05

ロニと坑道の調査に行く話




 からんからん。ドアに取り付けてあるベルが鳴って来客を知らせる。らっしゃいませぇ。カウンターに頬杖を付きながら間延びした声で応じた。ドアの隙間から入り込んだ風に揺れた焼き立てのパンの香りが鼻腔を擽る。
 くあ、と欠伸をひとつ。窓の外は今日も快晴。クレスタの街は変化なし。俺を旅に誘う弟分は今頃、彼女も同然な少女と孤児院で面白おかしく過ごしていることだろう。それに飽きたらまた俺を誘って旅に出るのだ。弟分の気が向くまで、俺はこのパン屋でのんびりと働く。夕方になれば売れ残りのパンと店長の厚意を孤児院に届ける。孤児院で飯を食って家に帰る。その繰り返し。飽き飽きするような日常に、今度はどこに行くかなあなどと考えた。
 顔に落ちる影に気づいた。もう会計か。それにしては早すぎる。それに、どうにも様子がおかしい。だってその客の手の中には何もない。パンを運ぶためのトレーもトングも持たれてはいない。当然、パンだって。嫌な予感がして顔を上げた。


……げ」

「人の顔を見るなり随分な挨拶だな」


 嫌な予想ほどよく当たるものだ。黒い服の上に黒い外套を羽織り、黒いフードに黒い髪を隠した小柄な男がひとり。目の前に立っていた。
 思わず漏らした苦い音。それに男は不満そうな声を上げ、フードを下ろした。よく知った顔。その眉間にこれでもかと言うほど皺を寄せて、ジューダスが立っていた。
 こいつがこのパン屋を訪れることなんて滅多にない。ことはまったくもってない。割と頻繁にやって来てはこうやって俺のことを睨みつけて、俺にうんざりした顔をされている。お互い慣れたものだ。


「だってお前が俺のところに来るってことはよお」

「仕事だ」

……だよなあ」


 端的に伝えられる用件に、俺はやれやれと肩を竦めた。だろうとは思ったが、実際に言葉にされると溜め息もつきたくなるというものである。


 ジューダスは何でも屋を営んでいる。何でも屋とは文字通り何でもやる仕事だ。魔物退治や人の護衛なんかが最も多く、ついこの間は弁当を届けてほしいと依頼されたと言っていた。本当に何でもやっているらしい。
 依頼されれば何でもこなす。その報酬だって、俺からすれば微々たるものだ。そんなもの貰ってどうするんだという品で依頼を受けていることも知っている。危険かそうじゃないか。金になるかならないか。価値があるのかどうなのか。そんなことはジューダスには関係ないようだった。
 できるだけ多くの依頼をこなし、できるだけ多くの人の助けになる。本人は言わないがそういう信条があるらしい。そして、自身を削って受け取った報酬すら、その三割をデュナミス孤児院に、五割をダリルシェイドに寄付しているというのだから、いよいよもってどこを目指しているのかわからない。聖人君子にでもなりたいのだろうか。これっぽっちも似合わない。


 それが、ジューダスなりの『けじめ』で『償い』であることくらい、俺たちみんながわかっていたけれど、誰一人としてそれを口にする者はいなかった。


「店長ー! 俺、半休貰います! もしかしたらしばらく帰れないかもしれないです!」


 俺は立ち上がりながら、身につけていた似合いもしないエプロンを脱いでカウンターの前の椅子に適当に放った。そしてパンを作っている店長に向かって声を張る。店の奥からは気をつけてな、という返事があった。こうしてしばしばジューダスに呼び出されるのだ。俺が慣れているように、店長だって俺が店を空けるのに慣れっこだった。


「で、今度はどこだよ」

「白雲の尾根の坑道の調査を依頼された」

「はあ? 白雲の尾根? お前、最近ノイシュタットで仕事が入ったって言ってなかったか?」

「ああ。だからついでに調査を引き受けた」


 店を出ながらジューダスに目的地を尋ねる。返ってきた答えに首を傾げた。
 つい先日、定期的に訪れるデュナミス孤児院への里帰りの日だったジューダスはクレスタに戻ってきていた。出掛けたら出掛けっぱなしのジューダスに憤慨したスタンさんとルーティさんが半ば無理矢理決めたルールだ。呼び出されたらすぐに帰ってくること。何よりもまず自分たちを優先すること。子どもの我儘のようなそれを甘んじて受けているのは、本当はジューダスだって帰りたいからだろうと俺は睨んでいる。以前何かの拍子にそのことを本人に伝えてボコボコにされて以来、口に出すのは止めているのだが。
 その時に次の行き先を訊いたのだ。ジューダスはノイシュタットに行くと言い、俺もたまには里帰りしようかなあ、俺も連れて行ってくれよリオン、とぼやいたスタンさんに法外な値段を吹っ掛けていた。照れ隠しにも程がある。


「ノイシュタットに居たんならそのまま一人で調査に行ったらよかったじゃねえか」


 なんでわざわざクレスタまで来て俺を呼びに、と言いかけて、俺は顔を引き攣らせる。


……お前、まさかまた俺に肉体労働させようってんじゃ……

「察しが良くて助かる」

「しれっと言ってんじゃねえよ! こないだの仕事、俺は忘れてねえからな!」


 口端にニヒルな笑みを貼り付けたジューダスが頷いて、俺はその後頭部に向かって怒鳴った。そうだ。前回連れて行かれた依頼で散々な目に遭ったことを俺はまだ忘れてはいない。その話をすると長くなるのでここでは割愛する。とりあえず、依頼完了後の三日間ほど全身筋肉痛に見舞われたことだけ話しておく。
 とは言え、俺に断るという選択肢はない。店長に休みを取ると言ってしまったし、肉体労働となればジューダスより俺の方が適任だろう。この細っこい身体で案外力があることくらい知っているが、一人で行かせたとあればカイルやリアラ、それから今はホープタウンで暮らしているナナリーにも何を言われるかわからない。非難轟々、罵倒の嵐だ。


 クレスタからイクシフォスラーに乗り込んで数時間、男二人で空の旅。華がねえなあとぼやけば、ナナリーでも連れて来るか、と笑いを含んだ声がする。前を見たままのジューダスに馬鹿言え、と答えて、それっきり俺たちの間に会話はない。男二人なんてそんなものだ。
 ノイシュタット付近にイクシフォスラーを停泊させ、白雲の尾根を進む。久しぶりに訪れたそこは相も変わらず真っ白な霧に覆われていて、少しだけあの旅のことを思い出した。そういえばあの時、こいつと口論になったっけなあ。懐かしい思い出だ。


「今回の依頼は坑道の調査だ。先日規模の大きい地震があったらしい。その影響で崩れた場所がないか知りたいそうだ」


 薄暗い坑道。吹き抜ける風が女の悲鳴のようにも聞こえる。ばさばさと何かが羽ばたく音。きいきいと甲高い鳴き声もする。不気味だ。不気味すぎる。
 振り返ったら俺の肩に手を置く誰かがいたりして。坑道の奥から腐り落ちた手をだらりと下げた鉱夫が出てくるかもしれない。ひやりと頬を撫でる風は、もしかしたら。
 そんな想像が頭の中をひっきりなしに巡っている。身が縮こまるのは、寒さのせいだ。俺は必死に必死に自分に言い聞かせる。俺を背中に貼り付けて動きづらそうにするジューダスが迷惑だと言わんばかりに俺を睨んでいた。


「お前のそれはいつになったら治るんだ」

「うううううるせえ! そう簡単に治るもんかよ!」

……そういえば、こんな話を知っているか?」

「やめろおおおっ! お前、絶対に怖い話するつもりだろ! ふざけんなよ! 俺はお前の仕事を手伝ってやってるんだ! 俺がいなくなって困るのはお前なんだからなっ!」

「うるさい黙れ。そんなに怖いなら魔物とでも戦っていろ」


 耳元で叫んだ俺にジューダスは耳を塞ぎながらそんなことを言った。ジューダスが顎で示す先。暗闇にぎらぎらと目を光らせた魔物が数匹、俺たちを待ち構えている。恐怖を紛らわすには丁度いい。俺は片手に持ったハルバードを構えて突進。憂さ晴らしをする。ジューダスにいいように使われただなんて、そんなことはないのだ。うん。ないはずだ。
 そんなことをしながら、俺たちは坑道を一周した。特に崩れた場所はなし。ただし、要注意箇所がいくつか。松明の明かりを頼りにして地図にそうメモしたジューダスが顔を上げる。助かった、と俺に告げた声は見事なまでに棒読みで、このガキと拳を握りそうになったがぐっと堪えた。こんなところに置いて行かれたら俺は二度と日の目を見られないだろう。


「で? ジューダスさんよ。今日の報酬は?」


 さて仕事も終わりだ。坑道の入り口まで戻ってきた俺はジューダスに向かってそう切り出した。俺の顔を見たジューダスが、はあと面倒臭そうに溜め息をつく。
 ジューダスから俺への報酬は現物支給が常だ。カイルやリアラ、ハロルドがこいつの依頼を手伝う時もそうらしい。依頼よりもお前たちへの報酬の方が面倒臭い。そういつかジューダスが零していたが、お前たちへのと言うよりハロルドへのと言った方が正しいだろう。いつぞやのトラッシュマウンテンでのゴミ漁りにはさすがのカイルも辟易していた。
 ジューダスがちらりと俺を見る。俺は満面の笑みでジューダスを見る。ジューダスが先程よりも大きな溜め息をついて、やはり面倒臭そうにそっぽを向いた。


「ノイシュタットの酒場で好きなものを奢ってやる」

「そうこなくっちゃなあ!」


 よーし! 酒場の美人なお姉さんをナンパするぞ!
 仕事終わりに酒を飲みながら美女とお話しする。なんて最高な一夜だろうか。薄暗い坑道で必死に魔物と戦った甲斐があるってもんだ。
 スキップでもしそうな俺の後ろでジューダスがくつくつ笑う。不穏なそれに浮わついた気持ちが一瞬にして地へ落ちた。ぎぎぎ、と音が鳴りそうなほどぎこちなく振り返った俺は、口端にニヒルな笑みを貼り付けたジューダスを見つけてしまった。


「悪いがまだ終わりじゃないぞ。この近辺の坑道すべて確認してほしいとの依頼だからな。もし崩れている箇所があれば簡単に修繕しておいてほしいそうだ」


 まだ終わりじゃない。
 この近辺の坑道すべて。
 崩れている箇所があれば修繕。


 ジューダスの言葉たちが滑るようにして俺の耳を通り抜ける。そのまま通り過ぎていってくれればいいものの、賢い俺の耳はその言葉たちをしっかり脳へと届けてしまった。
 尚も笑い続けるジューダスに、俺は一言。こう言うしかなかった。


……マ、マジ?」


 ジューダスは神妙な顔をして頷いた。そのくせ、滲む笑いを隠し切れていなかった。


「マジだ」


 二度とこいつの頼みは聞かねえからな!
 そう心の底から誓ってみるものの、結局数日後にはいつも通りクレスタのパン屋を訪れたジューダスと連れ立ってどこかへ行っているのだろうなと、そんなことを思った。




お楽しみはおあずけ




20210224




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