あの女を見つけだそうとして数分。意外とあっさり居所が掴めた。霊圧を解放し完全に戦闘体制に入っているのがありありと感じられる。一直線に迷いなく進んでいる様子をみると、闇雲に探し回っているのではなくきちんとした目的地を定めて移動しているようだ。しかしいつ情報を得たんだ?少なくとも俺があいつに会う前には虚の情報を持っていなかったはずだ。元々警邏隊がその情報を知っていたのなら俺たちにわざわざ接触する意味がない。やはりあいつらは、俺たちと居たさっきの間に何らかの方法で虚の情報を得たのだろう。しかし交戦した俺の部下から特徴などを聞き出そうとしたが、失敗した。口から出ない情報をどこから入手できると言うのだろう。あいつの斬魂刀の能力か……?斬った相手の情報を強制的に得る力なんて聞いたことないが、でも確かにそれなら辻褄が合う。しかしそんな非道な行いを本当にする必要が――あるとは思え、ない。やはり結局そこに行き着く。他人を犠牲にしてまでもそれは獲得せねばならぬことなのか。そしてやはり、常にそういう考えをもつ俺はあいつが言ったように《甘い》のか。


「本当にあいつは……」


でも思考に蓋はしない。考えろ。辛いことから逃げ出すな。俺の出来る最大限のことに精一杯尽くせ。都秋が昔……何事にも無気力な俺をみて叱ってくれただろうが。適当に済ませてきたつもりではなかった。でも人と関わり合うのも、任務で好成績を収めるのも、隊長職に就いているのも、本当のところ何もかも煩わしかった。新入りの、それも良いとこの貴族出の隊員が隊長に向かって口答えするとはとんでもないなんて考え。あるにはあったが、それも次の言葉でかき消される。

《貴方はもっとお強い方の筈です》

都秋は俺の可能性を信じてくれた。至上最年少で隊長へ就任し、他隊との関係も上手くいっていない俺に正論をぶつけ、正しい方へと導いてくれた。共に十番隊を活性化させようと、精力的に働いてくれた。あいつはあいつの出来る最大限のことをいつも全力で行ってくれた。だから俺も今しなければならないことを、全力で全うする。傷ついた部下が癒えるのを祈り、都秋の妹――都秋レイを追い、そして問う。他人の命を犠牲にまでして、それはするべき事なのかと。他に方法はなかったのかと。無駄なことだと、あの女には一蹴されるだけかもしれない。それでも俺は為さねば成らぬべき事を為す。




『あら、部下の治療はもう終えられたのですか。お早いことで』


真横に着いた俺を一瞥し、一言お決まりの嫌みを毒づいた。そしてすぐさま前を向く。ちらりと刑軍らがこちらの様子を伺っていたが、俺に殺気がないのを確認してか、出だしはしてこない。殺す気なんて元からない。俺だって不必要なことは省く。だがこいつらとは違う。任務だからといってあんな残忍な行いを平気でするほど落ちぶれてはいない。気付かれない程度に視線を少し下げる。あいつの斬魂刀はまだ柄に収められていた。しかし時がくれば一瞬の躊躇いもなく抜刀し、必要とあらば部下の命さえ犠牲にし、その手を血で染めるのだろう。こいつはそういう集団に身をおく、冷酷でとてつもなく怜悧な女だ。


「生憎、護廷にもお前らに引けを取らない優秀な隊員がいるんでな」
『あのまま……喚いて逃げ帰るのかと思いましたけど。何もできないただの役立たずではないようですね』
「思考を止めるなと昔、教わった」
『そうですか』
「お前の姉にだ。都秋レイ」


興味がない、と言ったように聞き耳を持たなかった。しかし俺は構わず、推論を述べてみる。情報を得た方法、斬魂刀の能力。その行為の必要性も含めて。あいつはその間ひたすら前を向いていた。元からこんな態度をとられる事くらい予想していた。きっと実姉だとしても、あいつにとって任務に益を齎さないものは全て興味がないことなのだろう。死人に益なしってな。会って数日だがそれを知るには十分だった。あいつはやはり顔色一つ変えやしなかった。罪のない人を傷つけても、魔性のように微笑む奴だ。昔話をしたって表情が変化するはずがない。期待していなかったから俺も大してあいつに気を留めていなかった。淡々と要点はしっかり押さえて、考えを述べただけ。話し終えたあとは虚の動向だけに意識を集中させた。だから気づくはずがなかった。いや、気づきたくなかったのかもしれない。優しい都秋の卑劣な妹。全てに関してこの姉妹は光と影に分かれて、光は死しても尚輝き、影は生を成されているが零落している。いや零落したのではなくもともと冷徹な性分だったのかもしれない。どちらにしろ区別したかった、別人だって。あいつとこの女は血が繋がっていようと、全くの別人だって。あの女に都秋のような太陽の温かさを求めるのは無意味なことだと。なにせ元から備えていないのだから。

しかし、姉の都秋の話をしている最中、あいつの無機質な瞳にわすがな色が――前に進むしかない、そんな苦渋の眼差しが滲み出ていたことを、この時はまだ認識していなかった。


「止まって下さい」


牽制の意を示すように、抜刀済みの部下が俺の前へ飛び出た。少し考え込むようにこいつも立ち止まる。俺も周りの気配に注視する。と、お帰り願います、という声が入ってきた。言わずもがな、発言者は都秋レイ。訝しげな目つきを送ると、以外にも返事が返ってきた。


『貴方の能力では足手纏いになるだけです。どうぞお帰りください』
「どういうことだ?」
『貴方の力を軽視しているわけではありません。ただ、今から戦う虚の能力には分が悪いので、引いて欲しいのです』
「具体的には?」
『精神を操ると言いますか……そうですね、人の五感すべてを意のままに操る能力、といったところでしょうか』


人を操る能力か。聞いたことねぇな……が、もし本当にそんな虚が存在するとすればかなり厄介だ。知らぬ間に操られるのか、もしくはそれさえも気づかぬうちに相手の意のままに動かされるのか。しかし俺とあいつも置かれている条件は違わない。俺の能力、つまり氷輪丸が効かないのは最もだが、はたしてあの女にはそれに対抗する能力があるのだろうか?部下に、それに対応した者がいるのか。しかし追いかけてきたときから心は決まっている。あいつの口からあの行為の意味を聞けないのなら、自分の目で確かめるだけ。俺は引く気なんぞさらさらない。自分の身一つくらい自分で守れる。氷輪丸を構え、残る意志を示す。


『貴方の身は保障しませんよ』
「構わん」
『では、せいぜい死なないように頑張って下さいね』


そう言いながら、先頭に位置している刑軍の一人が辺り一面をすっぽり覆うような大きい結界を張った。敵ともども閉じ込める形にするには何か理由があるらしい。結界を張っている奴一人を残して、他はくいっと指を動かして鬼道をまばらに打ち込んだ。あの女はもう既に一里ほど先を高速で移動している。テキパキと無駄なく指示に従う刑軍はそれから数分して、女の方に合流したようだ。しばらく俺は傍観に徹していた。下手に動いても無駄なことだと解っていたし、虚の能力が仮にあいつの言うとおりだとすれば極力周りの住民に被害を及ぼさないように努めるべきだ。女に離されないようある程度の距離を保ちながら周りの状況を調べる。と、そこへ馴染み深い幼なじみの声が微かに鼓膜を震わせた。日番谷くん、と雛森の声が聞こえる。まさか、嘘だろっ!振り返ると、そこには居るはずのない女が血を流して俺の名を呼んでいた。あいつが此処にいるはずない。居るはずがない……頭でがんがんと警鐘が鳴っている。辛うじてある理性が罠だと、近づいてはならないと諭す。しかし、とり憑かれたように体が引かれていく。


「雛森……」
「あたし急に入った任務で怪我しちゃって、伝令神機も壊れちゃったから救援も呼べなくて。あのね、向こうの方にあたしより酷い怪我した席官の子達がいて」
「……」
「それでそのうち一人がかなり重傷で、意識がないの。一応あたしの出来る範囲で処置はしたんだけど」


おかしい――おかしいと思う。藍染を敬愛している雛森が簡単にあいつの元を離れるはずがない。あいつはいつも藍染と一緒でなければ現世に積極的には向かわない。確かに副隊長だからといって任務を選別したり放棄することは無理だ。だから今ここに雛森が居て、負傷していたとしても絶対にあり得ないことではない。辻褄も合う。でも俺は、違和感がどうしても拭えない。決定的な何かを得られはしないが、やはりおかしい……。しかしこんなにも本人と瓜二つの女を造り上げることなんて可能なのか?仕草や表情、増してや霊圧までが酷似し過ぎている。雛森、なのか。虚、なのか。判断しあぐねる俺に雛森はキョトンと目を瞬かせた。本物なのかもしれない、いや、でも罠だとしたら?だけど本当だったら早く治療を行わなければならない。

なかなか動き出さない俺に、雛森がもう一度俺の名を呼んだ。心配そうに眉を寄せ、どうかしたの?と問う。明確な答えが出ぬままで、返事もどう返せばいいのかわからない。口篭ったまま、数秒たった。と、次の瞬間、俺の横数メートルに立っていた雛森の体が吹っ飛んだ。予期せぬ攻撃に受身を取り損ねた体は呆気なく地面に衝突する。


「雛森!!」


すぐさま氷輪丸を解放して、傍に寄る。切りかかった相手は見たことのない虚だった。厭らしく舌なめずりをして、訳の分からない言葉を発している。予想外のお出ましだが……これで決まりだ。もし雛森があの女の云う虚だとすれば、仲間である虚を攻撃したことになる。つまり雛森は本物で、離れたところに感じる霊圧もまがい物ではなくこいつの部下のもの。さっさと片付けて助けに行こう。伝令神機でまだ近くいる松本に応援を遣すように指示を出そうとした、そのとき、あり得ない方向から血飛沫が飛んできた。俺はまだ氷輪丸で何もしていない。向かい合う形で目の前にいる虚が、俺を、いや、俺の後ろを見て叫び声をあげた。振り返り、目を疑う。なんであの女がここに、うそだろ。なんでこいつの切っ先が雛森の胸から出てるんだ。なんでこいつは、雛森を、刺してるんだ……?

(シロちゃん、たすけてっ)

肩から胸元にかけて、真っ赤な華が咲いている。俺が事態を把握するのと同時に、刺していた刀をあいつは抜いた。勢いよく血が流れ出るのとは対照的に、雛森の身体はゆっくりとこちらへ倒れ込んだ。


『ご協力ありがとうございます。お陰様で随分面倒な手間が省けました』
「どういうことだ……」


苦しげに喘ぐ雛森を抱きながら冷静なろうと努めた。さっきの二の舞は踏みたくない。必死に頭で理解を促すように命令を出す。だけど霊圧が弱くなっていく幼なじみを腕の中にいる今、俺はやなり感情がコントロール出来ない。掴みかかってこの女をぐちゃぐちゃに引き裂いてやりたい。無惨に散っていた部下のためにも報いてやりたい。50年昔ならば地位も名誉捨てて自分の思うままに動いていたかもしれない。だけど俺はこの半世紀の間、都秋に出会ったことにより変わった。人の上に立つものは、自分の感情一つで責任を放ってはいけないことを学んだ。雛森は大事な家族だ。だが今ここでこいつを攻撃すれば、さっきの部下の件について砕蜂に問い詰める手立てを失ってしまう。それはだけは避けたい。命を落とした部下たちに申し分が立たない。不自由な身分になったと言えるかもしれない。だけど隊を背負うっていうのはそういうことだと思う。


『本当にその方はあなたの知っている人ですか』
「よく俺にそんな口が利けるな」
『きちんと確かめて下さいとお願いしているのです』
「雛森桃は俺の幼なじみだ。間違えるはずがない」


そうだ、間違える筈がない。ドクッドクと脈打っていた鼓動がだんだん弱まっていく。まずい……早く治療してやらないと、雛森の体力がもたねぇ。致命傷から若干ズレていたためまだ意識があるが、直に出血のせいでそれも繋ぎとめておくことが難しくなる。松本たちが来るまであとどれくらいだ?


『よく見て下さい』
「少し静かにし……」
『よく見ろ!』
「え?」
『よくこの人を見ろ、真実から目を逸らすな。あんたはいつも自分から知ろうとしない』


初めてこの女が声を荒らげた。怒鳴りつけるようにそう言ったあと、俺の髪を掴み、引っ張り上げる。ぼそりとなにかを呟いた後、頭に流し込まれた感覚が波のように押し寄せてきた。脳の中を濁流が駆けていき、混沌した世界が俺の中にあった。それが引き潮のように退いていったあと、再び声がした。

(もう一度よく見て)

誰の声か、はっきりと特定は出来ない。だけどあれは確か……都秋の、俺を貶すでもなく叱るでもなく諭すような声色に似ていたような気がした。
はっとして俺は言われるがままに、抱いていた雛森の顔を伺う。シロ、ちゃん?と俺の名を呼ぶ雛森は、いや、雛森だと信じていたものは、明らかに俺の知っている彼女ではなかった。それは俺の知っている幼なじみではなく、血にまみれた虚が最後の力を振り絞って、どうにか俺に一矢報いようと足掻いている姿だった。控えていたあいつの部下たちがもがき苦しむそれに留めを刺す。俺と対立していた虚はそれとほぼ同時に崩れ去った。おそらく本体は雛森に見せかけて、身体の一部を切り離し、自身を攻撃させたのだろう。断末魔がやけに虚しく辺りに響いた。茫然自失の状態はたった数秒だけだったと思う。しかし放心している場合ではないと叱咤したときには、綺麗さっぱり事は終結していた。周りのえぐれた地面をただし、被害報告を刑軍のやつらはまとめている。俺は何をするべきなのか考えつく頃にはもうあの女は俺の前でまた含み笑いをしていた。この事態に誰もが驚くことなく、当たり前のように処理していく。どうして俺はあんな虚を雛森だと思い込んだ?どうしてあれだけ警戒していたのに罠にかかった?どうして俺には雛森に見えてあいつらには虚に見える?あいつは俺になにをした、俺はあいつになにをされた?疑問は尽きることがない。精神を意のままに操ると説明した。普通ならば俺だけでなくあいつらもかかるだろう。だけど現実は違った。


「お前の斬魂刀の能力は、なんなんだ?」
『貴方は自分で考えずに、いつも他人に答えを求めるのですね』
「……」
『手掛かりならばいくらでも周りにあるでしょう。最年少隊長さんは名前だけなのですか。柔軟な発想力は養っておいて損はありませんよ』
「……」
『まぁ言われたところで自らの能力を明かすなんて愚かな行為、私たちはしませんがね』
「それは……」
『優しさをはき違えるな。あんたが今日とろうとした行動で、どれだけの被害を流魂街に及ぼすのか、しっかり考えろ』


そう言いながらあいつは刀を柄に収めた。戦闘終了の合図。次々に周りの奴も斬魂刀の解放をといた。正論だ。あいつのいう通り、俺はここ最近ずっと自分から答えを求めるくせに、欲するだけ欲しておいて、行き詰まれば最後は他人任せだった。都秋の最期だって然り。俺は約束を実行に移す準備を整えるのにでさえ20年もかかった。あの手の能力を持った虚を流魂街で野放しにしておくと、抵抗する手立てのない住民たちが餌食となるのは想像に難くない。武器を持った俺でさえもああやってあの女が攻撃しなければ、そのまま知らぬ中に傷を負っていただろう。倒れ込んでいた俺の部下たちの傷は不自然なくらい真正面から受けたものばかりだった。おそらく俺と同じように相手を親しき人物だと思い込み、油断した。見知った自分に命を狙われる事態が流魂街で広まれば、収束に向かうのにかなりの時間がかかる。それまでにどれほどの犠牲が出る?死者だけじゃない。治安もかなり荒れる。それを平定するまでにまた新たな犠牲者が出る。あいつらはそれが分かっていた。ここへ来る前から正確に事態を把握し、どれが最善の策なのか理解していた。即ちいかに早く虚を仕留め、いかに住民との接触を最小限に抑えるか。俺が気づかなかったことをあいつらはもう、俺の部下たちの傷跡を見た、あの時点で理解していた。だから、あの女は自分の能力かなにかで俺の部下から虚の情報を引き出した。死神一人の命と流魂街の住民多数の命。二つを天秤にかけてあいつは後者を選択した。最大多数の最大幸福を実行した。瀞霊廷を守護するものとして、その選択は正しんだろう。俺も本来は迷わずにそうしなければならない立場にある。しかし本当に俺はあいつと同じ道を選べるのか?今まで共に戦ってきた仲間を手にかけてまで、俺はあいつと同じ行動をとれるのか?


『貴方たち死神は仲間を犠牲にし、任務を遂行することを躊躇う。だがそのせいでまた他に晒されるはずのない命が危険に晒される』
「……」
『だけど人を守るのにはそれなりの覚悟がいる。時には汚れ役をも担う必要だってある』
「……」
『手を汚すのが嫌ならば、私たちを最低な集団だと嗤いながら辞めればいい』


俺たち死神が躊躇う仕事をこいつら刑軍は率先して行ってきた。古くからの慣わしだった上に隠密機動は元々そういった目的で作られた。当たり前といえば当たり前だ。しかし俺はその行動に疑問を感じ、軽蔑さえしていた。もっと良い方法があったはずだと。でも実際、俺はあの場面でそれに気づく力量さえ持ち合わせていなかった。自分一人ではきっと何も出来なかった。冷静に置かれている状況も理解せぬまま、ただただ、たじろぐだけ。あの女はわざと、虚を一撃で仕留めず、俺に気づかせようと急所をはずした。俺は何も判っていなかった。俺は、何も理解していなかった。


『貴方には覚悟が足りない。何もかも中途半端だ』


報告書はこちらで提出しておきますので。今日はご協力どうもありがとうございました。貴方が泳いでくださったお陰でとても簡単に虚を捉えることができました。それでは。いつもの声色に戻すと、あいつは当たり障りのないごく普通の挨拶をし、また一瞬で姿を消した。覚悟が足りない――。あいつにはあって俺にはないもの。決定的な差。仲間の命を預かるものとしての覚悟。俺には欠けていて、あいつに備わっているもの。あいつは任務のためならば命を厭わない覚悟があった。俺にはない。それでもやはり後悔の念が消えない俺はきっと、とことん甘い奴なんだな。


「すまない」


誰に対しての謝罪か自分でもよく分からなかった。ただこの状況に立たされて、自分の甘さが浮き彫りになって、だけど正しいとされる道を選ぶ勇気も決断も出来なくて。正論を示されたのに呑み込めない状態に陥った俺は気づくと、誰かに謝っていた。それで請おうとしているのなら至極浅ましいことだ。あいつに笑われても仕方がない。俺には、覚悟が……てんで足りない。





「隊長!ちょうど良かったです。あの子、今、目が覚めたところなんですよ」


呼び出そうとした松本に再度連絡を送り、瀞霊廷に戻った。後始末はすべて刑軍が片付けてくれたため、あそこには俺のすることは何も残っていなかった。向かうは勿論四番隊舎。覚悟が足りなくたって責任を放棄することは許されない。残りの部下の様態を知らなければならない。どうか、少しでも多くの命が救われていますように。そんな願いを胸に、俺より先に戻った松本の元へ足を運んだ。するとあいつは俺を視界に捉えるや否や、まくし立てるように俺をある病室へと押し込んだ。《あの子》が誰を指してのことなのか、候補が多過ぎて絞れない。右足が変な方向に折り曲がっていたあいつか、いや、腹に穴が開いていたあいつかもしれない。派遣した部下たちの顔が順々に浮かんでいく。ただ、俺はあの女に刺されたあの部下だけは、もう助からないと心のどこかで思っていた。あんなに深い傷を負ってボロボロだったんだ。その上、一番大切な頭に穴があいた。きっと……。だけど部屋へ足を踏み入れると、包帯で体を覆われているが、確かに自発呼吸をしている、あの部下がいた。俺に気づいたそいつは上半身を起こして日番谷隊長!と短く名を呼ぶ。


「お前……生きて」
「隊長のおかげです!あの時、俺が頭に傷を受けたとき、隊長がなにか特別な治療をして下さったんですよね」
「え?」
「目を覚ました後に四番隊の方が、誰かが適切な処置を施してくれたから助かったんだって教えてくれて」
「……」
「俺もうあの時絶対に死ぬんだな、って思ってたけど、こうやって気づいたら生きてて」
「……」
「隊長が助けてくれたんですよね。本当にありがとうございます。これでまだ親不孝者にならずに済みました」


なおも感謝の意を述べ、しまいには安堵の涙を流すそいつに俺は戸惑った。違う――俺は、何もしていない。俺は、ただその場に居合わせて茫然としていただけだ。俺は何も、ましてや適切な治療なんてしていない。助かって欲しいと願いながらも、どこか片隅ではもう無理だろうと殆ど諦めていた。感謝されるような事なんて全くしていない。微かに残っているかもしれない霊圧を駄目元で探ってみた。治療に携わった四番隊や松本の霊圧が大部分を占めているが……一番傷が深かった部分、つまり前脳のほんの数カ所に、何者かが手を施したような跡があった。多分これを見つけて四番隊の奴は俺だと勘違いをしたのだろう。だがこれは俺のものではない。では一体誰がこんなことを?あの時点でこいつに接触したのは俺と松本しかいない。その後、刑軍の奴らが去って、救援部隊が到着するまでの間に何者かがしてくれたのか。いや違う。それならば松本が俺に報告してるはずだ。ならば誰だ。脳なんて一番複雑な部位を本人や周りにも気づかれないような短時間で治療出来る奴は。まさか、あいつなのか?都秋レイなのか?


「日番谷隊長?どうか、しましたか?」


でもそれしか有り得ない。俺でも松本でも四番隊士でもなければ、残る可能性は都秋レイだけだ。斬魂刀を刺したあの刹那、確かに接触している。だが情報を引き出すために攻撃しておいて自分から治療する、という奇妙さはどう説明すればいい?しかも誰がやったか分からないくらいに霊圧を抑えて、あの一瞬のうちにそれを成し遂げなければならない明確な理由が刑軍のあいつにあるのか。刑軍ならばそんな面倒で霊圧を消費する行為は控えて、すぐさま任務に取りかかるべきだろう。では一体なぜ?







真実を知るにはそれなりの覚悟がいる。無知な俺に教えてくれたのは他でもないお前だ。


2011/06/22