メスとコスメ_02




2.


「変な虫」なんか、絶対あかん。
日に日に、伊織が綺麗になっていく。それは俺にとってめちゃめちゃ嬉しいことやったのに、小野瀬から話を聞いたおかげで、不安がふくらんだ。ただでさえ、伊織がライブハウス通いしとるのも、バイトしとるのも、不安やのに。それでも男に二言はないで、一度は許したことやから、これは俺のなかでなんとかせなあかんことやとも思っとる。せやけど……伊織が変な男につきまとわれたら、たまったもんやない。
仁王から電話がかかってきたのは、そんな不安にかられてから数時間後のことやった。

「よう、忍足か。仁王じゃ」

軽快な声がスマホから聞こえてきて、正直めっちゃ引いた。やって、こいつと連絡先を交換した覚えなんかない。

「仁王なあ……怖いやん?」
「ん? なにがじゃ」
「なんで、俺の番号を知ってんねん」
「おう、それか。うちには柳っちゅうデータマンがおるんよ」
「知っとる。青学にもおる」そいや前、不二からも急に連絡あったわ。
「まあ、そういうわけじゃから」
「気色悪いねん。柳に言うとってや」
「ええけど、言うたとこでやめんと思うぞ?」
「……せやね」あきらめた。乾も絶対にやめへんやろ。「そんで? なんか用なん?」

わざわざ俺に電話してくるやなんや、仁王にとっちゃなんか大事な用なんやろ。せっかくやから話を聞いたろと思ってソファに腰かけようとしたんやけど……。

「おう、お前の彼女の件だ」その出だしに、中腰のまま動きが止まってまう。
「は……な、なん、なんや?」

さっきまでごちゃごちゃ考えとったせいで、心臓がバクバク言いだす。ま、まさかお前、伊織のお手製レモンの蜂蜜漬けに恋に落ちたんちゃうやろな? それで恋に落ちるんは俺だけでええねんっ!

「今日の夜は、バイトにでちょるかのう」

なんでそんなことを聞いてくるん!? 伊織は今日、たしかにバイトやで。せやから一緒におったのは昼休みと下校んときだけ。俺でさえそんくらいしか一緒におれてへんのに、仁王、お前、な、な、なにをたくらんどるんやっ!?

「お前、彼女おるとか言うてへんかった?」
「は……? いや忍足、質問の途中なんじゃけど」
「言うてたよな!」
「そうじゃけど……なんなんじゃ」
「俺の女の勤怠、なんで調べようとすんねんお前にどういう関係があ」
「高校テニスの襲撃の件、洗いざらい幸村に言うてもええんかの?」
「7時からでとる」
「了解ナリ。じゃあの」

……だああああああああああ! 俺としたことが、うっかり即答してもうた! ご、五感奪われたなかったんやもん! ああ、どないしよ!
伊織に魔の手がいくで! あいつ絶対めっちゃ「変な虫」に決まっとる! そんなんあかん! いま何時や! ああっ、あと5分で7時や! あかん、あかん、絶対あかん!
心のなかで絶叫しとるあいだにも、仁王からの電話は切れとった。あいつ伊織になんの用やねん! 無理、もうホンマ無理!
すぐに着替えて、チャリにまたがる。仁王の住んどるとこ、どこかよう知らんけど、学校の方面から考えても全速力で漕いで電車に乗ったら、こっちが先に着くやろ。ああもう、俺、どんだけや!
ちゅうのに、や。めっちゃ、めっちゃ急いだんやけど……俺がZionに到着したころには、伊織が仁王に、便箋をわたしとるところやった。ちょお待ってそれなに!?

「仁王ーっ! お前それ、なにを受け取って!」
「えっ! せ、先輩!?」
「おお、またお前か」

俺はスタッフの承諾も取らんまま店内に入って、伊織から仁王の手にわたった便箋をぶんどった。
どんだけ仁王に脅されたんか知らんけど、電話番号を教えるやなんや絶対にあかん! ちゅうかわざわざ便箋に入れとるとか、考えられへん! 俺はそんなん、絶対に許さへんで伊織!
頭んなか沸騰したまま、急いで便箋を開けて中身を開いた。そんでまた、固まった。
目をまるくした伊織が「はあ」とあからさまなため息をついとる。俺も目をまるくしたまま、つぶやくハメんなった。

「……絵や」
「絵ですよ! どうしたんですか先輩!」

ホンマやったら、「侑士!」って怒りたいんやろな。伊織は人前では敬語、かつ先輩呼びになる。それがまた、機嫌が悪うなったときの伊織と一緒やで、俺はめっちゃしょんぼりした。
伊織が仁王にわたしとったのは、Zionにあるスケッチのコピーやった。
……なんでなん? いやええんやけどさ。せやけど、いいわけはしときたい。

「や、仁王が……さっき電話してきよって」そうや、そもそもそれが俺の不安を煽ったんや。俺が悪いんちゃう。仁王が悪いんや。「せやから心配やって。連絡先、教えとんちゃうかって……」
くすくす、仁王が笑いだした。なに笑ろてんねん! お前のせいやんけっ。「……お前の嫉妬深さはようわかった、まぁ座りんさい、おごっちゃるから」
「まったくもう! そんなにわたしは信用ないですか!?」

めちゃめちゃ伊織を疑った俺の気持ちが、完全にバレた。叱られてもうた……めっちゃへこむ……。ちゃう、ちゃうねん伊織……信用なかったわけやないねん。ただ俺な、ちょお心配やっただけで……。

「くくっ……忍足、なんか飲むじゃろ? 周りの人間に注目されとるのも恥ずかしい、はよ頼みんしゃい」

釈然とせん……全部こいつが悪いのに。はあ、まあでも、たしかにはずい。
ついでやし、なんで仁王がスケッチのコピーをわたされとるんかもようわからんかったし、おごってくれるって言うで、俺はしゃあなし、むすうっとその席に座った。





さて……仁王もあんな感じで、いろいろあるらしい。彼女の過去を探ろうとしとるんやろう。話しとるうちになんや仁王がだんだんかわいそうんなってきて、俺は思いつく限りの推測を語って、結局は金をテーブルの上に置いてから、一旦はその場を立ち去った。仁王をひとりにしたりたかったんや。

「あれー侑士くん。さっきもいなかった?」
「あ、店長さん」

せやけど……ここまで来て、帰るのもなんかちゃう。どうせ伊織のバイトは3時間程度で終わるで、適当に時間をつぶしたあと、もう一度「Zion」に向かった。
店内に入ると、迎えてくれたのは店長やった。1日2回も顔をだすとか、それもはずい。けど、ちょうど腹も減ってきたし……ちゅう建前で、どうやろか。

「オムライス、まだありますか?」
「ははっ。さすがにもう残ってないけど、大丈夫だよ、用意してあげるね」

余談やけど、ここのオムライスはめっちゃうまい。とろとろふわふわ系が流行っとる昨今やけど、俺は昔ながらのしっかりとしたオムライスが好きで、そんな時代遅れの俺には貴重なオムライスなんや。
せやけど1日限定30食。当然、閉店も近いこんな夜には大抵、売り切れとる。

「ホンマですか? いつもすんません」
「いいよ、侑士くんはもう、うちの常連さんだからね」

店長は、相変わらずのええ男や。こうしてたまに顔をだす俺を、嫌な顔ひとつせずに出迎えてくれる。最初に見たときはイケメンで大人の男やで、どないしたろと思ったけど、伊織から「店長に諭されて、侑士にバイトのことを話す決心がついた」と聞いてから、俺はすっかり店長が好きになった。

「はい、おまちどうさま」
「ありがとうございます。いただきます」

10分もせんうちに、オムライスが到着する。スプーンですくいながら口に入れつつ、俺はぼうっと伊織をながめた。かわいい。むちゃむちゃかわいい。
何度も言うけど、くりんくりんの髪をきゅっと上手にまとめて、ばっちりとメイクをしとる。

――正直、二人とも人気ありますよ。
――さっきのグループトークを見た感じじゃ、千夏よりも佐久間のほうが話題にあがっている。

反面、小野瀬と跡部の言っとったことが頭をよぎって、複雑なため息をついてしまう。
当然やよな。千夏ちゃんはともかく、伊織めっちゃかわいいし、最近はみるみる綺麗になってきとるし。

――あの二人は先輩たちに見合うように頑張ってるんですだからそのぶん人気が出ても仕方ないですだから先輩たちのせいなんで!

結局は、それがひっかかっとる俺……いや、伊織の好きにしたらええんやけど、なんもせんでも十分に見合っとるし、それで無理に背伸びして綺麗になって、人気が出とるんやったら、なんかなあ……俺しか知らんでええねん、伊織がめっちゃええ女やってことは。
じっと伊織だけを見つめとったで、目が合う。にこっと俺に微笑みかけてくれたんやけど、CDの棚におった伊織は、BGM探しの男の客に話しかけられて、すぐに視線が外された。
……なんやめっちゃ大人げないけど、寂しい。けど、その客のおかげで、伊織の声が耳に届いてきた。

「はい、『ブラー』のベストですね。ありますよ。こちらに……」
「ああ、これこれ。この、『Song2』って曲、好きなんだよね、僕」はっ、やかましいわ。なにを馴れ馴れしくアピってんねん。
「わたしもこれ、大好きです。爽快な曲ですよね。短さも痛快というか」

伊織も乗らんでええって。そうですね、でええねん。伊織のええとこは優しさと社交性があることやって俺もわかっとるけどさ。そういうのは女性客のときだけにしとってや!

「へえ、お姉さんさすが、詳しいね。ブラー好き?」
「ブラー好きですよー! ブリットポップが大好きなので」
「オレも好き、ブリットポップいいよね!」

なんやねん急に一人称が変わっとるやないか。あとブリットポップってなんやねん! 俺のわからん話をすな! あとブラーとかいうアーティストの話なんやろうけど、「好き」って言い合うな!

「じゃあ『Song2』でいいですか? 10分ほどお待ちいただきますが」
「うん、大丈夫。ありがとう」
「こちらこそ、ありがとうございます」

はあ、めっちゃ心が忙しい。せやけど、やっと終わったで……と、ほっとしたときやった。

「ねえ、オレ、お姉さんのことも好きだな」
「は?」
「オレね、ここにね、かわいい子が働いてるって噂で来てみたんだ」

って全然ほっとせえへんわあああああ! なんやて!? かわいい子が働いとるって噂やて!?
どこでそんな噂になっとんじゃコラアアアアアアアア!

「あ、や、それはたぶん、人違いだと思い」
「ごめん、ちょっとそのメモ帳、貸してもらえる?」
「え……あ、はい」
「ありがとう」

伊織は顔を赤らめとった。その男の言われるがまま、音楽オーダー用のメモ帳を手渡しとる。
俺からは男の顔は見えへん。背中越しやからや。せやけど、その男がスラスラとメモ帳になんか書いとるのはわかったんや。あれは……あれは今度こそ、間違いなく……!
おんどれ誰の女に手え出そうとしてんねん!

「はいお客さーん、席についてくださいねー」

ガタッと席を立って止めに入ろうとした瞬間やった。うしろろから首根っこをつかまれて、無理やり席に座らされる。ちょお待って、どこから出てきたんや店長! さっきからそこにおったん!? 

「ぐっ……」聞きたいけど、喉がしめつけられて声がでやん。
「侑士くん、落ち着こうか。あんなの日常茶飯事。ね? 大丈夫、あの子いつも帰る間際に裏のゴミ箱に破り捨ててるから」

ぽんぽん、と俺の肩を叩きながら、店長のめっちゃ爽やかスマイルをお見舞いされた。穏やかな口調とは裏腹に、肩にかかっとる力の強さが半端やない。
って、ちょお待って店長、いま、なんて言うた?

「日常……茶飯事……?」

あかん……いまにもクビにせえって叫びだしそうや。せやけどそんなんしたら、今度こそ伊織に愛想つかされる未来が見える。できへん。

「若くて、かわいいからね、伊織ちゃんも千夏ちゃんも……あ、でも跡部くんには秘密だよ? なにされるかわかったもんじゃないから……」

店でも潰されたらたまんないよ……と付け加えて、店長は静かに俺のテーブルにセットのコーヒーを置いていった。
ギラッと一瞬、俺の顔を覗きこんだ眼光が鋭かったのは気のせいやろか。店長はええ人やけど、一枚も二枚もウワテや……仁王、頑張りや(まあその仁王の詳細については、ほかのところで読んでもらうとしてやな)。
せやけど店長に制御されたところで、俺のモヤモヤは収まらへん。むしゃくしゃするわ……伊織がいろんな男に言い寄られとんかと思うと、我慢できへん。
伊織は、伊織は俺のやねん!





お疲れさまでした、とスタッフに声をかけ、スマホを手にしながら階段を降りていく。千夏と秘密でバイトをしていたときは、絶対にいつも千夏と一緒だった帰り道だけど、ここ最近は秘密にする必要もなくなったので、わたしがひとりで出勤のときもあれば、その逆もあった。ひとりだと少し寂しい。それでも、バイト帰りはいつも爽快な気分だ。働いたぞ、という気持ちよさもあれば、これがお金になる、という達成感もあった。
さて、今日も「終わった」と侑士に報告しよう。思いながら、メッセージアプリを立ちあげた。要するに、スマホをずっと見ていたのだ。危ないと思いながらもやってしまう悪い癖。だから、わたしはまったくその存在に気づいてなかった。

「お疲れさん、伊織」
「わあ! 侑士!」
「おお、そないに驚かせたか。ながら歩きはようないで。しかも階段。コケたらどないするん」
「あ、ごめ……え、ていうか、帰ってなかったの?」

この日、侑士はお店に2回ほど来店していた。一度は仁王さんが来たとき。そのときに帰ったのだと思っていると、1時間後にまたお店に来て、すでに販売終了したはずのオムライスを頬張っていた。

――伊織ちゃんの彼氏って、面白いよね、なんか。行動が不思議。
――あはは……あー、お腹が空いたんだと思います。

先輩スタッフに言われて苦笑したのもついさっきのことだ。不思議なのは百も承知である。つまり、1時間後に来るならそのまま居座ればいいのに、と言いたいわけだ。だけどオムライスを食べたあとも帰って、そこからまた1時間は経っているはずなのだけど……お店にいればよかったじゃん? とは思うものの……。

「ん。帰ろうかなと思ったんやけど、せっかくやし、やっぱり一緒におりたいっちゅうか……伊織に会いたなったから」

にこっと笑って、寒いなか、白い息をはふはふと吐きながらそう言った侑士に、どんなに不思議ちゃんでも胸がどきゅんどきゅんする。
伊織に、伊織に会いたなったって! 会ってたじゃん、さっきまで! むきゃうきゃう! もしかしてオムライスも口実だったりして!? かわいいよう、なんなのこの人ー!

「伊織……?」
「へへ。侑士……わたしも会いたかったー!」

愛しさが爆発して、侑士に抱きついた。おお、と驚いていたけど、しっかりと受け止めてくれる優しいダーリン。はあ、わたしって世界一の幸せものだ。こんな彼を独り占めできるなんて。

「ふふ。そらよかった。ほないこか」
「うん!」

わたしの頭をそっとなでて、額にキスを落としてから、侑士は自然とわたしの手を取った。
歩きだした瞬間に、ぐいっと体が後方にひっぱられる。おや、と思った。駅は正面に向かってまっすぐだ、間違ってない。なにごとかと振り返ると、侑士はニコニコとしながら、反対方向に歩きだそうとしていた。

「伊織、こっち」
「え?」
「今日、寒いやん。はよあったまりたない?」
「そ、そうだけど」

早くあったまりたいから、早く帰るのではないだろうか。侑士が指さしているほうに歩いていっても、駅はない。

「どこか、お店でも入るの?」
「ん? んー、まあ、せやね。お店っちゅうか、施設っちゅうか」
「施設?」
「すぐつくから、大丈夫やで?」
「う、うん……」

最高潮に達していたテンションが茫洋としたものに変わっていく。いや、相手が侑士だし、なにも不安とかはないのだけど……はっきりと言わない雰囲気に怪訝なものは感じていた。
ようやく事態が把握できたのは、歩きはじめて数分が過ぎたころだ。気づくと繁華街を抜けて、目の前にデカデカとかかげられている、「休憩」の文字。

「よっしゃ、入ろ」
「ちょ、ちょちょちょちょちょ、侑士!?」

侑士のことは、もちろん好きだ。だけどこの手口は完全に、いや手口っていうのも変かもだけど、調子に乗らせてノコノコついてきよったで、的なやつじゃないのかっ。
これ、だって、完全に、ららら、ラブホだよね!?
わたしは慌てて侑士の腕をひっぱったというわけである。

「なに?」
「ななな、なに、じゃなくて、そんなお金ないからわたし!」頭に浮かんだ、無駄そうないいわけを口走ってしまう。
「アホやなあ。ホテル代を伊織に払わせるわけないやろ」ですよね、言うと思った! やっぱり無駄だったかっ。「ええから行こうや」
「いやあの、だって、ここ、ら、ラブ」
「せやせや、ラブホ」

せやせや、じゃないだろう! これは絶対に校則違反だ! なんなら法律違反でしょたぶん! 侑士は18歳かもしれないけど、わたしはまだ16歳だし!

「だ、ダメだよ侑士、こんな、こんなとこっ、校則もだし、法律も、やぶっ」
「はあ? なんでなん。伊織、親に許可とっとることを盾に夜中にライブハウス行っとるやん。そんでこないだ俺の家で酒も飲んだな? あれ校則もやし、法律も違反しとるやろ」
「い……」言われてみれば、そうである。「ら、ライブハウスは法律違反じゃないとこに行って……!」
「酒は?」
「……お、お酒は、法律違反だよね」
「ん。なんでいまさらそんな堅いこと言うんやろ? 佐久間家のルールは人に迷惑さえかけんかったらええんよな? ほな大丈夫やで」

ものすごく笑顔で論破してくる侑士に、なにも言い返すことができない。たしかに、いまさらなのだ。あんな奔放家庭で育っているわたしが、ラブホは法律違反だと言ったところで説得力はない。
だからって、なんで急に!? い、嫌なわけじゃないけど、だってどんなとこかわからないし、これってもうこれから絶対するよってことで、それが目的で入るわけで、誰かに会ったらどうするの!? なんか恥ずかしいよ!

「大丈夫や、いまの伊織と俺の見た目やったら、絶対に学生やなんてバレへんて」
「いや、そういう問題じゃ」
「ええやん、明日は休みなんやし。たまにはこういうとこも。な?」
「ゆ、侑士……っ」

腕をひっぱられてしまう。おっしゃるとおり今日は金曜だから、明日は休みなんだけども……。
最近、たしかに前ほどふたりきりの時間がない。わたしがバイトをはじめたからで、いくら許したとはいえ、侑士にはそれなりのストレスがあるのかもしれない。だから、こういうところで、雰囲気を変えたくなったのかな……。
なんにせよ、あまり拒否すると侑士が拗ねてしまう気がした。ここに入れば、たぶん、お泊り。それも、久々だ。
わたしは黙って、うなずくことに決めた。





こく、と伊織が恥ずかしそうにうなずいて、めっちゃテンションがあがる。
ここなら思いっきり乱れさせることもできるし、いまからならたっぷり時間つかってイチャイチャできるで。

「だ、誰もいないの?」
「誰もおらんよ。ここで好きな部屋、押したらええねん」
「うわ……え、なんか、光って、え、こっちは暗い」
「ん、せやね。ふふ。反応がかわいいなあ、伊織」

点灯しとるのは3部屋。さすが金曜の夜っちゅうとこか。それでもまだ22時台やから、なんとか間に合ったな。いちばん安いとこと、いちばん高いとこ、あとはトリッキーそうな部屋がひとつ……そら、もう決まりやろ。

「よっしゃ、いちばんええとこにしよ」
「え、ええ!? たたた、高そうっ」
「大丈夫や、たいして高ないて」

俺の腕にぎゅうっとしがみついて、キョロキョロしとる伊織がかわいい。せやんなあ? 伊織は当然、はじめてやもんなあ? はあ、伊織のキスも俺がはじめて。伊織のエッチも俺がはじめて。伊織のラブホも俺がはじめてやあ。もうめっちゃ最高。
気分アゲアゲで部屋のボタンを押して、そのままエレベーターに向かうと、伊織が「え、え」と声をあげはじめた。なるほどな。普通のホテルの仕様と違いすぎて、戸惑っとるんやろ。

「こういうとこはな、顔を見られんでええようにしとるねん」
「そ、そうなの? え、あっ」

言ったそばから、待っとったエレベーターが開いて、中年のおっさんと若い女がでてきた。ババッと音がするほどの素早さで俺の背中に伊織が隠れる。普通にしとったらええのに、かわいすぎやろっ。あかんっ、もう押し倒したいっ。

「ゆ、侑士、うそつき……」
「いまのは不可抗力やん。あるんや、たまに」うう、と、うなっとる声もかわいい。そっと頭をなでたった。「伊織、大丈夫や。もうあっち行きはったから。入ろうや」
「う、うん」

エレベーターに入って、部屋につくまでのあいだも、伊織は俺にしがみついとった。ここはお化け屋敷かっちゅうくらいなんやけど。いろいろ緊張するんやろか。ああ、かわいい。

「か、鍵は……?」
「ん? ああ、鍵はな、さっきボタン押した時点で開くようになっとるんよ。せやから部屋にそのまま入れるんや」
「えっ、か、かぶったりしないの!?」
「せえへんよ、そんなん。そのためにあの部屋パネル、俺が押した瞬間にグレーんなったやろ?」
「あ、そういえば……」

部屋に入ると、さすがいちばん高い部屋。なかなか広い。伊織もようやく俺の手から離れて、うわあ……と、声をあげはじめたときやった。

『ご利用、ありがとうございます』
「いぎゃ!」

室内にある自動精算機がしゃべりだして、伊織が悲鳴をあげる。肩をビクッと震わせて、自動精算機を睨むように見とった。

『メンバーズカードをお持ちのお客さまは、カード投入口に入れてください。お帰りのさいは、チェックアウトにする、を押して……』
「なん、なん……」
「顔をな、見られへんようにしてるんやな、うん。びっくりしたん? かわいいねえ」

さっき説明したのに、まったく慣れてへん。そういうところもかわいくて、ぎゅうしてまう。伊織は俺の腕のなかで、むうう、と、またうなり声をあげとった。
まあ、そらそうか。さすがの千夏ちゃんも、ラブホは行ったことないやろで、こんな話、16歳のガールズトークには出てこんやろから、伊織にとってはなんでも驚きや。そうこうしとるうちに自動精算機のアナウンスも終わって、伊織はつぶやくように言った。

「大きいベッド……」
「せやろ? めっちゃ快適やで」めっちゃ激しいこともできんで? はあ、興奮する。
「……ねえでも侑士、なんで、急に?」
「んー? ええやん、なんとなしやって」

それがどうしても気になるんやろか。伊織はじっと俺の目を見とったけど、俺は素知らぬ顔で暖房の温度を下げて、照明の調整をしたあと、テレビをつけた。
もちろん、なんとなしやない。伊織がいろんな男に日常茶飯事的に声をかけられとるんかと思ったら、もう我慢ならんかった。めっちゃめちゃに抱きたい。思いっきり乱れさせたい。ごっついムードあるとこで。
したらもう、ここしかないわ。伊織を好きにできるのは、俺だけやっちゅうねん。

「お、伊織の好きな番組やっとるで」
「ホントだ。ていうか、テレビ、大きいね」
「しかも4Kや。ほら」
「うわあああ、ホントだあ。すごい」
「あ、伊織、先に風呂はいるか?」
「あ……うん。入りたい、かな」
「バイト終わりやもんな? ほな一緒に見にいこか。お湯ためようや」

風呂場に行くのにも手をひいて、俺はムードを高めていこうとした。ラブホって、とりあえずエッチできることにそれなりにテンションあがるんやけど……。
こんな好きな子と来るラブホって、もうめっちゃ感動もんやな。イチャイチャするための部屋やもんな。今度から頻繁に利用したろか。と、思ったときやった。
急に電話が鳴りだす。え? と、これには俺も顎を引いた。なんやろ……。

「ゆ、侑士……ででで、電話が鳴ってる……!」
「せやね。待っとって」
「ば、バレたのかな!?」
「いやいや、たぶんちゃう」

慌てる伊織を横目に、俺は電話を取った。
不安そうな顔をして、俺に近づいてきよる。一緒に内容を聞きたいらしい。

「あーすみません。コンドームを、置き忘れていて……」
「ああ……」財布に入れとるからええけど、とは思いつつ、それやったら1回しかできへんな、と思い直す。「ほな、持ってきてもらえます? できたら4つくらい」
「え……」伊織が目をパチパチさせとる。そうやで、こういうとこではサービスやねん。
「おお……かしこまりましたー」

フロントの人が素直な声をだしたところで、電話を切った。すんませんね、元気なもんで。

「コンドーム、よ、4つも、くれるの?」
「そうそう、通常は2つ置いてあるんやけどな。頼めばくれる。4つ使い切ったとしても、さらにおかわりもできるで?」ニヤニヤしてまう。
「お、おかっ……おか」
「ん……どないした? 気分、あがってきたんか?」

1日で、伊織とそんなに何度もしたことないな? 今日してみる? って、言うたろか。くーっ。と、俺の俺もじんわり熱なってきて、これから風呂やのに、興奮してんの見られるやん、はずいわあ、と思ったときやった。
伊織がどういうわけか、目を伏せた。
その仕草が、化粧をしとるせいなんか、それとも髪型が変わったせいなんか、めちゃくちゃセクシーや。いつもより、黒くはっきりとした長いまつ毛が目元に影をつくっとって、ホンマに綺麗。
たまらんようになる。俺だけの伊織。俺だけの女や。
伊織がどんどん綺麗になるぶん、俺から遠ざかってしまわんように……今日はとことん、愛させてもらうで、伊織……。





……こなれてる。
それが、わたしの感想だ。ラブホに足を踏み入れて、侑士の言動が増えるたびに、わたしは自分の心がぎゅうぎゅうに狭くなっていくのを止められなかった。

「なあ、伊織……」
「うん?」

だいたいわたし、ラブホは初なんだ(当然だけど)。入ってもフロントみたいなのはないわ、急にいろんなパネルがあれこれあって、しかも「顔を見られんように」とか言ってたくせに、いきなりおっさんとお姉さんに会うし、鍵はないわ、部屋にはいきなりロボットみたいな声がしてくるわ、電話は鳴るわ、驚くよそりゃ!
なのに、侑士はわたしを、笑ってた。微笑ましいって言わんばかりの顔で、「かわいい」って。彼と深い関係になったすべての女性がわたしに告げる、あの言葉で。
もちろん、侑士にそんな他意がないのはわかってる。でも、ずっと子ども扱いされている気がして……。

「ふああ……気持ちええなあ。どない伊織? バブルバスはじめてやろ?」
「うん、すごいね、泡。気持ちいいよ」

お風呂も大きかった。わたしが先に入っているあいだに、侑士はスタッフの人から4個もコンドームを受け取ったんだろう。「めっちゃニヤニヤしてはったわ」と言いながら浴槽に入ってきて、いまは、ふたりで向かい合って泡をころがしていた。

「こういうん、ちょっと憧れあったりした?」
「うん、ドラマとかで見たとき、やってみたいなって思ったかも」

定型文のような返事をしている自分が虚しい。バブルバスには憧れがあったけど、これは掃除が大変そうだ、と、関係ないことを考える一方で、ちゃぷん、という音がモヤをつくっていく。
侑士とお風呂に入ったことはあるのに、こういう場所にいるだけで、まったく違う日常……だけど侑士は、何度もこういうことを、してきたんだ。

「なあ、伊織さあ」
「うん?」
「最近、めっちゃオシャレしとるよね」

声のトーンが変わった、と思ったら、突然そう言われた。この1週間、「どないしたん、めっちゃええね」と褒めてくれていた侑士だけど、今日はなぜか、苦そうな顔をしている。

「うん、カットモデルで、無料だし、このさいだからって、いろいろ」苦い顔に敏感に反応して、いいわけを口にした。
「うん、それは、ええんやけどさ」
「あ、担当は女の人だって言ったよね?」

もしかして、そのことだろうか。本当に女の人なのだ。男の人だと、侑士がまたいろいろ言いだすと思ったから。でも、苦い顔の正体は、そんなことじゃなかった。

「うん、せやけどな……俺さ、伊織は、そのままでええと思う」
「え……」
「そないに頑張らんでも、ええっちゅうか……」

なんで? と言いたくても、声にならなかった。
もしかして……わたしが大人になろうとしていることを、侑士は拒否している?

「そのー……オシャレなあ、ちょお一旦、休憩せえへん? まだええやん、まだ高校1年やで、そういうんはほら、卒業してから張り切ったらええ。伊織はいまのままで十分さ、かわいいし」

背伸びするわたしを諭す、教師のような口調だった。はっきりと狭くなっていた心が、また狭くなっていく。
なぜ、そんなことを言うんだろう。侑士は大人の女とばかり、付き合ってきたくせに。だからこういう場所にもこなれてて。それでもそんなこと、責めちゃいけないってわかってるから、わたしなりに努力してるのに。
侑士のために、綺麗になりたくて。侑士のために、大人っぽくなりたくて。侑士に見合う、彼女になりたいから。

「しっかし、この風呂デカいわ」
「そうだね……」

言いたいことだけ言って、ごまかすように話を逸らして。その逸らしかたにすら、わたしは苛立ちを覚えていった。
ほかの部屋のお風呂は、ここまで大きくないって知ってるってことだ。侑士は、いろんなことを経験済みの、大人だから。お湯加減の調整も完璧だった。すぐに室内の暖房の温度を下げたのも、余計な電気を消したのも、全部、全部、侑士がほかの「大人の女」と、覚えたことなんでしょ。
コンドーム4つ? おかわりできる? へえ、4回以上、誰かとしたことあるんだ。入室のときにしゃべりだした機械にもすごく冷静だったもんね。メンバーズカード入れなかったけど、なんなら持ってるくらい、こういう場所に来たことがあって、それは侑士がわたしの知らない人と……ううん、こないだ会ったお姉さんとも、経験してることなんでしょ。
あの人、化粧してたじゃん。髪だって染めてたし、パーマもかけてた。彼女はさぞかし、こういう場所でも冷静なんだろうね。侑士と一緒で。あの人にも言うの? そのままでええよって。言わないよね。だって侑士は「大人の女」が大好きだから。
でもわたしには、そんなことするな? まだ高校1年生だから? 子どもが張り切って、みっともない? こんなとこにまで連れてきておいて、なにそれ……なんなの、それ。

「伊織、こっち来て。ぎゅうしたい」
「……ん」

侑士がわたしの腕をひっぱる。裸のままうしろからハグされて、わたしの腰に、侑士の熱があたってきた。
こういうことも……してきたんだよね。全然、ためらいないんだから。

「伊織の肌、ホンマすべすべ」

腕をすーっとなでてくる。なまめかしい手つきが、複雑な気分にさせていく。
ダメだよ、と頭のなかで叫ぶわたしがいる。悲しい、と叫ぶわたしもいる。わかってる。わかってるって散々、自分に言い聞かせてきたじゃないか。
裸で抱き合うことが自然な仲になったのに、それでも嫉妬するなんて、醜い。いや、むしろここまでの関係になったからこそ、余計なことを考えるんだろうけど……。
侑士は、何度こんな夜を過ごしてきたんだろう。

「わたし、もうのぼせそうだから、出るね」
「え、ああ。さよか。ほな俺も……あ」
「え……?」
「伊織、めっちゃそそる……見て、泡が……」

わたしの体のラインに沿って流れていく泡を見て、侑士はうっとりとした表情を向けてきていた。はずかしがって、「バカ」と言えば、きっと侑士は喜ぶのに。
そんな余裕は、完全に消えていた。
ねえ侑士……いまみたいにそそられてきた女は、わたしだけじゃないんだよね……?





to be continued...

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