一生のお願い



「あ、名字さんちょうど良かったです」

今日も一日無事に終わった。さぁ帰ろうと事務室の前を通り掛かった時だった。タイミングよく顔を出した伊地知くんに捕まり、嫌な予感に思い切り顔を顰める。

「明日の七海さんとの任務のことで少々、確認があるのですが」
「……伊地知くん」
「はい」
「それって、どうしても私じゃないと駄目なやつ? 他の人に代われない? 長めの出張入れてくれていいからさ半年ぐらい。なんなら京都校に異動させてくれない?ね、 一生のお願い」
「今どき、小学生でも言いませんよ。そんなこと」

ほら、やっぱり嫌な予感が当たった。困惑する伊地知くんに詰め寄っていると、背後から聞こえてきた低く落ち着いた声に、思わず奥歯を噛み締めた。ギっと嫌な音が身体中に響く。

「伊地知くん。名前さんのことは放っておいて大丈夫なので、話を進めてください」
「え、あ、はい。これなんですが────」
「……」

伊地知くんは手にしていた資料を私達に見せながら、説明を始めた。それを覗き込むのに少し前に倒した七海の身体が背中にくっつく。シャツ越しに伝わる体温、硬さは嫌でもあの日を思い出させた。

一言で言えば、疲れていた。疲れていたから、いつもより酔いが回って、ふらついた私を抱きとめた七海の顔が不意に近づいてきても避けなかったし、重ねられた唇を受け入れてしまった。いっそのこと、記憶がなくなっていればよかったのに。朝、知らないベット目覚めるまでのことをはっきりと覚えていたからこそ、色々なことに耐えられなくなって隣で眠る七海を置いて先にホテルを後にした。それから今日まで約二週間、連絡も返さなかったし、どうにか顔を合わせないようにやってきたのに。

「────で、以上です。えーっと、名字さん大丈夫ですか?」
「あ、うん。了解。じゃあ異動の件、前向きに検討お願いね。七海もじゃあまた明日!! ……っ」
「ありがとうございます伊地知くん。では私達はこれで」

早々に逃げようと思っていたのに伊地知くんから見えない位置で、きゅっと手首を掴まれ身動きが取れなくなってしまった。ニコニコと愛想笑いを浮かべて、その場をやり過ごし伊地知くんがいなくなったのを見届けてから軽く手首を動かしてみる。びくともしない。

「離して」
「逃しませんよ」
「……大声出すよ」
「名前さんに弄ばれたって言いふらしますよ」
「なっ!! 人聞き悪いこと言わないでよっ」
「違いましたか」
「違うよ!」
「では、私と交際してくれるということですか」
「え、それ、は……」
「やっぱり、弄んだんじゃないですか」

弄ぶって、そんな大袈裟な……と思いながらも、自分が逆の立場だったら、やっぱりそんな風に思っちゃうかもと少し反省した。

「た、確かに何も言わないで先に帰ったり、連絡を返さなかったのは悪かったよ……でも、ほらもういい大人だし、こういうことの一回や二回、七海だってあるでしょ?」
「ありませんよ」
「……」
「つまり、名前さんはこういうことがよくあると」
「いや、ないけど……」
「私のことが嫌いですか」
「嫌いじゃないけどさぁ」
「では交際出来ない理由を教えてください」

なかなか引かない七海に、これは納得するまで離してもらえなさそうだと諦めて「もう逃げないから手、離して」と告げ、近くのベンチに腰を下ろした。掴まれたままだった手首は少し赤くなっていた。立ったままの七海に、隣をトントンと叩いて見せると七海も静かに腰を下ろす。

「別に、七海がどうこうって話じゃなくて、私はもう誰とも付き合わないって決めてるんだよね。……一般の人に理解し難い仕事だからってのもあるけど、私に何かあった時に相手に辛い思いをさせたくないんだよね。それは相手が呪術師でもそう」

長いことこの世界にいると、遺された人の苦しむ姿を目にすることが少なくない。自分も遺していく立場にあると気が付いたときから、大切なものを作るのをやめた。

「七海もそういうタイプだと思ってたんだけど」
「そうですね」
「ほら」
「理屈じゃないんです」
「え?」
「ずっと好きだった名前さんに触れて、その喜びを知った以上、以前の私には戻れません責任を取ってください」

隣から注がれる視線が痛くて、熱い。七海はそういうタイプだと思っていたからこそ、流れに身を任せたところがあった。一線を越えても執着するようなことはないだろうと。それが大誤算だったなんて。なんて返事をするべきか、短く切り揃えた色気のない指先に見つけた小さなささくれを弄りながら考えていると急にその手をぎゅっと握られた。

「たとえこの先、共にいることが出来なくなったとしても────その時まで、私はアナタと生きていきたい。結婚してください名前さん」
「っ、なんか色々飛び越えてプロポーズになってるけど……」
「この先、他の人と恋愛する気がないのなら私と結婚しても問題ありませんよね」
「七海」
「はい」

触れている七海の大きな手は少しカサついていて、ゴツゴツと所々硬かった。真っ直ぐに私を見つめる七海に向き合う「それって、一生のお願い?」と言うと、少し固まった後に驚いたような顔をして、そしてふっ、と小さく笑った。





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