白粉花
「あなた以外なにもいらない」
まじで? そう画面に向かって疑問を投げかけるも、二人はお互いを見つめ合うことに忙しいようだった。
「ねぇ五条くん、聞いてる?」
「……おぅ」
下から見上げてくる同級生のみょうじなまえの黒い瞳がきらきらと光って見える。なんだこれは、とサングラスを外して目を擦る。涙の膜が張っているわけでもない、霞んだわけでもない。いつもと同じ視界のはず。それなのに、サングラスを通さずに目が合った彼女の瞳はより一層輝いている。
「どうしたの? まつ毛入っちゃった?」
「ちがっ、お前ちょっと!」
遠慮のない手が肩にかかると、しゃがむようにくいくいと引っ張られる。縮まった距離に慌てているのは何故だろうか。自分の反応が理解できない。
「もっとしゃがんでくれないと見えないや」
「……入ってないって」
「そうなの?」
じゃあいいや、と手を離したなまえと距離が開くと急いでサングラスをかけ直す。彼女からは殆ど真っ黒なガラスに見えていることに、ほっとする。ほっとするって何だよ、と思うものの、硝子と食べた何とかが美味かった、というような話を続けるなまえから時折り向けられる視線に何度も鼓動が不可思議な反応を示すのだった。
「やばい、俺ビョーキなのかも」
「……性病には気をつけろって前に言っただろ」
蔑むような目つきで顔を顰めた硝子の隣で、傑はガタリと椅子を引いて距離を取る。
「ちげーわ! つか菌扱いすんな、前髪野郎」
「良かった。今夜から悟と湯船浸かるの止めようかと思ったよ」
「じゃあなに、どっか痛いの? でも五条の術式じゃ怪我なんかしないよね」
硝子が探るように上から下まで見るものの、彼女の言う通り俺は怪我など滅多にしない。自分でもよく分からない痛みのような疼きを起こす場所をそろりと掌で示すと、二人の顔に怪訝な表情が浮かんだ。
「胸?」
「心臓?」
「あとなんか目も変」
サングラスを外して色素の薄い青い瞳を二人に向ける。二人の顔はいつも通りに見えている。なまえみたいにきらきらは見えない。
「六眼になにか問題があるのかい?」
「いや。別に……術式使えるし、ってか呪力使ってない時に変だった。なまえがさ、なんつーか、こう……」
「なまえ?」
硝子がぴくりと片眉を上げる。ちらりと傑と目を合わせると、何か含んだ顔でこちらに向き直る。
「それで? なまえがどうしたの」
「いや、なんつーか、あいつ見てたらなんかこう、光が舞ってるみたいな? 視界が眩しいような気がして」
同級生のなまえは、訓練を兼ねた任務で今日は外出している。おしゃべりななまえがいないと、教室が静かに感じる。決して寂しいとかじゃない。
「……夏油、こいつもようやく自覚したらしいね」
「長かったね。ほんと」
「なんだよ、どういう意味だよ」
二人は分かり合っているような態度で、こちらににやにやとした笑みを向ける。なんとなく揶揄われている感じがして、むっと眉を寄せるも硝子は白い歯を見せて笑う。
「なまえが他と違って見えて、見てると胸が痛くなるんだろ?」
「……そうだけど。なんなの、これ。硝子分かるわけ?亅
「ふふっ、私でも分かるよ、悟」
「至極簡単だ。ある特定の人物や対象に対して抱く感情、恋だ」
ぽかん、と口を開いたまま硝子の言葉を繰り返す。
「こい?」
「恋。つか本当に自覚なかったわけ? なまえのこと入学してから構い倒してたじゃん」
「そうそう。すぐ悪戯したり、揶揄ったり、好意の伝え方が小学生だったけどね」
呆れた顔をする二人に指摘されたように、確かになまえのことをよく揶揄っていた。同級生のなかで平凡としか言いようのない術式に、人並みの身体能力。どこまでも普通の彼女の、頭のネジが緩んでるようなへらりとした笑い方。こちらの顔を見ると嬉しそうに駆け寄ってくる姿に感じていた、子犬を見るような気持ちが、恋だというのだろうか。
そんなはずない。恋ってやつは、もっと運命的に落ちるものであるはずだ。映画の中の主人公達を思い返して、あんな風にバカみたいだけれど真っ直ぐに人を好きになって愚かな振る舞いをするのが恋なのだろうと思う。
「恋なわけない」
きっぱりと否定しても、二人は変わらずに生暖かい微笑みを向けてくる。ムキになっている自覚はあるものの、もう一度強い口調で否定の言葉を口にしようとしたところで、からからと教室のドアが開く。
「ただいまー、あーみんないるじゃん。なにしてるの?」
こちらに向かって緩んだ顔をして駆け寄ってくるなまえに、もう何度目かわからない不整脈が起こる。ぴとりと硝子の背中にくっついたなまえは、不思議そうに黙ったままの傑と俺を見上げる。丸い瞳がまたきらきらと光を放つので、うっかりその光に魅入ってしまいそうだ。
「おつかれ。五条に春がきたって話してたとこ」
「春?」
「遅い春だよね。いや、ずっと春だったのかな?」
「どうゆうこと? 哲学的な話?」
さっぱりわからないというように眉を寄せたなまえが首を捻る。
「ねぇ五条くん、どういうこと?」
邪気のない眼差しを向けられると、今までどうやってこいつの相手をしていたのか分からなくなってきた。おかしい。こんな、まるで馬鹿みたいだ。そう、あの映画の主人公みたいに。
「っ絶対、違う!」
叫ぶような言葉を残して、とにかく落ち着こうと教室から飛び出した。後ろから聞こえてくる悪友の笑い声が至極楽しそうで、余計に腹が立つ。
そう、これが恋だなんて、そんなこと。
あるのだろうか。
恋を疑う