2020/04/15 23:01

ユートピアちょっとだけ書き直してみた



Prologue

 彼の組分けは、少しばかり他の子たちよりも長いような気がした。少女は、大きな帽子を被って椅子に座ったまま微動だにしない少年を見つめながら、オレンジジュースに手を伸ばす。ピッチャーに指が振れる瞬間、ふと伸ばした手の進行方向を変えた。
「ねえシリウス」
 隣でむすっと頬杖をついているシリウスの肩を突く。
「なんだよレイシア」
 ぶつくさ文句を言いながらもこちらを向いてくれるあたり、彼は優しいなとレイシアは思う。数秒のやり取りの間にも黒髪の少年の組み分けが終わることはなく。
「弟くん、なんか組分け長くない?」
「知るか」
 ふん、と鼻を鳴らすシリウス。その視線は彼とよく似た黒髪の少年に向けられている。
「まあ、シリウスの時に比べたらまだまだだけどね」
 シリウスの向かいからジェームズがちゃかすようにそう言った時、組分け帽子が「スリザリン!」と叫んだ。シリウスは「やっぱりな」と嘲笑に似た表情を浮かべたが、レイシアはどうしてもその子が気になって仕方がなかった。
 一瞬だけ目があったような気がした。
 凪いだ水面を滑るような視線がグリフィンドールのテーブルを一瞥して、レイシアと目があった瞬間、彼はさっと顔を伏せた。
 不安そうな、寂しそうな。揺れる瞳に既視感を覚え、思い出したのは一年前の自分の姿だ。あの日のレイシアは、背筋も凍るような冷たい不安に背中をぐいぐいと押されてあの椅子に座った。
 そうして、語り掛けてきた帽子に、一生のお願いをしたのだ。
「シリウス」
「なんだよ、今日はやけにしつこいな」
「弟君の名前、なんだっけ?」
 あ?という柄の悪い返事と同じくして、レギュラスだよ、とリーマスが教えてくれた。
 ――レギュラス。レギュラス・ブラック。
 声に出さず口の中で転がした名前は、どこかで聞いた響きをしていた。

 心に引っ掛かっていたそれがストンと落ちたのは、しばらく時が経ってからのこと。授業が始まって数週間が過ぎ、図書館のお気に入りの席に着いた時のことだった。
 禁書の棚にほど近い奥にあるその場所は、小さめのテーブルと四脚の椅子があるのみ。レイシアが一年間通い続けてただの一人も先客を見たことがないその机の前に、小さな背中が見えた。
 分厚い本を傍らに積み上げた黒髪の少年。
 そのシリウスとよく似た髪質に、思わずレイシアは「あ!」と声を上げる。
 慌てて口を手で押さえたが、すでに遅い。彼はびくっと肩を跳ねあげた後、きょろきょろと辺りを見回した。それから、レイシアを見た。
「レギュラス君」
 とっさに名前を呼ぶと、彼は少しどころではなく驚いたようだった。この時初めて彼の名前を口にしたレイシアもまた、胸の内に芽生えた知らない感情に戸惑う。
 これは、なんだろう。
 自分と似ているかもしれないという僅かな期待、友人の弟だという彼へのお節介、それとも、入学早々ひとりぼっちでこんなところへ来た彼への同情か。
 数歩進んで、レギュラスのテーブルの横に立つ。
 訝し気に見上げてくる灰色の瞳を見て、ふと思い出した。
「……どちらさま、ですか」
 ああ、そうだ。
 獅子座を構成する星の中で、ひときわ輝く。全天を焼き焦がす彼の兄の名とは対照的な、淡い輝きのアルファ星の名前。
 彼は、レイシアが首に締める金と赤のネクタイを見て身を強張らせた。
 レイシアはできるだけ優しく聞こえるように、獅子の心臓、の名を持つ少年に自己紹介をした。
「私は、レイシア・クロフォードだよ」
 よろしくね、と続けた言葉への返答はない。

 こうしてレイシアは、寂しそうに瞳を揺らす小さな王さまと出会った。

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1.

 かつん、と羽ペンの先が机を叩く音にレギュラスはふと顔を上げた。先ほどまで左手の上でくるくると回していたペンがいつの間にやら手元を離れている。家に恥じない行動を、と眦を釣り上げる母親の姿が脳裏を霞め、とっさに辺りを見渡すも人気はない。
 ……馬鹿馬鹿しい。ペン回し如きで堕ちるような誇りなんて。
 きっと四年前の自分ならば、本気で不安になってきょろきょろと目を走らせただろう。たとえここが図書館の中でも人目に付きにくい、更に目くらましの魔法をかけたベールの中だとしても。なんだか少しだけ恥ずかしいような笑えるような気持ちになる。ごまかすように、投げ出されたままの羽ペンを素早く回収した。
 ふと、タタタタッという軽やかな足音が聞こえてくる。聞き間違いでも何でもなく、こちら側へと近づいてくるその音。図書館で聞こえてはならない類の足音だよな、とレギュラスが思っていると「こら! 図書館では走らない!」という司書の怒声が聞こえてきた。
 はあっ、とため息をついてレギュラスは顔を上げる。
 ふわふわとしたその音がだんだん近付いてきて、止まった。
 ひょっこりと、本棚の間から丸い頭が覗く。
「こんにちはレギュラス」
 レギュラスを認めて、柔らかく瞬くのは青い瞳。動きに合わせてふわりと肩口から零れる亜麻色の髪を無意識に追い、レギュラスは目を細めた。挨拶は返さずに、厭味を投げる。
「少しは学習したらどうですか」
「まあまあ」
 向かいの椅子を引いて腰かけた彼女の、赤と金色のネクタイを見つめる。ひとつ年上のグリフィンドール生。
「全く、レイシア・クロフォードはどうして時々図書館を走るのかしら」
 司書の呟きが不意に聞こえてきて、彼女は肩をすくめた。
「次からは気を付けまーす……」
 小さな声での宣言は、目くらましと耳塞ぎの呪文のもとに消えていく。レギュラスとレイシアのすぐ近くを通ったはずの司書は、視線をくれることもなく去っていった。
「レギュラスの呪文、完璧だね」
「当たり前のことを言わないでくれますか」
 レギュラスが初めて夜の時間を使って練習したのが、ほかでもない目くらましの呪文だ。当時のレギュラスには少しばかり背伸びした呪文だったが、今は空でも掛けられるぐらいに馴染んだものである。
「今日も勉強してるんだね」
 感心感心、とうなずく彼女の手元にあるのは、飾り文字でタイトルが書かれた本。教科書ではない手軽な厚さの本は、レイシアが持つと実物よりも大きく見える。
「またマグルの悲劇ですか?」
 ロミオとジュリエット。
 レギュラスが題名を読み上げると、レイシアはうなずく。
 ――こういうのって、自分が経験することってまずないじゃない? 現実にないからこそ読みたくなるものなの。
 悲劇なんて先輩に一番似合わないジャンルだ、と言ったある日のレギュラスに彼女はそう言った。兄や悪戯仕掛人とかいう馬鹿共と仲が良い、いつも賑やかなグリフィンドール生。見かけよりずっと賢くて、優秀だということも知ってる。クロフォード家は代々グリフィンドールの名家で、闇払いも多い。
「そう、悲劇。悲劇だよね、この物語は」
「僕は知りませんが」
「うん、そうだよね」
 ふふ、と口元を崩すレイシア。
「……なんですか」
「特に何でもないんだけど。レギュラスと“今日も”とか“また”とか言えるくらい長く一緒にいるんだなって思っただけ」
 それは。特に何でもなくはない、とレギュラスは思ったが、口にはしなかった。にこにこ、というよりはにやにやとこちらを見てくるレイシアから顔ごと視線を逸らす。
「そうですか」
「あー! なにそのどうでも良いって感じの返事!」
 いくら呪文で周りから隔絶されているとはいえ、曲がりなりにも図書館の席ではしゃげるのがこの人のすごいところだと思う。
「実際どうでもいいんで。というか、ちょっとは静かにできないんですか」
「い、一年生のころのレギュラスは可愛かったのに……」
 泣きまねをするレイシアをレギュラスは鼻で笑う。
「今も可愛い後輩じゃないですか」
「背はにょきにょき伸びるし、声も低くなるし……全然可愛くない!」
 その基準で十五歳の男子が可愛いというのはないだろう、とは言わずに「はいはい」とあしらう。
「レギュラスが冷たい……」
 うう、と机にレイシアが身を投げると、髪がふわりと広がる。自身の手元まで零れてきたそれを、レギュラスは爪の先で少しだけつついた。どうして、同じ人間の髪の毛なのに、こんなに柔らかく細く感じるのだろう。
「僕はいつもこんな感じです」
「そうだけど! そうだけどさ……」
「先輩にだけです」
 む、と頬を膨らませて彼女が怒ったら、そろそろ謝ってみようか。ほんの数秒先の未来を予想してレギュラスがかけた言葉に、レイシアはぴたりと口をつぐむ。
「……可愛くないの」
 不思議に思って顔を上げたレギュラスから目を逸らすようにして、レイシアはそれだけを呟く。
 レギュラスがホグワーツに入学して四年目の春が過ぎようとしていた。


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