任務から帰って肋角に報告する前に谷裂は冷えた水で喉を潤した。みっともない姿で報告に行くわけにはいかない。
一息ついていると不必要なほど髪の長い女が食堂に入ってきた。夏でも冷気を発してそうな女は、谷裂を視界に入れるなり整いすぎて逆に不気味な顔を思い切り歪ませて舌打ちした。
「生きてたんですか」
相変わらず失礼な女だ。谷裂も眉間に皺を寄せて罵倒に返す。
「貴様もな。暑さで頭がやられて死んだかと思っていたが」
「それは貴方でしょう。ああ、失礼、脳ですら筋肉になっている貴方のことですから、暑くてもあまり変わりませんでしたね」
能面が嘲りの表情に変わる。
「誰が」
他の奴なら睨みつけるだけで終わるものの、賀髪だとその安い挑発に乗ってしまう。ただでさえ暑いのに沸点が低い谷裂は苛立った。落ち着かせるためにまた氷水を一気に飲んだ。
そういえば。賀髪の地につくほどの長い髪が少し上にあった。量が多い髪に任務に支障が出ると感じることに変わりはないが、結った姿を見るのは初めてのような気もした。
今までももしかしたら夏になったら結っていたかもしれない。はっきりこの女を観察したことがないからだ。谷裂に会えば罵詈雑言を並べ立てて殺意を振りまくものだから、見るというより睨むと表現する方が正しかったのだ。
谷裂の視線に賀髪は凍える碧の瞳に疑念の色を乗せた。
「何ですか、気色悪い。何か憑いているわけでもないでしょう。不愉快なのでやめてください」
「髪を結ったのかと思っただけだろう、やかましい」
そう答えたら賀髪は釣り上がった目を丸くさせた。いつも澄ました顔どころか無感動な顔をしているのに、目の前の女にしては間抜けだ。初めて見た表情だった。それもすぐに元の人形の顔に戻る。
「貴方の目は目として機能していないガラス玉なので、気付かないと思っていました」
「何だと」
「でも、視認することはできるようですね。節穴であることに変わりありませんが」
「誰がだ」
「ここにいるのは私を除いたら一人だけでしょう」
夏の暑さなど微塵も感じさせない侮蔑の表情。しかし、それにはどこか別の感情も混じっているように思えた。
「肋角さんに報告するなら先に行ってください。そうしないと私貴方を刺してしまいそうなので」
理髪用の鋏をくるくる回す賀髪の目は手に持つ鋏よりも鋭い。どんな感情を持った目だったのか谷裂はすぐに忘れてしまった。傍に置いていた金棒を担ぐ。賀髪に向けぬように怒りを抑える。
「奇遇だな、俺もだ。もう行くから安心しろ」
鼻を鳴らして食堂を出る。執務室に向かう途中、谷裂は先ほどの賀髪の姿を一度思い浮かべた。
口から吐く毒のせいで色気など感じさせない女なのに、髪を結った賀髪は何故かひどく艶っぽく見えた。口には、決してしてやらないけれど。
彼が結ったことに気付いたのに彼女が嬉しかったのも、彼女が色っぽく見えたと彼が思えたのも、全部暑くて熱いせい、ということで。うなじはいいものですね。