残影と痛み
ギルガメッシュ、それは人類最古の王の名だ。メソポタミアを治めた半神半人の王は、絶対的な力をもった暴君と、人々を救う英雄としての二つの側面を持つ。故に彼は死後も英霊としてその身を聖杯戦争に呼び出されることになったのだろう。
こたつの上にはすっかり空っぽになった、今夜の晩ごはんであったお鍋が片付けられるのを待っていた。食後の満足感とこたつの魔力で片付けを先送りにしながら、同じようにこたつでぬくぬくと暖をとる王様に視線を向ける。
私が執着を見せたことが可笑しかったらしく、一頻り笑っていた王様にマスターだという男のことを聞くタイミングを逃してしまっていた。
「言いたいことがあるのならさっさとしろ」
ちらちらと様子を伺っていた私に痺れを切らした王様は紅い眼を細める。
「…あのマスターは正式なマスターではないですよね。令呪もないようでしたし、魔術師と呼べるほどの魔力もないのではないですか」
喜怒哀楽のはっきりした王様は、取り繕ったりすることはない。しかし怒ったような不機嫌な顔をしていても話掛ければ無視することはないし、話に理屈が通っていればそれもあるだろうと、案外きちんと聞いてくれる。
「あれはマスターという役を演じている道化だ。我を笑わせることにかけてはそれなりだぞ」
思い出したのか口元を歪めた王様の様子から、やはり彼をマスターとして認めているわけでもないのだろう。
それでも、私には明かさなかった真名を彼には明かしているのだ。何がそれだけこの王を惹きつけたのだろうか。
私は聖杯戦争に参加していない、彼にとってはただの拾い物の小間使いだ。それを思えば名を明かさないことも当たり前のことなのかもしれない。
「お前があやつを敵視していることはよく分かったわ…どうだ?お前の魔術ならシンジなどいとも簡単に殺せるだろう、やってみるか?」
「…魔術は真理に近づくためのものです。人を傷つけるような事は出来るだけしたくないです」
「綺麗事を。魔術師に足る魔力も持たぬあやつを殺すのは気が引けると言うだけであろう。現に貴様は自分の姉には積極的ではないにしろ、魔術を行使しているではないか」
「それは…、そうですね。確かにこちらに危害を加える意思を持って近づいてきたのなら、正当防衛くらいは…」
正式なマスターでもない、魔力もない、ただ彼を笑わせるだけの男など本当に王様は必要なのだろうか。
「だから貴様は甘いのだ。その甘さで自らの首を絞めて我を笑わせるつもりか?シンジもお前も器としてなら使いようもあるものの…道化は二人もいらぬぞ」
『器』という言葉に引っかかりながらも、彼自体をなにかに使うつもりなのだと理解した。一番に思い浮かぶのは、魔術儀式に対する生贄だが、英雄王の二つ名を持つ彼が魔術などを行うのだろうか。異空間と繋がっているであろう金の輪から降り注ぐ武器の数々は、どんな術式よりも確実に敵を滅せるはずだ。
悪役らしいニヒルな笑みとともに温度のない紅の瞳を向けられると、背後から刃物を突きつけられているような恐怖があった。
「だがまあ…貴様では正常に作動してしまいそうだな」
「…待ってください。勝手に何かさせるつもりだったんですか」
「貴様のその身も、魔力も我のものと最初に言ったであろう。忘れたか?」
話は終わりだというように欠伸をした王様は、ふいと目をそらしてしまった。
気まぐれな彼にしてはよく教えてくれた方だと思う。
シンジという人とは聖杯という共通の目的があるのだということしか分かっていないが、王様に言わせれば彼はマスターではなく道化らしい。
魔力供給も契約もないようだし、こちらから探さなければもう二度とシンジという男とは会うこともないだろう。脳裏に浮かんだ気安げな男の顔をもう忘れようと頭を軽く振った。
翌日、またも夜に引きずり込まれたベッドの中で目を覚ます。
体温が低いと文句を言いながらも暖をとるように抱き込まれると、ぞわりと肌が泡立った。また泣かされるのではないかと怯える私の動揺を無視して、すぐに眠った王様の寝息を聞いているといつの間にか同じように寝入ってしまっていた。
英霊である王様は事あるごとに私の魔力をとっていき、同時に彼の魔力を私に少しづつ注いでいく。最初は気づかない程度だったが、最近は自分でも認識することができるようになった。この魔力のおかげか、最近は厄介ごとにも巻き込まれずに済んでいる。
隣で眠ると二つの魔力がぐるぐると身体の中で混じるような気がする。英霊の魔力の性質なのか、王様の特質なのか分からないが、身体の隅々まで書き換えられていく心地がするのだった。どこもかしこも彼の持ち物だと名前を書かれてしまったのかもしれない。
その感覚が起きた後も体の中を巡る魔力に残っているようで、嫌でも王様のことを考えてしまうのだった。
休日ということで買い物に行こうと出かける準備をはじめると、王様も行くと言い出した。ビールはまだあるはずだからゆっくりしていてくれと言ったが、一度決めたことを覆してくれるような人ではない。そんなこんなでまたもショッピングモールでの王様の買い物にお供することになった。
「透、今夜はこれを調理せよ」
「ラム肉…あまり食べたことないけど…できるかな」
「おい、あのチーズも取ってこい。そうだなワインも買うか…」
好き勝手に歩き回る王様の後ろを買い物カゴを両手で持って追いかける。
「まだ重いもの増えるんですか…」
私のげんなりした声もそしらぬ顔で王様は黒っぽいボトルをカゴに突っ込むのだった。
目立つ容姿の王様と一緒にいると、私には疲労を感じるほどの注目が集まる。ちらちらと感じる女性からの視線など、彼にとっては当たり前すぎて意識するものではないのだろう。
名前を知ったことで彼の生前を知ることとなってしまった今では、王様にとって人は全て彼の民であり支配の対象なのだと実感する。
伝承をそのまま信じるのならば、人は彼の守るべきもののはずだ。
しかし人々を統べる王の目が人を映していることは、ほとんどないような気がする。
何が欲しいのか聞いても答えてくれない王様の視線の先は、いつも遠く暗い彼方を見つめている。それがなんなのか私が知る日はくるのだろうか。
今回も王様のポケットマネーで購入された高級食材を、前回の教訓から持参したリュックに詰めていたのだが、ふいに早くビールが飲みたいと急かしていた王様がいなくなっていた。
顔をあげてキョロキョロと周りを見渡すが、近くに背の高い金髪は見当たらず首を傾げる。
先に帰ったのかのだろうか、と訝しみながらコートの上からリュックを背負って王様の姿を探しながら出口に向かう。
外に出てみてもやはり王様の姿はなく、早く帰りたいと言っていたのだから私も帰った方が彼の機嫌を損ねることもないだろうと判断し家に向かって歩き出す。ビニール袋よりは幾分楽ではあるものの、食材の重みというよりは酒類の重みで気を抜くと後ろによろけそうになった。
冬の日は短い。もうすでに薄暗くなってきた空を見上げながらふぅと白い息を吐く。
初めて王様にあった日から何日経ったのだろうか。それまでずっと自分の家のことで頭がいっぱいだったのに、最近は姉のことや魔導書のことに加えて王様のことを知りたいという欲求が確かに心の中にある。
知ったところで理解も共感もなければ、自身の問題も解決しない。
それでもいつかくる終わりの日まで、彼について知りたかった。
気まぐれだとしても、そばにいてくれたことで私は少なからず救われている。
教えてくれたこともある。助けてくれたこともある。彼がいて初めて知った感情もある。
ギルガメッシュという王様の目から見る世界のことを、そして彼自身のことを、知りたかった。