フリーダム_03



3.


それじゃ、と、立ち去ろうとする腕を、俺はとっさにつかんだ。
なにを言われたんか、まったく理解が追いついてない。嘘やろ……いま、「別れて」って言うたんか? 伊織が、俺に?

「侑士、離して……」
「離すか。なに言うてんの? 意味がわからへんやろ」

伊織は俺を見んかった。横顔から覗く長いまつげが揺れていく。

「ごめん、話すつもりない」
「は?」
「帰るね」
「ちょお待てって!」

手の力が強くなる。手加減なんかしとる場合やない。行かせるか……どういうことやねん。ホンマに、意味がわからん。
けど、伊織の声が、訴えかけてくる。本気やって。冗談なんかやないって。

「侑士、痛いよ……」
「なんでいきなりそんな」
「ごめん、昨日から決めてた。だからわたしには、いきなりじゃない」

伊織の言葉とは、思えへん。目の前の女は、誰や? ひとつも揺れることのないその瞳の先で、なにかを、睨んどる……?
なんで? なんでそんな戸惑いもなく、そんなことが言えるん。なあ、なんで?

「なあ、待って、頼むわ……俺にもわかるように」
「ごめん、話したくない」さえぎってまで、言うことか……?
「そんなん、納得できるわけな」
「納得してもらわなくていい。だけど、別れて」

体温が一気に下がって、目の前からなにかが崩れていく。まばたきを忘れとる俺を見ることもせん伊織の声は、なんの感情もこもってない。

「……もう俺のこと、愛してないん?」
「さよなら侑士。2年間、ありがとう」

伊織の腕は、俺の手のなかからすり抜けていった。
俺は、自分が死んだのを感じた。





死んだまま2週間が過ぎたころ、跡部がたずねてきた。

「青天の霹靂、や」
「……電気くらいつけろ」

跡部の声が小さい。大学にもまともに顔をださん俺を心配して来てくれたんやろうに、堕落しきった姿を見て、さすがの跡部もため息をついた。

「連絡は?」
「……余計、嫌われるくらいしとる」
「まあ……お前のことだ、そうだろうな」

毎日のように伊織に電話して、もちろん、メッセージやって送ってきたけど……一切、返事はなかった。しつこい男は嫌われる。わかっとったけど、その現実に傷が抉られていった。
あんな振られかたしたんやもん、そう簡単に修復できるとは思ってない。せやけど、納得ができへん。
どんなに冷たくされたって、俺には、伊織しかおらん。伊織が好きなんや。

「マジで振られたのか」
「マジやで……夢かなと思って何度か寝たけど、目が覚めてもこれが現実や」

あの日から、空っぽになったような気がする。体の内側にあったはずの俺の重力が、どこかに飛んでったんかと思うくらい。

「家には行ってねえのか」

俺はかぶりを振った。

「店は?」

Zionのことやろう。これも、かぶりを振った。
情けないけど……そんな勇気も出てこんねん。伊織を待ち伏せでもして、またあんなふうに言われたら……もう、立ち直る自信なんかない。
また現実を突きつけられるんが怖い……せやから、できんかった。

「忍足、引きこもっていても、なにもはじまらねえぞ」

跡部らしい説教やった。俺、自慢やないけど現実は受け入れてきたほうや。せやけどこの現実ばっかりは、どうやっても目を背けたい。
じっと跡部のほうを見つめると、跡部は目を伏せて、乾いたくちびるを湿らせた。

「まだわからねえだろ? なにか理由があるに決まってんだからな」
「わからんのやろか……せやけど、俺があかんかったんやろな」

こんなときやのに、俺は微笑んだ。外は晴れとるのに、心は真っ暗や、どこまでも、どこまでも……。
これまでどんなことがあっても、だいたいのことは冷静に対処できたのに、伊織とのことになると、俺はいつも落ちていく。
あの別れの瞬間を何度も思いだして、体が震える。なんとかしたい、どうしても離れたない。けど……俺ホンマはあのとき、わかった。言うても、無駄やって。

「無駄やと思うねん……」
「……そうとは思えない」
「慰めありがとう跡部、せやけど」
「前を見ろ忍足。納得いかねえなら、とことんやるんだよ。どうせ無駄だと思ってるなら、ダメ元でやるしかねえだろ。あきらめきれねえんだろ?」
「そうやけど……怖いんやもん」

まるで子どもの泣きごとや。可能性をいくら考えても虚しくなる。リビングのローテーブルに置かれとった部屋の鍵と、ペアリングがすべてを証明しとる。
もう、戻る気はないって。あれに、触ることもできへん。涙がぼろぼろ、落ちていくだけ。

「とにかく、少しはまともな生活をしろ。このままでいるわけにもいかねえだろうが」留年するぞお前、と、眉間にシワを寄せた。
「……ん、わかっとる」

そうは言うても、ホンマにいきなりすぎやったから。なにがなんやらわからんねん。
ただ、きっと伊織にとってはちゃんとした経緯があったんやろう。俺、そんなことにまったく気づくこともできんで……。
遅すぎる後悔をして、酒を飲んで、泣いて……しんどいよ、伊織……。

「なんでなんやろな、跡部」
「……なにが原因なのか、本当に心当たりはねえのか?」

俺の目の前に、青いハンカチが投げられた。こんな情けない俺の姿、跡部も見たくはなかったやろうな。顔、背けてはるわ。

「それがわかったら、こんなことになってへんし……」鼻をすすった。
「なら……千夏に探らせるしかねえな」
「それや、跡部。俺な、今回、千夏ちゃんが知らんってのが、かなり決定的な気がしてんねん」
「アーン?」
「もし、伊織がなにか思うことがあって、未練を残した悩みなら……千夏ちゃん知っとったと思うねん。でも、なんも知らんのやろ?」
「ああ……」

俺と伊織の別れを跡部が知ったのもついさっき。心配した跡部からの電話で俺が口走っただけやから。そのとき、傍には千夏ちゃんがおった。

――おい千夏、忍足と佐久間の件、なにか聞いてないのか?
――なにって? なにが?

電話越しに千夏ちゃんの声が聞こえて、やっぱりそうか、と、さらに落ちた。跡部も妙なものを感じたんか、千夏ちゃんには伏せたまま、ここに直行してくれたっちゅうわけで。跡部なりに、俺のプライドを守ってくれたんやろう。こんなビービー泣いとる俺の姿、千夏ちゃんに見られるのは、たしかにちょっとはずい……。

「せやから、俺のなにかに、相当……愛想を尽かしたんやないかなって」
「だが心当たりはねえんだろ?」

そのとおりやった。2週間、どれだけ考えても俺にはまったくわからんかった。
伊織のことはなんでもわかっとると思っとったのに……なんもわかってなかった。
そりゃ、最近の伊織とはちょっとマンネリ化してきとったかなと思ったこともある。なんやかんや、腑に落ちんなあと、思っとった部分やって、ある。
当然のように、伊織にも不満はあったやろう。せやけど……こんなに傷つけられるほど、ひどいことした覚えなんかない。
それに前日は、あんなにええ夜やったのに。俺のためにしてくれたお祝い、なんやったん。
それも俺を傷つけるため? やとしたら……ホンマめっちゃ、つらい。

「なにが理由だとしても、一方的すぎるだろ。ほかに好きな男でもできやがったか?」
「いや、それはない」

……それだけは。

「言い切れるのか」
「言い切れる。ほか好きな男ができたんやったら、伊織は俺に抱かれるんも嫌がったはずや」

そういう女やから、伊織は……。

「それに……」
「……なんだ?」
「前日は、めっちゃええ雰囲気やったんや。お互いを、また惚れなおすような。やのにわざわざ、翌日の俺の誕生日に、話し合いもなしにいきなり別れを告げるって……」
「……お前を、そうまでして傷つけたかったってことか」

それこそが、唯一のヒントや。





侑士に別れを告げてから、2週間ほど過ぎた日だった。ぼんやりと教室の外を眺めていると、尖った声を投げつけられた。

「ねえ、どういうこと?」

見あげると、腕を組んだ千夏が眉をつりあげてわたしの横に立っていた。ああ、ようやく耳に入ったんだな、と思う。
いつかこうなることはわかっていたけど、予想よりもずいぶん、時間がかかっていた。

「えっと……」
「なに聞かれてるかわかってるでしょ? なんで?」
「……ごめん、黙ってて」
「そういうこと言ってんじゃない。あたしに言わなかった伊織の気持ち、わからないわけじゃないよ。ただ、伊織のやりかたは、あんまりだと思う」

千夏は怒っていた。イラつく、と口にもした。正直、想定どおりの反応だ。
わたしにだって自覚はある。本当に、ひどいことをした。だけど、殻に閉じこもることしか、できなかったから。

「ねえ、なにがあったの。言わなくてもわかってると思うけど、この話は自動的に忍足先輩いきだからね」
「……うん」
「だからあたしに相談しなかったんだよね? まあ、あたしはいいよ。でも忍足先輩とはちゃんと話さなきゃ。理由がわからない不完全燃焼なんて、かわいそうでしょ」

わかってる。

「あと、言っておくけど……あたしがこうして伊織に問い詰めること、忍足先輩は反対してたよ」
「え……」

意外だった。侑士から、毎日のように電話もメッセージも入ってきている。それでも頑なに反応しないわたしに痺れを切らして、千夏に頼るだろうと思っていたからだ。

「忍足先輩には、そういう優しさがある。あたし相手じゃ話すしかなくなる。それでも、伊織を責め立てるようなことはしてほしくないって」

そうだ……侑士は優しい。あのときは感情的にわたしを問い詰めようとしたけど、追いかけてはこなかった。電話も、メッセージも、1日に1回。

『俺、ずっと伊織が好きやから』

開くのがつらくて、通知でしか確認していない。もっとほかにも書かれているかもしれない。だけど、たぶん、あんなにひどいことをしたわたしを、責めるようなことを書いてはいないだろう。侑士のその優しさが、いまは苦しい。ほかの人にも優しいって、気づいてしまったわたしには。

「優しいよね、侑士は」
「……そんな優しい人を、なんでよ、伊織」
「優しいからだよ……わたしの知らない人にも」
「え?」

千夏に、ことの一部始終を話した。
ずっと気になっていたムスクの甘ったるい香り。部屋に、その人を泊めていたこと。彼女が、キャミソール姿で侑士にキスしていた。そして、店長に相談したこと。そのあとに、見てしまったスマホの中身。

「嘘でしょ……浮気ってこと?」
「……かもしれないでしょ」
「忍足先輩は、そんなことする人じゃないよ」
「そうだね。わたしもそう思ってた」
「思ってたって……伊織、忍足先輩が本当に浮気したと思ってるの?」
「わからないんだもん。もうなにを聞いても、真実なんてわからないじゃん」

千夏の眉が、またつりあがっていく。最初、侑士に怒っているのかと思った。でも、それは違った。彼女の怒りは、わたしに向けられているものだった。そうだと気づくまでに、わたしは時間を要した。

「それでわざわざ忍足先輩の誕生日に、部屋をピカピカにして、ご飯までつくって、伊織は別れを告げたってこと?」
「そう……わたしなりの、けじめ」
「は、けじめ……」

鼻で笑った千夏の声に驚いて顔をあげたときだ。彼女の怒りが、ビリビリと伝わってきた。

「それで、あたしになんて言って欲しいの?」
「え……」
「伊織とは長いこと親友やってきてるけど、かなり面倒くさいね、あんたって」

呆然とした……面倒くさいって、どういうことなんだろうか。面倒くさい女になりたくないから、別れを決意したところもあるのに。
ナーバスになっている親友に投げる言葉にしては、きつい。

「面倒、くさい? わたしが?」
「ほかに誰がいるの。悪いけど、ちょっと呆れた。伊織ってそんな感じだったんだね」まあ、そういうとこあるよね。と、付け加えている。
「わたしが、面倒くさい?」
「まだ言わせる気? ほかにいないでしょ。しかも、自分でもまだ気づいてないとか」どこまでガキなのよ、と、また付け加えている。
「ちょ、千夏、ちょっとひど」
「ひどいのは伊織でしょ。ねえ、いったいなに期待してんの?」ああ、わかった。と、つづけた。「あたし、だからイラついてたんだ。そうだよ、最初からありえないと思ってた」

そうだ、なんとなくわかってたからだ。だからだ。バカバカしい。
千夏の声は、強くなっていった。ガキだの、バカバカしいだの、言ってくれるじゃないか。

「伝えないから」
「は?」
「いま聞いた話、忍足先輩には伝えない」

千夏がそう言い放ったとき、担任が教室に入ってきた。
すぐにわたしたちを見つけて声をかけた。席につきなさーい! 自分の教室に戻りなさーい!
千夏はわたしの席から離れる直前に言った。それが、この話の最後だった。

「伊織にとっての付き合うってのは、その程度の覚悟だったんだね」

なんでわたしが、責められてるの……?





あれからさらに、1週間が過ぎた。まだまだ、俺はどん底におる。それでも行動せんとなんも変わらんと跡部に叱咤されて、その翌日には、跡部と千夏ちゃんがふたりそろって俺の部屋に来た。

「侑士、おまたせ」
「……おお、キャシー。来たか」
「びっくりしたよ、まったく大学に来ないと思ったら、急に呼びだして」

千夏ちゃんは、伊織の言葉を全部、打ち明けてくれた。俺の知らんところでいろんなことが起きとったらしい。そこからは、千夏ちゃんの言いつけに従うことにした。
結局、俺が悪かったんや。こんな状況で、伊織が俺にチャンスをくれるかどうかなんて、まったくわからん。それでも一縷の望みにかけて、今日はキャシーをいつものバーに呼びだした。

「せやな」
「……てか、ねえ、なんか、やつれてない?」
「やつれとるかも。はは。ああ、なんやったんかなあ、なんやろなあ」
「は……?」

ぼやく俺を、キャシーは怪訝な目で見とった。
いつもならカウンターに座って、マスターと話しながら酒を浴びるところやけど、今日は誰にも話を聞かれたない。俺は奥のテーブル席でキャシーを待っとった。
この1週間……いや、まだまだここから1ヶ月強、どんだけ勇気づけられても、慰められても、確証のない思いだけで過ごすことになるんは、結構しんどい。

「堪忍、ちょっと情緒不安定やねん、最近」
「なんかあった? ……ん、だよね? 侑士が誘ってくるなんてめずらしいもんね」相談? と、首をかしげた。
「まあ、ちょっとな」

言われて気づく。よう考えたら、キャシーだけちゃう、俺から女友達を誘ったのなんか、今日がはじめてや。めずらしいどころやない。
やから、なんやろう。キャシーはいつもよりめかしこんどった。実はほかのメンバーがおる飲み会のときも、そうやったんかもしれん。そんなん、興味もなかったで、まったく気にしてもなかった。それほど俺は鈍感やったってことか……それも俺の罪、なんやろな。

「どしたの? ホント、なんか変だね」
「ん、聞いてほしいことがある」
「なに、あらたまって……」

どう切りだそうか、悩む。なにから言うべきか。

「俺なキャシー」
「うん?」
「しばらく大学、サボっとってさ」
「知ってるよ。みんな心配してたんだから。メッセージも未読のままだしさ」
「ん……」
「……どしたの侑士?」

ビールに口をつけて、きょとんとしとった。その目の奥に、わずかな期待が見え隠れしとる。そうか……やっぱりお前は、それが狙いやったんよな。あの翌日、思い返してみれば、キャシーの様子はちょっとおかしかった。

「俺な、伊織のことはなんでもわかっとるって思っとってん」
「え、またおノロケ? まさか旅行に行ってたとか言う? ははっ」

無理につくろう笑顔が、寂しい。キャシーを責めたい俺は、お門違いなんやろうか。

「おノロケやないねん、それが」
「え?」
「俺のこのあからさまなオーラ、わかるやろ? 俺な、好きな女に振られて平気な顔できるほど、大人やないねん」
「えっ……」

目が、ゆっくり見開かれた。
そこまで計算しとったんか、してなかったんか、わからへん。せやけど魔が差したことだけはたしかや。お前は、俺と伊織に不穏な空気を植えつけたかった。あわよくば、もしかしたら……。
伊織と俺は、そんなことで崩れる関係やないって、思っとった。なにがあっても、別れを選ぶやなんてこと、ないって……そう信じとったのは、俺だけやったらしい。伊織も、キャシーも……別れを頭のなかによぎらせたんやから。
もちろん、憎ないかって言われたら嘘になる。俺は、どっかでこいつを恨んどる。
それだけ、俺にとって伊織が離れていくことはヘビーやった。たとえ伊織が、いまも俺を好きやったとしても……現実は別れとる。俺のものやない。伊織がいま誰とおったって、文句を言える立場でもない。
……俺だけの、伊織やのに。
伊織はええの? 俺が、誰とどうなろうが……。
それだけが、俺の最後の砦やから。

「ふ、振られたの……?」
「せやね」
「……マジ?」
「マジや。まさかやったわ」

キャシーの表情が、どんどん暗くなっていく。どんな気分やって、ホンマやったら問い詰めたいとこやけど……いまさらキャシーを責めても虚しいだけや。
伊織の決断は、きっとそのことだけとちゃう。見ず知らずの女に挑発されただけで、別れを選ぶはずがない。たぶん、千夏ちゃんの言うとおりなんや。

「侑士、そういうときはさ、次だよ、次」
「次?」
「そう、やっぱり新しい恋しなきゃ、もう終わった恋は忘れ」
「あんなキャシー」

冗談めいて、浮ついたことを言いだそうとするキャシーを、俺はさえぎった。
言わんでええ。言わせたくない……聞きたくもない。

「新しい恋なんて、ないねん」
「へ……?」
「アホみたいやと思うかもしれへんけど、俺、一生、伊織だけやって誓っとる」
「……そ、そうかもしれないけど、だって別れたなら」
「戻られへんなら仕方ない。それでも俺は、一生、伊織しか好きやない」
「そんな侑士、夢みたいなこと言ったって……」
「夢とちゃう。俺と伊織はそうやって、この2年、ずっと誓いあってきたんや。振られてもうたけど、伊織にはなんか理由があったんや。せやから捨てたって、伊織は俺のことずっと好きやと思う。それだけはわかっとるから、俺」

半分は嘘で、半分はホンマ……。
伊織が俺のことずっと好きやなんて、そんなん、わからん。でも、信じとる。信じとったから……いまも信じる。信じることにしてん。自分で言い聞かせとるだけかも。それでもええ。俺は、伊織しか愛せんのやから。

「せやから……俺、どんな女に言いよられても、どんな障害を与えられたって、伊織以外は、考えられへんねん」
「……侑士」

キャシーの目尻に涙がたまっていく。俺はそこから、目を背けた。ホンマやったら、情けなんか、かけたくもなかった。一方で、これまでの友情やって、壊したない。せやから卑怯にも、こんな手しか思いつかんかった。
わかるやんな? 俺の言いたいこと。

「は、はは、別れても、おノロケ全開だね、侑士は」
「ん……」
「そんなに想ってくれる人を振るなんて、彼女ももったいないことしてるよ。またぐいぐい押しちゃえば? 彼女、その想いをちゃんと聞いたら、戻ってきてくれるかも」

おめかしした服で、下手なつくり笑顔。
俺のなかだけで、溜飲が下がっていく。水に流そう……こいつ、賢い女やし、わかってくれたはずよな、なにもかも。

「ありがとう。よっしゃ、ほな暗い話はここまでや。ダーツでもしようや」
「え、このテンションで?」
「せやから盛りあげてもらうで?」

それに俺、いまからもっとひどいこと、お前にお願いすることになる。こうなったのは俺の責任もある。せやけどお前は、伊織を、傷つけたから。
伊織はな、キャシー……俺の伊織やけど、千夏ちゃんの伊織でもあるねん。

――だいだい忍足先輩は女に甘すぎ。伊織にもその女にも、甘すぎなんだよ。
――千夏ちゃんは……俺を慰めに来たんちゃうんか跡部。
――まあ、これが千夏なりの激励っつうことじゃねえのか?
――なに言ってんの。その考えも甘すぎだからね。そもそも、忍足先輩のゆるっゆるのガードが悪いんでしょ!?
――か、かか、堪忍。
――おまけに嘘までついて。ヤキモキさせたくなかっただけなんだろうけど、事実を知ってた伊織からしたら地獄だよ。
――そう、やよね……。やましいからって、思うよな。
――思うだろうね! ったく、景吾もそういうとこあるけどさ。なんで男って気を許した女に弱いんだろ。ホント、いい加減にしてほしい!
――俺は……いまは関係な
――そうね! いまはね!

なんか知らんけど、跡部にまでとばっちりやった。堪忍やで跡部……。

「なあ、キャシー」
「うん? お、やったダブルブル!」

キャシーの涙が、ようやく引っこんだ。
すっかりさっきの重たさを忘れたキャシーが、ダーツをしながらはしゃいどる。そのときに切りだせ、と、千夏ちゃんは言った。

――いい? 責められなかった、でも振られた、それでもこれまでの関係でいられるって女が安心しきったとこで、切りだすの。
――そ……なんで、そのタイミングなん?
――断れなくするために決まってるでしょ。だって友だちなんだから。しかも、そんな重たい話を打ち明けた唯一のね。お前にしか頼めないってこと! これはね忍足先輩。感情的恐喝作戦だから!
――いささか、酷じゃねえか?
――キャシーって女はそれだけのことをしたの!
――千夏、落ち着
――だから! 責任は取ってもらう!

女ってホンマ、なんであんなに女に厳しいんやろうか。
とはいえ、俺も、伊織のホンマの気持ちが見れるなら……見たい。キャシーを傷つけても。
俺は伊織が、結局いちばん大切やから。

「頼みごとがあんねん」
「え、なに?」

頼みごとを聞いた女の目は、ゆらゆら揺れた。
それでも彼女は最後まで、俺の卑怯さに付き合ってくれた。





to be continued...

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