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長編X-XX_■■Birth



「鎖は外したと言ったはずだ」

 ──互いに背を向け佇む二人の間に、一枚の黒い羽が落ちてきた。

 空を覆う雲は暗く淀み、じきに戦場を雨で濡らすだろう。距離の開いた二人の間を抜ける風は痛みを伴うほどに冷たい。

 告げられた声色は無機質で、無感情で、ただそれでいて深い深い安堵を覚える。
 突き放す意志を持つ純粋な悪意はまだ見える。指先で触れれば肌を裂いて、そのままタガが外れたように傷つけて傷つけて傷つけて、満ち足りぬ慟哭をあげて、今度こそ消えない爪痕を刻み付けられるだろう。

 それでも、その声から抱く安寧の方がずっとずっと深くて濃い。……笑ってしまうくらい皮肉な話だ。


 再び温度のない風が吹く。
 風に乗って、苦鳴と鋼を交える金属音が聞こえてくる。

 近づいて来ている。それぞれの終わりの時が。
 止まることも逃げることも許されやしない。もはや、互いの意志を伝える時間すら失われようとしている。

 ──否、そもそも言葉を交わす意味などないのかもしれない。
 歴然たる事実と運命に泰然として向き合う。ここに立つ者に許されているのはそれだけだ。


「わかっています」


 だから、返す声音に怯えはない。
 全部を知った。全部を受け入れた。
 そしてここに立ち刃を手に取ると決めた。

 それだけで良かった。それで終わりで良かった。

 ただ──願いの裏側にある、何とも浅はかに出来た見窄らしい欲が、たとえ拒絶にまみれていてもその声を脳に刻んでおきたいと訴えていた。

 最後だと思ったからだ。
 雨が降れば、きっと聞こえなくなってしまうから。


 異なる景色を映す双方の目は近づく終わりの時を静かに迎えようとしている。
 一見すれば、冷めた諦念と覚悟の色。
 しかしその奥底で、静謐に燃ゆる焔がある。

 生かされた存在だったとしても、生かされぬ存在だとしても、
 きっと互いに剣を握り続けるのだろう。

 まだどこかで──希望を見ようとするのだろう。


 戦場を風が撫でる。
 また一つ、視界の彼方で剣閃が光る。

 迫る刻限が無慈悲にも背を押して、結ばれていた唇は音もなく開かれる。
 湿った空気を抱く肺は軋むように鈍く痛む。
 それでも声音に感情を乗せることなく、告げる。


「生まれた理由なんて、最初から無かった」


 対する後ろ姿は揺るがない。互いが歩み寄ることはない。
 否定はなく、沈黙が示す肯定は受け入れる以外に為す術がない。


 もっともっと早く、抗うための反駁を口に出来たのなら、
 もっともっと強く、絶望を知らない道筋を辿れたなら、
 こんな結末を迎えずに済んだのだろうか。

 出会わなければ、互いに幸せだったのだろうか。


 後悔も絶望も尽きない。でも、もう嘘も吐かない。
 結局──告げる答えは変わらない。


 久遠の願いを叶えるために。

 大切な人の、助けになるために。


 一つ、分厚い雲が滴を落とす。