Only Love
「……名前?」
ぎくり。
そんな音が本当に出たんじゃないかと思うほど、私の肩が跳ねた。
理由は他でもない、私の名前を呼んだその男のせいだ。
「あ、ああ……ひ、久しぶり、だね。」
そいつは他でもない、私のかつての恋人。
生活リズムが合わなくて段々疎遠になった私達は少しずつ距離を置くようになって、ある日ついに彼から別れを告げられた。
それっきりだ。
……それがまさか、こんな街中で出くわす事になるなんて。
しかも、こんな時に。
腕時計を見やって、内心焦る。
あと5分しかない。
「じゃ、じゃあ私……」
「いや、本当に久しぶり!元気にしてた?」
「あ……うん、元気、だけど……」
ってか私急いでるんだよね……!!
内心悪態をつきながら時計を見ようと軽く袖を捲る。
「もし良かったらさ、今度ご飯行かない?
奢るからさ。」
「ご飯代では釣れないですよ。」
時計の文字盤に視線を向けながら思わず彼の言葉に返して、はっとした。
気付けば時計の針が3つ進んでる。
このままじゃ間に合わない。
「いや、猫カフェ行きたかったんだけど、男ひとりじゃ行きづらくて……」
「ふふっ、何それ。」
思わず小さく笑いが零れて、それから慌てて首を振った。
いかん、本当にこんなとこで油売ってるヒマ無いんだって!
しっかり寝坊して、1時間の猶予を貰ったにも関わらずほぼ遅刻しそうなんだ。
「わ、私、今彼氏いるから!!」
意を決して彼に言い放つ。
すると、まるで「なんだ、彼氏いるのかよ。」とでも言いたげな彼の表情。
……申し訳ないけど、知ってたよ。
あんたが私に隠れて私の友達と浮気してた事。
それでもさっきの言葉がどうにか奴の隙を生んでくれたようで、その身体を押し返して走り出した瞬間。
私の身体は大きな何かにぶつかった。
……あ、終わったわ。
「あ、名前。何?彼氏の家に来る前に堂々と浮気?
肝据わってんね。」
「まっ、悟、これは、」
「どうも。五条悟っていいます。
ちんちくりん君は僕の名前に何かご用かい?」
にこにこしながら高い目線から元彼を見下す悟。
目が笑ってない。
「なっ、ちんちくりんって……!!」
「悪いけど、僕は生憎君には用がないんだよね。
……さっさとどっか行ってくれる?
気付かないかな。邪魔だよ、君。」
冷たい視線を刺して、悟が私の手を引っ張った。
「ちょっ……悟!」
「言い訳はおうちで聞くね。」
「待ってってば、悟、んっ……」
がちゃがちゃと乱暴にドアを開けて部屋に入った瞬間、唇が塞がれる。
そのままその口付けは深くなって、苦しくなった頃にそっと離れた。
目が合うと、ぎゅうっと抱きしめられる。
「ねえ、名前……僕じゃ足りなかった?」
耳元で、聞いたことないような弱々しい言葉が呟かれる。
「えっ、?」
「僕の方がスタイルも良いし、優しいし、面白くて顔もいいと思うんだけど……何がだめ?」
優しく身体を離されて、真っ直ぐ見つめられながら紡がれた言葉に、思わず苦笑いした。
自分で言うか。
そして、ある事に気がつく。
これは、どうやら不本意な勘違いをされてるみたいだ。
「えっと、悟?」
しょげて俯く大男の頬を撫でて、彼の目を見上げる。
「あいつと寄りを戻したとか勘違いしてるなら……すっごく困るな。」
そうやって頬にキスをすると、そのしょげていた顔が途端に明るくなった。
「私は悟しか、愛してないよ。」
再びぎゅうっと抱きしめられる。
「嫉妬した?」と尋ねると、首元でその白銀色の髪がこくりと頷いた。
本当に、可愛くてせっかちなんだから。
甘える犬みたいな彼の頬を撫でて、私達はもう一度キスをした。