Serie | ナノ


わたしは、吾は数百年の時を生きる妖怪である。
我が母はかの有名な羽衣狐―――何度も蘇り、憎しみや恨み辛みを糧に何千年もかけて膨大な妖力を蓄えた京一の大妖怪であった。

後に数多の血と戦乱になだれ込んだ戦の世に。
吾は羽衣狐こと淀殿と、豊臣秀吉公の娘として生を受けた。妖怪と人間の半妖だったので、いろいろと大変だったが・・・遠い昔過ぎてよく覚えていない。それでも、初めての衝撃はよく、覚えている。―――だって、記憶が続いていたから。

よくある『転生』。吾はそれに酷似していた。否、それそのものだったのだ。驚きもしたし喚きもしたが・・・、今となっては遠い昔のこと。齢が百も過ぎる頃には妖としての性も確立されていたのでどちらでも良かった。
つまり、慣れてしまったのだ。人間として生きていた自分が、妖怪として生きる様に。
それだけの時間があった。・・・母も江戸の妖怪に倒されて、その後は知らぬ。またどこかの女子に宿っているかもしれないが、詮無きこと。
確かめずともあの日、母様が敗れた日から、吾は京の陣営と縁を切ったのだ。好きに生きると、母の跡に立とうとは微塵も考えなかった。最後に残った『わたし』が足掻いたのだ。妖だろうと、人間だろうと、どちらでもわたしであるのなら。吾(わたし)としての道を進んでみたい、と。

世の移ろいを眺めつつ、適度に干渉しながら流れに身を任せていたら、この街にやってきていた。時世の中で雅なものから目まぐるしいものへ、人も移ろい行く。どれすなるものに身を包んで踊り明かした日々は終わりを告げ、あくせく働くだけの毎日。何がそんなに面白いのだろうと同じことをしてみたが・・・・・・。

「・・・・・・、ふぁ」


就業間近の30分は魔の時間だ。逢魔が時。陽の光りが闇夜に覆い尽くされそうな、近くの彼でさえ誰そと判別のつかない時間帯。―――つまり、気を抜きすぎて眠いのである。

ひっきりなしに出るあくびを噛み殺しながら、早く進めと時計の針を睨みつけるわたしは、この世にとても順応している。


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「はー、暖かいっ!!」

カランコロン、と特徴的なドアベルを開けながら開口一番に出た言葉は現状の感動を含んでいた。だって外寒い。

「いらっしゃいませ。氏さん、お仕事お疲れ様です」
「あ、ありがとうございます。ホットカフェラテをひとつ」

にこり、美しい天色を溶かせて笑う『いけめん』店員は、わたしを定位置に案内しつつ労いの言葉をかけてくれた。この気の利かせ方が、日本人ではないような容姿に拍車をかける。山吹の髪に飴色の肌、それらが柔らかく甘い顔立ちを更に甘くしているのではないだろうか?齢30には見えない。なのに、細身な身体は見た目に反して鍛えられていて。外つ国の装いは体の線に合わせて作られているから見え易く、察することができる。

ふと、オーダーに「かしこまりました」と頷いて立ち去る彼から少し、ほんの少し、火の匂いがした。また何か別の業、か。

眼鏡位置を直しつつ、鼻先を撫でる。たとえ洗い落とそうとも、染み付いたそれは消せない。そして、それを嗅ぎ分ける嗅覚は、『人間』より何倍も鋭いと自負している。
この男は三つの匂いを纏っている。陽と影と、無色。最後が自身なのだろうが・・・何にでもなれるのは、何にもなれないのと同意だ。どこかしらに彼らしさが残っているのだろう。―――それで良い。その本質は偽れない。わたしの本性が怪と人であるように、彼の本質もまた、彼なのだろう。それを偽れてしまえば、自身は途端に迷子だ。

「―――お待たせいたしました」
「!」

思考が深まりすぎていたようだ。
目の前に差し出されたカップに、それを差し出す褐色の指に肩が跳ねた。
音も立てずにソーサーが置かれる、と次いで出てきた白い皿。上には色鮮やかな緑と桃色が白に挟まれて行儀よく並んでいる。

「・・・あ、の?これは・・・・・・?」
「こんな日にお疲れ様でした、と差し入れです」
「でも・・・、そんなの悪いですし・・・・・・」
「実はこれ、見た目が崩れてしまって店内に出せない物なんです。でも、味は保証しますよ?」

小首を傾げて「氏さんが食べてくれないとどうしようもないんです」なんて、自分の活用法をきちんと分かっている仕草だ。似合いすぎてて違和感がない。・・・男ですよね?
まあ、そこまで言われてしまえばこれ以上は無下にもできない。渋々、仕方なく。

「・・・ありがとう、ございます。頂きます」
「はい、召し上がれ」

微笑みをひとつ残して、去っていく後ろ姿に。苦笑を漏らしつつ窓に目を向けると、小さな白が舞っていた。通りで寒いわけだ。
でも、この暖かさは嫌いじゃない。


表紙