少しの間お待ち下さい、と出されたお茶を俺は啜った。心なし浮ついた心に静寂を呼び込む。障子越しに感じる刑軍のやつらの霊圧に些か居心地が悪かったが、仕方ない。隠密機動にとって情報が外部に漏れることは死を意味する。力さえあれば刑軍に所属出来るわけではない。最近では個々での情報収集能力が必須条件だ。仲間内以外の者にはどんな些細な情報を漏らすことも許されない。それは護廷十三隊の隊長である俺とて例外ではない。


『お呼びでしょうか』


女にしては比較的低めの声が、耳に入ってきた。一瞬たりとも無駄のない、煌びやかな動作で、俺の前に現れた。流石は刑軍といったところか。洗礼された無駄のない動きだ。あいつの声と似ているなと少し感傷に浸っていると、その女は催促するように俺の目を見つめた。
人を待たせておいてその態度はなんだ。と、多少気分を害したのだが、今から説明する話の内容を考えればそれくらいのことは咎めない方が良いと思った。それに基本的に隠密機動は護廷とは全く別の部隊のため、俺はとやかく言う権限を持ち合わせてはいない。


『ご用件を手短にして頂けると有り難いです』
「……一応確認するがお前の名は都秋レイで間違いないな?」
『いえ。私の名はそのようなものでは御座いません。何かの間違いではないでしょうか』
「!?」


どういう、ことだ……。確かに俺は砕蜂から都秋の妹がいると聞いた。それもつい一週間前のことだ。砕蜂が俺に嘘の情報を流しても何のメリットもないのだから情報が間違っているとは考えにくい。つまり、この女が嘘を?何故?自分が都秋の妹だと知られるとマズいことでもあるのか?


「お前は十番隊三席を務めていた都秋リエの妹ではないのか」
『存じません』
「隊長格を舐めるなよ。お前の霊圧は俺の部下だった都秋のそれとよく似ている」
『何が言いたいのです?』
「偶然とは思えない。そう言ってる」


しばらく俺はこの厄介な女の赤色の瞳を見つめた。しっかりと俺のそれを見つめ返す淀みなさ。少し殺気が隠っているのは気のせいか。否。気のせいではない。思わず溜め息がでる。刑軍のやつらは自分の姉の上司にさえも信用出来ずに牙を剥くのか。自分の名を明かすことも許されない。つくづく面倒な世界だ。そしてそういう世界に身を置く女が都秋の妹だということを、この女の態度から改めて感じた。
どうして姉と同じように護廷隊に進まなかったのだろう。蜂砕に名を覚えられるくらいの力量の持ち主が、護廷入隊を不受理されるはずはないだろうに。二番隊の席を持っているわけでもない……わざわざ裏の世界を仕事場とする理由はなんだ?そこには明確な理由があるのか。


「俺は都秋の上司だ。お前の身元は割れている。隠しても無駄だ」
『……私に何の用です』


いっそう睨みがきつくなる反抗的なその態度。都秋とは真反対だ。本当にこいつは都秋の妹なのか?疑いたくなる。隠密機動という厳しい職がこの女を反抗的にしてるのか、元来このような性格なのかは現時点では分からないが、一筋縄ではいきそうにない。


「この報告書に目を通してくれ。お前の姉が最後に行った任務だ」


渋々俺の手から書類をひったくった。依然として、ふてぶてしい態度は崩さない。どうやら刑軍では礼儀については詳しく教わらないらしい。 姉の最後の任務だという言葉を聞いてなかったのか?若い都秋の《最後》と聞けば悪いイメージを想像するのが正常な死神の反応だぞ。

俺がこの女に持った第一印象は一向に悪くなるばかりだった。


『それで、この任務がどうかしたのですか?』
「どうかってお前の姉は!」
『あぁ……そういや一番下に殉職したって記されてますね。でもそれが何か?』
「お前の姉は亡くなったんだぞ?なんとも思わないのか!?」


飄々とした口調でそう発言するこの女に、さすがの俺も頭にきた。我慢の限界だ。抑えていた霊圧をわずかに解放した。隊長格でないと耐えにくいはず。だが声を張り上げる俺とは違い、こいつはさっきと同じ口調で同じ言葉をまた繰り返した。態度を改めるどころか逆に俺の霊圧と同等かもしくはそれ以上の霊圧を俺に当ててくる。

チッこいつ相当のやり手なのか。賢い、か。確かにそうかも知れないな。霊圧の扱い方を熟知してる。


『貴方は何も思わないのかと言いましたが、それは私に何を求めているのです?姉が死んで悲しい?寂しい?』
「そんなことを俺は求めていない」
『では私に姉が失敗した任務のお咎めを受けろと』
「失敗だと……?」
『違うのですか。結局調べた虚の巣の位置も間違っていたのでしょう。任務に就いた死神7人のうち死者1人、重症者5人、軽症者1人。とても成功したとは思えませんね』


報告書をぺらぺらと捲り、俺を挑発するかのように霊圧を下げた。これくらいの霊圧に耐えれないとでも?口には出してなかったが、口角を僅かに上げた様子から安易に読み取れる。確かに都秋の任務は成功したとは言い難い。だがそれはあくまで結果論に過ぎない。それまでの過程で、あいつは部下達に色んなことを残していった。生き残った6人のうち5人が現在、十番隊席官の地位についている。都秋の死は決して無駄ではなかった。絶対に。仲間の死を労わるどころか、毛ほどにも気にかけない。任務のための犠牲だと割り切るのが当たり前の隠密機動。ましてや無様な結果を残して逝った者には、名誉どころか汚名をかぶってしまう。
それでも、と願う。お前は都秋の妹だろう、と。あの優しかった都秋の家族なんだろう、と。俺に本当の家族はいない。だから家族愛なんてもの、なんとなくで明確なことは体験したことがないから分からない。それでも雛森やばあちゃんに何かあれば、俺はきっと心配するだろう。血を分けた姉妹に、絆というべき繋がりはあって当然のことだ。


「確かにこの報告書だけを見ればそう思っても仕方ないかもしれない。だけど都秋は部下達のためになるものを沢山残していった。それで充分だ」
『……』


癪に障る笑い声が聞こえた。真剣に、同意を求めるように、そう発した俺の言葉を、女は瞬時に否定した。ククっと肩を震わせ、笑いをこらえているようだったが、その行動が余計に俺の神経を逆撫でる。


「何がおかしい」
『……甘いんですね。護廷っていう組織は』
「どういう意味だ」
『そのままの意味です。任務で失敗した者を庇う発言が平気で行われていることに私は驚きますね。そんな奴らさっさと切り捨てればいいものの』
「それはお前の姉も当てはまるのか」
『当たり前でしょう。よくもこんな無様な結果を残したまま死ねたものです。あの人の鈍い神経には昔から驚かされていましたが、流石にここまでとは思いませんでしたよ』


そう思いませんかと付け足し、この女は意味ありげに笑みを浮かべた。姉の死を何とも思ってないどころか、貶すなんて最低な野郎だ。

(本当に俺はこいつに三席の席を?)

都秋に誓ったはずの約束が、ここへ来てぐらりと揺らぐ。想定外の反応に対処しきれていない。少し目を閉じて、心を落ち着かせる。まだだ。簡単に諦めるな。俺はあいつと約束したんだ。


『話はこれで終わりですか。それなら私は砕蜂軍団長の元に用があるので失礼します』
「待て」
『……まだ何か?』


不服な顔をしているが、これだけはハッキリさせないといけない。もしもこいつがその気持ちを持ち合わせていないのなら、俺は二度とこんな奴をうちの隊に入れようなどと思わない。だが――。もしもこんな女にでもその気があるのなら、俺がこいつの面倒を最後まで見る。都秋との約束を果たすまで、俺が責任をもって指導する。そしてちゃんとした死神になるように導いて、三席に指名してやる。


「お前は、姉を……都秋のことを好いていたか?」

しばしの沈黙。こんな野郎にでもやっぱり姉を慕う心が残っていたのか、と安堵の胸をなで下ろした――のもつかの間。そう期待をした俺はやはり甘いのか。


『いえ――大嫌いでしたよ。あの人のこと』
「!?」
絶句する冬獅郎とは裏腹に、レイは僅かに口元を緩めて言葉を紡いでいく。まるでその反応を愉しむかのように至福の笑みを浮かべながら。


『正直あんな人が姉だということが苦痛でしかなかったので、死んでくれて清々しましたよ』
「お前……っ!どれだけ根性腐ってやがる!!」
『勝手に自分の理想を押し付けないでくれますか』
「ッ」
『貴方が想像しているのは互いをいつも助け合うような仲の良い関係なのでしょうけど、生憎あの人と私の関係はそんな生易しいものではありませんから』
「……」
『はぁ。護廷隊も深刻な人手不足なんですね。あの人程度で三席になれるなんて。聞いて呆れる』
「――それ以上都秋を侮辱するな!」
『真実を述べたまでです』


シュっ!

その言葉を契機に鋭い刃がレイの頬を掠めた。部下を酷く腐された冬獅郎の瞳は怒りに満ちていた。「撤回しろ」刃先を向けたまま、ドスの利いた声で迫る。顔を伝う血を舐めとり、レイは妖艶な笑みを浮かべた。今度は「何を」とは、問い返さなかった。代わりに枷が外れたように遠慮せず、声をあげて笑う。
「ふざけるな!」
『アハハッ。ごめんなさい。貴方の置かれる状況を思うと笑わずにはいられなくって』
「俺の、状況だと?」
『ええ。どうして、あなたがこれほどまでにあの人に執着するのか分からなかったんですよ』
「……」


だって普通に考えておかしいでしょう?たかが三席が殉職したくらいで、護廷十三隊の隊長がそこまで固執するかしら。それも数週間前やそこらではない。20年も前の大昔。誰が考えたって違和感を感じるわ。厭らしく微笑んだレイの顔には揶揄が含まれていた。そして宝物を見つけた子供のようにあどけない表情で、述べる。


『異様な執着心が示すもの。それは――、』
「!」
『恋心。』
「何、言ってやがる」
『だから、好きなんでしょう?あの人のことが』


でも確かあの人には相思相愛の婚約者が居たはず。それも護廷にね。貴方は仕事で必ずその婚約者に会うはずだ。さぞかし切ないことでしょうね。鈍いあの人が貴方の気持ちに気づくなんてこと100%ないですし。その上、死に際に私なんかの面倒を頼んでいくなんてね。ま、恨むなら勝手に死んでいったあの人を恨んで下さい。

淡々と事実を述べるレイに、冬獅郎は自然と霊圧が上がっていった。その姿にレイは一笑したあと、密かに足に霊圧を貯めた。


『それともう一つ』
「ぐぁっ!」
『私の力を見くびらないで下さいね。あの人なんか私の足元にも及びませんから』


冬獅郎の拘束を瞬時に抜け出し、今度はレイが冬獅郎の首を捕った。捻り上げた腕がみしみしと音を立てる。もう少しで骨折寸前のところだ。が、流石刑軍。ぎりぎりのラインを保つ力加減をよく分かっている。その証拠に冬獅郎の腕は赤黒く変色するだけに止まっていた。激痛に顔を歪める。いつの間にか手元にあった刀は床に落ちていた。

(くっそ)

意識が朦朧としてきた。なんでこんな奴に……!そんな思いが頭を駆け巡る。副官の乱菊にはレイを見つけたことを知らせていない。それは、もう20年も前の約束を果たそうとしているリエを好きな自分を見られたくなかったため。


『せめて副官さんくらい、連れてくるべきでしたね』
「ぐッ!」
『――では、失礼します』


物音一つ立てず、風のごとくレイは去っていった。冬獅郎はそれを視界の端で確認し、ぐらりと足元から崩れ落ちた。上がった息を整えるうちに蘇る先ほどの言葉。

《好きなんでしょう?あの人が》


「くっそ……!」


俺が都秋を好きなこと、一瞬で見抜かれた。今までずっと人に知られてはいけないと思って仲の良い上司と部下を演じていたのに。恐らく松本などの一部の死神には気付かれていた。だがそれはもう何年も一緒に行動を共にしている仲間だからだ。仕方ない。なのに、あいつは初対面なのに。俺の気持ちを見抜いた――!悔しい。なんであんな奴なんかに、身内が死んだというのに顔色一つ変えやしない奴なんかに。それどころか《死んでくれて良かった》なんてぬかしやがるヤツに。正常な人間だとは思えない。ましてやあいつが都秋の妹だなんて……!

それにあの身のこなし。あれはちょっとやそっとで身に付くものではない。長年訓練に耐えた者のみが得られる成果だ。俺程度では到底かないそうにないな。恐らく砕蜂には及ばないものの、それに限りなく近い技術をあいつは持っている。


「二度とあんな女を部下にしようなんて思わねぇ」

都秋、いくらお前の妹だからってあんな女を部下にするのは御免だ。あの女の性格は刑軍にしか合わない。護廷には、要らない。何が一番許せないって、お前のことを悪く言うことがどうしても我慢出来なかった。今でも思い出すだけで、吐き気がする。

気づけば、親指の爪をきつく噛んでいた。とうの昔に直した筈のくせだったのだが。微量の唾液が付いた指を冬獅郎は忌々しく睨んだ。


「あの女、絶対に許さねぇぞ……」


俺がここに来た理由まで見抜いていた。全てあいつは分かっていた上で、俺の呼び出しに応じたというのか。有り得ない。だけどあの女なら遣りかねない。遠征に出て行っていたため、最近の内部状況に疎い筈なのに隊長格を手玉にとる洞察力を持ち合わせているのか。ほんとに賢い奴だ。そこは素直に認める。だが、死神としては認めない。絶対に――。あんな奴に、うちの三席を任せてたまるか。


「うッ」


ズキズキと右腕が痛む。早く霊圧を回復させねぇと……。少し血がにじみ出ている首をさすりながら、冬獅郎は唇を噛みしめた。










「あら隊長。お帰りなさ〜い!」
「……あぁ、松本か」

十番隊舎に戻れば、貴賓室の掃除を終えた松本に鉢合わせした。珍しい。この時間帯に仕事はしないにしろ、隊舎内にいるなんて。普段より幾分か機嫌が良さそうに見える。なにかあったのだろうか。それでも今の冬獅郎にそのことについて、気にかける余裕はなかった。


「くッ」


突然襲ってきた鋭い痛み。だんだんと痛みの間隔が短くなってきている。内部霊圧は帰る際にほぼ復活させておいた。だが、それだけでは完治しそうにない。外部から手を加えねぇと。チッ。四番隊に行けば色々と面倒な質問をされる。根掘り葉掘り聞かれても、答えられないことの方が大部分を占める。仕方ない。松本にでも手伝って貰うか。一応、口封じに菓子でもやれば大丈夫だろう。
「おい松本。少し頼みたいことがある」
「ん?何かあったんですか。隊長から頼み事なんて珍しい」
「ちょっとな。厄介な野郎に会ってきた」
「あれ、……隊長!その首の傷!!」


あいつに切られた首の傷を見て、松本は驚いたように寄ってきた。隊長がやすやすと首を捕られるなんて笑い話にもなりゃしねぇ。戦時特令が出ない限り斬魂刀の解放は許されないから、短刀を使うしかなかったとはいえ情けない。ギリギリ皮が切れるか切れないかの、すれすれの所であいつは刀を引いた。これ以上やると、目立ってしまうからだろう。隠密機動は任務に美しさも派手さも求めない。殺るときは速やかに地味に最小限度の力で。あそこで俺を殺す気がなくとも、血が舞うようなことになると、騒ぎになってしまう。俺に価値があるから引いたのではなく、隠密機動にそぐわない行為だからあいつは止めた。


「心配するな。少し切っただけだ。それより右腕の方を…」
「わ!隊長、ほんとに何して来たんですか!?折れかけてますよ!」
「それくらい見りゃわかる」
「はぁ」
「……悪いが、四番隊に厄介になりたくない。お前の治せる範囲でいい。治療してくれ」


松本がまだ真央霊術院に在学していた頃には、治癒能力が卒業の必須科目だった。だが、本来治癒能力を上手く活用出来るのはごく限られた死神だけ。戦闘能力は高いのに治癒能力が低いため、護廷に入隊出来ない者が多発し、雛森たちが院生の時に取り下げられた。俺は内部霊圧を回復されることしか出来ないが、松本は外部からの治癒も可能だ。多少荒っぽいが腕はすっかり元通りになった。


「すまねぇな。助かった」
「あ!そだ。隊長あたしとうとうこの前都秋の妹を見つけたんですよ」
「!?」


塩大福を頬張る松本の顔が急に真剣になった。待てよ。こいつ今――都秋の妹って言ったよな?松本の言葉をゆっくりと反復する。機嫌が良かったのはこれが理由か。


「聞くところによれば、刑軍の遠征でここ数十年瀞霊廷には居なかったらしいんですけど、最近やっと戻って来たみたいなんです!」
「そいつは……」
「ね!隊長、やっとあの子の妹が見つかったんです。早速勧誘しに行きま」
「松本」
「はい?」


みなまで言い終える前に冬獅郎は乱菊の声を遮った。勧誘?あんな最低な女を?無駄だ。止めとけ松本。あいつは俺やお前が説得したって素直に改心するような玉じゃない。万が一勧誘に成功したとしても、お前とは全くと言って良いほど折が合わないだろう。俺も含めて、だが。第一仲間を大切に出来ないヤツを仲間にする気はない。


「今後暫く俺の前でその話をすんじゃねぇ」
「えっ」
「分かったな?」
「……はい」


納得しないまま乱菊は口を噤んだ。冬獅郎の様子が普段と違う。それを僅かながら感じ取っていた。いつもは感情的にならない隊長なのに。何か在ったのかしら……。それに首や利き腕に傷を負うなんて普通じゃ有り得ないことよね?

(リエ……)

久しく耳にしなかった名前を呟いてみる。あんただったら、きっと苦もなく隊長の変化に気づいて手をさしのべられるのにね。あたしじゃ何年経っても役不足だわ。
一目でいいから、あの優しかったリエと血を分け合ったという子を確かめてみたい。自分の好きだった人の妹に会うって、やっぱり複雑よね。周りに気づかれないよう懸命に隠していた隊長の姿が思い浮かぶ。だけど――あたしはそんな隊長も尊敬していたわ。愛する人が幸せであることを希求し続ける。そんな恋も、切なくはあるけど、綺麗だなって。







初対面の悪印象も全て俺のために敢えてとってくれた行動だったことを、この時の俺が気づくはずもなかった。


2011/01/23