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ずっとあなたが1番です
 ダイゴさんが負けた。ポケモンワールドチャンピオンシップスのマスターズエイトに名を連ねるダイゴさんが。マスターズトーナメント1回戦の第4試合、対戦相手はマサラタウンのサトシ。ダイゴさんが有利に見えた試合運びだったけど、最後のピカチュウのZ技『1000まんボルト』が決まって負けてしまった。負けたときのダイゴさんは、自分を負かせる若いトレーナーの台頭に清々しい顔をしていた。でも、スタジアムを去る刹那に瞳の輝きが消えたのを、ダイゴさんに1番近い観客席に座っていた私は見逃さなかった。

 ダイゴさんが泊まるホテル・ロンド・ロゼのワンベッドスイートルームで彼の帰りを待っていた。パノラマの窓から見えるシュートシティは、沈む夕陽の優しいオレンジ色に染まっている。ホウエン地方の大都市・カナズミシティよりも遥かに発展しているこのシュートシティの街並み。先ほどまでマスターズエイトたちが火花を散らしていたシュートスタジアムが、夕日のオレンジに溶けるような赤いライトが灯され始めた。

 カチャリ。部屋のロックが解除されてドアが開いた。ダイゴさんが帰ってきたのだ。

「おかえりなさい!」
「……ただいま」

 私は笑顔でダイゴさんを迎える。例えダイゴさんの表情が沈んでいても、自然と笑顔になってくれるように、思いっきり笑う。そのおかげか、曇った顔で部屋に帰ってきたダイゴさんは、少し間を置いて笑ってくれた。それでも、どこか寂しげな、切ない眼差しは消えきらなかった。

「お疲れさまでした、ダイゴさん」
「あぁ……ありがとう」

 ダイゴさんが脱いだジャケットを当たり前のように受け取ってクローゼットのハンガーにかけた。その間にダイゴさんはアスコットタイをシュルッと解きながらベッドサイドに腰掛けた。シャツのボタンを1つ、2つと外して、バトルのときに見せていたスマートな姿勢とは真逆にルーズに座る。気怠げともリラックスとも捉えられる猫背、そして広げた脚。手を組んでシュートシティに沈んでいく夕日をじっと見つめている。

 私はシーツに横たわったタイもクローゼットに直した。いつもなら「ありがとう」と言ってくれるけど、今は物思いにふけたいようで視線も何も動かなかった。

 トレーナー人生を賭けて戦ったダイゴさんを労わりたいけど、なんて声をかければいいのかわからない。どう声をかければ正解なのか、その答えはきっと私がマスターズエイトに名を連ねる以上に難しい。それでもお疲れさまと労わりたくて、少しでも元気になってくれればと、ダイゴさんから少し離れた隣にそっと座った。

「……ダイゴさんもメタグロスも、ボスゴドラもユレイドルも、みんなカッコよかったです」

 「残念でしたね」とか「サトシは強かったですね」とか、バトルの勝敗に触れるようなことは言いたくなかった。だから、ダイゴさんとポケモンたちがカッコよかったことを素直に伝えた。慰めたいとか元気になってほしいとかでなく、本当にカッコよかったから。

「……うん、ありがとう」

 いつもは自信満々で余裕に構えているダイゴさんの憂いげな眼差しを見るのは、もしかしたら初めてかもしれない。スタジアムでは気丈に振る舞っていたけど、見えないところで悔しいと思っているのはトレーナーとしての当たり前の本能なのかもしれない。

 それからしばらく沈黙が続いた。今はきっと、さっきのバトルを反芻している。こうしておけばよかったかもしれない、とか、あのときの動きはよかった、とか、どこか勝敗のターニングポイントだったのか、とか。こうなれば私はもう何も話しかけられない。大舞台で負けてしまったトレーナーの悲しみは本人にしかわからないし、癒せない。

 それなら私は離れた方がいいだろうと、そっと立ち上がった。すると、ダイゴさんの閉じられた口が開いたのだ。

「……負けるとは思ってなかったんだけどね」
「ダイゴさん……」

 きっとバトルの振り返りが終わったのだろう。その結論がダイゴさんのセリフ通りなのだろう。確かに、メガメタグロスとピカチュウの最終バトルでは、流れは完全にダイゴさんにあった。

「今回はサトシくんに勝利の女神が微笑んだってことかな」
「それでも、ダイゴさんは強いです。誰がなんと言おうと、ダイゴさんが1番強いって私は信じています」

 この気持ちに嘘はない。私を助けてくれたあの大雨の日から、ダイゴさんが1番だとずっと信じている。ただポケモンバトルが強いだけじゃない。誰かを守る強さも優しさも持っている。自信に満ち溢れていても決して驕ることなく、敵にも味方にも敬意を払える心の強さも。

「……ありがとう」

 ダイゴさんは目を細めて、酷く優しいトーンでそう言って私を抱きしめた。でも、私を抱く力は、いつもよりも強かった。

「ダイゴさん。これから美味しいものを食べに行きましょう。いいお店を見つけてるんです」
「ふふっ、期待してもいいのかな?」
「はい! 任せてください!」

 1番強くて凄い人でも、人間だから堪えることはある。私はそんなダイゴさんの止まり木になりたい。そして、ダイゴさんが私を助けてくれたように、私もダイゴさんが雨模様のときは太陽のように元気づけたい。ダイゴさんの『1番』に、これからもずっと。
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