捌 烈士洵名






「はぁ……全く、」


こんなにデカいのは久々なんじゃないかと思うほど大きな自分のため息が、部屋にこだまする。
乱暴に目隠しを脱ぎ捨てて、サングラスをかけた。
部屋着の裾がほつれて出た糸を手でちぎろうと試みると、肩のあたりの布がつんと張ってその糸が伸びる。
その小さなことにも腹が立って、そのシャツを脱ぎ捨ててゴミ箱に突っ込んだ勢いそのまま乱暴に蛇口を捻った。

雑に顔を冷水で洗って、その雫が首元を伝って落ちる。
頭の中を巡るのは、車の中で見た名前の寝顔と、先程の恵の戸惑ったような表情。


……また僕は恵に背負わなくていいものを背負わせてしまった。


上の命令に素直に従って彼女の命をたった30日で終わらせようなんてそんな気は毛頭無い。
それでも現状、彼女の命に期限が付けられているのは事実だ。
"死ぬまでにできるだけ楽しい思いをさせてあげて"なんて、本当は高校生が背負うような事じゃない。
いくら呪術師とはいえ、それ以前に名前も恵も悠仁や野薔薇だって、まだ子供で1人の人間なんだから。

あの時は、いつだって大人は身勝手で利己的だと思っていた。
そんな大人に、今度は僕がなってしまっているのでは無いか。

テーブルの上のファイルのページを捲る。
普段は絶対に資料になんて目を通したりしないけど。

「"ハゼワケ"、ねぇ……」

苗字 名前について、と記された書類に書かれた彼女の術式、"爆分"。
まるで"痛み分け"と似た字面に嫌悪感を抱く。
系統としては吉野順平の使っていた"澱月"と近いものがあるらしいが、まだその多くは分かっていないようだ。
本人がどの程度己の術式を理解しているのかも甚だ疑問なところではある。
呪いを祓った事などあるのだろうか。
あの様子だと、まだ呪術師なりたての悠仁の方が肝が座っていそうだ。
唯一の肉親である母親は数年前から行方不明。
ほぼ孤児と言っても差し支えない子供が1人で呪術師をしていたというのも考えづらい。


ばたん、と資料を閉じた。


「結局資料なんてただの紙だよね。
読むより直接聞く方がよっぽど早い。」

よっこらしょ、と椅子から立ち上がる。
仕事の前に気分転換をしたい。
お菓子でも買っていこうか、移動の車で食べる時間があるだろうし。
何を買おうか。なんて無理やり上げたテンションが続くはずも無く、僕はまた大きなため息をついた。

窓からは月が綺麗に見えている。
こいつのせいで見えない星は、一体どのくらいあるのだろう。


「とりあえず借りだね、恵。」


月明かりが鬱陶しくて、僕はカーテンをしめてから部屋をあとにした。





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