恋はアイスキャンディー。 ADHDかもしれない 私が初めて「席に座って授業を受けられない子」というのを見たのは、自分が10代の学生のころのテレビだったと記憶している。 「なんで先生は何も言わないんだろう」と思っていたのだが、おそらく言ったところで無意味なのか、あるいは保護者との取り決めでわりと自由に移動してもいい空間だったのだろうか。 さて、そんなふうに思っていた自分がもしかして自分もADHD?なんて考えることになろうとは。 りなてぃーなは現在一人暮らしなのだが、まあまあ家が汚れている。 自分的には住みよい小汚い家くらいの気分でいるのだが、人様が見たらどうかなと考えるとぞっとする。 「きたねえ」って言われそうで。 そんなきれい好きとは到底いいがたい彼女によって、思い出されるのは3DKの今無き実家。 まあとてー−−−−つもなく汚かった。 あれは今の私から見ても当時の私から見ても人が住む場所とは口が裂けても言えない場所だった。 どんなところだったかって?(怖いもの知らずめぇ) 親が私に習わせたかったピアノとエレクトーン、祖母が越してきてから増えた食器棚と冷蔵庫、何が入っているかわからない複数のタンス、上に大きなものが乗りすぎて変えられないラグマット、山と化した洋服の群れ、昆虫好きにはたまらないGが沸いたキッチン、足が1本とれているテーブル、水が止まらないトイレ、カビだらけのお風呂、洗面台のS字管にはなぜか穴が開いてしまいそれ以降最後まで水を流すことはなかった…etc 実家を引き払う際に親戚のつてで業者まで雇い、ほとんどすべてのものを処分してもらった。 実際に引っ越しで持ってきたものの方が処分したものの方がはるかに少なかった。 実家については私のせいというよりは我が家のADHDの権化といえる母の存在が大きかったと思う。 この母、100均大好き人間で、なぜか知らんがクリアファイルと洗濯ばさみ(未使用)が「物の海」から発掘されまくった。 さらには大量の香水、多様なハンドクリーム、離婚した私の父のレコードが2-3kg分。 おもひでぽろぽろぉお!! そう、彼女は片付けができなかったのである。 あるいはできなくなってしまったのである。 そういうわけで手も足も出ない状態になってしまって、自宅をあきらめることになったわけである。 さてぽ、親の特質は残念ながら子供に遺伝する、おそらく半々くらい。 かなりヤバい環境下で育ったこともあり、りなてぃーなは完全にお掃除下手っぴ星人になってしまった。 そのうえ、幼少期からキョロキョロが多く、目で情報を得ることが多かった。 気づいたらハサミや鍵などの位置を所定の場所から変えてしまって見つからないお〜泣みたいなことも多かった。 最近は少ないけど。 しっかり病院で検査したわけでもないし、この情報社会、「じぶんもそうなのかも!?」と思わせるようなコールドリーディング的な情報が多すぎるんじゃ… それに生まれ持った特性をアラサーになってから変えられるとも思えんのよな…。 なのでまあ、ラクに生きようぜ。 05/02 22:37 Rickrolled. わたしはアラサーなので、幼少期はテレビから流れる音楽を聴き、気に入ったものがあったらCD屋に行き、シングルやアルバムを買うというのが音楽購入のスタイルだった。 とはいえ貧乏だったので、年始に親戚からお年玉をもらった時か何かしか買ってなかったはずだが。 いずれにしても現在のように動画配信サイトや音楽配信サイトで音楽をサブスクライブする方式はなかった。 10代後半のほとんどうつ状態だったころに、深夜に洋楽ラジオ番組を聞いていた。 いいなと思う曲があったのは今でも覚えていて、1つは80年代のほろ苦いメロディのゴスペルだった。 かなり後にその曲が収録されていたアルバムごと中古購入したほど好きだった。 もう一曲は80年代のキャッチ―なメロディでなんか当時からなんか聞き覚えがあるけどタイトルを思い出せずにいままでいたという経緯がある。 さて、その後者の曲と面白い形で再会することになった。 その日がっくんが珍しく歌を口ずさんでいた。 がっくんは音楽に疎いので、ぜんぜん歌を知らない。 カーペンターズさえ知らない。 なので知り合いたての頃に私が歌って見せても「へ〜」くらいの感じだった。 そんな彼が歌うとはこりゃ珍しいと思って何の歌か尋ねたところ、 Rick Astley の Never Gonna Give You Up と教えてくれた。 顔と声がまあミスマッチ。 声だけ聴いたら30代の黒人かなと思うのだが、当時21歳のイングランド人だった。 21歳の華奢な体格のメンズから出る声じゃないよな… 「割といい曲じゃん!」と思ったのもつかの間、この声どこかで聞き覚えがあるな…思った私は早速この人物の名前でYouTube動画を漁る。 すると、ありました。 Together Forever - Rick Astley かつてラジオを聞いて「このふっとい声はきっと黒人が歌っているゲイ・ミュージックにちげえねえ」と思ったその曲です!!(失礼) がっくんから「どっちも純愛の曲やで」と突っ込みが入りました。 Go West 風の音楽だったので勘違いしておりましたサーセン。 ちなみにラジオで聞いてアルバムまで買ったゴスペルはこちら。 泣きたい夜におすすめのお供です。 When You Cry - The Winnans 年を食っちゃったのもあると思うんだけど、最近の曲って受け付けなくなっちゃって。 全部EDMとか電子音っぽくて、歌うのが楽しい曲って少なくなっている印象。 踊ったり、作り手側の目線ですごいなって思う音楽が増えたのかな…(ようわからんけど) 単純にテレビを見なくなったことが原因かもしれないが。 その点、80年代90年代はキャッチ―なくせに歌いやすくて、ヒットチャートに乗っかってても自分が知らない曲は新鮮に聞くことができてうれしい。 さらに2000年代初頭の曲は自分の世代だから多少クラブミュージックぽさあってもすんなり受け入れられる不思議。 そんなわけでm-floの懐メロおいておくね。 これはRick.Aとはまた違う驚きの声質をお持ちの黒人アイドルグループ 手足長い(うらやましい) Cool It Now - New Edition おなじグループのR&B純恋歌 調子がいい時/晴れの日はみんな好き、でも君(彼女)は困難の時/雨の日も一緒にいてくれる…?と問いかけてくる歌です。 Can You Stand The Rain- New Edition 05/01 23:14 もし並行世界があっても。 さてさて、文系環境で育ったりなてぃーなですが、がっくんの影響で量子論とか宇宙の不思議とかについて考えるこの頃。 仮説という名前のファンタジーなら、物理ファンでも立てられるから便利よな。 並行世界というのを聞いたことがあるだろうか。 シュタインズ・ゲートご覧になった人なら、「世界線」という言葉で聞いたことがある、その概念である。 なんかヒゲ男爵的なバンドが世界線という言葉を歌詞に盛り込んでいたがいつから標準語に仲間入りしたんだろうと思ったぞい。 おそらく数字だらけの物理を現実世界に落とし込むと、デジタルな感じになるっぽい。 YES/NO 0/1 陰/陽… こんな感じに二進数というか、二元論というかになる模様。 そういう前提として、もし別の世界線が存在する場合、果たして何が違うのだろうか。 「ある選択肢を選んだか、選ばなかったか」である。 こう書くと意思がかかわってるように見えるけど、もっと簡単に言うと「そうか、そうじゃないか」かな。 YESとNOでしか区別できないからね、単純だよね。 ここまではSF好きな人ならなんとなく想像つくのだが、自称禁断の領域:量子力学をこの仮説に落とし込むともっと不思議なことが起こる。 ちなみにがっくんからの受け売りである。 量子力学にはシュレーディンガーのにゃんことか二重えろえろスリット実験とかがあるのだが、不明な点も多く、現在わかっている大大大前提だけお伝えする。 量子は性質上波でありかつ粒子であるが、観測すると、結果は粒子になってしまう 詳しくはゆーつーぶとか見てもらえるといいのだが、量子は性格とかそんなものが存在しない世界の産物のくせに、私たちが「見てる」のを知っているかのように振舞う、というのが不可解なのだ。 では上記の部分を並行世界を観測するときに使ってみるとこうなる。 「並行世界でありうるが、観測すると、結果は私たちのいる次元になってしまう」である。 意味わかんね〜〜。 って最初は思った。 この宇宙である可能性はある。でもほかの世界を観測しようとすると、途端に量子は恥ずかしがってほかの次元の観測結果を見せてくれないのである。 残るのは私たちが存在する世界だけ…。 不思議よな、ほんと。 あくまで現状分かっていることだけを無理やりSFにぶっこんだだけで、文字としてはこれぐらいが限度なのだ。 量子論の意味わからなさは甚だしいが、現在は理研とかが頑張って量子観測やってるみたいなので今後に期待する。 あでぃおす。 04/29 22:35 がっくんと私の共通点 タイトルから察するにのろけ話だろうと思う。 今日のブログについての終着点は明確に決めてないのだが、文字通り「もともとお互いに持っていた共通点」とついでに「だんだん似てきたところ」についても記録しておく。 1.勉強がまあまあ好き 超好きなわけではない。 お互いに勉強しても上には上がいることを知っており、また勉学が実を結ぶのは運や家柄であることを理解している。 そのため、自分が求める学習を好きなようにやっていくスタイルを貫いている。 がっくんはおにゅーなテクノロジーで世界が平和になり自分の欲求が満たせるならそれはとても良いことだと思っている。 なのでいつかはサイボーグになって宇宙を旅したいのだそうだ。(本当) かたやりなてぃーなは英語と日本語の勉強をゆる〜く続けている。 物理はまったくわからないが、虫や鳥のことを知るのは飽きがない。 こどものころはほんとに脳みそスポンジだったため、なんでも吸収しまくってたが、大人になって単純に記憶する作業はきついことを悟った。 でも自分たちのペースで学べる大人っていいよなとも思う。 2.お家騒動 若いころに苦労をした。 今も日本の人口の比率からすると若い部類なのだが、10代の多感な頃に私もがっくんも親の都合でいろいろな苦労を強いられた。 私は毎日のごはんを心配する日々だったし、がっくんは学校に行けずに働きながら勉強していた。 アラサーの二人が10代だったころにどんな世界情勢だったか考えていただけると、まあわかるかと思う。 そんな二人なので、お互いの苦労エピソードを聞くとそれぞれ違う面で大変だったんだなあとしみじみ感じることがおおい。 3.神はいないかもしれない 日本の神仏信仰は割と好き。 いわゆるゼウスみたいなオールマイティーな神様はいなくて、それぞれ分業してる日本のスタイルいいよね。 一方世界3大宗教のうち2つは一神教の神様を祀ってらっしゃる。 いつも思う、そんなもんいるわけなくね、と。 いろんな世界情勢をみて、こんなに残酷な人間を救うのか、その慢心はもはやおごりではないのかと思う。 神に選ばれるために人を殺す民族もいるし。(語弊) 私はそういう血みどろの戦争を誘発するスピリツアルな派閥を全く信じることができない。 かたやがっくんはいわゆるagnosticである。 観測できない存在はいるかどうか半信半疑ってところ。 科学かよ!って、まさしく彼は科学的見地で神の存在を確かめたいと思っているらしい。 4.友達が少ない がっくんは父ちゃんが ゆえにパリピにならざるを得なかったようだ。(嘘) パリピは言い過ぎだが、彼の環境とは裏腹に自認する性格は内向的なのだそうだ。 友達は確かに少なく、おそらく数える程度。 ではりなてぃーなはどうかというと、友達は一人もいない。 なんやかんや「元同僚」とか「かつてのクラスメイト」とかいってほとんど連絡を取らない。 ていうか人間より虫と戯れている方が楽しい…(闇) ふたりとも暇な時間は共有するようにしているので、友達が少ないのは悪くない。 さて、ここからは交際している間に二人が似てきた部分である。 5.らくに生きたい りなてぃーなは前回がっくんと距離を置いたとき以降、楽(および楽しい)な選択肢を選ぶことにしている。 某西野カナがあんなに苦しい恋の歌を歌っていた10年前、最近ではあいみょんとかがそういうのを歌っていたか。 恋とはそういうものだと割り切っていたが、実際苦しいのはつらい。 精神的にまいる。 なんなら自殺願望とかも出てくるため、「苦しい恋」を知らず知らずに望むことそのものが問題である。 それゆえ、よりを戻してからは二人がラク〜〜〜に過ごせるように生きることを第一にしている。 がっくんはもともとなんでも受け入れるYO★みたいな星の下に生まれた男なので、りなてぃーなのメンタルがそっちに寄って行った感じである。 6.「かわいい」「天才」と言いまくる ときにがっくんがアニメを見て覚えた日本語を嬉々として教えてくれる。 かばいい。彼女フィルターかかってる いつもいつもかわいいねェ〜と孫をかわいがる祖父母のように言いまくっているので、そろそろ自分が可愛いことに気づき始めている。 たまに冗談で「がっくんは、かわいいおんなのこになりたいもんねええええ」みたいなことをいってくる。かわいい 同様にりなてぃーなは自分のことを「私、天才なので」と米倉涼子みたいに豪語するのを楽しんでいる。 もちろん冗談なのだが、二人の間では褒め倒すのは自己肯定感を高める遊びの一つである。 こんな感じで実録バカップル24時は現在進行形で愛を育んでいるぞい。 LOVEに定型はないから、私たちの好きなように一緒に過ごせればいいなと思っている。 04/26 20:40 英語はバベルか 語学系のディスコードチャンネルに参加している。 英語を勉強している(ない)のだが、日本語のチャンネルにも我幅を利かすこと多少なりけり。 さて、私は実は軽めの日本語オタクである。 残念ながらオタク度合いを証明するための資格・免許は持ち合わせていないのだが、最近は日本語文法のぶあちい本を読んでいる。 そんな私なので、時に外国人で日本語を学習している人たちからの質問に答える時がある。 万人が参加できるチャンネルなので、当然皆が日本語を理解できるわけではない。 勉強しているとはいえほとんど勉強していない人、独学の人、学校で体系的に勉強している人、実は日本人(=ネイティブスピーカー)などレベルは様々だろう。 さらに彼らが目指すゴールも多様だ。 ぺらぺらになりたい人や、一時的に日本に住みたいひと、第2言語として学習しているひとや、日本にルーツがあるけど母語は外国語だから、もっと上達したい人などなど。 このように多面的な角度から学習者のニーズを確認すると、果てしない気持ちになる。 だからこそ、英語で話す日本語学習者も容認している。 ラッキーなことに、りなてぃーなは少々英語を理解できるため、「こういうこと聞きたいんすね、合ってますか?」という意思疎通を図りつつ、質問に答えることができる。 (ほんとはたまにめんどくさくて日本語で全部答えることがある) ただ考えるのは、雑談向きの「サーバー」というスタイルでは学習する人にとってはあまり利便性がないのかなということである。 過疎ってるチャットを見ると、ちゃんと勉強している人はここには来ないのではという憶測と、初心者が英語で「何から始めればいい?」って尋ねて終わるのが常だなとこのところ感じている。 そんなおり、わたくしは英語に関する質問を英語チャットルームに投げかけてみた。 「アクセントが正しい位置にないと変に聞こえるのか」である。 私の質問に正しく答えてくれたのは何とポルトガル語話者のブラジル人であった。 一人の英語話者は「英語にアクセントはない」と私の問いかけを一蹴してきたのだが、私はこういう「ネイティブスピーカーなのでよくわかりません」みたいなお門違いの人物が大嫌いである。 アクセントという言い方が悪かったのだろうとあとあと解釈できたことだけは幸いだった。 きちんとこの点については私の意図するところが何なのかを凡例を挙げていたが、そのおばかちゃんは私が書いた凡例を読みすらしていなかった模様。 おまえにはきいてねええええええ〜〜〜〜〜 そんな気分だった。 アタマに来たので日本語で文句を伝えたのだが、「にぽんごわかんないピョン(笑)」などとたわけたことを抜かしていたので「GGRKS」と往年のあおりを繰り出して終わった。 そこでハタと気づいた、日本語チャットで英語しゃべってもだれからも何も言われないが、英語チャットで日本語を使うと嘲笑されるという理不尽である(考えすぎ) いやしかし、結局これほど英語を使う人口が多いために、英語がバベル化してきて、英語使えるのが当たり前という世界の風潮は、正直難儀だと思う。 そして英語がぺあぺあでないといけないという日本人特有の強迫観念ももう少し考えなければいけないと感じる部分がある。 本当に本当にラッキーなことだが、日本人は日本語で義務教育課程全てを終えることができる。 おそらく植民地支配の歴史があるほかの国々の多くは、それがかなわない。 「英語が使えなきゃ仕事にありつけない」というのは、社会的にみるとただのシビアな国際社会化?グローバリゼーションの波なのかもしれないが、そのバベル化で土地に根付いた言語のあり方は急速に過激に変化していっているのではないか…そんなことを考えるりなてぃーなであった。 04/21 23:54 ほんとうにいた 前回の投稿で巨人をハリウッドメイクしたら「黒人の出演が少ない、キー!!」というヒステリックが発生するのではと書いたが、実際にそういう人物がいるのをちっくとっくで目撃して戦慄している。 当然日本人ではない。 (良くも悪くも日本人は人種関連の話題に疎いし、政治的ととらえている人が多いと思う) さて、その人物は実は別のアニメに関する数秒の投稿で炎上してしまった方のようだ。 それはつい最近アニメがスタートしたSPY×FAMILYにまつわるもの。 養子として迎え入れた5歳くらいの娘アーニャを養父ロイド・フォージャー(仮名)が抱っこして転倒するという演出なのだが、その人物はこれを「作り手がアーニャを性的に見せている」と文字入れしてちっくとっく投稿。 日本育ちの純日本人である私からして、「子供と親の戯れ」にしか見えなかった。 本件のことを教えてくれたアメリカ人がっくんも「性的には見えないね」と反対意見だった。 ウィル・スミスがクリス・ロックを平手打ちした件の時にいろいろ文化的背景について調べたが、議論は別として、アメリカでは異性を簡単に触るのは最近NGということが分かった。 保健医が軽々しく子供のけがを手当てすることもダメな州があるとかないとか。 5万歩譲って、養父と養子の娘という関係が明らかになっている視聴者の視点から抱っこよくないというならわかる。 結局二人は他人だしね。 だが主人公ロイドはスパイ活動のために「本物の親子に見えるように振舞う」必要があるのだ。 このような日本製アニメが視聴者のキャンセル(降板)活動によってラインナップから消えることがある…かもしれない。 まあ確かに日本製のアニメは無駄におっぺえでかいし、ストーリーに関係なく不自然な時はあるのでそのあたりは検閲して消せばいいんじゃねと思うのだが。 SPY×FAMILYはコメディ要素ありつつも舞台はシリアスなはずで、放映ラインナップから消えるのは惜しすぎる。 そういうわけでアニメファンたちからその人物は総スカンを食らったというわけである。 ちなみに、その人が「作り手がアーニャを性的に見せている」と感じた理由や根拠については触れられておらず、その後の炎上の際にも一切説明していない。 おまけに「放っておいてよ!」と議論はしないことを公言。 じゃあ動画消せばいいのにと思ったりなてぃーなであった。 で、何のアニメか作品か忘れたが、同じ方が「黒人キャストが少ない」とか「セクシュアルマイノリティーを出演させて」といった趣旨の発言をなさっている斜め上の現代っ子だったわけである。 そこなのか〜〜〜エンタメを見ているんじゃなくて、エンタメを通して文句を言ってるだけなのか〜〜となってしまった。そんなに不満なら自分で作るか、自分の意図を汲んで娯楽作品を作ってくれる企業に投資することだな。と思った。 そして文句言うやつの声が結局一番耳に入る。 世知辛い世の中だな、ほんとうに。 04/19 23:13 ← → |