melting chocolate

ボディクリーム


年下の可愛い彼女がいる。大学の後輩でその頃からの付き合いである。

人の気持ちの機微に敏感で、無表情と言われる自分のような男とも機嫌よく付き合ってくれる彼女はよく出来た女性だと思う。バレンタインは美味しい夕食とほろ苦い高そうなチョコレートをくれたので、何かお返しをしなくてはいけないと休日に一人買い物に出かけるも、なかなか何をプレゼントするべきなのか決めかねる。
ショーケースを覗くとすぐに寄ってくる怖いくらい笑顔の店員にしどろもどろ返事をしつつ逃げるように店を出る。果たして今日何件見たのだろうか。それでも嫌だとは思わないのは、喜ぶ顔を思い浮かべるとやはり納得するものを渡したいからだろう。

ふと爽やかな香りを嗅いで、足を止める。
いらっしゃいませ、と声をかけられ近づくとシャンプーやクリームなどのボディケア用品の店だった。ごゆっくりご覧になってください、と一言だけで距離をとってくれた店員に感謝しながら一つ一つ見ながら甘い香りやハーブやミントのさっぱりしたものなど種類が多いなと悩む。そんな中一際好きな香りがあることに気づいた。
(ぶらっど、おれんじ、あんどばにら…ぶらっど…血か?)
「甘さと爽やかさのバランスが人気の香りですよ。
こちらはシャンプーと、ボディーソープ、あとはボディクリームもご用意がございます」
じっとボトルを見ていると店員が戻ってきてくれた。
助かると思いながら説明を聞き、ホワイトデーのお返しだと言えばボディソープとクリームのセットが期間限定であるというのでそれにすることにした。
きっと喜んでいただけますよ、と茶色の紙袋にラッピングされた商品を入れて渡される。
気に入ってくれるだろうかという一抹の不安を消してくれる言葉に安心して店を後にする。


『大学まで迎えにいく』
春休みは普段よりは自由が効くので、早めに職場を出て大学の最寄り駅までの電車に乗りLINEを打つとすぐに既読マークがつく。全く、本当に勉強しているのだろうかと思う早さだ。
『入り口の生協前でお願いします』
何度か待ち合わせたことのある指定スポットに了解、と返事を返しスマホをポケットにしまうとかさりと紙袋が音を立てる。喜んでくれるだろうかと、名前の顔を思い浮かべる。
ころころ表情を変える感情豊かな彼女は小さなことでもよく笑う。その笑顔がほっとする。できればあまりすぐに大人になって欲しくないと思う。彼女は俺のことを大人だと思っているようだが、全くそんなことはない。すぐに子供じみた独占欲が顔を出す。

「義勇さん!」
講義棟の方向から小走りにやってきた名前はぽふっとこちらの胸に飛び込んできてくれた。
「お疲れ」
「嬉しい!お迎えに来てくれて」
「迎えと言っても、徒歩で悪いな…」
名前は二人で帰れるのが嬉しいんです、とぎゅっと左腕に両手を絡ませて頬を緩ませる。
二人で並んで名前の下宿先のマンションに向けて歩き出す。
学校の話を聞かせてくれる名前に相槌を打ちながら、時おり見上げてくる大きな目を見返すと嬉しそうに笑ってくれる。目があっただけでこんなに喜んでくれる可愛い生き物にどうしていいのかとため息が出そうだ。

ピッとカードキーで解錠された1LDKは白いインテリアで統一された可愛らしい部屋だ。何度か足を運んでいるが彼女の部屋というのは少し緊張してしまう。女性が住んでいるとこうもいい香りがするのは何故なのだろう。自身の部屋の殺伐とした雰囲気とは全く違う柔らかなラグに座って紙袋を隣におくと名前がキッチンから声をかけてくれる。
「紅茶入れるね、あっテレビつける?」
「ありがとう、このままでいい」
「そう?紅茶にミルク入れようかな」
最近ミルクティにはまってるの、とふんふんと鼻歌を歌いながら沸騰したお湯をポットに注いでいる。名前に関することはなるべくなんでも覚えておきたいのでミルクティを作れるよう牛乳は常に冷蔵庫にストックしておこうと思う。

「お待ちどう様」

名前と色違いで買ったマグカップに注がれた紅茶からは白い湯気が立っていた。
ちびちび飲みながら隣に座った名前の腰に腕を回すともぞもぞと距離を詰めてくれた。右側にもたれてきた名前の心地の良き重さを感じながら、彼女がちらちらと包みを気にしているのが手に取るようにわかる。

「欲しいか?」
わざとかさりと音を立てて袋を掴むと名前がこくこくと肯く。素直な反応が可愛くてつい口元が緩んでしまう。
「ホワイトデー、だよね?」
「そうだ…いつもありがとう」
照れ隠しに顔を見られないようおでこに唇を寄せるとぎゅうと背中に名前の腕が回る。
「ずるいよ、義勇さんかっこいい…」

真っ赤になって照れる名前の前に紙袋を渡すときらきらした目で開けていい?と早速包みを解きはじめた。
「えっ、ここお高いところだよ?いいの?こんないいやつ!」
パッケージだけで興奮してくれる彼女にどうやらお返し選びは間違いではなかったようで安心する。
「俺の好みで香りを選んでしまったが…大丈夫だろうか」
くんくんと蓋を開けて香りを嗅いだ名前はへにゃんと眉を下げていい香り!と目を細める。こっちがボディソープで、こっちはクリームだと説明すると早速クリームを少しだけ手の甲に出すと両手にのばしていく。
オレンジの爽やかな香りとバニラの甘い香りが広がってこちらも無意識に名前の方に顔を寄せてしまう。
「わぁ、すてき…!毎日使う!あっでももったいないかな…義勇さんに会う日につける!」
「毎日使えばいい。なくなったらまた買っておく」
くんくんと匂いを確認した名前が急にぽっと顔を赤くする。どうしたのだろうかと様子を伺うと両手で口元を覆ってしまった。

「これ義勇さんのすきな香りなんだよね?じゃあ今よりもっと好きになってもらえるのかな、なんて」

義勇さんの色に染めてもらっちゃった、と付け足すから意味が分かって言っているのだろうか。
もう十分君に夢中だと、この可愛い年下の彼女に伝わるにはどうすればいいのだろう。
この香りに誘われたことにして首筋に埋めた緩んだ口元を名前に見られなくてよかった。


(ブラッドオレンジ…血のオレンジ!かっこいい!)(やはり血なのか…)