一言なのに長いのだから作文はなおさらだらだら、
そのてん手しごと感想お知らせはだいぶん短め。


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小生、密かにダンスなどというハイカラなるものを日課としているのであるが、当然ながら上級者のそれには遠く及ばず。それでもただ愉快なるがままに夜な夜な飛び跳ね暴れる時間に大変な重きを置いている。
が、ここ数日、とある曲目のある部分がいやにたやすくこなせてしまう。
これは習熟か、少なくとも細切れな修得と思って良いのだろうか。と、まずいぶかしむ。
何故なら、この私がうまくやれるはずが無いのである。
そうであったら生き方を変えなければならぬ程の一大事である。
気を落ち着けて、改めて動画を眺める。音楽を聴く。リズムとカウントを何となく確認する。
そして改めて踊る。
体幹が少しは鍛えられた成果とし、決して驕ることなかれと重々くどいほどに己に言い聞かせる、これを新たな日課に加えるとしよう。
それ以上に、明日、また下手になっているよう願ってやまない。

170318 0025
一言、ダンス


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配色やら、線の濃淡やら、リズム感とか、音感とか、演技の空気、そして文章の運びから言葉の選びまでをも含めて、それらはすべていわゆるセンスというものだとする。ならば、難しく考えていても先に進めはしないのではないだろうか。幾重にも重ね、ひたすら描き、繰り返し踊り、思うさま歌い、台詞を追い続け、ただただ綴り明かしていく。簡単に、そしてうまくできるかどうかは、この際、問題ではない。完成度がどんなに高くても、恐らく作り手は満足できずに次へと向かうから。その衝動の本質こそが、そう生まれついたものの感覚、つまりセンスでもあるとしたら、留まっている時間も地点もこの世のどこを探したって存在しないことになる。悲愴かもしれない。でも孤独ではない。そしてそれは一部の選ばれた、そして恵まれた人たちだけのものでもない様に最近は思う。

170316 0014
一言


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数ヶ月ぶりに連絡をとった友人がいつの間にやら生きる指針を変えたらしい。いわく、自分自身の否定してきた部分を受け入れて、他人の目を気にしなくなったら人間としての質は落ちたけどとても生きやすくなったと。
彼女にとって良いことなら、それはもう絶対に良いことであるに違いない。
私はといえば、その話を聞いてから色々と考えている。
「いい加減で不誠実で馬鹿で出来ないことばかりで、でもそういう自分を責めずに優しくしたい」
と彼女は言うが、もともと彼女は丁寧で誠実で聡明で私に出来ない沢山のことを出来る人である。
なのに自分を肯定できずにいたのなら、どんなにか苦しかったことだろう。
と思う反面、そこまで自分をけなしておきながらみなぎる自己肯定感。
いや、そんなあれこれをようやく肯定できたから自己肯定感があって当たり前なのか。
それにしても何だかどこかが腑に落ちない。
繰り返すが、彼女にとって良い状態ならそれが最善である。つべこべ言うことなどひとつもない。
けれど、何故か私自身に当てはめてみようとしても、どうにもうまく行かない。つまり、ほぼ共感できない。
その話を聞いて以来、私はきっと一生、自己肯定感を持つことはないだろうし、生きやすくなることもないのだろうなと漠然と感じている。
そしてそれで良い、あるいは、その方が良い、と選ぼうとしている。
でもそれもひとつの自己肯定のかたちになるのかなあ。と、どんどんややこしくなるこの巡りが好きなのだと、それだけはほぼ確実にわかる。
加えて、仮に、自己肯定、自己否定、どちらに落ち着いたとしても、自己批判は忘れずに携えていきたい。
その為には「頭が悪い自分を受け入れる」ということをそうおいそれとは、私はやれない。
そこは必死にあがくところだなあ、と、ひとりココア片手に誓いを新たにするのであった。
それにしても「ダメな自分を肯定したら楽になった」という言葉に適切に返すことの難しさときたら。
「そもそもダメじゃないじゃん」と言うと現状の彼女を否定することになるのか?「ほうほう、めでたい」だと彼女の本質をおとしめることになりそうだ。
よって無難に「そっかあ」で収めたが、過去のあなたも現在のあなたも、そして恐らく未来のあなたも、どうあったって私は基本的に肯定します、という気持ちは少しでも伝わっただろうか。何とも心もとない。

170314 0130
一言


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三月と言ったって冬らしい寒さはしばらくの間、残るだろう。現に今、私の布団の下では湯たんぽが忠臣の様にして私の入りを待ちわびている。
だけどやはり少し心おどる。同時に冬の時期にやり残したあれこれを数えて寂しくもなるが、それはもうどうにもこうにも致し方ない。次の冬に希望を持つか、もしかしたら春になっても夏になってもできることか、思いこみの枠を外してみる他ない。
さておき、春を迎える準備をどのあたりから始めようか。やはり衣類からかなあ。実は春になったら洋服のほとんどを捨てるつもりでいる。断捨離というほどのものでもなく、ただ、もう単純にお別れの時だと感じる。もはやコレクションと化しているパーカー類と、シャツが少しと、下は適当で適切な何着かがあれば充分。これでも多いかもしれないけど、そこはおいおい減らして行く。
そして洋服があった空間に和服を改めてきちんと置きたい。
昨年は浴衣ぐらいしか楽しむ余裕のなかった和服に、春、再会。
そして袴も普段着として取り入れたい。
そんな姿が溶けこむ日常を、整えたい。
着つけ教室、茶道、弓道も、願望や漠然とした計画に入っているけど、まずは手もと足もとの生活から。
焦らずやる。これこそ季節を問わず始められるのだから。でも、桜が咲く頃に一度は和服で散歩をしたいな。まずひとつ、これが今、現実に起こしたいこと。それを叶えるためにも、さて、寝よう。

170301 0252
一言、春支度。


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「神は人間が作ったものですから」
と断じられて返す言葉を失った。今月あたまのこと。
続き

170225 0541
一言


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