私達は悲しみも嚥下する



あのがっしりとした、どこまでも頼りになる広い背中が恋しい。無意識に手を伸ばし、もうそこにはいないのだと気付き、無力感に伸ばした手をぎゅっと握りしめる。掌に爪の跡が付いた。
「七海サン!」「七海さん!」と子犬のように纏わり付く私達にうんざりとした様子で溜息をつきながらも細められた瞳の奥は優しく、小言を言いながらも面倒を見てくれるそんな人だった。大好きな先輩だった。

そんな彼を失った私と猪野は、ぽっかり胸の真ん中に穴が開いたみたいになってしまった。現実を受け止めきれず、涙すら出てこない。何も感じなくなってしまった。夜、眠る事が難しくなって隈ができた酷い顔を突き合わせてぴったりと二人で布団に包まって朝を迎えた事も何度かある。何かが変わるかもと思って、互いの体温を求めた事もあったけれどお互いに何も感じる事が出来ず、ただただ虚しくなった。


「……これ」
「……」

二人で任務に行った帰りにふらっと立ち寄ったコンビニで猪野が指差した物を見て、呼吸が乱れた。息苦しさを殺す為に頬の内側、柔い肉をぎゅっと噛んだ。うっすらと滲んできた鉄のような味に、あぁまだ私の中に血液は巡っているんだなと余計に苦しくなった。

「……七海サンが好きだったやつ」

カスクートと耳慣れない惣菜パンが好きだと知って、私と猪野は見つける度に競うようにそれを買って七海さんに届けていた。よく、買ってくるタイミングが被る私達は「こんなに食べれませんよ。君達も一緒に食べてください」と呆れられていた。小さく口元を緩めて呆れたように笑う顔が鮮明に浮かび上がってくる。

「……」

もう一個しか残っていなかったそれを乱暴に掴み、レジへと向かう。「おい、ちょっ」と猪野の少し慌てた声が聞こえてきた。


「ん」
「……サンキュ」

コンビニの前に二人で座り、ぎゅっと弾力のあるそれを力任せに半分にちぎって、カマンベールが多く入った方を猪野に渡した。その様子を黙って見ていた猪野は何も聞かずに、渡されたカスクートにかぶりついた。私も同じようにかぶりつく。

「……おい、しい……」

初めて食べた時「おいしい」「うめぇ」とはしゃぐ私達に「そうでしょう。美味しいんです」とまるで自分の事のように少し自慢気にしていた七海さんを思い出す。ピリッとブラックペッパーが舌を柔く刺激した。七海さんがいなくなってから、きちんと食べ物の味が分かったのは初めてだった。気が付くと、目の前のアスファルトがぽつぽつと色を濃く変えていた。

あぁ、私、今泣いてる。

隣を見ると、猪野もぽろぽろと大粒の涙を流しながら口をもごもごと動かしていた。今まで失われていた感情の波が一気に押し寄せてくる。堰を切ったように溢れて止まらない涙を流しながら、黙々と二人でそれを身体に収めていく。

「……ねぇ、猪野」
「……なんだ」
「……前に進もう」
「……」
「美味しいものたくさん食べて、飲んで」
「……名前も付き合えよ」
「……考えとくよ」

食べ終えたカスクートは私達の肉となり血となり意志となる。

「猪野、ハンカチある」
「持ってるワケねぇだろ」
「まずは、その辺からだね」
「うるせぇ!第一名前も持ってないんじゃねぇか!」

そうケラケラと笑いながらコンビニの前で騒ぐ私達は、こんな時にさっとハンカチを差し出してくれる大人にはまだ程遠い。ゆっくりと一歩ずつ進んでいこう。
七海さんの分もなんて言ったら烏滸がましいだろう。だからせめて、七海さんに呆れられて溜息をつかれないように生きていこうと袖口でゴシゴシと目元を拭い、アスファルトを足の裏で踏み締める。もうそこに涙の跡は残っていなかった。




×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -