手で私の首を折れそうだと、怖いことを考えてしまう。

「ったく、勝手に傷など付けよって…貴様を殺すのは我が要らぬと決めた時だ。勝手に死にかけるな、阿呆。しかも相手が一角の魔術師でも凡百の英霊でもなければ、あの道化だとは…笑わせてくれるわ。なぜ我が認めるほどの魔力を持つくせに毎度毎度このような無様なことになる。貴様の魔導書は飾りか何かか?」

饒舌な王様の厳しい言葉はぐさぐさと心に刺さったけれど、聞いているうちに動転していた心が少し落ち着いた。指先の硬い皮膚がきっと跡になっているであろう首筋の上を這っていく。高い体温が冷たい肌に温もりを映していくようだ。
恐かった。さっきとても恐かったと、今更恐怖を感じてしまう。あぁまだ一言も言葉を発していないと、今ようやく気づいた。

「ありがとう、ございます、王様。また結局、助けてもらいました」

どうにか音にした言葉は思ったより小さな声だった。王様はまた難しい顔をして乱暴に頭をくしゃりと撫でるとさっさと帰るぞ、と歩き始めた。

やっぱりこの人は眩しいくらい、輝いている。そう思いながらその黒い背中を追いかけるべく、震える足を踏み出した。