melting chocolate

オランジェット


ガチャリと鍵穴が回る音がしたので、玄関へと繋がるドアを開けるとマフラーをぐるぐる巻きにした義勇さんが驚いた顔で靴を脱ごうとした手を止める。

「名前、来ていたのか」
「えへ、来ちゃった。おかえり義勇さん」

とてとてと傍まで寄って真っ赤に冷えてしまった義勇さんの耳をあったかいこたつでぬくぬくの両手でぽすっと塞ぐ。猫みたいにされるがままで「あたたかいな」と小さく笑った義勇さんの手袋越しの右手を引いてリビングへと戻る。

「じゃーん」
「おぉ…」
「バレンタインデー特別コースでーす」

せっかくのバレンタインなので美味しいものを食べて欲しくてバイト先のカフェのメニューばかりなのだが合鍵を使ってキッチンをお借りしたのだ。鮭大根はお誕生日に作ったばかりなので今日は洋食ばかりだ。

手洗いをしていそいそと食事の並ぶテーブルについた義勇さんの隣に腰を下ろして2人で頂きますと食べ始める。

「うまい」
「よかったぁ…!」
「今日は大学は?」
「午前中だけだったよ、義勇さんはいつもより遅かったね」
「…そうだな」

きっと生徒さんたちにチョコレート渡されてたんだろう。さっき帰ってきた時はそれらしいものはなかったけど、きっとそうなんだろうな。去年もたくさんもらっていたし。
(こんなかっこいい先生がいたのなら私だって渡していたよ)

私の作ったご飯をもくもくと食べてくれる義勇さんをじーっと眺めていると視線に気づいたのか、うまいぞ、ありがとう、と微笑まれる。表情筋の微妙な動きなので一見すると変化がないように見えるくらいの、義勇さんの笑い方がすきだ。
にっこりと笑い返して自分でも上手くできたと自画自賛している料理に手をつける。

「いいなぁ高校生」
「3年前までそうだっただろう」
「もう3年も前だよー。大学はバレンタインもそんなに盛り上がらないし…クラスがないからこう、そわそわした雰囲気とか女子生徒のチョコをどこに隠しているんだ?っていう隠蔽術とかそういうの、ないもん」
「俺は取り締まる側だがな」
「恋の邪魔者だね」
「…邪魔者じゃない」

お箸を止めてムッとした顔で抗議する義勇さんにふふっと笑ってしまう。
きっと竹刀を片手に形ばかりの持ち物検査をしたのだろう。
2月の月初の頃は本気で持ち込み禁止させようとしていたそうだが心ある先生方に、やめとけ、青春を壊すな、と説かれたとかなんとか。

御馳走様、と綺麗に食べてくれた義勇さんの優しさに心がほかほかする。2人で洗い物をしてコーヒーの準備をすると義勇さんがそわそわとしている。(お散歩に行く前のわんちゃんみたい)

「義勇さんは座って待ってて」
「ん」

言われた通りソファに座って時折ちらりとこちらを気にしている義勇さんが可愛らしい。
(かわいいと言うと嫌がるので言わないけど、かわいい!)
コーヒーテーブルに2人分のカップを運ぶとじっと大きな黒目が動きを注視している。部屋の隅に置かせてもらっている自身のカバンから小さな紙袋を取り出す。小さい割にかなり高値であるが、とっても美味しかったので味に文句はないだろう。

「義勇さんいつも大事にしてくれてありがとう。だいすきだよ」

はいどうぞ、と濃いブラウンの紙袋を照れながら渡すと義勇さんが両手で受けとってありがとう、と薄っすらと頬を染めて答えてくれた。手作りにしようかとも思ったけれど、あまり甘いものが得意ではないと言っていたのでビターチョコレートのコーティングされたオランジェットにした。ベルギーのお店ということもあってかなり人気で百貨店の大盛況の催事場のなかでも特に列が長かった。義勇さんが落ち着いた年上ということもあって子供っぽいと思われたくないという見栄もあったのだが、こうして喜んでくれたのだから良かった。

「食べてもいいだろうか」
「うん」

いそいそと細いリボンを解く義勇さんの手は男性的だが指が長くとても綺麗なのでシュルッとほどく動作だけでもなんとなく色っぽく見えてしまう。ぱかっと小さな小箱を開けると細長いオレンジの半分にだけブラックの濃いチョコレートに包まれている。

「おしゃれだ…」
「おしゃれだね…」
一つ摘んでぱくりと食べた義勇さんの目が輝いた。
「美味しい…甘くないからこれなら食べられる」
「よかったぁ」
コーヒーを飲みながら、私も結局一つもらってしまい苦めの大人の味わいを楽しむ。

きっと手作りのチョコでも彼は優しいから食べてくれただろうし、喜んでくれたのだと思う。そういう人だ。
(はやくこのコーヒーみたいに義勇さんに見合う大人になりたいな)

「名前」
呼ばれて隣を見れば義勇さんの長い指でするりと耳を撫でられて、そのまま顔を固定してゆっくりとキスされる。
柔らかさを楽しみむように角度を変えて何度も触れる唇からちろりと伸びた熱い舌が絡みつくように口内を味わっていく。ちゅぱ、と水音の高く響くリップ音で離れた唇はふたりの唾液で艶めいている。

「名前の口もオレンジとチョコの味だったな」

味わうようにぺろ、と唇を妖しく舐める義勇さんにきゅんと胸の奥が苦しくなる。苦味と酸味が残る唾液をこくんと飲み込む。その喉に今度は噛みつくようなキスをもらいながら思う。
やっぱり義勇さんは大人だ。

(これはなんというお菓子なんだ?)(オランジェットです)(おらんじえっと…名前もおしゃれだ…)