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とけない瞳の魔物

抹本は谷裂や賀髪のことを、正直少し怖いと思っていた。冷徹な眼差し、自他共に対する厳しい態度。それだけなら全然構わない。一見冷たく見えるが、仲間には思いやってくれる。
ただし、二人が一緒なら話は別だ。顔が合えば罵詈雑言、ヒートアップすると屋敷の中でも戦い始めてしまう。斬島たちより身体能力の低い抹本にとって、二人が同じ空間にいると怯えてしまうのだった。


抹本は亡者の連行や捜索といった任務にあたることは少なく、リコリス病院にいることが多い。今日も広い薬品庫で研究を続けていた。毒々しい色の植物、ホルマリン漬けの生物、不気味な虫、色鮮やかな液体。それらが並ぶ実験室で一人黙々と作業する。

「よし……うまくいきそう」

少し幼い顔に似合わぬ怪しい笑みが広がる。さて次は、というところでノック音がした。

「抹本、いるか」

低く力強くまっすぐな声。谷裂だ。

「あ、うん。どうぞ」

「入るぞ」

断りを入れて谷裂が薬品庫に足を踏み入れる。手には大きな茶封筒があった。肋角か災藤に頼まれて渡しに来たのだろう。抹本の読み通り、谷裂が茶封筒を差し出してきた。

「肋角さんからお前にとのことだ」

「あ、ありがとう」

「……何かいい成果は出たのか」

「うん!即効性のある毒ができそうなんだ」

「それでまた俺たちを実験台にするなよ」

抹本はよく斬島たちを実験台にする。「死」という概念が薄く、体も丈夫で痛覚も人間よりは鈍い。そんな彼らは危ない実験にはぴったりなのである。釘を差す谷裂に、抹本は目を泳がせた。

「…………も、もちろんだよ」

「まったく、貴様は……」

谷裂がため息をついて軽く睨みつける。言っても聞かないことは長い付き合いで分かっているのだろう。怒鳴ることはなくその話題をやめた。そこでまた薬品庫のドアをノックされる。

「すみません、抹本さん。いらしたら入っても構いませんか?」

美しいが氷柱のような声がドア越しから聞こえた。目に見えて谷裂の機嫌が悪くなっていくのが分かった。だが、どうせ谷裂はすでに中にいる。賀髪に気付かれず出ていく方法など、谷裂が透明にならない限り存在しない。諦めて返事をする。

「え、えっと……うん……どうぞ」

「失礼します」

丁寧に中に入ってきた賀髪は、いつもの賀髪と違った。絹のような肌は大きな切り傷擦り傷があちこちにあり、包帯が巻かれている部分も多い。着替えてこなかったのか服もぼろぼろでところどころ破けている。とはいえ扇情的なものでは全くなかった。極めつけに左手がない。普段と変わらず凛としているものの、その姿はあまりにも痛々しい。ここまでの深手を負うとは、一体どんな任務だったのか。

「ど……どうしたの?」

「思った以上に亡者が凶暴で少し手こずりました。先生にお願いしようとしたんですが、今日は患者さんが多くてすぐには見ていただけなくて……」

驚く抹本に対し、何てことないように賀髪は経緯を述べる。しかし、自慢の艶やかな髪も今は乱れ、輝きを失っているように見えた。

賀髪は谷裂を一瞥することなく話している。顔を合わせようものなら舌打ちから始まるような二人なのに。そんな余裕もないのだろう。谷裂の存在をないものとしているのかもしれないが。

「俺より先生の方がいいと思うけど……急いでるの?」

「肋角さんが治るまで休めと言ってくださったのですが、早く治すに越したことはないので」

「わ、分かった」

数日前にちょうど傷を癒す薬を改良していた。自分やよく怪我をする平腹でも試したし、左手の再生までは無理だが多少は賀髪の傷を治療できるはずだ。
その薬を取ろうとすると、谷裂が抹本の手を掴んだ。

「な……何?」

「その薬はちゃんと試したんだろうな」

静かな声だった。あまりにも静かなものだから、どんな感情がこもっているのか分からない。ただ、ここで否定したら抹本の手首が折れる気がした。

「う、うん。自分でも平腹でも試したし、ちゃんと治ったよ」

「……ならいい」

谷裂が手首を離した。谷裂の態度に戸惑いながら抹本は薬が入った瓶を渡す。

「はい、これ……左手は無理だけど、他の傷は今よりましにはなるはずだから」

「ありがとうございます」

一瞬だけ、本当に一瞬だけ、賀髪は谷裂と視線を合わせた。やはり言葉を交わさない。すぐに受け取った薬を飲んだ。絆創膏すら貼っていなかった擦り傷や切り傷が徐々に癒えていく。

「……抹本さん、助かりました。今度お礼します」

「本当?じゃあ、ちょっと手伝ってもらおうかな」

賀髪は自分の髪をさらに美しくするためにシャンプーやトリートメント類を自作しているらしい。分野は違えど何か役立ってくれるかもしれない。賀髪は真面目で頭も回るし、助手のようなことをしてもおうか。実験台になってくれるのもいい。

「……危険な薬の実験台以外でお願いします」

そんな風にあれやこれやと考えていたら先読みされてしまった。動揺する抹本に、賀髪は軽くため息をついて背を向けた。

「では、失礼しました」

ヒール音が遠ざかる。


抹本は谷裂を横目で見た。腕を組み、ドアを見つめ続けている。紫の瞳に殺意や怒りはない。かといって、賀髪のことを案じているようにも見えなかった。それでも谷裂に声をかけるのが躊躇われる。

賀髪が傷を負ってきたら「油断していたからだろう」とか「そんな無駄に髪にかまけて怠けているからだ」なんて目を吊り上げている。そんな谷裂が。何も言わずに。

二人ともお互いを嫌いなのは本当だろう。それでも、二人の間にあるのは憎しみや嫌悪だけではない気がした。
抹本は心理学者でもなければカウンセラーでもない。解明できる気もしない。だから奇妙に思うだけだ。

「俺も行く。薬師だからといえ体は動かしておけよ」

「うん。ありがとう」

ようやく出て行った谷裂を見送り、抹本は研究に戻った。



「体と声だけ無駄に大きい人が何を言っているんですか?」

「貴様の無駄に長い髪と一緒にするな!」

「私の髪を馬鹿にするなと何度言ったら分かるんですか?ああ、鳥頭だから三歩歩いたら消えるんですね、すみません」

「賀髪、貴様ァ!」

数日後、屋敷に戻ると谷裂と賀髪がまた喧嘩をしていた。谷裂は剣幕がすごいし、賀髪も視線だけで人を殺せそうだ。
以前の抹本だったら怯えながら二人の横を通り過ぎて行っただろう。だが、不思議と一緒にいる二人を前ほど怖いと思わなくなっていた。

「その声帯を潰した方が早いということですね」

「やってみろ」

――――やっぱり怖いかも。抹本は頬に冷や汗が伝っていくのを感じるのだった。



抹本から見た二人の話です。
ぼろぼろになっても間抜けって思うけどそこまで重傷だと何だか不思議になる。自分がやったと仮定したら別に構わないのに。なんかそう考えると病んでるように思いますけど、病んでるとは違う……と思いたい。そもそも人間ではありませんし。
手がなくなってもすぐ回復するかは適当なので気にしないでいただけると……。
タイトルは解けない、溶けないでかけているつもりです。