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獄卒心理学上級編

リコリス病院。あの世の住人向けの病院である。館からそれなりに近いこともあり、特務室の獄卒も利用している。もちろんリコリス病院を利用させてもらう代わりに獄卒の薬師・抹本を派遣しており、持ちつ持たれつの関係にあるというわけだ。
そのため抹本は亡者の連行や捜索などといった任務にあたることは少なく、リコリス病院にいることが多い。体力が他の獄卒より劣っており、なおかつ研究が好きな抹本にとっては今の環境は幸せだった。

そんなわけで、抹本は今日も広い薬品庫で実験と思考を繰り返していた。毒々しい色の植物、ホルマリン漬けの生物、不気味な虫、色鮮やかな液体。それらが並ぶ実験室で一人黙々と作業する。
スポイトから一滴、目の前の試験管に垂らす。すると絵の具のように鮮やかすぎる赤い液体が一変し、透明に変わった。

「よし……できた……」

ふへへ。幼い顔に怪しい笑みが広がる。少し妙な笑い声も相まって傍から見ればかなり不気味に見えるだろうが、薬ができた瞬間の喜びに比べればどうでもいいことだ。

試験管に入った液体は一見何の変哲もないが、飲めば昏倒してしまう劇薬だ。ただどれほどの効果なのか分からないのでまた仲間たちに手伝ってもらうつもりである。獄卒は死なないし痛覚は鈍いので実験体にぴったりなのだ。しかし、抹本はそれなりの頻度で同僚の斬島たちを薬の実験台にしており、そのたびに斬島たちは一週間ほど眠れなかったり体が痺れたりと散々な目に遭っており、当然警戒されている。もちろん自分でも試しているのだが、やはりサンプルはあればあるほどいい。
何も言わず燻した食物に紛れさせて摂取させたこともあった。どうやって今度は飲ませようか。他人からすれば恐ろしいことを思案していると、薬品庫のドアがノックされた。たったそれだけなのに抹本の肩が跳ねる。

「抹本、いるか」

低く力強くまっすぐな声。谷裂だ。
今までノックはせず入ってきたのに何故だろう。返事をする前にふと気になった。いつの日か、ドアを開けた途端に化学反応で出た煙を吸って気絶したからだろうか。目覚めた後、扉に貼り紙でもしておけと散々怒鳴られた。

「あ、うん……どうぞ」
「入るぞ」

断りを入れて谷裂が薬品庫に足を踏み入れる。手には大きな茶封筒があった。谷裂は用もなく病院に来ない。肋角か災藤に頼まれて渡しに来たのだろうか。抹本の読み通り、谷裂が茶封筒を差し出してきた。

「肋角さんからお前にとのことだ」
「あ、ありがとう」
「……やけに上機嫌だな。何かいい成果は出たのか」
「うん! 即効性のある毒ができそうなんだ……」
「それでまた俺たちを実験台にするなよ」

釘を差す谷裂に、抹本は目を泳がせた。

「…………も、もちろん、だよ」
「まったく、貴様は……」

谷裂がため息をついて軽く睨みつける。言っても聞かないことは長い付き合いで分かっているのだろう。怒鳴ることはなくその話題をやめた。
そこでまた薬品庫のドアをノックされる。今度は誰だろう。

「すみません、抹本さん。いらしたら入っても構いませんか?」

美しいが、全てを拒絶するような冷たい声がドア越しから聞こえた。目に見えて谷裂の機嫌が悪くなっていくのが分かる。だが、どうせ谷裂はすでに中にいる。賀髪に気付かれず出ていく方法など、谷裂が透明にならない限り存在しない。抹本は諦めて返事をする。

「え、えっと……うん……どうぞ」
「失礼します」

丁寧に中に入ってきた賀髪は、いつもの賀髪と違った。
青白いが絹のような肌は大きな切り傷擦り傷があちこちにあり、包帯が巻かれている部分も多い。着替えてこなかったのか服もぼろぼろでところどころ破けている。とはいえ扇情的なものでは全くなかった。極めつけに左腕がない。普段と変わらず凛としているものの、その姿はあまりにも痛々しい。ここまでの深手を負うとは、一体どんな任務だったのか。

「ど……どうしたの?」
「思った以上に亡者が凶暴で少し手こずりました。先生にお願いしようとしたんですが、今日は患者さんが多いらしくすぐには見ていただけなくて……」

驚く抹本に対し、何てことないように賀髪は経緯を述べる。しかし、自慢の艶やかな髪も今は乱れ、輝きを失っているように見えた。

賀髪は谷裂を一瞥することなく話している。顔を合わせようものなら舌打ちから始まるような二人なのに。そんな余裕もないのだろう。谷裂の存在をないものとしているのかもしれないが。何故か谷裂の方も賀髪に声をかけなかった。

「俺より先生の方がいいと思うけど……急いでるの?」
「肋角さんが治るまで休めと言ってくださったのですが、早く治すに越したことはないので」
「わ、分かった」

数日前にちょうど傷を癒す薬を改良していた。自分やよく怪我をする平腹でも試したし、左腕の再生までは無理だが多少は賀髪の傷を治療できるはずだ。
その薬を取ろうとすると、

「ほぎゃ」

谷裂が抹本の手首を掴んだ。単に触れるよりもずっと力を込められている。重い金棒を軽々と持ち上げる谷裂の握力に、軽い悲鳴が上がる。

「な、何……?」
「その薬はちゃんと試したんだろうな」

静かで圧のある声だった。あまりにも静かなものだから、どんな感情がこもっているのか分からない。ただ、ここで否定したら抹本の手首が折れる気がした。

「う、うん。自分でも平腹でも試したし……ちゃ、ちゃんと治った、よ」
「……ならいい」

谷裂がゆっくり手首を離した。痛みはすぐには引かずじわじわと残っていた。谷裂の態度に戸惑いながら、抹本は薬が入った瓶を賀髪へ渡す。

「はい、これ……腕は無理だけど、他の傷は、今よりましにはなる、はず……だよ」
「ありがとうございます」

一瞬だけ、本当に一瞬だけ、賀髪は谷裂と視線を合わせた。やはり言葉は交わさない。それからすぐに受け取った薬を上品に、だが一気に飲んだ。すると絆創膏すら貼っていなかった擦り傷や切り傷が徐々に癒えていく。

「……抹本さん、助かりました。今度お礼します」
「ほ、本当……? じ、じゃあ、ちょっと手伝ってもらおうかな……」

賀髪は自分の髪をさらに美しくするためにシャンプーやトリートメント類を自作しているらしい。分野は違えど何か役立ってくれるかもしれない。賀髪は真面目で頭も回るし、助手のようなことをしてもおうか。実験台になってくれるのもいい。

「……危険な薬の実験台以外でお願いします」

そんな風にあれやこれやと考えていたら先読みされてしまった。動揺する抹本に、賀髪は軽くため息をついて背を向ける。

「私は館に戻ります。失礼しました」

扉が閉じてヒール音が遠ざかっていく。

抹本は谷裂をちらりと横目で見た。腕を組み、閉まったドアを見つめ続けている。紫の瞳に殺意や怒りはない。かといって、賀髪のことを案じているようにも見えなかった。それでも谷裂に声をかけるのが躊躇われる。
稀に賀髪が傷を負ってきたら「油断していたからだろう」とか「そんな無駄に髪にかまけて怠けているからだ」なんて目を吊り上げている。そんな谷裂が。何も言わずに。
賀髪だって谷裂が抹本を止めたとき何も反応しなかった。礼を述べるでもなくやめさせるでもなく。ぴんと背筋を伸ばして前だけを見ていた。
二人ともお互いを嫌いなのは本当だろう。それでも、二人の間にあるのは憎しみや嫌悪だけではない気がした。

抹本は心理学者でもなければカウンセラーでもない。災藤やリコリス病院の婦長である水銀の仲だって難しいのだから、もっと単純で複雑そうな二人のことなど解明できる気もしない。だから奇妙に思うだけだ。

「俺も戻る。薬師だからといえ体は動かしておけよ」
「あ……うん。あ、ありがとう」

ようやく出て行った谷裂を見送る。再び一人になった抹本は研究に戻ることにした。さっきの二人の空気に、少しだけ胸に不思議な違和感を覚えながら。



休日。
怪我を治したら実験を手伝ってほしい。その約束通り賀髪が実験室にやって来た。薬品を扱うせいか、休日なのにいつもの洒落た服装ではなく白いワイシャツと黒いズボンのシンプルな恰好だった。しかも驚くことに、長すぎる髪を結っている。耳の前で垂らしている一房ですら上でひとつにして結いあげていた。艷麗さはいつも通りだが、またがらりと雰囲気が変わっている。

「か、賀髪って、髪、結ぶんだね……」

たとえ谷裂に何と言われようと「痛むから」と頑なに結わないのに。結った姿を見たことがないので、絶対にしないものだと思っていた。

「薬に髪の毛なんて入ったら困るでしょう。それに危険な薬物が飛び散るかもしれませんし。それなら結ってできる痛みの方が遥かにマシです」
「ほあ……なるほど」

賀髪らしく真面目でかつ損得も考えてのことらしい。それなら納得もいく。
軽く肩をすくめて賀髪は机に並べられたものを見回した。ビーカー、試験管、スポイト、薬草、角、粉など様々なものが乱雑に置かれている。

「それで、今日は何をするんですか? 鬼でも一瞬で身を溶かせてそのまま死に至らしめることができる毒とかなら喜んでお手伝いしますが」
「あ、あの……今日は、そ、そういうのは作らないから……」
「そうですか」

返事は淡々としていたが、整った顔はあからさまに落胆し、やる気をなくしていた。もしできたら用途は明らかである。

しかし、そういった毒はそもそも考えたことすらなかった。いくら抹本が痺れ薬や混乱・幻覚を催す薬を作っても、「殺意」から作ったものではなく、単純に「作れるのかどうか」の好奇心のみだ。別の観点から生まれる発想は刺激になる。賀髪を呼んでよかったと喜ぶと同時に、万が一成功しても賀髪には決して渡さないよう心に誓う。

また思考の海に落ちそうになってしまった。首を左右に振って現実へと戻る。

「えっと、その、鎮静剤を……作ろうと、お、思って。あ、で、でも、鎮静剤っていっぱいあって……今日作るのはいわゆる麻酔、かな。手術用にいっぱい使うんだけど、改良できたらいいなって。それで、賀髪には何と何を混ぜたらどうなったかとか、結果をまとめてほしくて……い、いいかな?」
「分かりました。そういう薬物には詳しくありませんから、妥当な役割かと」
「でも……その、賀髪はシャンプーとか作ってるんだよね?」
「さすがに先生の血とかマンドラゴラなんて危険すぎるものは使っていませんよ。あくまで人間でも使用できるものを自分なりに研究しているだけですから」
「そうなの……? そんなに綺麗なのに」
「整髪剤なんかの成分を見ていろいろ試しているだけですよ」

改めて賀髪の髪を観察する。
銀の髪は痛みなど知らぬようにまっすぐで、この世の光をすべて吸収しているかのように艶やかだ。よく晴れた空の下だと太陽が反射して眩しいほど輝いている。たとえ闇の中でもほんの少し光があれば光ることができそうだった。

「それとひとつお聞きしたいんですが、何で試すんですか? 今までの事例から実験用の動物なんて持ってるとは思えないんですが」
「え、えっと……」
「斬島さんたちならまあ構いませんから、試すならそのあたりにしてくださいね。……ああ、私の仕事が増えるのは嫌なので、次の日に支障が出ない程度に」
「う、うん」

先回りされた。
こればかりは試さないと分からないが、強力なものができる可能性はゼロではない。どう続けようか迷っていると、賀髪が言う。

「全員やられて任務が回らないなんて馬鹿げてますから」
「う、うん……き、気を付けるよ……」

言葉遣いこそ丁寧なものの口調は厳しく圧があった。
抹本が館の獄卒たちを実験台にして不能状態にしたのは一度や二度ではない。賀髪は上手いこと回避しているが、その分お鉢が回ってくる。抹本は斬島たちに比べ幾分か柔らかく対応されているものの、賀髪以外全員が倒れたときばかりは静かながらも激しい怒りで押し潰されそうだった。
さすがに獄卒が自分のみという事態を避けたかったのか、妖すら殺してしまいそうな目で睨まれながら釘を刺されただけで済んだのだが。

ちなみに平腹が賀髪のお気に入りのティーカップを割ったときは五臓六腑が飛び散った。本当に糸で切り刻まれたり鋏で抉られたりしなかったのが奇跡である。
そのことを思い出し、抹本は体を丸めて小さく返事をした後、

「全員じゃなくて、な、何人かだけにしておくね」

そう付け加えた。賀髪の柳眉が歪む。何か言いたげな視線が送られたが、すぐに元の涼やかな顔つきに戻った。

それからしばらく薬草や薬物の反応を試しては結果をまとめてもらうことを繰り返す。淡々と作業しつつ、分かりやすくまとめてくれるので助かる。たった一回体を治した礼で手伝ってもらっているのが申し訳ないくらいだ。

そんな中で賀髪を横目で見る。結われた髪が照明にあてられてきらりと光る。重力に逆らわず流れる髪は美しい。
髪を大事にする賀髪のことだ。今でも十分だろうがもっと綺麗にしたいと思うだろう。賀髪はさっき人間が使えるようなものしか使ってないと言っていたが、獄都にあるものを遣えばもっと綺麗になるのではないか。何故か賀髪は抹本にアドバイスを求めてきたことがない。確かに抹本が主に作るのは医療薬物、変新薬、などといった美容に全く関係ないものばかりだが。とはいえ、少しくらいは力になれるだろう。

「あの、賀髪……いいこと、お、思いついたんだけど」
「どんなに危険性がないと言い張っても私は貴方の作った整髪剤を使うのは嫌です」
「あう」

見透かされていた。めげずに抹本は身を乗り出して反論する。

「で、でも、この世にあるやつより、もも、もっと良くなるんじゃないかな」
「……実際に何を使うつもりなんですか?」
「たた、例えばね」

尋ねられてつらつら使用してみたいものを並べていく。口にするたびあれもこれもと出てきて止まらない。ただ、追加していくたび何故か賀髪の目が八寒地獄の雪女より冷たくなっていった。ついにため息が抹本の言葉を遮る。

「いえ、やっぱりいいです。そんなものを使って髪が変になるのが耐えられないので」
「自分だけで試すの……?」
「自分の整髪剤のために他の方に実験台になれなんて言えませんよ。それに一人ひとり髪質も違いますし」
「そ、そう……」

残念だ。美容は自分の専門外だが、薬物を作る楽しさは変わらない。それに試作する過程で何かに応用できるかもしれなかったのに。

「気持ちだけ受け取っておきます」

あからさまに肩を落としたせいか、硬い声音がほんの少しだけ柔らかかった。
それにしても、本当に賀髪の髪に対するこだわり、執着は並々ならぬものだ。他の女獄卒やキリカ、あやこの髪を結んだりあれやこれやと助言しているのを見たことがある。紅薔薇に髪を弄らせてほしいと言われたときも渋々といった具合だった。抹本には不明だが性差からくるものだろうか。

「賀髪って、なんでそんなに髪を大事にしているの……?」

ただの興味本位からくる問いだった。尋ねた途端、賀髪はゆっくりとこちらを向く。

「――髪は私の唯一の持ち物ですから」

そしてそう答えた。瞳には強い意志が宿っている。有無を言わさぬ口調はまっすぐだ。
抹本は首を傾げ、自分より数センチ高いだけの賀髪を見上げる。あまりにも真剣な表情で、持ち物がどういう意味か続けて質問できる余地はないさそうだった。

「勘違いされてると思いますけど、財布とかと一緒の意味合いではありません」

不思議に思っていれば賀髪が言う。さっきから考えが読まれている。
何にせよ、どうやら抹本には難しいことのようだ。谷裂と賀髪がいがみ合っていても普通に話すのが分からないように。先日の二人が理解できなかったように。

「賀髪は、ほ、本当に髪が大事なんだね……」

そう結論づけるだけに留める。それが最善の答えのように思うから。

「ええ。とても」

頷く賀髪の口元が一瞬緩んだ気がした。

――――そんなに大事な髪、谷裂に掴まれたらどうなるんだろう。

ふと思った。谷裂は賀髪に髪を切れと何度も言ってくるし、肉付きの良い体つきにも関わらず賀髪は大柄で屈強な谷裂に対し躊躇なく取っ組み合いを選んでいる。絶対長い髪は掴まれているはずだ。やはり激昂するのだろうか。実際に二人が喧嘩を始めると抹本は被害を受けないよう逃げるか隠れるので、見たことがないのだ。強い二人の喧嘩に巻き込まれたら確実に体の一部が切断されるか潰されてしまう。

しかし、分かったところで何にもならないし、ここで尋ねて賀髪の機嫌が急降下してもなだめられそうにもない。抹本は賢く実験を続けることにした。

ちなみに、答えは数日後分かった。

「やめてくれません!?」

リコリス病院からの帰り、館の扉を開けようとすると尖った声が扉越しに聞こえた。間違いなく賀髪だ。すぐに谷裂の怒号も続いて耳に入った。鼓膜に響いて痛みを感じるくらいだ。
いくら声を張り上げていようとあくまで張り詰めた氷のようだったのに、今は烈火のごとき声の荒げようだ。怒りが理性を超えたのだろう。いくら谷裂と戦い始めようとそうなったことはない。少なくとも抹本は知らなかった。賀髪の声がそんな風になったのは、ティーカップ事件と獄卒昏倒事件のときだけだ。

「また貴方が無遠慮に掴むせいで何本か抜けたでしょう!」
「髪なぞ抜けるし、どうせすぐに生えてくるだろうが!」
「抜けない髪なんてありませんけど、大事なものに触られて黙ってる馬鹿がいると思ってるんですか!?」

ああ、掴んだんだな。おそらく谷裂だろうが斬島だろうが同じように憤怒を露わにするはずだが。疑問の予想が当たった代償が恐怖である。いらない。これが斬島や木舌なら中に入って二人に事情を聞いていただろうが、残念ながら抹本に扉を開ける勇気(むぼう)は持ち合わせていない。

どうしようか迷っていると、

「抹本。何をしているの?」

優しく上品な声で話かけられた。振り返れば災藤が優美に微笑んでいる。その柔和さに抹本の強ばった体が元に戻り、顔は明るくなった。

「さ、災藤さん。お、お帰りなさい。えっと、その……」
「とっととその腕切り取らせてくれません!?」
「させるか! 先に貴様の頭を潰して話せないようにしてやる!」

説明する前に元凶たちの怒鳴り声が扉を通り抜けた。耳を押さえるほど強い音圧だったのだが、災藤は目を軽く開いただけだ。

「ほへえぇ……」
「ああ、なるほど。全く、仕方のない子たちだこと」

扉を開いた先には二人が額をぶつけ合って相手を射殺さんばかりに睨んでいた。谷裂は賀髪の細い首に手をかけ、賀髪は逞しい胸に鋭利な鋏を刺そうとしている。凄まじい威迫に存在を気付かれていないはずの抹本の体が震える。

「谷裂、賀髪」

そんな怒髪衝天の二人へ、柔らさに威厳を加えた声で話しかける。それでも耳障りのいい声は鼓膜に直接響いていく。谷裂と賀髪の気の立った目が元に戻った。二人はすぐさま離れ、何事もなかったかのように背筋を正して災藤へ向き直った。変わり身が速すぎてコントのようである。

「災藤さん、お帰りなさい」
「お疲れ様です」
「お前たちは元気だね。外まで二人の声が聞こえてきたよ」
「「……申し訳ありません」」

一字一句どころか答える間すら同じだった。普段ならすぐさま目を合わせて尖らせるのに何もしない。災藤に嫌味や皮肉は全くないものの、口調が穏やかすぎて不気味さや畏れすら感じる。

「やるのは結構だけど、場所も考えること。次は反省部屋に行ってもらうことになるかもしれないから、気をつけなさい」

反省部屋。ドアも窓もなく、本当に何もない部屋だ。抹本は実験で植物を生長させすぎて、谷裂と賀髪は口論が熱くなりすぎて屋敷を破壊したときに放り込まれたことがある。肉体的な苦痛はないものの、『無』にずっと居座れば精神的に堪える。時の流れに頓着の無い獄卒でも時間の感覚が壊れそうだった。人間ならば発狂していただろう。戻ってきてからしばらくは館ではなく病院の仕事だけに留めた。谷裂も賀髪に絡むことはなかったし、賀髪も谷裂に喧嘩は売らなかった。
もう一度入りたいと思える場所ではない。谷裂と賀髪は神妙な面持ちで頷いた。

「「……はい」」
「いい返事」

やはり重なった返事に目を細め、災藤は二人の間を通り階段を上る。執務室か自室に行くのだろう。

災藤が去り、重苦しい沈黙が降りかかる。谷裂と賀髪は視線すら交わすこともなく抹本に言葉をかけることもない。逃げそびれた抹本は険しい表情の二人を交互に見比べることしかできなかった。
張り詰めた空気に胃が痛くなる。耐えられなくなって目線を下に下げると、折れた銀の髪が視界に入った。広い手で乱暴に掴まれたからだろう。いつも重力に逆らわずすとんと落ちるまっすぐな髪なのに。それでも先日よりずっときらめきがある。谷裂が加減したとは思えないし、その理由は皆目見当がつかなかった。
首を傾げていれば、二人が背を向けて離れた。

賀髪の髪には不思議な力があるような気がする。本当にそうなら試してみたい。けれど、そう言ったら静かに断られるか、さっきのように苛烈に怒るのだろう。