塩対応作戦 : 五条の場合 後編
こんこん。
まるで恐る恐ると言うようなノックの音で、私は目を覚ました。
いつの間に寝ちゃってたのか。ベッドで伸びをする。
「はぁい。」
「あー……名前?」
扉の向こうにいるのが悟だと気付いたのは、呑気に目を擦りながら返事をしてからだった。
思い出すのはさっきの出来事。
でも雑な性格がそうしたのか、寝る前の怒りに再び腹を立たせる気にはならなかった。
まあ、別に。ちょっとイラッとしただけだしな。
一方で、あちらはまだ私がブチ切れていると思っている自由奔放な彼氏。
……これは、一泡吹かせるチャンスなのではないか?
咄嗟にベッドに放り投げていた小説を拾い上げて身体を起こした。
「何。」
機嫌の悪そうな声を努めて発する。
イメージは、怒った冥冥さん。……見たことねえけど。
ああ、いや、七海。想像しやすいわ。
「いや……なんつーか……入って良い?」
いつもの感じからは想像もつかないような弱々しい声に吹き出しそうになるのを堪えながら、「勝手にすれば。」と無愛想に答えた。
「……いきなりどっか行くから。ビビったわ。」
「そう?ちゃんと行き先伝えてたから問題ないだろ。」
「いや、まあ……」
ここまで言葉を交わして、私は思った。
はっはーん。
さてはこいつ、私の機嫌は直したいけど、自分から謝りたくは無いんだな。
だったら私こそ、悟に謝ってもらうまでは折れられないでしょ。
幸い現在、私の方が立場は上だ。
「……傑も、お前のこと気にかけてたし。」
「じゃあ大丈夫って連絡しとくわ。」
「おー……」
小説の上からちらっと彼を覗くと、まるで子犬みたいに私の足元に座って落ち込む悟の姿。
吹き出しそうなのを咄嗟に本で押さえて、心を落ち着ける。
なんだアレ。あんなに弱々しい彼の姿、今まで見たことがない。
まるで垂れた耳と床にぺたんと横たわった尻尾が、今にも見えてきそうだ。
ふぅ。と息を着く。
いかんいかん。ここで笑い出してしまったら私の負けだ。
「用はそんだけ?私今から風呂入んだけど。
髪も砂っぽいし。」
わざとらしく大きくため息をついて、足を組む。
ニヤけた口元を隠すための小説は手放せないけど。
「いや、その、」
ほら、謝れよ。ごめんなさいって言ってみろよ。
心の中で、不良の私が大人しそうな悟をカツアゲしている。
ただ、跳んでもなかなかポケットから謝罪は出てこない。
「そういや、前欲しがってたスニーカーあったよな。
今度買いに行こうぜ。」
「いや、別にいいわ。兄ちゃんが今度買ってくれるって。」
「じゃあ今から何かメシでも、」
「腹減ってない。」
「名前、」
やばい。
と思った時には、もう手遅れだった。
「んぶふ、」
彼に掴みあげられた私の小説と、私の顔を見てぽかんとする悟。
そして遂に吹き出す私。
やべ。バレた。
「……名前?」
「んふ、はい。」
「怒ってねえの……?」
「ぜ、全然……ふふ。」
もう一度笑い出すと止まらなくて、一生懸命押さえるものの、何もかもが可笑しくて堪らない。
「ごめ……ふふ、怒ってない。
一回寝たら、全然……スッキリして、」
笑いすぎて目に涙を浮かべながら彼を見ると、ぽかんとした顔が段々と緩んで、ついに大きくため息をついた。
「はああぁぁぁ……」
ぎゅう、と抱き締められて、その背中をぽんぽんと撫でる。
「安心した?」
「めちゃくちゃ安心した。」
「まあ、もう少しは私に気を遣えって事だな。」
「ん……」
けらけら笑う私を腕の中に抱き締めたまま、彼が鼻先を私の首元にうずめる。
「……悪かった。」
「あいよ。」
小さく謝った彼に、頷いて見せる。
しばらくして、彼が顔を上げた。
その顔が見えた瞬間に私は察する。
あ、終わった。
「ところで名前。
俺をおちょくって遊ぶなんて随分楽しかっただろうな。」
「あ、ハイ。」
「覚悟しろよ。」
ベッドに押し倒された私は、子犬みたいな悟を恋しく思いながら腹を括った。
塩対応作戦 五条悟の場合
結果 : やばい。