メスとコスメ_04


4.


なにもわかってなかった自分を恥じても、過去は戻らない。侑士の気持ちを、わたしはなんにも解ってなかった。
また、だ。またわたしは、侑士を傷つけた。前なんか嘘までついて。その前なんか、侑士よりも竜也を優先して。

「佐久間」
「は、はい!」

しつこくも感傷に浸っていたわたしの横で、跡部先輩はブランコから立ちあがった。マルガレーテも一緒になって立ちあがっている。

「とりあえず俺が言っておきたいのは、だ」
「……はい」

すでに結構いろいろ言ってくれたのだけど、この期に及んで「とりあえず」と言われたことに困惑していると、跡部先輩は正面に立って、全身を舐め回すように見てきた。
ぎょっとする。どうしよう、ここ最近はオシャレしてきたつもりだけど、跡部先輩からすれば「激ダサだな」みたいな感じかもしれない。
と、ぞわぞわする不安にかられていたが、先輩から伝えられたのは思ってもみないことだった。

「悪かねえよ」
「え……」また、心のなかがインサイトされている?
「だがお前がそうして気取ったり、化粧して大人ぶることになんの意味がある?」
「い……意味、ですか?」
「その動機も不安だろうが。別に男のために自分を磨くなと言っているわけじゃない。だがお前は不安を糧に自分を磨きはじめたんじゃねえのか」
「それは……はい、その、侑士先輩の好みが……アレ、かなと」
「過去の女に嫉妬して、忍足に見合うようにと考えてのことなんだろうが、そんな精神状態でどれだけ着飾っても本当の意味では美しくなれねえぞ?」
「本当の意味で、美しく……」
「そうだろ? 美容というのは、純粋に自分を高めるためにやるものだ。嫉妬や不安が元になったままでは発揮されない。してもその程度だ」
「その程度!?」それは結構、失礼ではないかと思うのですが!
「ああ、その程度だ。見た目だけの派手さに寄ってくる男はいるだろうが、んな男は全員クズだ。だが忍足は違う。お前のそんなところに惚れたんじゃねえだろ。まずは忍足が惚れたお前自身の根本をさらに磨け」

そういえば……侑士が惚れたわたしって、どんな部分なんだろう。前に聞いたことがある気はするけど、はっきりと覚えていない。たしか、常石ジャクリーヌ事件で侑士に生意気な口を叩いたことと、レモンの蜂蜜漬け……だったような。待って、それって、どんなわたし?

「自分磨きってのは、まず内側からするもんだ。そうすれば自ずと、外側も光り輝く」
「内側……」
「そうだ。外見はそのあとでいい。忍足のためだというなら、なおさらそうじゃねえか。忍足は、そんなふうに着飾る前から、お前が好きだったんだからな」

じんわりと、胸があたたかくなっていった。
今日は何度も思い知る。跡部先輩って、実はすごくすっとぼけてる人だと思っていたのに……やっぱりめちゃくちゃ優しくて、後輩思いで、外見だけじゃなく、内面もすごくイケメンだ。

「跡部先輩……ありがとうございます!」

テニス部の後輩たちがいつもそうしているように。わたしは大きな声をあげて、跡部先輩に音が出るほどのお辞儀をした。
話を聞いてもらったのは、ほんの30分程度だけど。とにかく、ものすごく感動したのだ。

「な……急に大声をだすなっつってんだろ!」
「すみません、でも嬉しくて。わたし、先輩の後輩でよかったです!」

子ども連れで公園に来ているマダム達がくすくす笑いながらこちらを見ている。若いっていいわねって感じだろうか。そうだ。この時間、この毎分毎秒が、わたしにとっては青春なんだよ。
ジメジメしてる場合じゃない。いやそれも青春だけど、そのあとには、きちんと成長しなくちゃ意味がないから。

「……あっそう。気持ち悪りいこと言ってんじゃねえよ。ターコ」

照れ隠し満載の跡部先輩が、マルガレーテに「行くぞ」と声をかける。優雅なひとりと1匹の背中に、晴れ晴れとした気持ちで手を振った。
跡部先輩の姿が見えなくなってから、深呼吸をしてスマホを取りだす。いまなら侑士に電話をかけられる。そして謝ろう。侑士はまだ怒ってるかもしれないけど、なに言われたって、素直に謝ろう。
と、心に誓ったときだった。液晶画面がパッと変わり、着信音が鳴りだした。

「え、Zion?」

バイト先からだった。どう考えても、思い当たる人はひとりしかいない。

「もしもし?」
「ああ、伊織ちゃん。ごめんね、お休みなのに」案の定、店長の声が聞こえてきた。
「あ、もしかしてヘルプですか?」誰か、急に来れなくなったのだろうか。
「ううん、違う。というか、ヘルプな人はいるんだけど、それは俺じゃないっていうかね」
「は?」

妙な言い回しに困惑していると、店長は電話越しにくすくす笑いながら、声のトーンを落としてきた。

「実は迷ったんだけどさ、お節介だし。でも見てられないんだよね」
「あの……どうし」
「ダメだよ。こないだ言っただろう? 好きな人を悲しませないようにって」
「……え?」

なんのことを言っているのかよくわからないまま、わたしは固まった。
ちょっと待ってほしい。たしかにわたしは、つい昨日、好きな人を悲しませてしまった。それは事実だけど……なんでそのことを、店長が知っているのか。

「え、え?」

この人もインサイトが使える? いや、そんな常軌を逸した人がこの世に何人もいては困る。若干パニックになりかけたところで、店長がまた、電話越しでくすくすと笑いはじめた。いやおかしくないんですよ、怖いんですってば。

「ケンカでもした? 侑士くん、ずっと待ってるよ」
「けん……え、待ってる?」
「うん。10時からずっと。かれこれ5時間が経とうとしてるけど、いいの?」
「え……ええええええええっ!?」
「待ちあわせをすっぽかすなんて、いくら怒ってても、よくないよー? 男はそういうの、本当に落ちこむんだからね」
「ご、5時か……!」

電話は一方的に切られていた。ちょっと待って、たしかに今日、約束、してたけど……!
そのまま液晶が待受画面に戻る。時間ははっきりと、14:50と表示されていた。
わたしは公園から駆けだした。
まったく、信じられない。あんなひどいケンカを深夜にやってしまったし、いっさい連絡もないままだから、絶対に反故になったと思っていたのに!





到着したときにはすでに15時を過ぎていた。必死に走って電車に乗ってさらに必死に走ったけど、侑士を待たせているのだと思うと気が気じゃない。とはいえ、すでに5時間も待たせてしまっていたのだけど……。

「着いた……っ」

ぜえ、はあ、と息を切らしながら、コートもマフラーも脱いだ汗だく状態で扉を開けると、奥のほうでパッとこちらに顔を向けた侑士が見えた。
ああして、人が来るたびに顔をあげてたのかな。もう、それだけで泣きそうになっちゃうよ……。

「侑士っ……」
「伊織……」

安心した全身が、突然の疲労感に襲われる。さっきまでどれだけ走っても苦しくなかったのに、足がもつれて膝が笑っていた。運動不足……こんなの、膝だけじゃなく侑士にまで笑われてしまう。
だけど、席までふらふらと歩いていったわたしを、侑士は切なげな目で見つめていた。

「どないしたん、そんな急いで……大丈夫か?」
「だ、だって……侑士」
「ん? とりあえず、これ飲み?」

水の入ったグラスを、そっとわたしてくる。テーブルの上にはスマホと分厚い小説が置かれていた。侑士、小説を持ち歩くときは重いのが嫌だから薄い小説にしてるのに……今日は、長時間になる覚悟があったってこと? どうしよう、本当に泣きそう。

「侑士ごめん、ごめんなさい、待たせちゃって」
「え……ああ、なんや。俺を待たせとると思って、そんな急いだん?」

優しい声だった。わずかに微笑んでいるけれど、やっぱり瞳は切なくて。

「ちゃうよ、ちょうど俺もいま来たとこやから」
「へ……」嘘、ばっかり……。
「伊織は今日も、めっちゃかわいいな」
「侑士……」

テーブルの上で行き場を失くしてしまっていた手が、控えめに握られていく。
触れていいのか、迷っているような力の弱さが、そのまま侑士の気持ちなんだと悟ったとき、胸が震えそうになった。

「あのさ、伊織」
「う、うん?」

侑士の目に、キラキラとした水面が浮かんでくる。ぐっと歯を食いしばるようにして、彼はなにか、小さな声でつぶやいた。

「……や」
「え?」
「……好き」
「侑士……」
「好き」





……俺かて、過去を消せるもんなら消したい。中学んときに早い段階で伊織に出会えとったら、俺かて最初から伊織だけやったと思う。そんなん後悔してももう遅い。せやけど誓ってもええ。伊織と会ってから、ほかの女になんか見向きもしとらん。伊織には、そういう俺を見てほしかった。過去やなくて、いまの俺を。

――何人、こうして抱いたの?

思いだすだけで胸が痛い。色を失くした伊織の目。俺みたいな汚れた男、嫌になってもうたんかもしれん。
結局、朝から「Zion」で待つこと5時間……伊織が、やっと来てくれた。正直、来てくれるとは思ってなかった。約束したとはいえ、昨日はあんなことになってもうて。
ホンマは何度も、何度も連絡しようと思ったけど……我慢した。傷ついてんの、伊織のほうやから。悪いん、俺やから。俺の過去が、悲しませとるから。
許してもらうんは、俺のほうや。せやから伊織が落ち着いてから、もしも今日ここに来てくれたら……それが無理でも、連絡してくれたら。伊織が……俺のこと、まだ好きなら。
俺は、伊織を信じることにしたんや。

「好き」
「ね、侑」
「めっちゃ、好き」
「侑士」
「好きや」

何度も伝えた。俺が伝えたいのは、それだけやから。とにかく、伊織が好きで、好きで、しょうがない。昨日は帰宅してからホンマにいろいろぐじぐじ考えた。俺も、痛いとこ突かれたからって、あんな言いかた、することなかったやん、とか。どうしたら許してもらえるんやろか、とか。せやけどどんだけ考えても、出てくる答えはひとつやった。俺は、伊織が好きなんや。過去、めっちゃ女と遊びまくったけど、いまは、伊織が好きなんや。伊織だけを、愛しとる。

「侑士……」
「伊織が、好きなんや」

言うとるうちに、切なくて泣きそうになる。想いが届いたところで、伊織が冷めとったらどないしよう。こんなに人のこと好きになったことないから、感情の制御ができへん。
見られたなくて、最後に「好き」と伝えたあと、俺はとっさにうつむいた。恥ずかしい。泣いた顔、何回も伊織に見られて、俺……。

「侑士……ごめんね」

伊織の手が、俺の手に重ねられた。両手の熱が俺の右手を挟んで、強く、握りしめられる。
ゆっくり視線を上にあげると、伊織は涙を目にいっぱいためて、俺の顔を覗きこんどった。

「わたしも好き。大好き。それなのに、ごめんね……っ」
「伊織……」
「侑士の全部が好きなのに。過去に嫉妬なんかして、本当にごめんなさい」
「そんなん……俺もするもん、わかる」
「え……」
「あ……いや、する、やろなって話」あぶな……伊織の初恋話への嫉妬は、俺だけの秘密や。「とにかく俺も、ごめんな。悲しませたないのに」

ぶんぶん首を振る伊織がめっちゃ愛しい。かわいくて微笑むと、伊織もやっと笑顔になった。
やんわりとした仲直りに、ほっとする。いつもの俺らの時間。まだ付きあって半年も経ってへんのに、絶対にこの子やって思う……もうなにがあっても、伊織とは離れたない。

「いらっしゃい。はい、これサービスね」

手を握りあって、俺らはしばらくのあいだくすくす笑っとると、いつのまにか横に店長が立っとった。
お客さんが来たらすぐに注文を取りに来るのが普通のカフェやけど……このタイミングは、たぶん店長が見守ってくれとったから。

「店長さん……」
「ん? あ、これはカフェモカだよ? 侑士くん甘いの苦手だっけ?」コトン、とカップを2つ置いて、なに食わぬ顔で。
「ははっ。いや、俺、最近は甘いの好きです」
「お、いいねえ」

今日も、ずっとここでぼうっとしとった俺にときどき話しかけてくれとった店長。せやけど伊織の名前はひとことも出してこんかった。いろいろ察したんやと思う。
なんなら、伊織をここに呼んでくれたのはこの人かもしれへん。いやいや、めっちゃええ人やん……。

「上品に甘いってのがあるんやなって。教えてくれたん、店長さんです」
「ふふ……そう? とびきり甘いのも、俺は好きだけどねえー」

俺と伊織を、見守ってくれとる。ダイレクトやなしに、そっと。余計なことも言うてこんし。前のときもそうやけど……粋な大人やわ。
俺の言わんとしとることまで理解して、あげくとびきり甘いんが好きやって? めっちゃ煽ってきはるやん。

「あかん……」
「へ?」

そのときになって、ようやく思いだす。いや昨日の今日やのに、すっかり頭から抜けとった。
俺、昨日、仁王にめちゃめちゃ余計なこと言うてもうたわ……いやいや、仁王もちょっとかわいそうやったし。ああ、せやけど店長に迷惑がかかるかもしれへん。

「侑士?」
「あ……ああ、いや、なんでもないねん」
「なに? 気になるよ」
「いや……あ、せや、せっかくやし、ちょお予定が押したけど、ドレス見に行こうや、伊織」とりあえずごまかす。仁王の話は、また今度でええわ。違う場所で仁王がひとり語りでもしとるやろ。
「あ、うん! ごめんね……早く来たら、もっとゆっくりできたのに」
「ええねん。日曜なんやし、十分ゆっくりできるで」
「うん……でも、侑士、本当にいいのかな?」
「ん? なにが?」
「その……ドレス、か、買ってくれるとか、そういう話が、出てたから」

ははあ……なるほどな。ケンカしたばっかりやのに、図々しいとか思ってんやろか。あかん、笑いそうになる。ホンマ、なんちゅうか、健気な子やなあ。

「え、侑士、なに笑ってるの?」
「え、ああ、堪忍。バレたか」うっかり、顔に出とったらしい。「やって伊織、普通はな? ケンカのあとはおねだりしやすいんやで?」
「え?」
「俺、伊織にひどいこと言うたもん。せやから伊織はぷんすか怒って、『ドレス買ってくれたら許してあげる!』って、言うてええのに」
「そん……ひどいこと言ったの、わたしだもん……」

しょんぼりした顔して……ずるいわあ……狙いやったら、ホンマに悪い子やで、伊織は。

「約束は、約束やで伊織。買いに行こ。そんで、伊織にとびきり似合うドレス着て、俺の機嫌ようして?」
「……うん!」





外はすっかり日が落ちている。もう3時間近くも選んでいるのに、まったく決まらない。だって……どれも素敵。なのは当然なんだけど、どれも……。

「俺的には、や。やっぱりこのドレスがええと思うねん。な、これ流行りないと思うで。将来、結婚式とかにも着ていけそうやしさ」
「うーん、そうなんだけど。うーん……」

値段が高すぎるのだ。
5店舗ほどお店を回ったあと、わたしたちは結局、最初のお店に戻ってきていた。
お互いがもう水に流した「過去」だけど、女の長い買い物にしっかり付いて来る侑士は、皮肉なことに、やっぱりさすがである。
さて、侑士がわたしにオススメしてくれたのは、とてもエレガントな深緑のドレスだった。侑士の好きな色、というのもあるかもしれないが、たしかにとても美しい。
正直、わたしもこのドレスがいちばん素敵だと思っている。ただ、ほかにもっと安くてそれなりにいいのがあれば、それで決着をつけたかったのだ。
だって、いくらなんでも……。

「なにをそんなに悩んでんの?」
「だ、だってこれ、高いよ……」

何度も値札をめくっているが、値段は当然、変わらない。8万円である。
8万ですよ!? 高校生がそんなドレス買ってどうするんだいっ。と、わたしがおっかさんなら叱っているはずだ。

「ええやん俺がだすんやからー」
「ダメだよ高すぎる! ダメ絶対、絶対ダメ!」8万なんて! ださせるわけにいきますか!
「覚せい剤の撲滅ポスターかお前は……。強情やなあ。せやけどこれ逃したら後悔するで?」
「あれっていじめのポスターじゃないっけ?」どうでもいいことに引っかかってしまった。
「いやクスリやろ。おま、クスリやったあかんで?」
「や、やらないよそんなこと!」なんて失礼な!
「ライブハウスってそういうの溢れてそうや、これを機に、もう行くのやめとき」
「そんな場所じゃないってば! なにどさくさに紛れてっ」
「ふん……ちゅうか、そんなんどうでもええねん。はよ決めや」
「うう……」

しっかりとツッコまれつつ、侑士とわたしはそのドレスの前でぺちゃくちゃしゃべりまくっていた。ショップスタッフから「いいから早く試着しろ」という無言の圧力を感じる。
そうですよね、わかってるんです。でも試着したら終わりだろうなってことも、なんとなくわかっておりまして……。

「あれ? 侑士じゃない?」

そのときだった。「大人の女」の声がして、わたしも侑士も振り返った。つい数日前のデジャヴである。このあいだのお姉さんとは違う、だけど見た目の完璧さは前回と同じく、トップクラスの女性が立っていた。よくもまあ、こんな美人を何人も見つけてたよホント……。ちょっと侑士に呆れそう。

「だよね? やっぱり侑士だ」
「お、おう」

侑士が気まずそうな顔で挨拶を返しているなか、彼女は前回のお姉さんと違い、わたしにすぐに気づいた。チラッと目を向けて、余裕の笑みを浮かべている。どことなく、嫌な視線だった。

「こんにちは。妹さん?」はい、言うと思ったー。
「ちゃうよ、この子はっ」

侑士が焦ったようにわたしを紹介しようとした。でも、わたしは侑士の腕を引っ張った。

「侑士」
「え」

微笑むと、侑士は戸惑いの視線を向けてきた。また、瞳が揺れてる。侑士をこんなふうに怯えさせることができるのは、ある意味、いまのわたしの特権なんだ。

「はじめまして。わたし、彼の妹じゃないんです」
「あら、間違えた? ごめんなさい、どっからどう見ても」
「彼女なんです、侑士の。佐久間伊織といいます」

ちゃんと笑顔で、ちゃんとお辞儀をして、挨拶した。考えてみれば、街で侑士に声をかけてくる女性たちに、こうしてきちんと挨拶をしたことがないと気づいた。
いつも強引に話しかけられるから、その迫力に負けて、ぼそぼそと聞かれたことに応えていただけだ。

――心に品格を持て佐久間。じゃねえとお前は、いつまでも自分を許せないままになる。違うか?
――伊織が、好きなんや。

侑士に声をかけてくる綺麗なお姉さんを嫌に感じるのは、わたしの心の問題だ。わたしの心が揺らいでいるから、つっけんどんな態度になってしまう。
変わらなきゃ。
いつまでも、侑士が好きって言ってくれるわたしでいたい。大好きな人にそんなふうに思ってもらえる自分を、誇りを持って。

「へえ……ご丁寧に、どうも」目の前の彼女が、顎を引いていた。不機嫌そうである。
「いえ。あ、侑士のお友だち、なんですよね?」
「え……ええ、まあ。ていうか、元カノだけど」おっと。ジャブが入ってきた。侑士が目を見開いている。
「嘘つくなやお前と付き合った覚えなんか」おっと、こちらは簡単に煽られてる。
「侑士、ずいぶんと女の趣味、変わったんだね」
「は? どういう意味や」
「えーだって、彼女さん、なんか幼いし。あたしとは真逆って感じに見えるけど」
「お前ちょおいい加減」
「侑士」

侑士の腕を、しつこく引っ張った。むぐ、と言わんばかりに侑士の声が止まる。
いつも冷静なのに、彼も慌てている。昨日の今日だから、侑士だってせっかくの仲直り、ぶち壊されたくないもんね。わかるけど……。ていうか付き合った覚えないんだ? へえ。じゃセフレ的な? あるいはワンナイトラブとかそういうこと? それもどうなんだか! ふんっ。

「あの、いいですか」
「なに?」

女性の雰囲気は、ますます険のあるものになっていた。不愉快なのはわかるけど、わたしだって不愉快だっての。

「彼の女の趣味、変わってないと思うんです」
「え……どこが?」ぷっと吹きだして、見下してきた。大丈夫……わたしは侑士に、愛されてるから。「あたし見てわからない?」
「わからないから言ってるんです。侑士って、不躾な人が好きじゃないから」
「はあ!? あんたちょっと、どういう意味!?」

言った直後、大声をあげられた。ケンカか? という、周りの視線が痛い。スタッフの人が気にしていた。恥ずかしいけど、うまく終わらせなきゃ。

「いきなり現れて元カノだって言われて、いい気がするわけないじゃないですか。顔見知りでもないのに」
「ちょ、伊織」周りを見て、侑士がアワアワしはじめた。ちょっぴりだけ、いい気味だ。
「誰に向かって言ってんのよ!」
「だからってわたしがすごく躾がいいとは思いませんけど、あなたよりいいと思います。それに侑士は、あなたと付き合った覚えがないって言ってます。どんな関係だったにせよ、最初からあなたのこと趣味じゃなかったんだと思います。もういいですか?」

唖然としていた彼女を無視して、唖然としていた侑士に、行こう、と声をかけて彼の腕を引っ張った。深緑のドレスを持って、即座にスタッフの人に声をかける。大丈夫ですか? と言わんばかりの表情に、わたしもじわじわと焦ってきていた。

「試着、いいですか?」
「え、ええ」

さっと試着室に入って、深緑のドレスを身にまとった。逃げ切れた……ちょっと怖かったけど、あれ以降、彼女の声も侑士の声も聞こえてこないから、きっとなんとか収まりがついたんだろうと推測する。
深呼吸をして扉を開けると、苦笑しながらこちらを見ている侑士が立っていた。

「ふふ。侑士、なにがおかしいの?」
「くくっ……ん。伊織、強なったんやな、と思って」
「えへへ。あの人、帰った?」
「ん、しばらくぼうっとしとったけどな。伊織のおかげで帰ったわ」
「はあ、よかった。ちょっと怖かったんだ」
「ホンマ? めっちゃ堂々としてたやん。さすが、俺の女やで」

侑士がそっと、頭をなでてくれる。わたしはやっと、侑士の彼女として自信を持てた気がしていた。





街並みは、すっかりクリスマスモードに突入しとった。あちこちから聞こえる音楽に、青と白のイルミネーションが幻想的な夜を彩っとる。

「ねえ侑士」
「ん?」
「ほ、ホントによかったの?」
「なんやあ、気にしたあかんって」

伊織は結局、深緑のドレスを買った。最近、大人になってきた伊織にはピッタリの上品なドレスや。8万円……たしかにまあまあしたけど、ええねん。かわいいんやから。

「プレゼントやって、言うてるやん」
「そうだけど……でもすごい高かったから」
「ああ、ほなあと、お詫びや」
「え?」
「俺のせいで、試着室に入るハメになったやろ?」

言うと、伊織は健気にぶんぶんと首を振った。眉を八の字にして俺を見あげとる。
せやけど……今日のは伊織なりに考えて、伊織なりの変化を遂げたってことや。それもこれも、俺のためやん。めっちゃ抱きしめたくなる。

「ありがとう」
「え……」
「俺のこと、ホンマはまだいろいろ思うやろに、それでも好きやって思ってくれて」
「侑士……」
「めっちゃ嬉しい。俺も伊織が大好きやから。せで、感謝の気持ちもあるってことで、ええやろ?」
「そんなの……わたしだって!」

いつまでも納得せえへん伊織を、今度は俺が制した。さっきあの女の前でめっちゃ制されたもんなあ。伊織、ホンマにカッコよかった。

「あかん、そういうときは、どういたしまし天満宮、やで」
「ど、へ? 天満宮?」
「くくっ。しょうもないやろ?」

しょうもなさすぎ、と伊織はケラケラ笑った。その笑顔に、うまくごまかせたと満足する。俺、何気に貯金あるし。彼女にはしっかりお金を使っていきたいタイプやし。そうやって男のプライド守っとるってこと、伊織は全然、気づいてくれへんけど。

――ちょっと、あんた!
――お前、ええ加減にせえよ。
――は?
――それ以上、伊織になんか言うんやったら、ホンマに殺すぞ。

ぼんやり、さっきのやりとりが頭に浮かぶ。あれは伊織のプライドを守ったつもりやったから。ぶっちゃけ、最初からボロクソ言うたろ思っとったんやけど、伊織の前やったで、怖がらせたくなくてやめたんや。

「……かな?」
「へ?」
「あれ……なん、もう、侑士!」
「堪忍、堪忍。なになに?」

さっきの記憶に耽っとったせいで、うっかり聞き逃してしもた。慌てて聞き返すと、伊織はなんでやか、ぶすうっとしとる。

「そんな、そんなふくれんでもええやん。伊織も俺の話を聞いてないことようあるやんか」
「そうだけど……」いやそうなんかいっ。「だって、思いきったのに」
「思いきった? なに? 言うて? ホンマに聞こえてなかったんやって」
「2回も言うの恥ずかしいもんっ」

めっちゃ拗ねとる。すんごいかわいい。
せやけど、2回も言うたら恥ずかしいことってなんやろか。トイレ行きたいとか? いや別に何回でも言えるやんな? どういたしまし天満宮? うん、これは2回も言うたら恥ずかしいな。1回目でスベっとるうえに、さらにもう1回スベることになるし……。

「ホテル……」
「え?」
「昨日の……やり直したいなって」

じわじわっと顔を赤くしてうつむく伊織が、気まずそうに耳たぶを引っ張りはじめた。
ふわああああっと、俺は天にも昇りそうやった。
ホテル。昨日のやり直し。つまりそれはもう、ラブホ行ってめっちゃラブラブエッチしよってことやんかあ!

「せやんな! あそこ行って、そんでホンマの仲直りやんな!」
「べ、別にあそこ行かなくても、仲直りしてるけど!」
「ええやんもうー、なに照れとるん伊織ー」恥ずかしいんやろう、目を合わせてくれへん。それがめっちゃたまらん。「俺とエッチ、したなったん?」
耳もとでささやくと、伊織は目をひん剥いて怒った。「ち、ちがっ!」
「してないもんな? 昨日も、今日も」
「だから、別に、したいからとかじゃっ……!」

絶対にそこだけは認めへん伊織の腕を引っ張って、俺は意気揚々と足を進めた。

「も、ウキウキしすぎ!」
「するやんそんなの。伊織がエッチしたい言うてんねんで?」
「だから、違うってば!」
「いっぱいしよ? もう朝までコースやな」コンドーム、また4つくらい追加せな。
「も……ド変態っ」
「ん? そんな変態が好きな伊織も、十分に変態やろ?」
「う……」

否定できへんかったんか、伊織の手が、俺の手を控えめに握る。
もう全然、変態でええ。こんなかわいい伊織を目の前にして、俺に普通の男でおれっていうほうが無理やねんもん。

「素直なの、ええこやね」
「うう……うるさいー」

くすくす笑いあいながら、昨日のやり直しに、お互いがはしゃいで泡風呂に入った。
俺たちの長くて熱くて上品に甘い夜は、しっかり朝まで、つづいていった。





fin.

recommend>>愛のためいき_01



[book top]
[levelac]




×