05

世界に入るには?

有意義な時間だった。
開店前のラウンジで行った試食会は、ジェイドの目論見通りに上手くいった。欲を言うならば、もう少しアズールが遅く来てくれれば良かったのだが。
ウマい! しか言わないグリムは、まぁ置いておくとして。もぐもぐと幸せそうにジェイドが作ったデザートを食べる監督生をずっと見ていられると思った。これは、もしかして……。まんまとラギーの二の舞になっているのでは?
そんなまさかと、ジェイドは内心で酷く驚いた。“価値”というのか何なのか。確かに威嚇してきていた猫に懐かれたみたいな。そんな嬉しさのようなものは、ある。それは否定しようもない事実だった。
んー……。と監督生を見つめていたジェイドは、不意に視線が合って少し目を丸める。監督生も驚いたのか、肩が跳ねた。

「あ、えっと、」
「はい。どうされましたか?」
「その、美味しいです。とても」
「それは良かった」
「でも、もう少し可愛く……。んー、でも男子校だもんな。でも、華やかにしたら映えになるかもです」

意外にちゃんと意見を言ってくれた監督生に、ジェイドは目を瞬く。あれは、どうか。これも、良いかも? と流石は甘いもの好き。ジェイドが思い付かないようなアイデアも出て、とても参考になった。
あれこれとアイデアを深く掘り下げて、楽しくなってきた頃に、アズールが開店準備のために来たのだ。少し時間に余裕があったため、監督生を引き留めたが、邪魔になるとあれなので……と逃げられた。あれとは、どれなのか。
まぁ、彼女のお陰で新作のデザートは良いものが出来た。大変、満足ではある。となれば、監督生にお礼を言って、約束通りに初心者にも優しいハイキングコースを教えなければ。
ジェイドは今こそ“山を愛する会”の腕の見せ所だと、ウキウキでしおりまで作成した。のをフロイドが凄い顔で見ていたのは試食会の翌日、夜のこと。
ジェイドはその気合いの入りまくったしおりを手に、昼休みの校舎内廊下を歩いていた。勿論、行き先は監督生の教室だ。

「あれ? ジェイド先輩だ。こんにちは」

教室から出てきた生徒が声をかけてくる。それに、ジェイドはきょとんと目を瞬いた。見間違うわけがない。声をかけてきたのは、間違いなくグリムを抱いた監督生だった。

「こんにちは、監督生さん。一緒なのはグリムくんだけですか?」
「あぁ、えっと。さっきまでトレイン先生に注意を受けてて」
「ちょっと寝ちまっただけだゾ……」
「反省しなさい」

どうやら、エースとデュースは先に食堂に行ったらしい。調度良いとジェイドはしおりを渡してしまおうとした。

「ジェイド先輩も食堂ですか?」
「そうですよ」
「じゃあ、食堂まで一緒に行きませんか?」

思ってもみなかった誘いに、ジェイドは即座に返事が出来ずに固まる。それを見て、監督生が「ご、ご迷惑でしたね。すみません」と慌てて撤回しようとしたので、ジェイドの方が慌てた。

「そのようなことはありません。是非、食堂までご一緒させてください」
「大丈夫ですか?」
「はい、勿論です」

監督生が、ほっと安堵の息を吐いた。試食会の成果がここまで出るとは。相変わらず視線はあまり合わないし、会話もそこまで続かないが。逃げられることがなくなったのだ。

「あっ、でも何か用事があったんじゃないんですか?」
「監督生さんになので、問題ありませんよ」
「私に?」

こてりと首を傾げた監督生に、しおりを渡そうとして止まる。急激に惜しくなった。しおり通りにするかは知らないが、ここに書かれた場所を監督生は自分以外の人物と回るのだ。しかし、教えないわけにはいかない。そう約束したのだから。でも、しかし、だけど、

「ジェイド先輩?」

しおりを掴む手に力が入る。ぐしゃっと手の中で紙に皺がよった。あぁ、これでは渡せない。

「昨日、」
「きのう?」
「新作のデザートが無事に完成したことをご報告しようと思いまして」
「え? あ、あぁ、そうなんですね。良かったです」
「ご協力感謝致します」
「いや、あの、そんな大したことしてないです」

照れたように眉尻を下げて、監督生は首を左右に振る。それにジェイドは言葉を返さず、どこか驚いた顔をして固まっていた。原因は、監督生ではなく、ジェイド自身。
段々と冷静になっていく脳内が、先程まで考えていたこと。監督生に言った言葉。それらを上手く処理できずに、珍しくハテナマークを出したのだ。

「でも、お役に立てたのなら嬉しいです」

はにかんだ監督生に、ジェイドはハッとして笑みを浮かべる。完璧な笑顔を作ったジェイドに、監督生は目を瞬いた。

「あの?」
「とても助かりました」
「そう、ですか?」
「はい。ありがとうございました」
「……?」
「では、食堂に向かいましょうか」
「……はい」

ジェイドが食堂に向かう道のりをこんなに長く感じたのは、初めてのことだった。手に持ったしおりの存在に触れられやしないか。先程の言動をおかしく思われていないか。兎に角、1度監督生と離れて考えをまとめたかった。
しかし、無言という訳にもいかず……。いつも通りに話題を提供しながら歩く。なのに、ちょこちょこと監督生がいつもと違って、質問してきたり、話題を変えたりとするものだから。尚更、ジェイドのペースが乱れた。
予定外のことは大歓迎。楽しい筈なのに、ジェイドはそわそわと落ち着かない心地になる。やっとの思いで食堂に辿り着き、監督生と別れた後にジェイドは深く息をつくと、暫くぼんやりと監督生を見つめたのだった。


あれからと言うもの。廊下で出会うと挨拶をされ、ジェイド先輩と呼ばれ、会話が少し続くようになってきた。それに、ジェイドはご機嫌にニコニコと笑う日々を過ごしている。
これはもう、友達と呼べるのでは? 無性に誰かに自慢したい気持ちになり、あぁ、なるほど。と、ジェイドはあの時のラギーとグリムの自慢げな様子にやっと納得がいったのだった。
問題があるとするなら、監督生がハイキングコースについて何も言ってこないのを良いことに、ジェイドが未だにあの気合いの入りまくったしおりを渡せずにいることくらいだ。
もうしおりを渡して、よければご一緒しても? と言ってしまおうかと考えては、監督生の申し訳なさそうな困った顔が浮かんで思い止まるの繰り返しで。ジェイドの方が困っていた。

「こんにちは、ジェイド先輩」
「おや? こんにちは、監督生さ、ん?」

後ろから声を掛けられ、振り向いたジェイドは視界に監督生を入れて戸惑った。運動着姿の監督生は、ドロドロのボロボロで。ぱちくりと瞬きをしたジェイドに監督生は困ったように笑った。

「グリムが高く飛んで凄かったんです。本当なんです。でも、途中でバランスを崩しまして……。私が受け止めきれずにひっくり返ったから」
「わ、悪かったんだゾ」
「グリムは悪くないよ」
「ユウも悪くねーんだゾ!」
「おやおや、そうですか」

飛行術の授業で、失敗をしたらしい。グリムをキャッチしたまでは良かったが、そのあと衝撃を受け止めきれずに2人してひっくり返ってこの有り様と。よく見れば、グリムもドロドロになっている。

「保健室にいった方がいいのではありませんか?」
「はい。クルーウェル先生にはエースとデュースが言っといてくれるようなので、今から行ってきます」
「よろしければ、僕がお供しますよ」
「え!? あの、ジェイド先輩も授業ですよね?」
「そうですね」
「大丈夫です。そんな、ご迷惑お掛けできません」

慌てた様子でブンブンと首を左右に振る監督生に、まぁ、でしょうね。と思いながらも心底残念そうに見えるようジェイドは眉尻を下げる。

「それは、残念です」
「え!?」
「では、後程お見舞いに伺いますね」
「お見舞い???」
「それでは、また」
「は、はい。さようなら」

何かを言われる前に、ジェイドは別れを告げて歩き出す。とは言っても、保健室のベッドで寝るほどの重症ではないので、放課後にオンボロ寮に直接行くのが良いだろうか。

「お見舞いなんて大袈裟な奴なんだゾ」
「だ、だよね?」

後ろから戸惑ったような声が聞こえたが、そこは勿論聞こえなかったフリで。ジェイドは放課後の事を考えて、楽しげに口角を上げる。陸のお見舞いには林檎が良いとか。購買部に行けば、手に入るだろう。

「ふふ、喜んで貰えると良いのですが」

グリムは文句を言ってくるかもしれないが、監督生ならば、きっと……。ふわっと笑ったジェイドに、周りはざわざわと警戒して距離を取ったのだった。
そんなこんなで、ご機嫌に過ごしていればあっという間に放課後。ジェイドは購買部で「やぁ、今日は随分とご機嫌だね。良いことでもあったのかい? 小鬼ちゃん」とウィンクしてきたサムから「えぇ、楽しいのは今からですが」と笑みを返しつつ林檎を手に入れた。ので、オンボロ寮へと向かっている。いや、いた。
何の因果か。植物園の方から声が聞こえた気がして、急いでいた訳でもなかったため様子をこっそり眺めようとそちらの方へと寄り道した。そこに、目当ての監督生がいたのだ。これも日頃の行いの賜物か。

「何でこんなやつが」
「勘違いしちゃったんじゃね?」
「あははっ、止めてやれよ〜」
「…………」
「ふな〜〜っ!! オメーら何なんだゾ!」

しかし、何やら雲行きが怪しい。監督生とグリムを取り囲んでいる彼らがしている腕章は、灰色と薄紫。あれは、オクタヴィネル寮のもので間違いはなさそうだ。
だとすれば、この状況は……。アズールからこんな事は聞いていないし、フロイドも関係はないだろう。勿論、ジェイドも指示していない。となれば、彼らの独断。ほう?

「お前、最近なに?」
「お前みたいのが副寮長に気安く話掛けて良いわけないだろ?」
「オレ様達に先に絡んできたのはアイツの方なんだゾ!!」
「だから、勘違いしたんだ?」
「勘違いって何のことだ!!」

ギャーギャーとオクタヴィネルの寮生に威嚇するグリムをしっかりと腕に抱いて、監督生が俯いている。そのため、表情が全く分からなかった。
ジェイドは止めることも出来たが、グリムではなく監督生は何か言い返したりするのだろうかと、興味の方が勝ったため木の陰から様子を見続けることにした。

「副寮長が本気で友達にでもなってくれると思ったの?」
「ただの興味本位に決まってるじゃん」
「かーわいそー」

ケタケタと馬鹿にしたように、彼らは監督生を嗤った。それに対して、グリムが悔しそうに彼らを睨む。監督生は、黙ったまま。
ジェイドは寮生の言葉を聞いて、まぁ、間違ってはいないなと思った。思ってしまった。何故なら、始まりは彼らの言うとおり興味本位。監督生はどう思っているのだろうか。そんなことないと、彼女ならば言うかもしれない。そうだ。きっと、

「知ってます」

はっきりとそう聞こえた。それに、ジェイドの口から間の抜けた声がもれでる。信じられない心持ちで、ジェイドは監督生を見つめた。
監督生はと言うと、顔をしっかりと上げオクタヴィネルの寮生達を見ていて。じっと反応を窺うような視線に、寮生達が少したじろぐ。

「分かってます。ちゃんと、そんなことは、知ってます」
「なん、」
「は、はぁ?」

困惑しているのは、寮生達だけではなかった。監督生の言葉を咀嚼して言葉の意味は理解しても、ジェイドは意味が分からなかった。知っている。何を? 興味本位で近づいたことを? 分かっている? 本当に?
今すぐ飛び出して、どういう意味なのかを問い質したい衝動に駆られる。いつものジェイドなら、そうしていただろう。何でもない顔をして、面白い話が聞こえてきたのですが。などと言いながら。なのに、今日はどういう訳か足が動かなかった。

「おい!」
「……!?」
「うるせぇんだよ、お前ら」

ぐるる……と不機嫌そうな唸り声に、場の空気が一瞬にして凍る。そうだ。この植物園は彼の縄張り。

「レオナ先輩?」

何でここに? とでも言いたげに首を傾げた監督生に、一瞬呆れた顔をしたレオナだったが、すぐにオクタヴィネルの寮生達をギロッと睨み付ける。それに、寮生達はびくっと肩を跳ねさせ、そそくさと逃げていった。おやおや、これは情けない。と、ジェイドは眉尻を下げる。

「弱い草食動物が1人でウロウロしてんじゃねぇよ」
「グリムが一緒です」
「ハッ! この毛玉が何の役に立つって?」
「ふなっ!? グリム様の手に掛かれば、あんな奴ら一撃だったんだゾ!!」
「魔法での私闘はダメだよ」
「魔法がなくても余裕だゾ!!」
「んー……。レオナ先輩、助かりました。ありがとうございます」
「ユウ!」
「うん。グリムも強いけどね」

監督生の腕の中で、グリムは不服そうに唸る。それに、監督生は困ったように笑うとフォローをし出した。
不意に、レオナの視線がジェイドの方へ向く。目が合って、流石は鼻がいいと愛想良く見えるようにジェイドは笑みを返した。それに、レオナは意地の悪い笑みを浮かべる。しかし、別に監督生にジェイドの存在を教えるつもりはないようで。

「あぁ、」

なるほど。いいのは鼻だけではなかった。耳も、か。先程の会話を拾えるくらいに。
しかし、いつレオナの気が変わるかは分からない。早々とここを離れるのがよさそうだ。そう判断して、ジェイドは静かにその場を離れて当初の目的通りに、オンボロ寮へと歩き出す。
……行って、どうするのだ。いや、監督生は先程の会話をジェイドが聞いていた事に気づいていないのだから、いつも通りに接するのでは? レオナが言わなければ、の話だが。

「…………」

ジェイドは手に持つ紙袋へと視線を遣る。

「りんご……どうしましょう」

お見舞いに行くと言った手前、何もなしと言うわけにはいかない。まぁ、監督生が楽しみにしているかは、分からなくなってしまったが……。そもそも、最初から楽しみになどしていなかった可能性も大いにある。
結局ジェイドは、どうすることも出来ずに林檎をオンボロ寮の扉の前に置いて帰った。紙袋にマジカルペンを使って、【用事が出来てしまいました。直接お渡しできずに申し訳ありません。 ジェイド】とだけ書いて。

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