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長編4-10_詩島



 ──スカイロフトの周辺に浮かぶ小島は大小様々だ。

 名前がついているものやそうでないもの。資源に満ちた豊かな島と岩肌のみが広がる殺風景な島。スカイロフトと同じ空に浮かんでいながら、風当たりや日当たりによって島の生態系は少しずつ異なっている。
 未踏の地も数多く存在し、プロの鳥乗りや研究者たちにより少しずつ解明が進んでいるが、その全貌はほとんどが明らかにされていない。
 ただいずれにせよ、本島に比べ不便なことには変わりないため、そこに住むのは小動物とよっぽどの変わり者だけだ。

「……『詩島』はスカイロフトの人間もあまり知らない場所でした。私が知っていたのは……その場所でお仕事がある人と知り合いで」

 私のその迂遠な言い回しに主人が反応を示すことはなかった。
 タートナック一族の闘技場を抜け、草に呑まれた遺跡をひた歩き、主従は渓谷の深部へと導かれていく。
 長い間秘匿されていたからなのか、空気がひんやりと湿っていて、時折黴の匂いが鼻を掠める。闘技場の前に連なる廃墟群よりも陰鬱とした印象の残る地だ。
 苔むした地面で足を滑らせないよう注意を払いながら、私は足早に歩く主人の背中を追いかける。

「そこは気流の乱れがひどくて大きな雲──積乱雲がよく発生するので、プロの鳥乗りじゃないと行けない場所なんです。あるのは小さな聖堂と、大精霊と会うための小島がいくつか」

 蔦が絡む岩壁を横目にしながら、私は前を行く主人への説明を続ける。

『詩島』は大きさとしては中規模程度の島だそうだ。私は詩島どころかスカイロフト以外の小島に降り立ったことがないけれど、話に聞く限り、人が訪れない島は昔の建物の名残も多く見られるらしい。
 しかし、それらの島々がスカイロフトと共に天へ昇った理由は不明だ。てっきり私はスカイロフト本島と女神像の島以外の場所に重要な情報は隠されていないと思い込んでいたのだけれど、認識を改める必要がありそうだ。

「その大精霊は空の守り神として祀られていたみたいですけど……具体的にどんな役割を担っていたのかは教えてもらえませんでした。大人たちも知らなかったのかもしれないですけど」
「…………」

 相変わらず主人の反応はない。ただし無視をされているわけではなく、私の情報を頭に入れつつ思考を巡らせているのだということは何となくわかった。だから、私から彼の返答を促したりもしない。

 それから数十分。薄暗く湿った渓谷を抜け、そこで待ち構えていたものに二人動かし続けていた足を止めた。

「──ここ、ですね」

 眼前で待つのは、巨大な奈落。封印の地ほどではないけれど幅広く、深い穴が口を開けていた。
 穴の淵には半壊した遺跡の残骸が取り残されている。封印の地と同じ、もともとの景色から重要な一部分だけを切り取ったような光景だ。
 穴の中を覗くと内壁は蔦や草に覆われていて、虫や動物などの生き物の棲み処になっている様子が見て取れる。唯一封印の地と違うのは、底に立つ物は何もなく、伸び放題の草むらが広がっているだけだ。

「────」

 最後に、私は天上の雲海を見上げる。
 この真上。白い雲の壁を越えたその先に、積乱雲と詩島があるのだろう。

「……空にいる頃はあそこがどうして詩島なんて呼ばれ方をしているのか考えもしなかったですけど、女神が残した伝承があったからなんですね」
「……伝承、ね」

 ギラヒム様は私と同じく空を見上げ、短く呟く。
 次いで視線を大穴に戻し、穴の淵に建つ廃墟の残骸に向かって歩き始めた。

「毎回思うんですけど……封印の地と言い、ここと言い、なんで建物の半分を残すような形で分離させているんでしょうか」
「力の働かせ方が不器用なだけ、と言いたいところだけれど、大地と空、それぞれに手がかりを残すためだろうね。物理的手段に出るあたり、脳筋と言わざるを得ないけれど」
「なるほど……」

 主人のその見解が正しいとするならば、ここに残っている情報だけでも手掛かりになる可能性は高い。胸の内に淡い期待を抱きながら、私は彼の背中を追う。

 穴の淵に建つ廃墟はどれもが朽ちていて大半が自然と一体化していた。辛うじて建物の形を残しているのは数えられる程度だ。
 その中でも最も背の高い聖堂のような建物に、私と主人は言葉を交わさないまま足を進めた。

 自然の力によって壊されたのか、タートナックたちが荒らしたのか、聖堂には扉もなく、中は割れたガラスと砕けた木片が散乱していた。空気は埃っぽく、普段のギラヒム様ならば即座に機嫌を悪くするはずなのに、彼はそれらに構わず唇を結んだまま奥へ奥へと誘われていく。
 その視線の先にあるのは──聖堂の最奥に佇む女神像と、壁に刻まれた文字。

「神の言葉の、伝達……」

 それを見るのは少しだけ久しぶりだ。ギラヒム様──“翻訳”の役割を持った剣の精霊が見聞きすることが出来る、神の言葉。
 彼はその前で足を止め、無言のままそれらの文字に視線を走らせる。同時に呼吸をするのも憚られる静寂が訪れ、私は主人が唇を解く時をただひたすらに待った。

「──……、」

 やがて数分の沈黙は、彼が小さく吐息する音によって断ち切られる。

「……残念ながら、ここに残るのは伝承の片割れにすぎない。目新しい情報はないようだ。……予想はしていたけれどね」
「そう、なんですね……」

 淡々とした結論が告げられ、勝手に抱いていた期待が萎んでいく。やはり、そう都合よく女神側の情報が転がっていることはないらしい。
 大地の探索においてよくあることではあるけれど、はるばる足を運んだだけに一気に力が抜けてしまう。

 対し、無意識にも肩を落としてしまっていた私の姿を一瞥し、ギラヒム様はフンと鼻を鳴らす。そして、

「相変わらず短慮なものだね。結論を出すには尚早だというのに」
「え」

 嘲笑うように口角を上げる主人の様子に落胆や怒りの気配は見られない。
 むしろ余裕さえ感じる微笑を浮かべ、黒い流し目が私を捉えた。

「先程のお前の疑問。偶然にしては的を射ていたじゃないか」
「疑問って……」
「闘技場で尋ねただろう。ここを守っていた大精霊はもういないのかと。それは今、お前の知る詩島とやらに拠点を移している」

 既にわかっている事実を並べ立て、ギラヒム様は勿体ぶるように一度自身の髪を梳く。
 次いで、推察を重ねるように言葉を続けて、

「三龍の役割は人間がいなくなった大地に残り、三大要地とそこに眠る女神の伝承を守護することだ。対し、この地の聖域は大精霊と共に空へ移されている。その事実が意味するところは一つ」
「……詩島に、女神側にとって重要な情報が隠されている?」

 主人から言葉を継いで、答えを導き出す。返ってきた無言の視線がそれが正解であると告げた。
 そして、その答えは私にとってのもう一つの結論へと繋がって、

「……そこへ行くのが、私の次のお仕事ってこと、ですよね」
「その通り」

 詩島──つまり、主人が立ち入れない空の世界での情報収集。
 それが出来るのは、空の人間と同じ血を持つ私だけだ。

「……武者震い、しちゃいますね」
「フ、よかったじゃないか。これ以上になく主人の役に立てる機会が巡ってきて」

 悠然と笑みをたたえる主人に、返せたのは下手くそな苦笑だけだ。
 スカイロフトの近辺であるならともかく、並の鳥乗りですらたどり着けない空の孤島である詩島に行けだなんて無茶苦茶がすぎる。
 ……けれど、“主人のため”という理由があるだけで、そんなことは些細な問題にしかすぎないように思えてしまうのだから困った話だ。


 その後、主人と二人で大穴の周辺を一通り見て回ったが、情報の残っていそうなめぼしい建物は存在していなかった。この地での探索はここまでだろう。
 つまりそれは──私とギラヒム様の“でぇと”も、ついに終わりを迎えた、ということだ。

「…………、」

 そう自覚すると、無意識にも寂しい気持ちが込み上げてしまう。幸せな一時だったからこそ、余計に。
 本当なら、ほんの些細な欠片だとしても次にすべき道標が見つかったのだから喜ぶべきなのだ。余韻なんて感じる間もなく、早々に拠点に帰って次の準備をすべきで──、

「何を終わった気になっているのかな?」
「った!!」

 そんなふうに捻くれた思考を、額を打ち抜くデコピンが吹き飛ばした。

 普段よりは気持ちソフトめに弾かれたけれど、油断していた頭はぐわんぐわんと強めに揺さぶられる。
 ギラヒム様は半泣きで額を抑える私を鼻で笑い、言葉を継ぐ。

「お前たちの言葉ではこう言うのだろう? 帰るまでが“でぇと”なのだと」
「へ……」

 告げられた言葉の意味が分からず、私は主人に向かって顔を上げる。
 涙でぼやけた視界でも美しく映る微笑が私を真正面から射抜き、そして、

「このワタシが、ギラヒム様が。お前を連れて行ってあげると言っているんだ。──とっておきの、“でぇと”場所にね?」

 毅然とした声音で、そう告げたのだった。