07
鳩羽色のヒカリ(7/8) 数日後、ナズナ様がチヨバア様の元に行ってから驚くほど接点がなくなってしまった。ナズナ様は我愛羅様と時間を確保しようと努力してもチヨバア様との修行で忙しい。
里を抜けてしまったお孫さんに面影を重ねてしまったのがより一層ナズナ様を気にかけている素因だろうか。
心の隙間を埋めるようにナズナ様に叩き込んでいる様子だった。
ナズナ様がいい抑制になっている、らしい。
まるで盾のようで生贄にでもしているようだと。
我愛羅様を恐れている担当の忍びからはかなり感謝されているようだったが扱いに疑問を覚える。
このままでは取り返しがつかないことが起こってしまうではないか、というそんな危機感。
私からは何も干渉できない焦燥感。
そして危惧していた通り
被害者の一人にはナズナ様が含まれていた。
閉ざされたあの空間から、外の世界の環境の変化は、お二人の関係を維持することの困難を極め、溝だけを深めて時間だけがいたずらに過ぎていった。
──母の事を語り、精神的に追い詰めるんだ。
それから数ヶ月後。守鶴の力が強まり、力の制御ができなくなっている。
あえて我愛羅様が不安定になる満月の夜に心を痛みつけ、その上で抑え込まなければならないのだと。
我愛羅様は失敗作で処分すべきだと声が挙がる中で処理を見送らせるために残酷な道を選んだ。
風影様に対する
我愛羅様を裏切ることも姉さんが愛した人を裏切ることだってできない。
姉さんの我愛羅様に対する想いと上役を納得させるために父親としてではなくとも風影として我愛羅様を生かそうと模索することで遠回しな愛情を与えてる
どちらも選べないなんてできない。全員が幸せになることを願い、私が我愛羅様に対して抱いている愛情があるからこそ
今日がその日だ。
どうすればいいか
『ごめん、夜叉丸……じつはナズナに……』
つい先日、見舞いで久しぶりにナズナ様にお会いしたばっかりだ。
ショックを受けてないか案じたがナズナ様は想像していたより、平気そうで拍子ぬけてしまった。
彼女は特に変わりはないか確認したくてつい無意識のうちに出てしまった懐かしいやり取りに彼女は嬉しそうに
ほんの一瞬、陰りをみせた瞳には傍に我愛羅様がいないことに寂しがっている様子だった。
──襲われた時、怖かったです。でも我愛羅の砂には夜叉丸さんが教えてくれたお姉さんの……お母さんの想いが宿っているんですよね? たとえ守鶴の力だとしても頭ごなしに悪く言いたくなくて……。
この一言の大きさを分かっているのか。我愛羅様だけじゃない。
ナズナ様は私が姉さんを想う気持ちや、姉さんが我愛羅様を想う気持ちごと否定せずに、会ったこともない人物にも思いやれる。
ナズナ様が何気なく行っている大切な人とその周囲の人を思いやる姿をみていると、これまでのことやこれからの未来を見据えて一緒にいてくれようとしているのだと痛感した。
我愛羅様に会いたそうにしているその姿を見て、まだナズナ様の心は我愛羅様の傍にあるんだろうと知って安心した。たったそれだけで私が精神的に守られてしまう。
特に心配することはなかったはずだが、何か問題でもあったのだろうか。
『ナズナ様がどうしたのです?』
『誰かの傷を治してたの見かけて、ボクも傷ができたら痛いところ治して、くれないかなって。……もしかしたら心配してくれるのかなって……そしたら』
我愛羅様はたどたどしくナズナ様に会いに行こうとおもむいたら、誰かと親しそうに一緒にいる彼女を見てられなくなったと教えてくれる。
『あの時の事、ちゃんと謝りたかったんだ……でも顔を合わせづらくて……だから』
何かきっかけが欲しかったのだろうか。
心配されたいというよりナズナ様に見て欲しい、本当は寂しくて振り向いてほしい、焦がれている様子がありありと滲み出てた。
我愛羅様は深く傷ついている事を他の誰でもなくナズナ様に気づいてほしかったと全身で求めて僅かな期待に縋る姿が痛々しくて自分の心までもが蝕まれていく。
以前のように向き合いたくても会えなかった間にできた不安の溝が大きくて踏み出せなかったのだろうか。
療養中、ナズナ様は医療忍術の関連の本を気に入って読みあさっていると教えてくれた。
本当に良い医療忍者になれるかもしれないと淡い期待を寄せ、あの時何気なく言った私の言葉がナズナ様の道となったらしい。
ナズナ様のために
『大丈夫ですよ、ナズナ様は我愛羅様が謝りたいお気持ちも理解して許してますよ。自分で自分を傷つけなくてもナズナ様はちゃんと我愛羅様のことを見てくれます。先日、お渡ししたナズナ様からの手紙の内容は今でも我愛羅様を大切に想っていて会いたいと綴られていたでしょう?』
『うん、ありがとう。あとそれと……夜叉丸……ごめん傷って……痛い?』
『ああ、これね。まあ、少しは……でも、ただのカスリ傷ですよ。すぐ治ります』
『ねえ、夜叉丸……』
『何です?』
『痛いって……何なの?』
傷ができたことがないからどんな感じなのか知りたかったと告げる我愛羅様に分かるように答えたが痛みの感じ方は人それぞれで言葉で伝えるのは難しかった。
ただ、この子は分かり合うために自ら傷つけて距離を詰めようとしてる。
ひたむきで健気な性格を嬉しく想うと同時に寂しさを感じる。
『上手く言えないですが……あまり良い状態ではないということですかね……』
我愛羅様は私の傷を見つめ、少し押し黙って視線を下げながら躊躇いつつも『……じゃあ……夜叉丸はボクのこと……』と言葉を続けた。
『きらい?』
意外な言葉に一瞬判断が遅れてしまう。我愛羅様はずっと嫌われてしまったと不安を抱えて拭えなかった。
『人は傷付けたり傷つけられたりして生きていくものです。でも人は人をそう簡単には嫌いになれないものですよ……』
安心したように我愛羅様は微笑んで、喜ぶ姿に心が
昨日命じられた任務を考慮して、ありふれた答えを
本心を伝えても我愛羅様の傷が深くなってしまうだけだと分かっていた。
もし状況が違えば、たとえどんなことがあっても私はアナタの味方でありこれからも嫌いにはならない、誰よりも大切に想い続けていくのだと自信を持って告げられたのだろうか。
本音を隠して生きるのは案外苦ではなかった。
穏便に生きていくための処世術だったのに、分かち合えることを分かち合えない事が……今更になって苦しくなる。
今更になって、自分の本音を口にして知ってもらって認めてもらえないことはひとりきりでいるのと変わらないのだと、哀しいと想った。
『……ありがとう夜叉丸……。痛いっていうのが……なんとなく分かった気がする』
『……そうですか』
『……じゃあボクもケガしてるのかな? みんなと同じで……いつも……痛いんだ』
ただ黙って言葉を待った。我愛羅様は痛みを誤魔化すように、左胸を強く握った。
『血は出ないけど……ここんとこがすごく痛いんだ』
誰一人、我愛羅様を傷つけることはできないけど、我愛羅様の心は誰でも傷つけることはできる。
その途端、自分がどうするべきか迷って
何をするべきか、どうするべきか。答えが見つかった。
静かに目線が合わさるように屈んで、我愛羅様の手から小太刀を取り上げた。
指先に小太刀をあてがうと軽く引いて切り傷を作る。
絶句して私の顔をうかがう我愛羅様は心配と困惑の表情で満ちていた。
今、アナタが私を心配して焦ってくださる優しい気持ちが指先の傷よりも心苦しい。
『体の傷は確かに血が流れて、痛そうに見えるかもしれません。でも、時がたてば自然と痛みは消え……薬を使えばさらに治りは早い……しかし厄介なのは心の傷です。治りにくいことこの上無い』
『……心の傷?』
『体の傷と心の傷は少し違います。体の薬と違って塗り薬もなければ……一生治らないことだってあります』
我愛羅様は
『ただ、一つだけ。心の傷を癒せるものがあります』
厄介な薬だと教えると当惑をあらわにして『……何?』と見つめてくる。
『愛情です』
『あいじょう?』
『ハイ』
『……ど……どうやったらもらえるの?』
幼子が愛されるために愛情のもらい方を大人に聞く姿、もらうために努力をしようとしてる純粋さに胸が重くなる。
本来の子供は何もしなくても、愛情はもらえるはずだ。
だけど我愛羅様は知らない。
『……我愛羅様はもうすでにもらっていますよ』
『……え?』
『愛情は……自分の身近にいる大切な人に尽してあげたいと慈しみ、見守る心』
そしてナズナ様にお話した内容を我愛羅様にそのままお伝えする。
姉さんの想いを理解できる歳になったら教えたいと、話したいと思っていたのにこんな時になってしまった。
それでも話さなければならなかった。
我愛羅様は分かってくれるだろうか。
『姉さん……、死んでもなお我愛羅さまを守りたかったんだろうなぁ……』
もしかしたら届いてないかもしれない。それでもいつか分かる時がくるだろうと願って本心をお伝えした。
『それに、ナズナ様からも我愛羅様はちゃんと愛情をもらってますよ』
『ほんとうに……?』
『安心して下さい、先程私が言ったように人はそう簡単に人を嫌いになれないものですからね』
『そっか、じゃあ夜叉丸。ナズナはボクのこと……まっすぐ見てくれたりするけど……』
一度言葉を切って『……これも、愛情なのかな?』と我愛羅様は控えめに訊いてくる。
『……はい。ナズナ様が我愛羅様のお名前を呼んでくださるのも我愛羅様を心配して傍にいてくれようとすることも笑いかけてくださるのも──』
そうしてナズナ様が与えてるのを一つ一つの確認していった。
『すべて我愛羅様を想う愛情ですよ』
『うん、ありがとう……夜叉丸。ナズナと一緒にいると痛いのが安らぐんだ。この時にナズナから薬をもらっているのかな?』
『ええ』
『そっか……そうなんだ……』
照れなのか顔を赤らめてしまった我愛羅様の様子は姉さんの愛情を知ったときに垣間見せた表情によく似ていた。
我愛羅様の心にナズナ様に対する
我愛羅様に抱いている気持ちを伝える。
以前私がお伝えしたようにナズナ様はちゃんと我愛羅様に想いを伝えることができたのだと我愛羅様の態度から心で理解してちゃんとしっかり息づいるのを実感した。
満月の夜は特に不安定なのにも関わらず落ち着かせれば安定をみせた。
──……この世には愛情に勝る忍術はないのではないか。
嬉しそうに『お願いがあるんだ……』と頼みを聞き入れて薬を渡して外に飛び出す背中を見送った。
我愛羅様は心をくれる、どんなに他人に蔑まれようが分け与えるだけの心がまだ残っている……。
ナズナ様に贈り物を送ったように、通じ合えるのだとまだどこかで信じている。
そしてどれだけ頑張っても自分は愛されない事実に何度だって傷つくのだろう。
そのたびに
今日の昼間に起こった暴走を思い出す。
安定していたら大丈夫だとしても有事の際に制御できない今の状態は、力を扱いきれてない証拠でもある。
忍びの世界ではその程度どうすることもできなければ意味がない。
もしたとえ今回を凌いだとしても人柱力として理不尽な形で求められるのは明白だった。
どちらにしろ今から自分の行いを実行すると決めた以上、姉さんには顔向けできない。
『姉さん……』