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make your garden grow_11.Rest in




 淡い光がつくり出す丸い輪郭だけが、雲の向こうに見えていた。

 主従の関係を互いの体に教え込む一時を終え、ようやく訪れた安寧。
 必要最低限の治癒を施した後、自室に連れ込んだまま──というより、主人の寝台から下りることすら許されなかった部下は、既に規則正しい寝息を立てて眠っている。

 だから暗がりの室内には、穏やかな静寂だけが居座っているはずだった。

「くッ……ぁ、」

 辛うじて声音として響かせなかったかわりに、喘ぐようにこぼれ落ちた呼吸音は深く、荒い。
 いくら奥底まで酸素を入れても、苦痛を逃がすようにシーツを握りしめても、体が引き裂かれてしまうほどの痛みは過ぎ去ろうとしなかった。

 息を切らし、脂汗を浮かべ、頭を埋めて、のたうち回りたくなる体を抑えつける。
 四肢を断ち切り全身を焼かれるような苦痛。それは必ず訪れると覚悟していたにも関わらず、拷問を受けているかのごとく苛烈なものだった。

 ──身を貫く激痛の根幹は、胸部に隠された“核”にあった。

 剣の精霊としての体を構築する、最たる部分。人間で言うなら、心臓にあたる箇所。
 水龍との戦いでそこに直接的な損傷を受けなかったのは、不幸中の幸いと言えるだろう。だが、傷がなくとも膨大な魔力消費によるしわ寄せは全て痛みとなってこの核を脅かす。

 血が流れないかわりにこの体の治癒は自然再生に任せるか、もしくは一つの存在を掌握する程の力を持った者──つまり我が主でなければ不可能だった。
 故に、枯渇した魔力が戻って傷が癒えるまで、ワタシはこの痛みに耐え続けなければならない。

「…………、」

 額に手の甲を当て、今にも刈り取られそうな思考を落ち着かせる。
 長く息を吐き出しながら無造作に投げ出された視線は、傍らで眠る部下の元へたどり着いた。

 外傷はなかったものの、こいつも生死の淵を彷徨い生還したばかりだ。当分は目を覚まさないだろう。その方が今は都合が良かった。

 リシャナの足は回復兵が治癒を施すと動かせるまでに回復した。
 しかし、一度呪いに命を食われかけたのだ。体のどこかしらに後遺症が残る可能性は未だ捨てきれない。

 無論、リシャナ自身もそれは理解している。
 ──そしてそれを知りながら、治癒を終えた後のこいつは戦闘する上での不具合が残っていないことに安堵していたようだった。

「……狂ったやつ」

 目の前で晒された能天気な寝顔に、小さく語ってやる。他意はない、正直な感情だった。
 頬を軽く摘んでやると部下の眉間に皺が寄り、その様を眺めていれば嘲りを含んだ笑みが無意識にもこぼれた。

 少しだけ赤くなったリシャナの頬に手を添えながら、外の景色を見遣る。
 灰色の雪雲から解放された夜の景色は、不思議と透き通って目に映る。
 数日前まで室内に満ちていた冷たい空気は、もはや影すら残さず霧散していた。

 いつかぶりの、澄んだ静謐に包まれた夜だった。

「……ッく、は、」

 が、それも束の間。感傷に浸ることも許されず、再度襲った激痛に浅い吐息が落ちていく。
 庇うように胸を抱え、苦痛の波が過ぎ去るのをひたすらに待った。

 全身に刻まれた傷と魔力が完全に回復するまで、少なくない時間がかかってしまうのだろう。
 水龍から解放されたとは言え、女神の配下の手が再び封印の地に伸びる可能性は依然捨てきれない。
 そんな時に思うように体が動かせないのは何とも歯痒いものだった。──けれど、

「────」

 一度目に雪が降った時──否、これまでずっと。胸の奥底で自身を掻き立て続けていた焦燥感は、今は姿を消していた。

 眠る部下の頭へ片手を伸ばし、髪を撫で付ける。
 柔らかな感触と共に脳裏に過るのは、主人を真っ直ぐに映す瞳と、その唇が紡いだ言葉。

『──幸せになってほしいから願うんですよ』

 その声音が記憶の内で響けば、全身を苛んでいたはずの痛みがほんの少しだけ楽になる気がして。

 抱えた頭を引き寄せると、リシャナの額が自身の胸に当たった。
 仄かな温もりがそこから伝い、そのまま体ごと抱き締める。胸に顔を押し付けられた部下の苦しげな呻き声が聞こえたがそれは無視した。

 起こさないでやっているのだから、せめて本人が知らぬ間にでも主人に尽くしていればいい。──思い込みだったとしても、痛みがわずかに和らいでいることには変わりないのだから。

「…………」

 抱く温度には淡い実感が、確かにここに命が存在している感触がある。
 そしてこいつ自身がワタシを望み、ワタシだけのモノになったという感触。

 ──たとえそれが、あの方が復活されるまでの仮初の関係だったとしても。

「……それなら、」

 お前が、いつか。

 お前の未来を奪った主人を恨んだとしても。
 お前に強いられた運命を後悔したとしても。
 期限付きの、終わりにしか向かわない主従関係を呪ったとしても。

 ──俺はお前の願いを、忘れてやらない。

 口には出さず唇だけを重ねて、緩く瞼を下ろす。

 雪解けの夜。
 願いをかける『主従』は、ここに成った。


 ────……
 ──……


 やがて、二人分の寝息だけが静寂の室内に残った頃。

 それは、小さく紡がれた声音だった。
 どちらが紡いだ言葉なのか、誰に対する言葉なのか、声を紡いだ本人以外に知る者はいない。

 しかしその声音は、確かにこう言った。
 迷いなく、濁りなく、決然とした意志をたたえこう言った。



「──貴方のために生きて、貴方のために死ぬ」



make your garden grow
──fin.