Starve 前編
「名前ー、まだ仕事終わんないの?」
「もうちょっと!もうちょっとだから待って……!」
もう10時になろうとしている、水曜日の夜。
パソコンに齧り付く私に、悟は呆れたようにため息をついた。
「せっかく僕が会いに来たのに、こんな時まで仕事?
全く名前は仕事熱心なんだか要領が悪いんだか……」
「ごめんって、あとちょっとだから!」
ワードの画面には「保健室便り」の文字。
内容は大したものじゃない。
ノロウイルスが流行り始めているから手洗いうがいをしようだとか、そんなところ。
それでも呪術高専だって、一応れっきとした学校だ。
人のお子さんを預かっている以上、生徒たちの健康管理にはこれ以上ない程の気を使わないとならない。
ただでさえ呪霊との戦いだ何だで怪我が絶えないのだ、せめて病気だけでもしないように守ってあげたいと思うのは教員として当然のこと。
家入先生が忙しい分、私はそのフォローをしっかりしなければ。
悟の言う通り、私はお世辞にも要領が良い方とは言い難い。
案の定、今日だって仕事を家に持ち帰ってきてしまっている。
ほんとにごめんね、とちらりと悟を見遣ると、彼は頬杖をつきながら「はいはい。」と頷いた。
「……よし、終わり!!」
ファイルを保存して、パソコンを閉じる。
ふぅ、と息を着いて彼に目を向ければ、悟は目の前でテーブルに伏せて目を閉じていた。
……疲れてるんだろうな。
私よりよっぽど実力があって、その分忙しい彼のことだ。
ごめんね。と心の中でもう一度謝ると、ちょうど彼がゆっくり目を開けて顔を上げた。
「ん、終わった?」
「終わったー。」
「お疲れ、コーヒーでもいれてくるよ。」
珍しい。そんなこと言うなんて。
「いいよ、悟こそ疲れてるんだから私がいれてくる。」
立ち上がった私は、彼の横を通り過ぎてキッチンへと足を向ける。
するとその手を掴んで、悟は私を後ろから抱きしめた。
首元に擦り寄られてその綺麗な薄い色の髪を撫でると、さらさらと指の間から零れるそれ。
首筋に当たる彼の息が擽ったい。
「待っててくれてありがとう。」
そう言葉を投げかけると、彼は小さく頷いた。
ぎゅう、と私を抱きしめる腕に力がこもる。
ほんとに疲れてるんだろうな。
心做しか体温もいつもより少し高いから、眠いのかもしれない。
「先に寝てても良かったのに。」
そう言った瞬間、彼がぴくりと反応して突然首筋に吸い付いた。
「っ、ちょっと、悟……!?」
「名前が僕に優しくしてくれるのは嬉しいけど……ちょっとそれは無しじゃない?」
ぐいっと腕を引かれて、後ろにつんのめる。
気付けば私の身体はソファに押し倒されていた。
反論する間もなく、唇が重ねられて舌が絡む。
押し返そうとするが彼の身体はびくともせず、どんどんと深くなるキス。
「んんっ……!!」
とうとう苦しくなってどんどんとその胸板を叩くと、やっと唇が銀の糸を引いて離れた。
「散々"待て"させといて、ご褒美も無し?
拗ねるだけじゃ済みそうに無いんだけど。」
シャツのボタンを外されて、外気に触れた身体がぶるっと震える。
見上げると、私を見下ろす蒼い瞳。
その飢えた色をした宝石に抗うことも忘れて、私は目を閉じた。