06

世界に入るには?

そこに確かな違和感があった。
次の日の朝、監督生にいつも通りに挨拶をしたジェイドは、その違和感に思わず笑顔を崩しそうになった。
当の監督生は笑顔だった。「おはようございます、ジェイド先輩」と最近は当たり前になってきたお決まりの挨拶をして、頭を軽く下げた。いつも通りだ。である筈なのに、何かが違う。

「あの、」

続く言葉が見つからずに、ジェイドはただ監督生を見つめる。レオナが何かを言ったのだろうか。それとも、急にジェイドが嫌になったのだろうか。

「すみません。急いでいるので、これで失礼します」
「え、」

すっと監督生がジェイドの横を通りすぎて行く。無意識に引き止めようとジェイドは手を伸ばしたが、途中ではっとして自分でその手を止めた。

「…………」

これは、困りましたね。ジェイドは眉尻を下げて、溜息を吐いた。もう暫くは楽しめる予定だったというのに。ここまでか。なかなかに興味深く楽しい日々だった。

「やれやれ、余計な事をしてくれましたね」

邪魔をしてくれた寮生達には、どう責任を取って貰おうか。そんな事を考えながら、ジェイドは監督生とは逆の方向へと歩きだした。


それから数日、監督生から声を掛けてくることはなく、ジェイドから接触することもなくなっていた。つまり、関わりがなくなってしまったのだ。あれだけ、ジェイドから絡んでいたというのに。
閉店したラウンジでジェイドは書類整理をしていた。それをフロイドが手伝うでもなく、じーと見つめてくる。意味有りげに。

「フロイド?」
「ん〜?」
「先程から自棄に見つめてきますが、何かありましたか?」
「それはジェイドの方じゃね?」
「はい? 僕ですか?」
「なーんか最近、変じゃん。なに?」

なに? と聞かれても、ジェイドには心当たりがない。困った風に眉尻を下げて笑ったジェイドに、フロイドはムッとした顔をした。

「小エビちゃんでしょ、原因」
「監督生さんは……」
「ほら、やっぱりそーじゃん。喧嘩でもしたの〜? 寂しいなら仲直りしたら?」
「そうではありませんよ。別に喧嘩はしていませんし、寂しいなどと……」
「元気ないじゃん」

そうなのだろうか。フロイドに指摘されて、ジェイドは考える。そして、どこかで監督生が話し掛けてくれる事を期待していた自分に行き当たった。
嫌われた訳ではないと。否定する自分がいる。だから、自分から声を掛けなかった。声を掛けて無視でもされたら、どうすれば良いのか分からなかった。そんな事を気にした事などなかったというのに。

「仲直り、ですか……」
「な〜に? 自信ないの? 珍しーね」
「そうですね。困りました」
「いつもみたいにお話すればいーじゃん。小エビちゃんと」

それはどういう意味でのお話だろうか。仕事とは勝手が違うのだから、困っているというのに。いや、結局は必要なのは“誠意”か。

「そうですね。そうします」
「あはっ、どうなったか教えてね」
「いいですよ。良い結果になるよう頑張りますね。あぁ、そうだフロイド。アズールに伝言をお願いできますか?」
「え〜? どーしよっかな」
「この書類は完成したので、先にあがります。少々、用事がありまして。寮生が3名ほど暫く使い物にならなくなるかもしれませんが、ご容赦ください、と」

ニヤッと怪しく笑ったジェイドに、フロイドは楽しげに笑い返す。

「何それ、楽しそう」
「今回は僕1人でやりたいので、フロイドは連れていけません」
「ふーん? いいよ。アズールに伝えといてあげる。その代わり、次はオレも一緒ね」
「えぇ、勿論」

物騒極まりないやり取りをして、ジェイドは書類をフロイドに渡す。それを素直に受け取って、フロイドは手を振った。「いってらっしゃーい」、と。
それに「いってきます」と笑顔を返して、ジェイドはラウンジを後にする。こんな予定ではなかった。しかし、そうなってしまったのだから致し方ない。邪魔をしてくれた寮生達には、たっぷりとお礼をしなければならない。それ相応の、だ。

「誠意が大事ですから」

ジェイドは中折れ帽を押さえて、歯を見せて笑う。さて、彼らはどんな誠意を見せてくれるだろうか。オリーブとゴールドのオッドアイが怪しく光っていた。
などと言うことがあったのは、昨夜のこと。オクタヴィネル寮のどこかで、悲鳴が聞こえたとか聞こえないとか。
そんなこんなで、ジェイドは朝から監督生と2人っきりになるタイミングを狙っていた。しかし、現実はそう甘くはなく。監督生の側にはエースとデュース、2人がいなかったとしても常にグリムがいる。

「うーん……」

ジェイドはもう強行手段に出ることに決めた。放課後の学園内は人通りも少なくなる。特に人通りの少ない中廊下の曲がり角で、ジェイドは息を潜めて獲物を待った。
エースとデュース、グリムの騒がしい声が聞こえてくる。ここを通ることは分かっていた。ジェイドに気づくことなく、隣を3人が言い合いをしながら通り過ぎていく。
ジェイドにとっては、運が良かった。その少し後ろを監督生が困った顔で付いていっていたので、すんなりと他にバレることなく捕らえることが出来たのだから。
監督生を壁と自分の間に閉じ込める。息なりの事に声を出そうとした監督生の口を片手で覆って、ジェイドは「しー……」と人差し指を自身の唇に当てた。監督生は真ん丸にした瞳をパチパチと瞬く。

「申し訳ありません。少々、お時間よろしいでしょうか」

監督生は思案するように目を伏せる。首を横に振られたらどうしようかと、ジェイドは内心で酷く焦った。
暫くして、監督生の視線がジェイドに戻ってくる。ゆっくりと監督生が首を縦に振ったので、ジェイドは安堵して監督生の口から手をどけた。しかし、決して逃がさないように両手は壁に付く。

「何でしょうか?」

じっと真っ直ぐに見上げられて、ジェイドは視線を下に逸らした。妙に心拍数が上がっていく。緊張、している? 自分が? 不思議な感覚がした。

「レオナさんから、何か伺いましたか?」
「レオナ先輩?」
「はい。……僕について」
「……? いえ、何も聞いてません」

レオナは関係なかったらしい。何を考えているのか。意地の悪い笑みが脳裏に浮かんだが、ジェイドは直ぐに後でにしようと掻き消した。

「そうですか。それなら良いんです」

監督生は不思議そうに首を傾げる。そろっとジェイドは視線を上げて、監督生と目を合わせた。探るような色を孕んだ監督生の瞳に、唾を呑む。

「……我が、オクタヴィネルの寮生がご迷惑をお掛けしたと聞きました」
「そんなことは……」
「いえ、分かっていることです。申し訳ありませんでした」
「……どうして、ジェイド先輩が謝るんですか?」

想定内の質問である筈なのに、じわりと冷や汗が滲む。

「ぼくの、せいだと、きいたので」
「…………」
「確かに、彼らの言ったことは間違いではありません。しかし、今は違います」
「それは、」
「どうすれば信じてくださいますか? 何でも差し上げます。あなたが望むものを」

監督生の言葉を遮って、ジェイドは言い募る。そうだ。必要なのは“誠意”と“対価”だ。上手く回らない頭がそう結論付けた。

「信じてくださるのでしたら、どんな“対価”もご用意します」

沈黙が落ちた。ただ、ジェイドの様子を窺う監督生の瞳が逸らされることなく真っ直ぐと見上げてくる。それにジェイドは、言葉が出てこなくなった。

「監督生ーー!!」
「ユウーー!! 返事するんだゾ!」
「どこ行ったんだ!?」

監督生がいないことに気づいたエースとデュース、グリムが引き返してきたらしい。わいわいと騒がしい声に気を取られた瞬間、腕の下から監督生がひょいっと逃げた。

「え? あ……」

なんて、らしくない声がジェイドの口から漏れる。体格差がありすぎたようだ。無意識に密着しすぎないように適度な距離を取っていたのも敗因かもしれない。
監督生はぺこっと深くお辞儀をすると、パタパタと走っていく。それを情けなく見送るしか出来なかったジェイドは、その場にしゃがみこんだ。顔を両手で覆って、深い溜息を吐き出す。

「嫌われてしまいました」

何の返事も貰えなかった。つまりは、そういうことだろう。そんなに自分は信用できないのだろうか。こんなにも、誠意を見せたというのに。

「誠意とは何でしょうか。どうすれば、目に見えますか」

その日のラウンジで、アズールやフロイドに据わった目でそう訪ねるジェイドが目撃されて、その場にいた全ての生徒がざわざわした。

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