愛のためいき_01



1.


活気あふれる都心の夜空に、星が見えることは滅多にない。それは、新旧のコントラストが鮮やかなこの東京という街が、眠ることなく輝きつづけるからやと言われとる。
大阪の夜景もなかなかのモンやけど、やっぱり東京の夜景には敵わん。とくにこの季節になると、どこもかしこもイルミネーションがまぶしい。
伊織と付き合いはじめてからずっと待ちわびたクリスマスイブデートまであと6日、俺は浮足が立ちまくっとった。

「んん、ロケーションばっちりやなあ。やっぱここがええ」
「立地が最高だからな……しかし忍足、いくらイブとはいえ、張り切りすぎじゃねえのか? 別にこんなとこ泊まらなくとも、家で十分だろうが、家で」

庶民の気持ちをなんもわかってない跡部が、しらけた顔でなんか言いよる。
恵まれすぎっちゅうのも考えもんやなあ。こんなええホテルの部屋を目の前にしても、なんの感動もないんやから。

「あのなあ跡部……俺ら庶民はな、お前みたいに庭中イルミネーションで、噴水が24時間垂れ流し、テニスコートにプールに露天風呂、シアタールームやら図書館レベルの書庫があって、スイートルームさながらの部屋がアホほどある家なんか、持ってへんねん」
「ああ、だろうな。さすがにこの18年も生きてりゃ、あれが普通じゃないことくらいは心得てる」首を縦に振って頷いた。
「だろうな、やないねん」腹立つヤツやな。
「しかしだからと言って、まだ高校生の分際でホテルのスイートルームはねえだろ。身の程をわきまえたらどうだ?」

へえ……と、妙に感心した。跡部のくせに、めっちゃ常識的なことを言いだしたからや。中学のころスマホの充電がなくなるたびに新しいスマホを購入しとったアホ跡部とは思えへん。宍戸に「お前バカか! 充電器を使えよ!」って言われたとき、「セコいな。だがエコじゃねえの!」って大声で言うとったけど、あれ、物を知らん自分が恥ずかしすぎてごまかしたんやろ絶対。あのあたりから、跡部は庶民のことを理解しようといろいろ奮闘しはじめたからな……。
やで、まあ、おっしゃる意味はわかる。せやけど、跡部の口からでた発言は、俺には結局、不服やった。

「身の程って……お前にいちばん言われたないな?」
「アーン? なぜだ」
「誰や? 中学の入学式で上級生を散々な目に合わせてでっかい声を張りあげた挙句、『部長は俺様やー!』言うてわめいとったんは」
「俺は、事実を証明したに過ぎない。身の程は十分にわきまえていたぜ?」
「どこがやねん。相手は先輩やっちゅうねん」見とって気分よかったけどもやな。
「だが能力は俺のほうが上だったろうがよ」
「それは否定せんけどな。身の程はわきまえてなかったと思うで俺」
「だいたい、学年が違うだけで偉そうにするという日本文化がどうかしてやがる」
「ようあんだけ後輩しごいとってそれ言うなあ、お前」

どうでもええ話をしながら、俺と跡部は二人で窓際に立っとった。
高級ホテルのスイートルームで色気のない話をする高校3年生男子たち……どういう状況やねん。まあそれもこれも、俺が跡部に無理を言うたからなんやけど。

「で? 予約すんのかよ」
「ん、する。夜景も綺麗やし、ご飯もここやったらめっちゃうまいやろし、伊織、絶対に喜ぶもん」

今日、伊織と千夏ちゃんは早めにバイトにでかけた。
俺らがテニス部を引退してからっちゅうもの、伊織と千夏ちゃんもマネージャー業からは抜ける予定なんやけど、いまだに後任が決まってない。
それでも、彼女たちが部活に参加する頻度は圧倒的に減った。後輩たちから文句がでるかと思いきや、そんな苦情も一切ないどころか、「あまり来なくていい」と言いだしたのは部員たちやったらしい。ああ、そら跡部が怖いから気い遣ってんやろなあ、と、思っとったけど、理由はそことは別にあった。

――吉井さんと佐久間さんが部活に来ない日は、跡部さんと忍足さんが部活に顔をださないんで。後輩たちも早く辞めてほしいと言ってるくらいですよ。

……そう伝えてきたのは日吉や。
ホンマにしばきまわしたろかと思ったけど、まあそれが本音なんやろう。俺らも嫌われたもんやで。
せやけど二人はバイトやし? 暇になった俺らはストリートテニス場で打ち合うことんなって……その帰り道、俺が切りだしたんや。

――そういや跡部、イブはどう過ごすん?
――アーン? んなもん、千夏と出かけるに決まってんだろ。
――はあ、そら高級ディナーからはじまる高級デートなんやろな。
――当然、リムジンつきだ。
――嫌な金持ちやなお前。お前の金でもないのに。
――あるものは使っていったほうがいいだろ。千夏を喜ばせるためなら、俺はなんだってする。どうせお前と佐久間は庶民らしくホームパーティが関の山だろうな。
――なんやと……?

あっさり、俺は挑発に乗った。いや、俺は伊織が傍におってくれるだけで、なんでもよかったんやけど……千夏ちゃんがそないラグジュアリーなイブデートするいうんに、いつものように伊織と一緒に晩飯つくってうちに泊まらせて……なんて、代わり映えのない夜を過ごさせることに、申し訳ない気分になってきたんや。

「忍足、お前の家は普通よりも金を持ってるだろう。それは認める」
「なんやのいきなり」

それで、跡部にいきつけのホテルに連れてけ、言うていまに至る。挑発してきたのは跡部のくせに、ぶちぶちいちゃもんつけやがって、なんやねんこいつ。俺かて伊織を喜ばせたいんや。
それに、やで……俺は夢やった。
最愛の彼女と、イブにめっちゃロマンチックなホテルで一泊。
夜は史上最高になること間違いあらへん……。はああ、もう、ラブホテルの比やないでこんなん。めっちゃイチャラブできるやん!

「忍足よ……変態な妄想を爆発させているようだから忠告しておくぞ」インサイトすな。
「なんやねんさっきから。ええやろ別に俺が金払うんやから。なんでお前にそない説教」
「ここがいくらかわかって言ってんのか?」
「……え、知らんでそんなん」

夢見心地やったところに、突然に降り掛かってきた跡部の冷静な声。はっとした。
そうやな……金、払う払うって言いながら、いくらか全然、考えてなかったわ。
跡部財閥ご用達の高級ホテル……まあ、この上のスイートルームはいくらでもあるやろう。たぶんそこは、3桁いくとしても、この部屋は普通のスイートやで、ええっと……? ん、見当もつかん。

「クリスマスディナー付きで1泊40万だ」
「よよよ、よ、よ、40万やて!?」

あ……あ……アホか!
どんだけ高いんじゃ! そら高級ホテルなのはわかっとるけどさ! クリスマスやから!? 値上げしてんのん!? アコギやな! ヤクザかあほんだら!

「ちょお待って待って……それ、跡部財閥の割引とか、きかんの?」
「きいて40万だ、バカが」

……絶望。
俺は足からぐったりと崩れ落ちそうになった。めまいがする。だいたい1泊40万て、なにがあったからってそんなお泊りすんねん。しかも割引ついて? 絶対に嘘や。跡部財閥なんかアホほど金持っとるからな、「割引価格です」とか言うて騙されとるだけや。なんなら上乗せされとるかもしれへん。
たしかにアホみたいに広い部屋やし、綺麗やわ。ロケーションも最高、めっちゃロマンチック、わかる、わかるけどやな……。
そこはせめて20万やろお……いやそれでもかなり高いっちゅうねん。どっちにしたって払えるか。
だいたい俺はこないだ伊織に8万のドレス買ったばっかりやで。いやそれはクリスマスプレゼントっちゅう名目やからええんやけど、実は2週間前にも、こっそりプレゼント買いに行ったし……。伊織にめっちゃヤキモチ妬かせてしもたで、せやから、俺の心を満たす女は、お前だけやって伝えたいから……ふふ。喜ぶやろうなあ、伊織。
それは、それとして……や。そんなんもまるっと含めて、クリスマス予算は20万なんや。完全にオーバーやんけ。

「おい忍足、聞こえてんのか」
「聞こえ……とる」
「顔面蒼白ってとこだな。まあ当然、高校3年生のお前に40万は無理な話だろう」

そんなことない。払おうと思えば払えるがな。俺かてめっちゃヘソクリ貯めてきてんねん。せやけど……それ払ったらガッツリ金が消えてしまう。あれは今後の伊織との生活資金や。デート、プレゼント、そんなものだけとちゃう。伊織が高校卒業したら同棲もしたいし、結婚、新婚旅行、子どもの養育費、老後の楽しみ……。
せやけど、せやけど俺と伊織の初クリスマスイブ……ええもんにしたい欲だってある。
こうなったら、最後の手段しかない!

「……跡部さ、ちょお」
「断る!」
「ま、まだなにも言うてへん!」

先読みした跡部に、バッサリと斬られた。さすがやこいつ……伊達に跡部財閥の御曹司やってへん。金のことには敏感すぎる。

「ふん、だから言っただろうが、身の程を知れとな」
「うう……伊織とラブラブクリスマスしたいだけやんかあ」
「卒業して社会人になってから自分の金でやれ」

……めっちゃ正論。なんも言い返すことができへん。そうやな、言われてみれば跡部の言うとることは、跡部の口からでてくる発言やなかったらどれも正しい。高校3年で高級ホテルのスイートなんか泊まれるわけないんやから。俺がアホなんや、わかっとる。せやけど……。

「はあ……泣きそう、俺」
「泣くな、うっとおしい」
「伊織と綺麗な夜景を眺めながら、ラブラブクリスマスイブしたかったんに……」
「諦めの悪い男だなてめえは。来年にでもすりゃいいだろうが」大学に入ればバイトくらいするだろうが、と、また常識的なことを付け加えた。わかっとるって……けど!
「お前わかってへん。俺と伊織のはじめてのクリスマスイブなんや! はじめてはなんでもめっちゃ大事なんや!」
「ああ、そうかよ」

呆れた跡部が、深いため息をつきはじめた。ダダこねてもどうにもならんよな。知っとる。
俺もええ加減にして、そろそろこのホテル見学を終了にせんとスタッフさんたちに迷惑がかかるな、と思ったときやった。
跡部が、じっとりと俺を見つめはじめた。

「なんや、その目……」
「いや、どうしてもこの部屋ってわけじゃなけりゃ、まあ」
「え?」

ボソボソと聞こえてきた声に、こんなときばかり俺の耳はダンボになった。どうしてもこの部屋がよかったで……せやけど、このホテルならこの部屋以外でも、きっとええ内装やと思う。

「跡部、なに?」
「ん……2ランク下のジュニアスイートなら、10万未満だろうと思っただけだ」
「そんなん、予約がとっくに埋まっとるやろ」
「だろうな。だが跡部財閥の頼みとなれば、どうだろうな?」
「え!」

目を見開いて跡部に向き直った俺。同時に、跡部はぎょっとして顎と全身を後退させた。

「跡部!」
「やめろ! それ以上は近寄るな!」
「取れるんやな!? まだ予約の埋まってない秘密のプランがあるんやな!? 跡部、俺、お前のこと大好きや!」
「気持ち悪い! 寄るなと言ってるだろうが!」

結局、こいつめっちゃええヤツやねんーっ!
普段はすっとぼけたことも言うし、強引さに全然ついていけへんって思うこともあるんやけど、それでもめっちゃ仲間思いの世話焼きさんやねんーっ!

「予約、取れるようにかけあってくれるってこと!?」
「はあ……そんな顔されたんじゃな。せっかくここまで来たんだ、かけあってやらねえこともねえよ」
「跡部ー!」もう大好きや、ぎゅうしたるやん!
「寄るなそして気持ちの悪い声をだすな!」

歓喜にあふれる俺を無視して、跡部はフロントに電話をかけはじめた。
「すぐにご案内します!」と、慌てた支配人に通してもらったジュニアスイートルームは、そらさっきのスイートほどやなかったけど、それでもまあまあ広かって、おまけに夜景もばっちり、最高の眺めやった。

「いますぐ、ご予約いただけるのであれば、ご用意はできます。ただ、キャンセルはできませんが……」
「かまわねえ。いいんだろ忍足?」
「すぐATMに行ってくるわ!」

支配人の困惑顔にテニス部で鍛えたダッシュを駆使して数分後、俺はフロントで金を払った。

「ではたしかに、99980円、ちょうだいしました」
「はい、どうも……」たしかに10万未満やけど……まあええ、そんな文句までさすがに言えへん。すっからかんになった財布をバックに戻した。

「満足かよ、忍足。ただしキャンセルはできねえぞ」
「はいはい、何度も聞いたわ。キャンセルになんかなるわけないやろ」
「ま、そうだな。庶民にしちゃ贅沢の極みだ。せいぜい楽しめ」
「ふっ……せやな。ありがとな跡部」

めずらしく、跡部と笑いあって別れた夜。
俺はめっちゃウキウキで、当日まで伊織に黙って驚かせようって、寝る直前までプランを練って高揚した。
そらそうやろ……フラグ立っとるなんて、誰が思うねん。




クリスマスソングといえば、みなさんはなにを思いつくでしょうか。「音楽マニア」と親友に呼ばれているわたしとしては、ここはやはりプライドをかけてコアなナンバーを披露したい。
が、結局わたしのなかのクリスマスソングは山下達郎かB’zである。とくに歌詞の世界観でいえば圧倒的にB’zなんだ。彼女へのクリスマスプレゼントにまさかの椅子を買って、あげくそれを電車に持ち込んで帰宅するとは……! そして帰宅後、彼女にプレゼントの椅子を誇らしげに見せると、彼女はなにもツッコむことなく心から喜んで、ふたりは抱きしめあう……どんな天然バカップルだよ!
とまあ、いろいろツッコミどころはあるけれどすごくいい曲だし、むちゃんこ切なくなる胸キュンソング……稲葉浩志は天才だなと思うわけです。

「伊織? なに笑ってんの?」
「え? あははっ、あ、ごめんなさい、考えごと」
「えー? 思いだし笑いしとったん? エッチやなあ」
「もうー。侑士いつもそやって、変態あつかいするー」

なんでそんなこと思いだしてるかというと、あと5日でクリスマスイブがやってくるからだ。恋人たちにとっては、クリスマス当日よりも大事にしたいイブ。もちろん、わたしだって恋人ができたらイブは絶対に一緒に過ごしたいと思ってきた。
しかし、である。
わたしは今日、侑士に大告白をしなくちゃいけない。

「やって伊織かわええんやもん。恥ずかしそうな顔しよるし」
「恥ずかしいもん」
「かわいい」

料理中、いつも犬のように尻尾をパタパタ振って背中からじゃれてくる愛しの侑士。わたしが包丁を持っていようが、そこに熱々の油があろうがおかまいなし。
今日だって稲葉さんの歌詞にニヤニヤしてるわたしに気づくこともなく、腰に手を回して耳にキスをして。
もうめっちゃくちゃイチャイチャムードである。幸せ者だなあ、わたしは。

「ん、侑士、あぶないってばあ」
「せやけどご飯できるまで侑士が寂しいやん」
「だからって身動き取れなくしたら、余計に時間かかっちゃうでしょー」
「んん、せやかて離れたない」

いったい今日はどうしたというのか。侑士の甘えっぷりは尋常じゃなかった。たぶん、なにかいいことがあったんだろうと思うけど、なぜよりによって今日という日にこんなにご機嫌なんだと頭を抱えそうになる。
だからって、この事実を胸に留めたままでいれるはずもない。なるはやで告白しなきゃいけないのだ。しかしそれは、急に帰ってきて椅子を見せて「プレゼントだよ」というくらいの大告白なのだ! 悪い意味で!
……それは、昨日のことだった。

――24日なんだけどさ、伊織ちゃん出勤になったから。

バイトの帰り際、店長は唐突に告げてきた。もちろん、目が点になった。だって当然、イブは侑士と過ごすって決めてたし、ずっと前から約束もしてたから。きっと冗談ですよね? あ、来月の話かな? と思ったのはほんの一瞬のことである。店長の目が、マジだったからだ。

――は……はい? いやいやわたし、休み希望だしてましたよね?
――うんまあでも、あれって、あくまで希望じゃない?
――そ、そうかもしれないですけど、ダメです! 絶対にでれません!
――いや本当にごめんね……でも絶対ってことはないと思うんだよね、うん。
――いや、うんじゃなくて!

マジモードの店長は機械的に対応した。ごく冷静で、申し訳ない雰囲気もあまりなかった。社会とはそういうものなのだと、威厳ある面持ちを崩さない。

――いやあのね、休み希望をさ、もちろん、聞いてあげたかったんだよ俺だって。でもあみだくじの結果が伊織ちゃんだって、いうもんだから。
――あの……ちょっとなに言ってるかわからんないんですけど!
――ふうふうー! ナイスツッコミー!
――は? いや本気なんですけど!

負けられない、と思ったのだ。だからわたしも真顔で問い返すと、店長は汗もかいていない額をぬぐった。本人の顔からも笑みが一瞬で消えていたわけで、これは戦争だと、それだけで理解した。

――全員さ、休み希望が出てたんだよね。それは知ってるでしょ?
――知ってますよ! どうすんのかなーって思ってました!
――そうだよねえ? でもうちもさ、すっごい儲かる日なんだよ、クリスマスイブは。なのにスタッフがいないなんて無理でしょ? だからアレだよ? 伊織ちゃんだけじゃないんだよ? ほかにも生贄がいるから。キッチンからひとり、ホールに回すし。
――生贄って……。
――だからってさ、さすがに俺とキッチンの人だけじゃ回せないよー。殺す気? 伊織ちゃんはバイトとはいえ、うちの会社のスタッフなんだよ。正社員とかバイトとか、そういうのは関係ない。働くものは会社の利益に貢献しているからこそお給料が払われるわけだよね? つまり?

こういうのを、世間ではロジハラという。しかし同時に、パワハラでもある。いや、困ってることはわかりますけど! わたしにだって生活というものがあるわけでして!

――いや、言ってることはわかりますけど! でも!
――予定が入ってたんだよね? わかってる。しかしそれはみんな一緒だしさ、ね? お願い。葬式とか結婚式とかよっぽどのことじゃない用事なら都合をつけてほしい、お願い。
――店長……あの、わかってると思いますけど、わたし侑士先輩と……!
――わかってる。だからお願いしてる。でね、昼から24時まででいいから!
――は、はあ!?

全然、わかってない問答無用感……!
しかも12時間も働けってか。あの店長、ちょっと最近、調子に乗りすぎじゃない!? だいたい、高校生をそんな時間まで働かせるなんて、世間が知ったらぶっ叩かれて終わるんだぞ!
なのに千夏のバックに跡部財閥がいるとわかった途端、これだよ! なにがあっても守ってもらえる権力を手にいれたと感覚的に察知しているんだ。チクってやろうか、労働基準監督署みたいなとこにチクってやろうか! と、一時的には憤慨したが、その怒りは数分で収まった。
どう考えても非常識なバイト先ではあるのだが、一定、店長に同情もしていたせいだ。うちで働いているのは、店長も含め、若者が多い。そして音楽好きが集まっているせいか、わりとみんな、パーティーピーポー的なところがある。
先月のシフト希望の段階で全員がイブ休暇を求めていたことは、先のとおり、わたしも知っていた。店長はさぞかし、頭を悩ませ苦しんだだろう。
だからあみだくじで決めたんだ……それをわたしに言うのも、心苦しかったに違いない。でも下手に出たら断られる可能性が高くなる。だから、絶対に断れないように、有無を言わさない大人力を発揮したんだろう。
とはいえ、だ。
侑士との初クリスマスイブ、大切にしたかったのも本当で、それに、一緒にいて当然と思っているに違いない(というか約束もしてたし)侑士にそれを打ち明けるのも、ものすごく怖い。
般若みたいな顔して、機嫌を悪くされたらどうしよう……と、昨日から頭のなかでは、その不安がぐるぐるとつきまとっている。
なのに今日に限って、侑士はすこぶる、ご機嫌というわけで……。

「んん、やっぱ我慢できへん。伊織、チュウしよ?」
「もう、あとでって……ン」

好き。大好き。強引な侑士も、いつだってこうしてわたしをときめかせてくれる侑士も。
確認を取らないキスだって、わざと首に絡んでくる優しい手の愛撫だって。

「侑士……」
「ん……なんや文句ある?」
「……ない」
「せやろ?」

はあ、ごめんね侑士……わたしまた、侑士をガッカリさせちゃう。





伊織に内緒で計画しとったクリスマスイブまであと5日。予約した昨日も興奮したけど、翌日になって伊織に会えば、余計にテンションがあがっていく。
いつだって伊織はかわいいけど、もっともっとかわいい笑顔を見せてくれるんやろうなと思うともう、ワクワクが止まらへんかった。
せやのに……。俺はソファの上で、めちゃくちゃ衝撃的な告白をされとった。

「え……?」
「侑士、本当にごめん……だ、だけどね、店長もすごく困ってて……」

いつものようにふたりで食事を終えて、一緒に食器を洗って、紅茶を入れてソファに座って、さあ今日はなにする? 映画でも見る? のルンルンタイムがはじまって直後やった。話がある、と言った伊織は、それからずっと下を向いたままやった。
クリスマスイブに、俺とは一緒に過ごせんって、言うた。ちょっとなに言っとるかわからんかったから、聞き返したら、ホンマにめっちゃめちゃ困った顔して、同じセリフを吐いた。

――クリスマスイブにね、お昼から0時まで、バイト入れられちゃったんだ。だから侑士とイブ、過ごせなくなっちゃった……。

もちろん、休み希望はだしとったと、伊織はすぐに弁解してきた。せやけど全員が休み希望をだしとったことで、苦渋の決断をした店長は、くじで伊織を引き当てたらしい。
俺は言葉を失った。やって昨日、ホテル予約したやんな? 俺。そら、伊織はそんなことしらんけど、そもそも、クリスマスイブは約束しとったし、当然、一緒に過ごせるもんやって……俺、伊織と一緒にイブを過ごすんが、楽しみでしゃあなかったから……。

「……侑士……本当にごめんなさい」

いまにも泣きそうな声で、伊織は何度も謝ってきた。伊織が悪いんちゃうのに。めっちゃ反省しとるみたいな声と、つらそうな表情。しっかり顔をあげてこんから、それは余計につらそうに見えた。
伏せたまつ毛が震えとる。前にもこんな顔させたな、と思う。そうや、俺がめっちゃ、嫉妬したとき。バイトのことで、めっちゃ喧嘩したとき。過去のことで、めっちゃ嫉妬させたときも。俺とシリアスな空気になると、伊織はいつも、めっちゃつらそうやった。

「ゆう、し……?」

つらそうな伊織を見て、俺は黙りこんどった。絶望的になって、言葉を失ったのももちろんある。せやけど、それよりも。伊織と付き合いはじめての数ヶ月間が、急に走馬灯みたいに駆け抜けていった。
約束、したのいつやったっけ。まだ付き合って間もないころやったな。

――なあ伊織、クリスマスイブは、絶対にふたりで一緒に過ごそうな?
――え、いいんですか?
――あったりまえやろ? 伊織、俺の彼女なんやから。
――うう、うう、嬉しいです! すごく! 一緒に、一緒にいたいです!
――ん、俺も……。最愛の人と一緒に過ごす日やからな、イブは。伊織は、どこ行きたい?
――そんなの、侑士先輩とふたりなら、どこだって幸せですよ!
――も、なんやあ、もう、嬉しいこと言うてくれるなあ?

学校の屋上で。デレデレんなって、伊織をきつく抱きしめた。せやねん。それがあったで、俺は多少、見栄を張ってでも……身の程、わきまえてなくても。
はじめて愛した人と、はじめてのクリスマスイブ、最高の夜にしたいって思ったんや。伊織のためやったら、ホテル代の10万くらい、なんてことない。
やって伊織は、ふたりで一緒におりたいって言うてくれたから。俺とふたりならどこだって幸せやって、言うてくれたから。それやったら、もっともっと幸せにしたいって思うやん。
俺も、伊織と一緒におりたい。伊織も、俺と一緒におりたいって……あのころは言うて、くれとったのに。
伊織が悪いんちゃうけど……一緒におれんって、伊織はそれ、納得したんや?

「侑士……ねえ、本当に、ごめんなさい」

伊織の気持ちは、変わっていったんやろうか。この数ヶ月で、なにがあったからって、変わっていったんやろう。
付き合って、2週間くらいで、ひっどい喧嘩したな。俺の嫉妬やった。伊織のいとこの小野瀬にひどいことして、伊織はそれに反発して。あげく、俺が意地をはったせいで、伊織をつらい目に遭わせた。めっちゃかわいそうな思いをさせた。
そんで、次は? 愛をたしかめあうまでのあいだに、いろんなことを乗り越えた。ここでも、伊織は俺のせいでめっちゃつらい思いをした。せやけど俺の誕生日に、伊織は全部を委ねてくれた。
そのあと……伊織がバイトをはじめるって言いだして、軽い喧嘩して、そしたら俺に嘘ついてまで、バイトはじめて。そんでまたひどい喧嘩になって……伊織にはめちゃくちゃきっついこと言われた。それで俺、ものすごい落ちこんだ。

――わたしは侑士の奴隷じゃない!

俺の束縛に限界をきたしとった伊織からの本音に、俺は傷ついた。やって、俺との恋愛のためだけに生きていきたくないって言われたんや。俺あのとき正直、振られたんかなって思ったし。せやけど、伊織の言うとることは正論や。伊織は、俺のものやない。俺の気分で振り回してええわけない。せやから俺も反省して、なんとか、仲直りして。
そのあとは……? 伊織が俺の過去の女癖の悪さに嫉妬して、また喧嘩……。つい、こないだのことや。伊織は自分のなかで折り合いつけて、「好き」としか伝えれんかった俺よりも数倍、大人になって戻ってきた。俺のとこに、戻ってきてくれた。そんなん、伊織やからやない? 伊織は、めっちゃ優しいから……俺のこと捨てんでおってくれる。
ほんで今日……あと5日でクリスマスイブ。めっちゃ、めっちゃ楽しみにしとった。伊織、驚くかなって。喜んでくれるかなって。そういう俺の期待は、勝手やよな。
やってもう、喧嘩すんの、嫌や、俺……。いや喧嘩が嫌とかそういうことよりも……俺がこれ以上、ダメなとこ見せたら、今度こそホンマに、伊織に嫌われてまうんやないの?
ここでたとえば、俺が本音をぶちまけたら。伊織から返ってくる言葉は、やっぱりアレやろ。

――侑士の束縛に悩まされて、ただ侑士との恋愛のためにだけ生きていけっていうの!? そんな人生になんの意味があるの!

あかん……いま、言われとるわけでもないのに、もう胸が痛い……あんなん、二度と聞きたくない。
それをまた言われたら、どうすんねん。もう立ち直れんやろ、絶対。今後こそ、終わるかもしれんやん。

「侑士……」
「ん、ああ、堪忍。ちょお、ぼうっとした」
「え?」

すっかり黙りこんだ俺が心配になったんやろう。伊織はようやく顔をあげて、俺と目を合わせた。
なんか、答えな。伊織に、嫌われんようにせなあかん。普通の男の、普通の返事せな。優しい彼氏でおらな。束縛はあかん。伊織は俺との恋愛だけに生きとるわけちゃう。伊織は自由なんや。こんな、どうしょうもない俺と、付き合って「くれとる」んや。

「ああ、うん、バイト入ったんやたったな、ん、そらしゃあないわ。やで、バイト頑張ってや」

笑った。無理に。でもそれで、伊織が安心してくれるんやったら。伊織に嫌われんのやったら。そんな無理、いくらでもできる。

「へ……?」
「え? あれ、そういう話やったよね?」
「え……ああ、いや、あ、うん……そう……。えっと、頑張る」

一瞬、目を見開いた伊織は、予想しとった答えとは違うんが返ってきたせいやろか、おどおどしながらそう答えた。
せやよな……やっぱり俺、怒ると思っとったよな。やからめっちゃつらそうな顔してたんやもんな。問題児を抱えて、困った顔をした大人みたいに。
そら、これまでの俺やったら、たぶん……。

――なんやて? はっ、いますぐ辞めさせたるわそんなとこ。伊織とイブ過ごせへんなんて考えられへん。お前、俺との約束なんかどうでもええんか? なに素直に店長の言うこと聞いてんねん。俺が店長に話つけたるわ。いますぐ電話して断り!

とか、言うとこやで。あかん、絶対にあかんな。せやけどお前はそんな俺を見越して、なんて説得しようか悩んどったんやろ? 堪忍やで、つらい思いさせて……。うんざりするよな、予定キャンセルするだけで、そんな顔させる彼氏とか……。

「侑士……さ」
「ん? なあに?」
「具合でも、悪い?」
「え? なんでや。悪ないよ」

もう一度、今度はしっかり笑って見せた。
伊織はいつも、俺にどやされんように俺に気い遣っとる。俺と一緒におること以外にも、楽しいこと見つけたで、そこともうまくやる必要がある。当然のことや。

「そっか……なら、いいんだけど」
「しゃあないもんな? イブを一緒に過ごせんのは残念やけど、翌日にクリスマスしよな? ん、俺はそれでええよ?」
「あ……う、うん! あ、ごちそう、つくるね!」
「お、ホンマ? めっちゃ嬉しい。楽しみにしとくな?」

伊織には、伊織の人生があるんやから。俺やって我慢せなあかん。伊織に愛想つかされたくなかったら、こういうときは素直に「ええよ」って、言うべきやもん。
……伊織にもう二度と、あんなこと言われたない。バイトに嫉妬しとるカッコ悪い自分なんか、もう見せたない。そんな俺、もう伊織に知られたないから……。
俺は、このとき決心した。あんまり、普段から伊織にしつこするのもやめようって。重たい男になるのは、もう、卒業しよって……。
伊織に、振られる未来を避けたかった。





「侑士がおかしい」
「いつもじゃん」
「いつも以上にって意味なんだよっ!」
「いやそこは否定せんのかーい」

完ッ全にわたしを(いや侑士を?)バカにしている千夏の顔を見ながら、舌打ちをした。否定はしたいが否定できない。それは忍足侑士という人の近くにいれば、誰もが一度は感じることだろう。侑士にはちょっと過剰なところがある。あと、ときどきボケてるのか天然なのかわからないこともある。だから、否定はできない。
でも、こないだのアレは究極におかしかった。おかしい侑士が普通だった。だから要するに、それは「おかしい」ってことなんだ!

「なにがあったのよまたー」
「いや、それがさあ……」

バイトで千夏と一緒になったときは、たまに店内で食事をして帰ることがある。まかないなのでタダだし、好きな音楽かけ放題だし、高校生のガールズトーク場にしてはオシャレ感満載なので、最高に気分がいい。
さて、侑士にクリスマスイブのキャンセルを申し出てから、3日が過ぎていた。当然わたしは、あの侑士の呆気なさに度肝を抜かれていた。本来なら拍子抜けするところなのだろうが、その程度では済まないほどの衝撃だったのだ。
だって、いくらなんでも……あの忍足侑士が、あの態度はおかしい。わたしが知っている侑士じゃない。
侑士ってば、絶対にあんな人じゃない。あれから3日間、わたしは何度も侑士の様子をうかがったけど、それでも侑士はあの呆気なさのまま、まったく変わらなかった。それもおかしい。だって、あの話をするまで、ずっとベッタリベタベタな侑士だったのに。

「よそよそしくなった、急に。人が変わったみたいに」
「変わった? なんで?」
「だから、クリスマスイブの予定をキャンセルしてからだよ」
「それはわかったけど、なんでそれで変わるの」
「わかんないよ! だけど、あんな侑士は侑士じゃないよ。侑士じゃない人と付き合ってるみたいな気分になる」

千夏にはすでに、簡単な経緯は説明していた。彼女だって、この話をはじめたときは「うわあ、すっごいキレられたんでしょ」と、実に楽しそうにニヤニヤしていたのだけど、ことの顛末を話すと、「へえ? あ、そうなんだ」と、千夏こそが拍子抜けしていた。
まあ、千夏からすればそういう感じにはなるだろう。
しかし、だ。
恋人であるわたしには、侑士のことを知っているわたしには、青天の霹靂と言っていいくらいのことなのだ!

「まあ、たしかに……イブのことはおかしいよね」あたしも聞いたとき、変だなと思った、と、付け加えている。
「そうでしょ? あの侑士が、『ええよ』って、微笑んでたんだよ?」
「んん、それは妙だよね。むすっとして『ええよ』ならまだわかる。いや、それでも忍足先輩だと考えると変だけど、微笑みはどう考えても、忍足先輩とは思えないね」
「うん……でもあれから、『やっぱりちゃうやろ!』とか言いだすと思ったけど、なにも言ってこない」
「ああ、ぶり返してキレるってやつね」
「そうそう、そのパターンあるかなって」

侑士も、一旦はカッコつけたんじゃないかなと、深読みをしていた。あの日はご機嫌だったから、余計にそういう感じになったんじゃないかな、とか。
でも彼は、そんなストレスをずっと抱えつづけられる人じゃない。納得したとしてもあとでぶちぶち言いだすか、嫌味満載で拗ねまくるか、そういう事態が近いうちに起こると確信していたのに。

「結局、それもないわけか」
「そうなんだよ……」
「てか伊織はさ、しょっぱなからおかしいと思ったわけじゃん? 実際は、どう返ってくると思ってたの?」
「え……そりゃもう」あの侑士のだことだ。「『なんやて? はっ、いますぐ辞めさせたるわそんなとこ。伊織とイブ過ごせへんなんて考えられへん。お前、俺との約束なんかどうでもええんか? なに素直に店長の言うこと聞いてんねん。俺が店長に話つけたるわ。いますぐ電話して断り!』……みたいな感じ?」

我ながら、とても上手に真似できたと思った。千夏も「うわあ、すごい」と感嘆の声を漏らしている。

「めちゃくちゃそんな感じがする。だけど?」
「そう、だけど全然、予想外」

あの忍足侑士が、だ。バイトするにもあんなにギャンギャン言って、ひと悶着あったあの人が。

――ん、そらしゃあないわ。やで、バイト頑張ってや。

……ありえない。何度、思い返しても、ありえないのだ。

「それはー、なんかあるかもな」

謎が深まる侑士の言動を改めて考えているところで、千夏がニヤニヤとしはじめる。またこの女は、よからぬことを口走ろうとしているな。

「なにって、なに」
「伊織がいないほうが、実は都合がいいことがあったりして?」

なにを言いだすかと思えば……。
思いっきり笑い飛ばしてやれるような冗談を口にしはじめていた。まったく、冗談は顔だけにしなさいな。とか言ったら、絶対にぶっ飛ばされるだろうけど。

「はーっはっはっはっは」なので、盛大に笑ってやった。
「ちょっと、景吾じゃないんだから」
「ありえないでしょだって。侑士に限ってそんな。そうでしょうSiri!」
『すみません、よくわかりません』
「やめなさいって景吾の真似するの」
「だって……」
「でもねえ伊織、犯罪者の親はみんなそういうのよ」
「誰が犯罪者だ!」
「だってお忘れ? あんたの彼氏、スーパーモテモテイケメンなのよ?」

ま、それはうちの彼氏のほうがすっごいんだけど。と、自慢もスムーズに入れている。
言ってることはわかる。だからって、そんなこと考えられない。あの忍足侑士が。いつもあれだけわたしにベッタリなのに、よその女にうつつなんか抜かすわけが……え、ないよね?
え、ちょっと待って……?

「ま、ないよね。いやあ、そういう心配もたまには恋の刺激かな、なんて」
「いや待って待って、よく考えたら……わたしたちがバイトしてるあいだは、なにしてるんだろ」
「は? んー……景吾はテニスしてるか勉強してるかピアノ弾いてるかだけど」
「え、なんで千夏はそんなことわかるの?」
「だって……使用人さんとか、そう言ってるもん」

そうだ。普通、みんな家にいれば家族がいる。跡部先輩の家は金持ちだからそれが使用人だとしても、アリバイはそこで証明される。
だけど侑士は……ひとり暮らしだ。バイトのあいだにメッセージがくることもあるけど、だからといってそのとき、ひとりとは限らない。つまりわたしがバイトしているあいだに、侑士がどこでなにしているのか、わたしはまったく、知らない。

「フリータイムが、それだけあるってことだ」
「伊織?」
「これまでは部活もあったし、だから登下校も一緒にしたりして、そのあとは侑士先輩の家でごはん食べて送ってもらって、寝る直前まで電話して、本当にすっごくベッタリだったけど……」
「ちょちょちょ、伊織、待ちなさいって」
「わたしがバイトのあいだは、なにしてるのか、把握できてない」
「そんな、あんたさ、なに冗談を真に受けて」
「こないだ、なんかごまかされた気がする」
「へ?」

そう、あれっていつだったっけ。イブのキャンセルを伝える前日だった気がする。めずらしく侑士からかかってくる電話が遅くって……。

――今日は遅かったね。なにしてたのー?
――んー、まあ、ちょっとな。夜遊びや。
――あ、侑士、悪いことしたんだあー。
――ははっ。伊織に比べたらまだまだやで。

かわいい嫌味を言われて、なんも疑うことなくキャッキャして、そのまま話は流れたけど……結局、なにしてたのか言わなかった。
ほかの先輩と一緒のときとかは、きっちりそれを言うのに。そういえばその前も、なんか似たようなことがなかった?

――侑士は今日、なにしてた?
――んー、ちょっと買い物かな。
――へえ、なに買ったの?
――んー、内緒。
――えー、なんでー?
――教えたらへーん。

あれ、いつだった? たしか、たしか2週間前くらいだったよね。
それに最近、ずっと変なんだ。いつから? イブキャンセルは決定的だったけど、その前からのごまかしって……え、もしかして……わたしが過去の女に嫉妬した、あの直後くらいじゃない?

「浮気すると優しくなるとか言うよね?」
「ちょっと伊織、やめなってば。忍足先輩はあんたにベタ惚れだって」
「でも変なんだもん最近。なんならイブキャンセルの前から。それは間違いないの」
「いーや言わせて。あたしが言いたいのは、あの忍足先輩がたとえ浮気をしてたとしても、あんたにバレるような態度やミスを取ったりはしないってこと!」
「ぐ……」そ、それは、めちゃくちゃ言えてる……。
「でしょうよ?」

バカバカしいこと考えるのはやめなよね。千夏はそう言って、話を切り上げた。
親友の言葉に、嘘みたいに動揺してる。その帰り道も、わたしは不安でいっぱいになった。
もしも侑士が、わたしのことを捨てたとしたらどうしよう……もしかして、ひょっとすると、わたしのことなんて、もうどうでもよくなったからあんなに呆気なかった?
怒ってわがまま言うほど一緒にいたいなんて思わなくなったとか……だけど、だけど侑士って優しいから、わたしのこと無下にできなくて、いまも付き合って「くれてる」んだとしたら……そういえばバイト増やしてもいいって、こないだ言われた。そういえば侑士、あれからわたしに、わがまま言わなくなった。
待って……そういえば最近、侑士から……「好き」って聞いてなくない……?





to be continued...

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