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  対峙する紅と蒼


人通りの絶えた裏道。傾く夕陽は既に半分以上が地平線の下に沈んでおり、辺りは足元からじわじわと這い寄る闇に飲み込まれていく。夕方から夜へ。変化は徐々に訪れるのに、街の印象は一瞬でガラリと変わる。
裏道の一画、石造りの建物の合間に一人の男が立っていた。背の高いその姿は真っ黒なローブに包まれており、腕には一人の少女を抱えていた。

「気を失ったか」

腕の中でぐったりと力無くもたれるライムを見下ろして、ヴォルデモートは満足げに口元を緩めた。

刻み込んだ印。所有の証。

かつて突然現れ、唐突に目の前から消えてしまった少女。手を伸ばしても掴めず、言葉は届かず、ただやり切れない不快な感情だけが胸の奥に堆積した、あの忌々しい過去。
だが今は、引き留める力も無く何も知らなかったあの頃の自分とは違う。ようやく見付けた少女はあの日と変わらない瞳で、戸惑いながらも真っ直ぐにこちらを睨みつけてきた。

────そう。求めていたのはこの瞳だ。

長く骨ばった指で血の気の無い白い頬を愛おしむように撫でる。反応は無く、苦しげな呼吸を繰り返すその額には汗が浮かんでいた。その弱々しげな様子に口元の笑みを深めると、ヴォルデモートは闇色のローブをばさりと翻して踵を返し、杖を構えた────その、瞬間。

「その子を放すのじゃ、トム」

静かな声が、その場を打った。

「……よもやこのような場所で会うとはな」

声は冷え切り目線は凍て付くような強さで声の主を射抜いた。
ヴォルデモートがゆっくりと振り返った視線の先で、瞳に静かな怒りを湛えたダンブルドアが真っ直ぐに見据えていた。その手に持った杖が、真っ直ぐにヴォルデモートに向けられている。いつ現れたのか、気付けなかった事にほんの少しだけ苛立つ。

「久しぶりじゃな、トム」

飄々とした声音とは裏腹なその態度に、ヴォルデモートは鼻を鳴らして笑った。

「これを狙っていたのか」
「……はてさて、何のことかのう?」
「相変わらず、喰えない奴だ」

苦々しげに吐き捨てると、ヴォルデモートは視線を鋭くした。

「────邪魔をする気か?」

一段と低まった声で詰問するヴォルデモートにも怯まず、ダンブルドアは答える。

「無論。おぬしにライムを渡す訳にはいかんのじゃ」
「餌にした割に良く言う」
「考え方の違いじゃな、トム。ワシはその子をそんな風に見た事は無いよ」
「口では何とでも言えるな」

ヴォルデモートは嘲笑すると、手にした杖でライムの輪郭をなぞった。

「これは、私のものだ」
「いや。ライムは誰のものでも無い」

ダンブルドアは静かに首を振ると、意識を失いぐったりしているライムを見てほんの少し目を細めた。

「お前がただ心から愛し、求めたのなら、ワシは何も言わなかっただろう。……だが、今のお前には渡せぬよ。その子を闇に堕とす訳にはいかんのじゃ」

ヴォルデモートはダンブルドアをギラギラと憎しみを込めて睨み付ける。声は地を這うように低く、瞳孔は蛇の如く細まり射抜く。

「貴様は何時でも私の邪魔をする」

学生時代も、卒業後も、今も。
こうして何度も目の前に立ちはだかり、行く道を阻むのはこの老爺だった。

あの時だって、そうだ。


****


────始めから、おかしいとは思っていた。

こんな時期に編入生だなんて。それも東洋人が、わざわざこの国に。
マグルの世界は大規模な戦争の真っ只中で、その情報は魔法界にいても嫌でも耳に入ってくる。魔法界の建物には大抵マグル避けや防御呪文が掛けられているから直接的な被害は無いものの、連日空襲やら何やら起これば気にしない訳にはいかない。マグルの世界と魔法界は全く異なるようでその実とても近い。気付いていないのはあちらだけで、魔法は人間のすぐ傍にある。魔法は世界中に溢れている。気付いていないのは、愚かなマグルだけだ。

ライム・モモカワは変わった人間だった。

だからあの夜、ライムが目の前で消えた時、驚きはしたけれど何処か納得している自分もいた。

「────ダンブルドア教授」

控えめなノックの後で、僅かに緊張を孕んだ声が部屋に響く。ダンブルドアが本のページを捲る手を止め誰何の声を上げると、「トム・リドルです」と明瞭な答えが返ってきた。予想外のその名前にダンブルドアは軽く目を見張ったが、すぐに落ち着いた声で入室を促し、手元の本を閉じる。開いたドアの向こうから現れたのはスリザリンの監督生だった。

「珍しいのう、トム。君が私の部屋を訪ねるなど。滅多に無い事じゃ」

ニコニコと笑いながらそう言うダンブルドアは何時になく機嫌が良さそうで、リドルを部屋に招き入れると杖を振って紅茶を用意し椅子を勧めた。

「失礼します」

僅かに俯いた顔を眺めの前髪が隠す。黒髪の隙間から垣間見えたその瞳は暗く、閉ざされた心からは何の感情も読み取れない。けれどそれはほんの一瞬の事で、すぐに白い指が髪を撫で付け表情が露になる。リドルはいつも通りの人の好い笑みを口元に浮かべて、礼儀正しく礼を述べてから座ると、机の向こう側のダンブルドアと向き合った。

「……して、トム。今日はどんな用事でここへ来たのかね?」
「お聞きしたい事があります」
「ほう、質問かね。何か授業でわからないところでも?」
「いいえ、教授。わかっているのでしょう。僕が今日、何を聞きにここへ来たのか」

纏う空気は真剣で、何処か張り詰めていた。ダンブルドアがまじまじと見つめると、リドルは真っ直ぐに視線を返した。
相変わらずリドルの目からは何を考えているのか見えてこない。

「彼女は────ライム・モモカワは、一体何処へ行ったのですか?」

名前を口にするのに、ほんの一拍間が空いた。リドルがこんな風に単刀直入にものを尋ねるなんて珍しい事だ。トム・リドルが教師に質問をしに行く目的は二つある。
一つは、単純にわからない事を聴くため。リドルは稀に見る優秀な生徒だったが、何もかも自力で理解できる程ホグワーツで習う魔術は簡単ではない。下級生ならまだしも、上級生が習う内容は複雑で難解なものも多い。だからこそO.W.L.試験の結果で篩にかけ、授業についていけるレベルの受講生を選別しているのだ。学年が上がれば、例えリドルといえど解決し難い疑問は出てくる。
もう一つは、質問を口実に教師と会話し、距離を縮めるため。大抵教師というものは、熱心な生徒に好感を持つ。成績が優秀な者は勿論目に留まりやすいが、そこに頻繁に質問しに行く熱心さが加われば更に気に入られ易くなる。

けれど今回はそのどちらにも当てはまらない。そもそもリドルはダンブルドアとの接触を極端に嫌う。表には微塵も出さないが、注意深く見守っていればわかる。そのリドルが、こうして自らダンブルドアの元へ来た。
それはつまり、リドルがどれだけ調べても何の手がかりも掴めなかったという事だ。

「ライムはご両親の仕事の都合で国外へ引っ越したよ。随分と急な事だったから、本人も残念に思っていたようだがね」
「それは表向きの理由でしょう。僕は本当の事を知りたいのです」
「本当の、とな?……君はこれを、嘘だと思うのかね?」

探るような目線を受け止めて、リドルはゆっくりとその重い口を開く。

「始めから、不自然だとは思っていました。マグルの世界では世界的な戦争の真っ最中で、国を移動する事は難しい状況にあります。特に彼女の出身国は。幾らマグルでは無いとは言え、そんな危険な時にわざわざ何度も引っ越しを繰り返すだなんて、おかしい」

不審な点を挙げたらキリが無い。魔法薬学の知識、ホグワーツに精通している態度。何より本人が言っていた「この時代の人間じゃない」という言葉。そこから導き出される答えはひとつ。

────欲しいのは確信だ。

「彼女は……ライム・モモカワは、何者なのですか」

凛とした声は部屋に良く響いた。暫しの沈黙の後、ダンブルドアはそっと答えを返した。

「彼女は普通の魔女だよ。その境遇が、少しばかり特殊なだけで」
「その、“特殊”なところが知りたいのです」
「……それを知って、どうするのかね」
「特にどう、という訳ではありませんが、あまりに急な事でしたから。……何か、連絡でも取れればと思いまして」

なめらかに淀みなく答えるリドルの表情は揺らがない。本音を明かすつもりが無いのだとわかって、ダンブルドアは答えを変えた。

「残念だが……彼女と連絡を取るのは難しいだろう。しばらくはあちこち移動すると言っていたからね。国内ならまだしも、あまり遠い場所で移動し続ける相手にはふくろうも追い付けまい」
「教授も彼女の行き先はご存知無いのですか?」
「ああ、そうだよ」

会話は平行線だった。互いに真実を話す気が無い事を察して、リドルは引いた。すうっと醒めた瞳で「そうですか」と答えると、取り繕うように微笑む。

「おかしな事を聞いてすみませんでした」

リドルが思いの外あっさりと引き下がった事に驚いたが、ダンブルドアは「いいや」と答えた。
リドルは最後まで出された紅茶には手を付けず、姿勢は正したまま席を立った。

「君はどうして、ライムを気にかける?」

立ち上がり、ドアへと向かうその背にダンブルドアは声をかけた。動きを止めたリドルが、訝しむように振り返る。

「それは今、答える必要のある問いでしょうか?」
「ああ。とても重要な事だよ、トム」

ダンブルドアの明るいブルーの目を、リドルはじっと真正面から見つめた。

「理由なんて、ありませんよ」

それは冷たい声だった。

「どう思って、何を目的にして、何に興味を持つか。何が正しく、何が間違っているのか」

「────それを、貴方が判断するというのですか」

それは傲慢ではないのかと言外に匂わせて、リドルは微笑した。それは彼にしては珍しい、嘲るような笑いだった。

「トム……」
「失礼します、ダンブルドア」

退室の礼を述べると、今度こそリドルは部屋を出た。一度も振り返ること無く去っていく背中を、閉まるドアを、ダンブルドアはいつまでも見ていた。


****


「────貴様の思惑に乗る気は無い」

いつだって飄々として、なのにその内には少しの油断も無い男。こんな歳になっても猶、目の前に立ちはだかり続ける。

「ここからライムを連れて逃げるのは、少し分が悪いと思うがの」

その言葉と共に背後に現れた複数の人の気配に、ヴォルデモートは笑った。

「数だけは多いな」

始めからヴォルデモートが現れる事を予測していたのだろう。その手際の良さには敵ながら関心する。一人でならこれを突破するのも容易いが、今は少々分が悪い。全くもって忌々しい老爺だ。

「……まあ、いい。時間ならまだある」

ライムの胸元、印を刻み付けた心臓の上を撫でてから、ヴォルデモートはダンブルドアへと視線を向けた。

「精々大事に仕舞っておくといい」

翳した杖の先から閃光が迸る。周囲の建物の壁にぶつかり砂埃が巻き上がり、視界は一瞬で覆われた。悲鳴と怒号。駆け寄る足音。視界が戻った後に、ヴォルデモートの姿は無かった。

「……ライム」


ただ一人、その場に残された少女だけが地面に横たわっていた。


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