初恋_06


6.


伊織を囲んどる大学生3人は、見た目からしていかつかった。全員、ゆるゆるの服着てなんや伊織にごちゃごちゃ言うとることだけはわかる。
大学部の連中やろうか……このへん歩いとるんやったら、たぶんそうやろうな、と思う。せやけど百歩譲って、もしかしたら、道を聞かれとるだけかもしれへん。早とちりして伊織に迷惑かけたなかったで、俺はその現場に、ゆっくりと近づこうとした。

「このあいだ、お断りしたはずですが」

歩を進めとると、こっちに背中を向けとる伊織の声が聞こえてきた。大学生3人は全員が伊織を見とるせいか、まったく俺の存在に気づく様子もない。
お断りってなんのことや……? 変な勧誘でも受けたんやろか?
ちゅうかお前ら、伊織に距離、近ないか? ほんで、まさかメンチ切ってないやろな?
そんなことしとってみい、俺が絶対に許さへんぞ……!

「生意気だよねえ、君?」

茶髪がしゃべる。おい待てコラ、誰に向かって言うてんねん!
伊織は眉間にシワを寄せたまま、黙って茶髪を見つめ返した。ああ、伊織あかん、そんなかわいい顔、そんなチンピラに見せることないねんっ!

「いや、オレこれでもさあ、女にコケにされたこととかないわけよ」と、茶髪はつづけた。
「こいつは振られたこともないからな」ほんで、その右どなりにおる金髪がわけのわからん加勢をしとる。
「姉ちゃんさ、贈り物までされといてさ、あんな態度ないんじゃないの?」つづけて、左どなりの青メッシュがニヤニヤしながら言うた。
「態度……お返ししただけですが」

伊織の言葉は事務的で、声のトーンが低い。あかん、これ完全に絡まれとるやん。
しかもなんや、聞いとったら、振られた女に絡んどるっちゅうことやんな、こいつら。
おいおい、女に振られてその女に腹いせとか、どんだけカッコ悪いねん……。
あかん、これは伊織がかわいそすぎる。俺が助けに入らんと。

「それが生意気だっつってんだよ!」

はっとした。
伊織に振られたんやろう茶髪が声を張り上げたことで、俺は危険を察知して走りだした。
おんどれ伊織に手でもあげたら、俺がどんな力を使ってでもお前らをこの世から葬ったるからな!
と、思ったのは、一瞬のことやった。
気づいたら、茶髪の体が綺麗に宙を舞っとった。その姿が真っ逆さまで、新体操か? と思った直後に、そいつはコンクリートの上に背中から叩きつけられて、鈍い音とともに、恐ろしいくらいに咳き込んで、大の字で倒れたまま、動かんようになった。

「げええええほっ、ほ、おえ、おええっ、げほっ!」
「ちょ、お前なにし……!」

俺もやけど、茶髪も青メッシュも、なにが起こったんか理解するのに、若干の時間が必要やったんやろう。
せやけど、その若干の時間(おそらく5秒程度)のあいだに、伊織がすっと身をひるがえして金髪の胸ぐらをつかんだかと思ったら、今度はそのまま金髪を投げ飛ばし、つづけてすぐに青メッシュも同じように宙を舞ったあと、大の字になって唸り声をあげとった。
これには、さすがの俺も、ポカーン、やった。
小さな伊織が、わずか数秒のあいだに、180cm以上はある男を、3人倒したんやから。

「か、はああっ!」
「いいいいいあああああ、い……!」

男たちの唸り声を聞きながら、そこで俺はようやく、はっとした(いうても開始から10秒程度)。
そうやった……伊織、黒帯やった! ちゅうか、ついこないだまで、バリバリ柔道しとったんや! すごい、めっちゃカッコええやん伊織! それでさらっと歩きだすんやろ? ああ、伊織のそういうギャップ、俺、もうめっちゃ好きや……!
と、思ったのも、これまた一瞬のことやった。
佐久間伊織っちゅう女は、そんなことで終わる女やなかった……俺の予想は、はるか斜め上の彼女の言動に、あっさりと覆されることになった。

「うううああ、げえええほっ、ほっ、ああっ、かっ……て、てめ……!」

内臓がそのまま体から飛び出すんやないかと思うほど、きついんやろう。息もうまくできんほどに、男がのたうちまわりながら、伊織に手を伸ばそうとしとる。
一方で伊織はそんなのを物ともせんと、倒れた男たちを見下すように、ぐるりと一周した。

「痛い? せやろなあ。わたしなあ、いま、めっちゃ機嫌悪いんやんか」

その声に、俺はゾッとした。
いまの、伊織の声か……? と、思ったからや。たしかに、伊織は柔道やるときんは目つきがキリッとなって、超真剣モードやで、声も若干は低くなっとった気がするけど……。
あれかな? 高校柔道やるときって、小学生のころとは本気度が違うで、あんなドスの利いた声だす感じ? しかもなんか、口調もいつもより怖ないか?

「ほれ、かかってきいや。立たんかい」

待て待て待て、ほとんどヤーさんになっとる! とツッコむこともできんまま、伊織は腰を曲げて、茶髪の胸ぐらをつかんで持ちあげた。
いやいやいや、どこにそんな力があるん!? そんな小さくて細い腕で、そんな自分の倍近く体重ありそうな男、なんで片手で引きずり立たせることができるんや!? あと口調、やっぱ怖なってるって!
伊織を助けるために出しとったはずの俺の足が、そっと1歩だけ後ずさっていく。そんなもん、無意識やった。
ちょっと冷静になろうか俺……試合では何度も見たことあるけど……な、なんかちゃうやんな? いつもの雰囲気と、全然、ちゃうやん、伊織……。
あれがホンマもんの、武術としての柔道ってことか? いやいや、本気だした柔道めっちゃ怖ない? 下手したら殺人未遂やんっ。

「男が3人もそろって女ひとりに恐喝してんの? しょうもないなあ?」
「う、ああ、ううう、ゆ、許して……っ」
「誰が許すかアホ」

ゴヅッ、とまた、コンクリートに打ち付けられた鈍い音が響きわたる。
またしても背負投げで、またしても背中から落とされたであいつ……し、死ぬんちゃうか。
ちょ、こ、声がでえへんから心のなかで叫ぶけど……伊織、ちょお落ち着け!
しょうもないイチャモンに腹が立ったのはわかるけど、もっとあるやろ! おま、なんでそんな殺気立ってんねん……いつも優しい伊織やないか! あの伊織はどこいったんや!

「女にコケにされたことないんて? 全然あかんやん。コケどころか虫けらやろ、なあ!?」言いながら、今度は金髪の胸ぐらをつかんだ。
「ちょ、ま、お、オレは、付き合えって言われただけで……!」
「それで? わたしをどっかに引きずり込んで、なんかするつもりやった?」
「ち、ちがっ!」

ゴヅッ! うわあ、骨折れてんちゃうかあれ……俺の背中に入っとるヒビなんか、かわいいもんやで……。
って、しかもいまさっき、ちょっとパンツ見えてたって伊織! ああ、興奮するっ! するけど怖い! もう俺もなに!? 変態か! 伊織のパンツちょっと見えたの嬉しいけど、怖すぎる!

「そもそもやで? あんたら誰に向かってケンカ売ってんねん。ナメんときや!」
「げえ、えっ、ほっ! や、やめ……!」
「あんた、まだ1回しか投げられてへんやろ! やめるか!」

ゴヅッ! わああああああ、もう、侑ちゃんチビりそうや……!
最初の音よりも、どんどん音が激しくなってきとるし、なんかいま、パキーンって音しやんかった? 折れた? 折れたよな?
しかも伊織、またパンツがチラ見え……しかもパンツの色ネイビーってセクシーやな! ああ、興奮する、するけどあかん! たまたま人がおらんからええけど、こんなん誰かに見られたら通報されるで! あと伊織のパンツも誰にも見せたないし! ああもう、いろんな情動がごちゃまぜで、こっちがゲロ吐きそうや!

「もうわたしはな、引退したからどんだけ素人に手え出してもええんや!」

俺が混乱しとるあいだに、伊織はまた1週目の茶髪に戻って胸ぐらをつかんだ。
あかん、3回も投げられたら、あいつら絶対に死ぬわ。
伊織を助ける予定やったけど、ここは勇気をだして俺が伊織からあの大学生3人を助けるしかないやろ……!

「や、やめ……し、死ぬっ!」俺もそう思うで、茶髪!
「死なん程度にしたるわ……ほらまだ終わってないで? 立てや」いや、もう瀕死なんやって! 許したれ!
「伊織! それ以上したあかん!」

俺は思いきって、声たかだかに叫んだ。
試合中やってここまで声だしたことないんちゃうか……これだけで息切れしとるやん、俺。いや、それはいろんな情動で気が狂いそうになっとったからかもしれんけど……とにかく、俺は伊織にゆっくり近づいた。急いで近づいて、条件反射的に投げ飛ばされたら目も当てられんからなっ!
俺に背中を向けとった伊織の動きが、ピタ、と止まった。茶髪の胸ぐらから、ぱっと手が離れる。
バタン、と茶髪はそのまま地面に倒れた。それと同時に、伊織はゆっくりと俺に振り返った。

「ゆ……侑士っ?」

振り返った瞬間、めっちゃ鬼みたいな顔になっとったらどうしようと思った俺やったけど、伊織はいつものかわいいかわいい顔と、アーモンド型の大きな瞳で俺を見た。声のトーンが、さっきと全然ちゃう。いつもの美声で、俺の名前を呼んだ。きゅん、とする。
よかった……さっきの伊織は、きっとなにかにとり憑かれとったんや。そう思ったほうが無難や。
この子は、間違いなく、俺の大好きな伊織や……! めっちゃ安心したってホンマに!
そうは思ったものの、どことなく、俺の足も怯えたように進んでいく。

「あの……伊織、あかんよこんなん、な?」おそるおそる、声をかけた。
「侑士……なんで、ここに……ぶ、部活は? どうしたん?」あ、かわいい。やっぱりいつもの伊織や。
「ええから、ここ、はよ逃げよっ。この人ら気絶してはるし、行こ!」

俺は伊織の手首をつかんだ。ああ、緊急事態やと、こんなこと簡単にできるんやなと思う。
こないだまで、伊織の手に触れるだけで死にそうになっとったのに、目の前に違う意味で死にそうなヤツらがおるからやろか。
ああ、とにかくこいつらが被害届をださんようにしとく必要はあるな。

「おい、お前ら」
「う、も、許して……っ」

かろうじて意識の残っとった金髪に、俺も声を低くした。
伊織のお手本があったからか、すんなりこのモードに入れるわ。たぶん、伊織のほうが怖いやろけど。

「許したる。せやから、このことは絶対に誰にも言うなよ。ええか? 言うたらな、跡部財閥に頼んで、お前らごと消したるからな。嘘やないで? わかるやろ? この制服見たら」
「ひっ……!」
「ちょ、侑士っ……」
「よっしゃ、これで大丈夫や、行こ、伊織っ」

戸惑う伊織の手を、そのまま強く引っ張って、俺は氷帝へと戻って行った。
ちゅうか、一瞬で伊織は伊織に戻ったけど……よう考えたら、それはそれで、なんか怖ないか……。





テニスコートの連中に見つからんように、そっと裏庭から入って、誰もおらん教室に入った。
すっかり忘れとったけど、俺、昼のこと伊織に謝りたいってのと、それから、井上さんから聞いた話を、伊織に聞かなあかんのよな……ああ、よかったわ、思いだして。
すっかり非現実的な情景を見てしもたせいで、脳みそがめっちゃ混乱きたしとるわ。

「ゆ、侑士……さ」
「ん? あ、ちょっと待って。急に誰か来たら嫌やから、鍵、閉めるな?」
「あ、うん」

そうや、ホンマやったらあのまま告白しよって思っとったんや。いきなりの極道の妻たち状態にめっちゃ動揺したけど、なんだかんだいうて、あれはあいつらが悪い!
……まあ、伊織もあそこまですることなかったと思うけど……気が立っとるって自分でも言うてたし……とにかく、俺はさっきのことを忘れよ。
別にあんな姿を見たからって、伊織のことが嫌いになるわけでもないで? せやけど忘れることにする。
いま目の前におる伊織は、やっぱりめっちゃかわいくて、俺の大好きな伊織なんやし、ええんや、いまはそれで。またあの伊織が現れたら、それはそんとき考えるわ。

「あの、侑士……」
「ん? なに?」
「その……さっきの、ど、どっから見てた?」

モジモジ、キョロキョロしながら、伊織は伏し目がちにそう聞いてきた。
伊織にも、それなりに自覚があるっちゅうことがわかって、ちょっと安心する。あれ無意識やったら、完全に多重人格やもんな。
ちゅうことは、現状ではらんま1/2か? いや、らんまかて人格はひとつや。ほなジキルとハイド? いやいや、伊織も人格はひとつや。なにをいうてんねん俺。やっぱり、まだ動揺しとるんやろか。はよ落ち着かな……。

「んっと……投げ飛ばすちょっと前、かな」
「うわ……うわああ」

はずかしい、と付け加えて、両手で口もとをおおった。顔を真っ赤にしとる。
か、かわいっ! さっきのなんやったんやっちゅうくらい、かわいい……同じ人間なんか?
めっちゃドス利かせて「ナメんときや!」って言うてたやん……ああ、あかん。忘れることにしたんや、俺は。あれは夢や、夢……。

「いや、まあ、ほら……伊織、絡まれとったんやし、自分の身を守っただけやろ?」
「そ……そうやけど……」
「あいつら、なんやったん? 大学部の人間か?」

こく、とかわいらしく、伊織がうなづく。
そうそう、これが伊織。どこまでも、俺のなかの伊織はこれ。たまに男勝りなところもあるけど、どんだけはじけても柔道の試合の真剣モードまでやったで。
頼むから、これからもその程度で済ませてほしい……。

「大学部の人みたいで……このあいだ、急に贈り物があるとか言って、告白されたの。あの、茶髪の人に」
「ああ……」あの、3回目の前に命乞いした男な。
「それで、それが指輪で」
「ええっ!? い、いきなりやな……」

あのボケ、俺の伊織にそんなんわたしたんかっ。なにしてくれてんねん。ああ、そんな事情があるんやったら、伊織に殺してもらってもよかったな!

「ん……しつこかったから、迷惑ですって言うたんやけど、そしたら今日、待ち伏せされてたみたいで」
「そ、そやったか。災難やったなあ?」

……あいつらが。という本音は、もちろん言わんでおいた。

「ち、違うんよ! わたし今日、ちょっと、イライラしとって」

なんも違わんと思たけど、黙っといた。下手こいたら、俺でも殺されるかもしれへんし。
ちなみにこういうときに「なんで? 生理?」とか聞くのも絶対NGや。姉ちゃんに何度も殺されかけとる。伊織も凶暴になるかもしれんからな……黙っとこ。

「そうなん? ああでも、伊織に怪我がなくて、俺、めっちゃ安心したで」

ん、怪我なんかする余裕もなさそうやったけど。一応、本心を言うた。
ホンマに、伊織になんもなくてよかった……。いろんな意味で。

「……侑士、わたしのこと、嫌いんなった?」
「へ?」
「あんな姿見たら、幻滅するやろ……?」

しょぼん、としながら、伊織が上目遣いで俺を見た。うわあ、ちょ、ずるいわあ。
そんなん、幻滅なんかせえへんよ伊織……そら、めっちゃくそ怖かったけど、俺が伊織を好きな気持ちは、そんな簡単に壊れるようなもんやないんや……もう、わかってへんなあ。
いや、怖かったで……? せやけど、幻滅はしてへん。ちょっと印象は変わったけど。
それでも、俺、伊織のこと、大好きやから……どんな伊織も、好きやで。……怖かったけど。

「嫌いんなるわけ、ないやろ? そら、ちょっとはびっくりしたけどな?」
「ほん、ホント……?」
「ホンマや。それに、懐かしいこと思いだしたわ」
「懐かしいこと?」
「ん、伊織と出会ったときのこと」

あんときもそういや、俺を襲ってきたやんちゃくれ坊主は3人組やった。あいつらが去っていった理由がいまならわかる。あいつら、きっと伊織の怖いとこ知っとったんや。
あんまま逃げんで伊織と戦っとったら、今日みたいにボコボコにされとったんやろか……恐ろしいことやで。完全に伊織、問題児になるやろ。下手したら少年院行きや。
まあせやけど、あんときは柔道家やったわけやし、手は出さんか……今日も言うてたもんな、引退したから素人に手を出すって……その発想も、めっちゃ怖いけど……。

「伊織が強いのは、俺、昔から知っとるし。なんも気にならんって」

半分嘘で、半分ホンマのことを言うた。とにかく、伊織を安心させたい一心やった。

「そ……それなら、よかった……!」

伊織の顔が、安心したように柔らかくなった。少しだけ笑顔が垣間見える。
ああ、かわいい。伊織にはやっぱり、その表情がいちばん似合っとるよ。あのときどんな顔しとったんか、パンツと同じくらいしかチラ見できへんかったけど、真正面から見る機会が、今後ないことを祈るばかりやで……うん。

「それより、さ」
「うん?」
「今日……昼、ごめんな? 俺、また怒って……」
「え……」

うつむき加減やった伊織の顔が、ぐっと俺を見あげた。
そうや、まずはこのことを謝らなあかんって思っとったんや。
それに……伊織は、俺に全部、さらけだした。もちろん意図したことやないけど、さっきの極道の妻たち状態は、俺が伊織に想いを告白するくらい、伊織にとっては、結果としては、さらけだしたはずや。
俺も、もうあれこれ言い訳しとる場合ちゃう。ちょっとした確証も得たわけやし、このまま、ちゃんと言おうと思った。

「俺な……伊織のことになると、冷静になれへん」

俺がそう切りだすと、伊織は言葉を失ったように黙って、俺をじっと見つめた。
自分ではじめたんやけど、はじまってもうた……この時間。生まれてはじめて、人に想いを伝えるんや、これから……。
ドクドクと、心臓の音が聞こえてくる。伊織にも聞こえるくらいに、それは大きい気がした。
ああ、めっちゃ緊張する……これまで俺に告白してきた女たちも、こんなんやったんやろか。それやったら、もっと優しくしたればよかった……。どっちにしても、いま言えへんかったら、俺たぶん、二度と言えへん気がする。せやから、ちゃんと聞いとってな、伊織……。

「伊織の周りの男、全員が気になって……」
「え……」
「タクミさんと観に来てくれた試合で俺が機嫌を悪くしたのもそうやし、おやつ買いに行ったときに大出くんが声かけてきたのもそうやし、伊織がはっきり、これまでの恋愛経験とか教えてくれへんことも、そうやし……今日は、伊織が全然、俺が誰に告白されようが、誰と付き合おうが、関係ないって感じが、も、つらかって」
「それは、あのっ」

喉が、吐きだす声の重さで、詰まりそうになる。でもとにかく、思っとること、いま、頭に浮かんできたことを伊織に伝えたくて、俺は伊織の言葉をさえぎってつづけた。

「全部、気になって、全部、俺、嫉妬してっ」
「侑士……」
「伊織のことが、俺、す」

そのときやった。
好きやから! と、言いたかった俺の声は、ガタン! という音にかき消された。
伊織が椅子にぶつかりながら、膝から崩れ落ちとった。

「ちょ、大丈夫かっ!」
「あ、ご、ごめん、よろけちゃ……」

え、なんで!? なんで急に!? と、俺はめっちゃ慌てた。
さっき激しい暴力ふるったから、体にガタがきてしもうたんやろか?
そんなヤワな感じには、もうアレ見てもうたら思えへんのやけど、それでも俺は焦って、伊織に手を差し伸べた。

「ちょ、膝、すりむいてるやんっ!」

よう見ると、伊織の膝がすりむけて、わずかに血がにじんどった。
コケた場所がざらざらした壁の近くやったで、そこでこすってしもうたんか、それともさっきのぶん投げの途中で、あのダボダボの服着た連中のなにかが引っかかったんか、わからへんけど。
とにかく、伊織のかわいい膝小僧が痛そうになっとる……!
ポケットに手を突っ込んで、俺はさっとハンカチを取りだした。伊織の膝小僧に当てる。
かわいそうや……痛いの痛いの飛んでってほしい……。

「大丈夫か?」
「おおげさやよ……侑士、大丈夫」

少しだけ微笑みながら、伊織がそっと俺の手を見て、なぜか目を見開いた。
どないしたんやろ……そう思って、俺も自分の手を見ると、そこには、白い、血の跡がわずかに残った、あのときのハンカチがあった。
あ……。と、思う。あかん……マジでいつも肌身離さず持っとるせいやけど……俺、いまテニスジャージ着てんのに、気持ち悪くないか? と、急に冷静な思考になる。
いやいや待て、そもそも5年も前に託されたハンカチ、いつでも持っとること自体が、気持ち悪くないか? いやいや、たまたまやってん……って、言い訳、通用するやろか。
え、待って……伊織いま、どう思ってるやろ。あかん、怖くて顔が見れへん。

「侑士……これ、このハンカチ」
「あ、いや、そ……」

跡部が言うてたから、俺は伊織に、「好き」だけを伝えるつもりやった。
いつから好きやったとか言う必要はないし、7年も前からずっと好きって、しかもうち5年は会ってもないとか、気持ち悪いって言われたし……なのに、このハンカチ持ってたら、アウトちゃう?
いや落ち着け、俺がこうして言おうって思ったのも、確証を得たからやったやないか。そうや、井上さんから聞いた件がある。
伊織も、もし、もし俺と同じように、ずっと俺を見てくれとったとしたら、やで……。

「堪忍、その前に、聞きたいことあんねん!」そうや、ハンカチなんかどうでもええやんっ。
「え?」
「伊織さ……中1のころから、ずっと俺ら氷帝テニス部の試合を観に来てたって、さっき聞いたんやけど」
「あ……」

さっと俺から目をそらして、伊織はまた、真っ赤になった。
みるみる、耳まで赤くなっていく。ちゅうことは……これは、ホンマやったんや。
それ、期待してもええ? 俺ら、俺ら、もしかして、同じ気持ちやったとか、期待してもええ?

「その、さっきな、井上さんって人が、伊織を」
「ごめん!」

そんな思いが昂ぶって、俺はたたみかけようとしたときやった。
なんでやか、急に謝られとる俺……。

「は?」
「ご、ごめんなさい!」

え、ちょっと待って……? なんで謝るん? 俺の誤解とか、そういうこと?
それとも、まだ告白もしてないのに、振られた俺!?

「え、伊織……?」
「そ……気持ち……」

言葉に詰まって、伊織はうつむいた。気持ち……って、なんやろ。
伊織がまた、口もとを両手で抑える。ほとんど泣きそうな顔で、ぶんぶんと首を横に振った。

「伊織……? な、なに? いや俺のほうが一方的にしゃべりすぎやったよな? 伊織もなんか、言いたいことあったら、言うて?」
「その……だから、わたし」
「うん? なに?」

じっと待ってみる。口をおおっとる手のなかで、伊織は胸を動かしながら、呼吸をくり返した。
どうしたんやろう……そんなに、バレたないことがあったんやろか。
しばらくすると、ふうっと長い息を吐いて、伊織は視線を下にしたまま、ようやく話しはじめた。

「ずっと、中1のころから、観に行ってた……だから、それは、ホントのこと」
「そ……そなんや? なあそれって、もしかしてやけど、さ」
「ごめん……ずっと、侑士のこと、見てた……」
「え……」

心臓がパンパンに膨らんで、破裂したかと思った。そんなことになったら、たぶん死んどるんやけど、もう死んでもええんちゃうかってくらい、俺は伊織のその言葉に、息が止まった。
ほんの数秒のことやけど、そのまま我に返って、呼吸をする。あかん、いま、伊織も認めたんよな? あれ待って……なのに、なんで……?

「ごめん」
「いやいや、ちょ、ちょっと待って」
「ごめん、侑士……」
「待ってって伊織っ。なん、なんで謝るんやっ? ちゃんと伊織の気持ち、聞かせてえや」
「それは……だから、気持ち」

そ、それやそれ! そのつづき!
せやけどめっちゃ言いにくそうにしとる伊織を急かすのもかわいそうな気がして、はやる気持ちをおさえて、俺はもう一度、じっとそのつづきを待った。
やがて伊織の手が、膝の上のハンカチを握りしめるように移動してきて、きゅっと小さく拳をつくった。お互いの指先だけが、少しだけ触れる。

「気持ち悪い、やろ……?」
「へ……?」
「小学校卒業してから、侑士に会えなくなって……わたし、めっちゃ寂しくて。それで、友だちとかに聞いてまわって、侑士の転校先、調べたんよ」

すっと、教室の空気が変わった気がした。俺の息が、また、止まる。

「それも、気持ち悪いやろ? でも、転校先を知って満足するはずやったのに、そこでテニス、つづけてるんちゃうかなって思ったら、いつのまにかネットで試合日程とか調べて、お小遣い貯めて、電車の乗り方とかも、調べて……そんで、そんで試合、1回でええから、見たいって……」

ぎゅ、ぎゅ、とハンカチが強く握られていく。
このときの俺は、一応、死なん程度に鼻から息はしとったものの、完璧に固まっとった。
さっき伊織が男3人を投げ飛ばしたときよりも衝撃で、ポカンどころちゃう、スーパードポカンタイムが永遠につづいてまうんやないか、と、思ったほどや。

「そしたら、そこに侑士、おったから。1年のときからレギュラーやって、やっぱ侑士ってすごいんやあって……なんか嬉しくなって。それで、1回観たら満足するはずやったのに、都大会が終わったら関東大会があるとかで、あ、それも観たい、それやったらもう1回だけってと思ったら、今度は全国大会があるとかいうし、そんなの、全国大会のほうが観たいやろ? なんかライバルの学校も強かったし、興味もわいてきて。あ、あと1回だけって思って……思って観てるうちに……何回も、観に行くようになって」

伊織はずっとお小遣いを貯めて、俺のために、東京に来てくれとったってこと?
つまりそれって、俺に、俺に会いたかったってこと……やろ?
ええんよな? 俺、そう思っても、ええんよな、伊織……。

「けどね、けど、声かけるなんてできんかったんよ。いつもなんか、すごい人やったし、侑士、めっちゃ女の子にキャーキャー言われてたし」
「え」
「試合が終わったらすぐ、女の子に囲まれて、なんやかんやもらって、嬉しそうにしとったし」
「ちょちょちょ、ちょお待ってよ、嬉しそうにしてへんって!」
「嘘ばっかり。しとったよ? ええねん、わたし、そういう侑士が素敵やなって思ってたし。女の子に優しいって、いい人やんっ」
「いや……そ」
「やから120人も告白されてきとるんやろ? めっちゃモテモテやもんね、侑士すごいなーって思った、単純に。しかもどうせかわいい子ばっかりやろ。今日のあの人もかわいかったし!」

おいおいおいおいおいおい、めちゃめちゃ最高の告白を聞いとったはずやのに、なんやこの空気。またおかしな展開になっとるやん。
伊織が、めっちゃツンツンしてきとる。なんか俺、責められてへん? 

「せやけど……伊織やって……自分かて200人なんやろ?」
「な……あんなん、嘘に決まってるやん!」
「えっ!? な、え、嘘!? な、嘘!?」
「あたりまえやん! そんな人、おるわけないでしょ!」

いや実際に、うちには跡部っちゅうモテモテモンスターがおるんや! せやから全然、現実味あるし!
ちゅうか、嘘ってなに!?

「なんでそんな嘘つくんや!?」どこにそんな必要があんねんっ!
「そんなん、侑士に張り合いたかったからやんっ」
「な、なんでや? 張り合うって、どういう……男友達やあるまいしっ」しかも120人から、えらい盛ったな! ホンマは何人やっ!
「だって!」
「なんやっ」

俺が200人にどんだけショック受けたと思ってんねんっ。

「侑士に見合う女になりたかったから!」
「え……」
「侑士に……伊織はいい女なんやなって、思われたかったん……やもん」

伊織の告白に、俺はまた、完璧に固まった。
ちょ……卑怯すぎるやろ、伊織。そ……それって俺と、まったく同じ気持ちやって、ことやろ?

「ホントは、そんなにいない……転校ばかりだったし。でも、侑士がいつもモテモテなの、実際に見てきたし……だから今日も……侑士、告白してきた人と、付き合うことになったんじゃないかって。なんか、顔、嬉しそうやったし……だからわたし、めっちゃイライラして……」
「伊織……」
「5年間、ずっと侑士のこと追いかけてた……高3になってから親が、また東京に引っ越すってなって……もう高3やから、そのままもとの高校に通うでもいいって言われたんやけど、東京、行きたくて……侑士に……会いたかっ」
「……もしかして、それで氷帝、受けたん?」

俺のため……? 俺と、また同級生やるため……?
そのためだけに、高3から付属高校入るとかめっちゃ大変やのに……それほど努力してまで、俺に、会いたかった……?

「……うん」
「伊織……」
「ごめん、だから、気持ち悪いで」
「めっちゃ好き」

うつむいとったままの伊織が、顔をあげる。
それはごく自然と、俺の口から漏れていくようにでていった。ああ、なんや、と思う。
好きって想いは、ちゃんと言わなあかんときには、こんなためらいもなく出ていくもんなんやと、俺はこのとき、はじめて知った。
さっき咄嗟に、俺が伊織に手を差し伸べたように……勝手に動く。勝手に、出ていく。

「好きや、伊織」
「侑士……」
「俺、ずっと伊織が好きやった。伊織に会った日から、ずっと好きやった」

伊織の瞳が、じわじわと潤んでいく。うっかり、俺も泣きそうになる。
やって、5年も会ってなくて、しつこくも想っとった人が、俺と同じように、俺を想いつづけてくれとったって……そんなん、奇跡やん。もう、運命やろ?

「伊織は……俺の初恋や」
「ほ……ホントに言ってる?」
「たしかめてみる……?」

ぎゅっと、ハンカチの上にある、伊織の手を握る。思いきって体を前に傾けて、そっと、伊織の肩をつかんだ。ギチギチに硬直した体が、手のひらに伝わってくる。

「ま、待って侑士、待って……」
「だ、抱きしめさせてよ……あかん?」
「ちょ、し、死んじゃうかも……」
「そん……」ああ、嘘みたいや。めっちゃかわいい。「そんなん、俺も一緒やから」
「じゃ、じゃあ、あの、じゃあ……た、立ってもいいかな」
「え? ああ、うん。立ち上がろか?」

俺は全然、座ったままでよかったんやけど……伊織はハンカチを握りしめたまま、ゆっくりと立ちあがった。
勢いでいったろと思ったのに、変に構えて距離がまたできたせいで、やけに緊張してくる。
それでももう一度、俺は伊織の腕に触れた。1歩、近づく。小さい体に、静かに腕を回すと、伊織の頭が、ぽすん、と俺の胸のなかに収まって……伊織の手が、俺の背中に、おずおずと回ってきた。
一気に、伊織の香りがただよってきて、めまいがしそうになる。

「伊織……体、ちっちゃ」
「侑士は……背中、すごく大きいね」

そっと、片方の手で、伊織の頭をなでる。
ほんのわずか、ビクッと伊織の体が揺れて、ドキドキが止まらんようになる。
胸に伊織の頭が押しつけられとるで……カッコ悪い……聞かれとるよな、これ。

「伊織……」
「う……うん」
「伊織も、言うてや」
「え……」
「俺のこと、好き……?」

ぎゅっと、伊織の手が背中で握られた。
少しだけ体を離すようにして、伊織が俺を見あげて、しっかりと目を合わせてきた。

「めっちゃ、好き」
「伊織……」
「わたしも、侑士が初恋……ずっと、好きだった」
「え……」
「だから、侑士のこと……めっちゃ、好き」

あかん、これまでにないほどの至近距離……信じられへんくらい、かわいい。
しかも、「めっちゃ、好き」って……! 伊織が俺のこと、「めっちゃ、好き」って……!
「めっちゃ」と「好き」のあいだに一拍置くのも、なんや想いがこもっとるやん!
き、キスしたい。キスしたい、キスしたい、キスしたいキスしたいキスしたい!
ああ、でもいきなりあかんか? こういうのって、いきなりしたら嫌われるか? ああ、そういや、そんな男はがっつき過ぎで嫌われるって、ネットで読んだことある気がする。
あと恋愛系の映画とか本とか読んどっても、いきなりキスするんの海外勢だけやもんな……。ほんで日本はめっちゃ大人だけ……ほんであいつらキスで止まらんやん絶対っ。最後までしやがるやんっ。
高校生の俺らが真似したら、「ヤリたいだけかよ!」って嫌われるヤツやんな?
やで、我慢や忍足侑士……せっかく伊織とこんな、抱きしめ合うとこまできたんや。これやって、いきなりやってええことちゃうかったかも。伊織が優しいから許してくれとるだけかもしれん。
これでキスなんかしてみい、さっきの男3人と変わらん結果になったら、俺、今度こそ背中の骨が絶対に折れる。

「侑士……どしたん」
「え、な、なにが……?」

俺の情動がまたおかしなことになったで、俺は何度も息を整えるように平静を装おうとしとると、伊織が俺の腕のなかで、もぞもぞと動きだす。
そして、伊織の手がそっと俺の頬に触れた……でも、最初に触れたのは、ハンカチやった。

「泣いてる」
「えっ……!」

言われて、はじめて気づく。でも、そう言いながら俺の涙を拭う伊織も、泣いとった。

「そ……伊織も、泣いとるで」
「ははっ……ん、だって、嬉しい」
「うん、俺も……嬉し泣きやと思う」

にこにこ見つめ合いながら、俺らは体を密着させたまま、お互いの涙を拭き取った。
くすぐったい。こんなふうに、男と女として伊織と微笑み合える日がくるやなんて、思ってなかった。いや、思ってなかったからって、誰かにわたすつもりもなかったけど……。

「かわいいな、伊織」
「嘘ばっかり……」
「嘘やないよ。ずっと、こうして見ときたい」
「……わたしだって、ずっとこうしてたいよ」

な、なんちゅう最高の会話や……。こんな幸せが急にやってくるやなんて、もう、神様ってホンマにおるんかもっ。

「ねえでも、侑士……部活、やんね?」
「あ、そやったな……」もう、気づかんでええのに。
「あははっ……跡部くんに、怒られちゃうよ?」
「せやな……あー、たぶん、もうカンカンや。そろそろ、いかなな」
「ん……」

名残惜しいけど、体を離した。
このままずっと抱きしめ合っときたかったけど、さすがに部活をサボったら、あとでめっちゃ跡部にどやされる。それに、あいつには礼も言わなあかんしな。

「なあ、伊織」
「うん?」
「部活終わるまで待っとくのとか、めんどい?」

ためらいがちにそう言うたら、伊織はにっこり笑って、ぶんぶんと首を振った。
待っとってくれるんやと思ったら、やった! って声が出そうになる。せやけど、なんとかそれは抑えた。
カッコ悪いやん、飴ちゃんもろた5才児やないんやから。

「待つよ、もちろん」
「ホンマ? せやったら、一緒に帰ろうや」
「うん!」
「ほな、サボっとるから、俺、こっから走る……」
「うん、頑張って、侑士」
「伊織、最後に、もう一回」
「え、わっ」

伊織の手を引き寄せて、俺はそのぬくもりをたしかめた。
ホンマはキスしたかったけど、いまんとこ俺と伊織のスキンシップはこれが最高やで、これで我慢せな……。
サラサラの髪が、俺の頬をなでていく。めっちゃええ香りが、俺の胸をうずかせる。
ああ、伊織……俺の、彼女……俺だけの、伊織……好き、めっちゃ好き、好き……。

「侑士……」
「ん、いってくる」

ぎゅっと、最後に力を込めて、伊織の頬をなでてから、俺はめっちゃ有頂天のまま、テニスコートに戻った。





当然、跡部には怒られたんやけど……しばらくは、なにを言われても穏やかに過ごせた。
さっき伊織と触れた体の熱が、いまもずっと残っとる。17年生きてきて、ようやく俺にも春が訪れたんや……!

「はあ……やっと俺の肩の荷が降りたと思ったら、今度はこの有様かよ、てめえは」
「はー? なんのことや跡部。あ、伊織、おる。あそこにおる。見て跡部、見て。あれ俺の彼女やねん!」

バシン、といつものツッコミが綺麗に俺の頭に入った。
こいつ、将来は跡部財閥を継ぐんやろけど、一旦、吉本とか入ったらええんちゃうやろか。結構ええ筋もっとる気がする。キャラも強烈やし、いけるやろ。

「うるせえ。練習をしろ」
「しとるやろ!」
「貴様がやってんのは、気と顔がゆるみまくった壁打ちだけだろ! いいか、これ以上その怠惰という怠惰をつづけやがるなら、レギュラーから外すからな!」

こっわ……。め、めっちゃキレてはりますやん。レギュラーから外すとか……俺には、ずっとテニスする俺を応援してくれとった伊織って彼女がおるっちゅうのに、死刑宣告やんけ。
そんなんされたらたまらん……こんなん恐喝や。お前、犯罪者やで跡部。

「そんな怒らんでもええやん、跡部。ちゃんとやるって……」
「ったく、最初からそうしろ。バカが」

仕方なく、俺は真面目に跡部の横に立ってサーブ練習をはじめることにした。とりあえず跡部と同じことやっときゃ怒鳴られることもないやろう。

「今日くらい、ご機嫌なんは許してくれてもええのに……」
「アーン? 別に機嫌がいいことにケチつけてるわけじゃねえよ、俺は」

せやけど、俺と伊織の7年越しの想いがやっと通じ合ったんやで……親友やのに、もうちょっと祝福してくれたってええやろ。
それなのに、跡部のヤツ……。

――跡部、俺な、伊織と付き合うことんなった。おおきにな。お前もいろいろ協力してく
――ほう、よかったな。

完。
いやいやいやいやいやいや、もっとありますやん、普通。こいつ最近、女つくってないから、ひょっとして嫉妬してんちゃうか?
あかん、思いだしたらめちゃくちゃ強い球になってもうた……向こうのコートの2年がビビっとるわ、すまんな……。

「ほな、なんにケチつけてんねん」
「あ? 貴様が佐久間のことばかりでテニスに集中してねえからだろうが」
「それも、今日くらいええやん」
「今日までずっとだ!」
「そ……そうやけど、今日は許してや……せっかく付き合えるようになってんで? しかも、お互いはじめてのカレカノやんかあ? 俺のはじめては全部が伊織やし、伊織のはじめても全部が俺やし、もうなんちゅうか、そんな運命みたいなん、嬉しいやん。舞い上がってもええやろ、今日くらい」

あっかん、言いながら顔のゆるみが止まらへん。
伊織もずっと俺が好きやったて言うたもん、初恋やって言うたもん、俺ら似た者同士やったんや! くううううう、たまらん! 最高すぎるやろ!
俺の一生は伊織で終わる。伊織の一生も俺で終わるんや。きっと俺ら、そういう運命……。

「く……くっくっく」
「え……」

と、俺が多幸感満載で盛り上がっとったっちゅうのに、さっきまでキレとった跡部が、急に俺を小馬鹿にするように笑いだしたもんやから、俺は目をまるくした。

「ああ、悪い。いいぜ? つづけて」
「いやいや、待てや。気になるやろ。なにを笑ったんやいま」
「いや……貴様に言うとややこしくなることは言いたくねえ」
「ちょ、……ちょお待て、そんなん余計に気になるやんけ!」

俺の発言に、なんかおかしなとこなんかあったか!?
全然おかしない。そらお前はモテまくってきとるから女とっかえひっかえして、これまで何人も女を抱いて、そっちのほうでもキング気分やろうけど、ああ、不潔やそんなの!
俺は一生、伊織だけでええんやっ。俺のほうがめっちゃピュアで好感度も高いはずやっちゅうねん。
せやけどしばらく待っても、跡部はニヤニヤしたまま、なにも言わへん。ぶん殴りたい。

「跡部って! なにがおかしかったんや!」
「……」
「なん……なんか言えやっ!」
「いい。気にするなと言ってるだろうが、しつけえな」
「あかん。言うまで今日は帰さへん。なんやねんっ」
「ああ、うるせえなったく……貴様はポジティブなのかネガティブなのか意味がわからねえと思っただけだ」
「はあ? どういう意味やねん」
「ちょっと図にのりゃ、頭のなかが満開のバラ色になるんだと思ってな」

ふんっ! と、跡部がサーブを打って、練習を終えた。
俺も同じようにサーブを打って、跡部の背中を追いかける。部活も終わる時間や、ちょうどええ。
めっちゃ気になる言い方してくれるやんけ。頭のなかが満開のバラ色やと? それお花畑っちゅうこと? 言うてくれるやないか。ますますどういう意味や! 伊織と付き合えることになってんで!? あたりまえやろそんなん!

「ちょお跡部、逃げんなや、はっきり言えや」
「はっきり言うと面倒だから言いたくねえんだよ」
「ほなヒントくれ!」
「ガキかてめえは……!」

今日もまた、跡部は心底、面倒くさそうな顔をしとった。
せやけど、こんなん気になるに決まっとる。俺が伊織と恋人同士になれてウキウキウォッチング状態やっちゅうのに、あんな、あんな、小馬鹿にしたように笑われたら!

「はあ……わかった。1つだけヒントをやる」
「なんや、なに? なんやねんっ」
「急かすなっ……いいか。仕方なく言ってやる。だから絶対に口外はするな」
「口外……?」
「いまから言うことしか言わない。それ以上の詮索はやめろ」

え、なんや……俺なんか、重大な秘密でも聞くんかこれから?

「そして余計なことを考えるな。お前はいまを楽しめ」
「ちょお、なんや跡部、それ……なんかいろいろ言われて混乱」
「約束できねえってんなら、話さないだけだ」
「わ、わかった、わかった。約束します……ほんで、なに?」

しゃあなしで約束すると、跡部は一旦、周りを見わたしてから、ぐっと俺の首に腕をまわして背中をまるめると、ぼそっと言うた。

「俺にも幼少期からずっと好きな女がいる。だが、その女と付き合ったことはない」
「は?」
「以上だ」

言い終わってすぐに背筋を伸ばした跡部は、くるっと振り返って去っていった。
それ以上の詮索はやめろ、という言葉がよみがえって、でかけた言葉を飲み込む。
あまりに衝撃すぎて、俺はそのまま、コートに立ち尽くしとった。

「おー? 侑士、なにぼーっとしてんだよ。帰んねえの?」
「帰る……けど……なあがっくん、跡部って、これまで彼女おったよね?」
「は? まあ……何人かいたけど……そんなのお前のほうが詳しいだろ?」
「ん……そやんな」

そうなんや。跡部って、彼女、これまで何人かおった……ほんで、いまは別れとるとしても、あいつはその女とキスもしとるし抱いてきとるはずや。そこは疑いようがない。あいつがゴムを持ってんの、俺、見たことあるし。
「大人やな! アホが! 死ね!」って内心思ったで、よう覚えとる。たしか高1のころやった。
せやけど、そんなんしながらも、ほかにずっと好きな女がおったってこと? え、それやのに、ほかの女と付き合ってきとったってこと? で、ホンマに好きな女とは、付き合ったことはないってこと?
それ……めっちゃひどい男やないか、よう考えたら。いやでも、跡部、いままでの彼女にもめっちゃジェントルやったし、めっちゃ好きそうやったで……ちゅうことは、え? 彼女たちは彼女たちで好きやったってこと?
そ、まあええわ、それはそれで……え、待って? それがなんでヒントなん?

『侑士、わたし正門のとこで待っとくね』

どんだけ考えても跡部のヒントからなにもわからん俺が、なんとかヒントを解こうと考えながら部室で着替えとると、伊織からのメッセージが届いて、胸が、ほわあんとなる。

『すぐ行くから、もう変な男に声かけられんように気をつけてな?』
『あははっ。わかってるよ』
『好きやで、伊織』
『うん、わたしも好きだよ、侑士』

デレッデレのメッセージを返しとるうちに、跡部の話、結局ようわからんしどうでもええか、と思いかけたときやった。
突然、稲妻が頭に落ちてくるように、ひらめいた。
「変な男に声かけられんように気をつけて」って、俺、どういう意味で言うたんや?
変な男に声かけられたところで、伊織なんかあんなに強いんやで、ちゅうかあそこまでせんでも、付いていくはずがない。
やって俺が彼氏なんやから! ……せやけど。これまでは?
俺のこと、ずっと好きやったって言ってくれたけど……俺はずっと、5年も伊織と離れとった。連絡さえ取り合ってなかった。
跡部がそうしたように……伊織も俺が好きな気持ちを持ちつつ、声をかけられて、「ちょっとええかな」って付き合ったことが、あるとしたら……?
小学生のころから伊織を想いつづけて、こないだまで実りようのなかった恋をずっと引きずってきた俺を、跡部は言うた。「気持ち悪い」って。それは、普通はそんなことにならんってこと? ほな、伊織は……?

「侑士! こっち」
「あ、ああ」

着替えて正門に行くと、伊織は笑顔で迎えてくれた。それやのに俺、うまく笑えへんかった。

「どうしたん侑士? なんか調子悪い?」
「え? そんなわけないやん、今日、特別な日やのに」
「あ……ふふ、うん」

めっちゃいつもの自分を装ったし、実際、伊織と付き合えたことが嬉しくてたまらんかったんやけど……俺は頭の片隅で、いやな妄想をくり広げとった。

「伊織……手、つながん?」
「うん……!」

伊織もこれまで誰かと付き合って、抱かれたりしたことが……あるかもしれへんってことか……跡部。





to be continued...

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