ダイヤモンド・エモーション_05


5.


「ろっ子、クローズ任せていいか?」
「もちろんです。付き添ってあげてください」
「悪いな」

アシスタントのろっ子に店の閉店作業を任せて、俺は伊織さんと彼女の自宅マンションに向かった。
渋滞を避けて電車に乗り込んだせいか、伊織さんはいつもより静かだった。
気丈に振る舞おうと思ったのか、「わたし、ひとりで大丈夫ですよ」と何度か怯えた目をして俺につぶやく。

「俺が大丈夫じゃないんよ」
「……仁王さんってきっと、そういうとこですよね」
「ん? なにがだ?」
「いえ、こちらの話です」

そんなよく訳のわからん話をしながら駅についてマンション前に到着した頃には、炎のあがる建物を見物に、多くの人間が群がっていた。
半狂乱になっている住民の叫び声が聞こえるなかで、伊織さんは燃えていくそれを見ながら、呆然と言った。

「……本当、だったんですね」
「伊織さん、大丈夫か」
「あれ、本当にわたしの住んでるマンションです」
「わかった、もうええから」
「部屋に、アルバムがあるんです」
「え?」
「それだけ、取ってきてもいいですか」

いつもと変わらない様子だと、一瞬でも信じた俺がバカだった。
目の前の光景が非現実的すぎて、視点がうまく合ってない彼女に気づいてやれてなかったのかもしれない。

「ちょっと、行ってきます」
「待ちんしゃい!」

ふらふらと歩き出した腕を咄嗟につかむと、伊織さんは振り向きもせずに俺の手を振りほどこうとする。

「伊織さんって!」
「離してください、取りに行きたいんです」
「行かせるわけないじゃろ」
「仁王さん、腕が痛いです。離してください」
「離して駆け出して行ったところで、あのへんにおる消防隊員に止められて終わりやぞ」
「離してください」
「離さんって。知っちょるじゃろ、俺が頑固なの」
「でもアルバムがいるんです。大事なものなんです」
「それはわかっちょる」
「わかってないですよ! 仁王さんわたしのアルバムなんてどうでもいいんでしょ!」
「あたりまえだ!」

突然、感情をぶちまけてきた伊織さんに、俺も思わず感情的になっていた。
何度もしつこく振りほどこうとされる腕を、何度もつかみ直して自分に引き寄せた。
その反動で、彼女の体が胸のなかに収まる。
その体が僅かに震えていることに、そのとき、はじめて気づいた。

「もう見るな。しばらく、こうしときんさい」
「仁王さん……あの部屋に、大事なものいっぱいあったんです」
「わかっちょる……けど、あのマンションのなかで伊織さんの命より大事なものなんか、俺にはないんよ」

震えている体を擦った。そんなことくらいしか、いまの俺にはできやせん。
自然の力を目の前にしたとき、人間は本当に無力だと、思い知らされる。





「……原因は、まだわからないらしいけど、火の不始末じゃないかって、警察の人が。そう、タバコ。はい、わたしは大丈夫。はい、姉さんには自分から連絡します。うん、保険なら入ってるから」

深夜までかかった消火作業が終わって、伊織さんと俺は身元確認も含め警察署に向かい、もろもろの手続きを終えて夜道を歩いていた。
その頃には、伊織さんも多少の落ち着きを取り戻していたが、疲労困憊の顔色は否めない。
通話を終えたあと、彼女は大きなため息をついた。

「親御さん、大丈夫じゃった?」
「ご心配なくと伝えたつもりですが、とても心配してました」
「そりゃそうじゃろ」
「それがまた、不始末したのが、付き合ってる人とかじゃないよね、と。そんなわけないじゃないですか、姉じゃあるまいし。失礼です」
「まあたしかに、心外やの」
「それにわたし、その不始末した人、知ってるんです。いつもマンションの下でタバコを吸っている男の人がいたんです。まだわからないですけど、きっと、あの人だなって。だからあんな人と付き合ってると思われたら、余計に心外です」

やけに饒舌だ。安心を装っているのか。
それでも俺は、そのはち切れそうな糸を、見ていられない。

「でも……」
「でも、どうした?」
「あんなに、両親がわたしを心配する声を、はじめて聞いた気がします」

糸が緩んだ瞬間だった。物憂げな表情で、伊織さんはほんの少しだけ笑った。

「すみません変ですよね。こんなことになってるのに、笑ってるなんてどうかしてると自分でも思います」
「心配が、嬉しかったんか?」
「……少し、嬉しかったです。両親はいつも、姉のことばかりですので」

姉妹は、俺の体験している姉弟とも、兄弟とも違うんだろう。
もちろんいろんなパターンがあるだろうが、少なくともいまの伊織さんの妹としての立場に寄り添うことが、俺にはできそうにない。
伊織さんの言葉から幾度となく出てきた『姉』という言葉には、いつも棘を感じる。それがそのまま『姉』との関係性を示すものだと、なんとなくわかる。

「お姉さん、嫌いなんか」
「苦手です」
「即答じゃの」でも嫌いと言わんところが、かわいい。
「住まいが燃えてしまったのは、もうこの際、仕方のないことです。ですがこれから、姉の世話にならなくちゃいけないのかと思うと、いささか気が重いのが正直なところです。自分はいつも急なくせに、人の急には嫌な顔するわがままな人ですから。そうは見えないですけど、わたしには見えるんです。本当の顔が」
「ちゅうても、こんな非常事態じゃ。そんなに酷な人なんか?」
「いえ……そこまでじゃないと思います。わたしがそう思いたいだけなのかもしれません。ですけど……単純に借りをつくるのが嫌なんです」

いつもより素直なぶん、ぐらぐらな崖の上にいる伊織さんを、このままひとりにするのが怖かった。
これほど大きなストレスを受けたあとで、彼女が『気が重い』とたしかに感じる『姉』の家に向かわせる気分に、どうしてもなれない。

「伊織さん」
「あ、すみませんこんな遅くまで。あの、本当に心強かったです。仁王さんがいてくれなかったら、わたしあのまま」

伊織さんはせっかちな人だ。そこがチャームポイントでもあるが、たまにはきちんと最後まで、俺の話を聞いてほしい。

「そう思うなら、今日だけでもうちに来んか」
「へ?」
「ホテル泊まるにも、お姉さんの家に突撃するにも、心細いじゃろ」

伊織さんの目が、パチパチと何度も瞬きをくり返して、俺を見る。

「……そんなに心配せんでも、襲ったりせん」
「わかっています。仁王さんがそんなことするとは思えません、わたしなんかに」
「いや、そういう意味じゃのうて」
「ですがだからと言って、そこまでお言葉に甘えるのはどうかと、いろいろと考えていたんです。だって仁王さん、彼女が、いらっしゃるようですし。わたしこのあいだから、仁王さんにご迷惑をおかけしっぱなしで」

少しだけ、本調子を戻してきた彼女にほっとしながら、俺はタクシーを停めた。

「ちょ、ちょっと仁王さん、わたしまだそうするとも、そうしないとも言ってません」
「心配せんでも今日は彼女も来んし、来たところで説明すれば終わりだ」
「いや、説明して終わりますか? あ、わたしがこんな女だからですか」
「面倒くさいのう相変わらず。ええから乗れ。替えの下着は用意できんが、それだけ我慢してもらえれば、あとは快適なはずだ」

それで納得したわけでもないだろうが、伊織さんはタクシーに乗った。
よっぽど、『姉』の世話にはなりたくないらしい。





「……そういうわけですので、明日から数日お世話になります。ウィークリーマンションを探しますのでそれまで……いえ結構です、そんなにお世話になる気はありません。え? ですから大丈夫ですと何度も……今日? きょ、今日はホテルに泊まり……い、いえもうチェックインしましたので。とにかく、明日から数日だけお願いします!」

風呂からあがると、そんな電話内容が聞こえてきた。両親とは打って変わって、強引に電話を切ったようだ。
話だけ聞いていると、電話越しの『姉』は別に、妹のことを『普通に』扱っているように思うが。

「ホテルに泊まる……ねえ?」
「ひゃっ! 仁王さん、いつからそこに」
「まるで学生の朝帰りの言い訳じゃの?」
「からかわないでください!」

もう、すっかりいつもの伊織さんだった。
本当はそんなわけないと思うが、彼女が気丈に振る舞う限り、それをわざわざ崩すのも彼女のプライドを傷つける気がして、俺はその波に乗るように心がける。

「あの、本当にありがとうございます、パジャマまで」
「よう似合っちょる。男物じゃから余計かもしれん」
「む……どういう意味ですか!」
「いや別に?」

そう言ってビールを手渡すと、目を逸らしながら会釈をするようにうつむいて、聞こえないくらいの声で「ありがとうございます」とつぶやいた。

……どうも、よそよそしい。
いつも伊織さんとの会話は、こっちが1球打てば2球目がすんなり返ってきて、3球、4球とラリーがつづくが、部屋に招き入れてから、まったくつづく様子がない。
伊織さんのノーメイクなんか何度も見ちょるし、本人も別にそれが恥ずかしいわけでもないやろう……ちゅうことは。

「ひょっとして、伊織さん」
「なんでしょうか」
「男の部屋、はじめてな」
「違います!」

はじめてなんだな……。

「広いですね、仁王さんのお家は。さすが、売れっ子美容師って感じです! しかもやっぱり、杉並じゃないじゃないですか! 超都会じゃないですか!」
「感情の起伏がおかしなことになっちょらんか? 急にテンションあげて、どうした」
「別にテンションあげてなんてませんっ」
「なんだかんだ言いながら、この先の展開、期待しちょったりして」
「はい!?」
「はははっ、冗談じゃって。そんなに目をひん剥きなさんな」

少しでも元気を取り戻してくれたなら、それでいい。
俺の役目としては十分じゃないかと、個人的には腹落ちしていた。
だが伊織さんはじっと俺を見たあと、勢いよくビールを飲んで立ち上がった。

「……わたし、もう寝ます」
「あれ、怒ったんか?」
「違います、疲れたので。おやすみなさい」
「そうか。おやすみ」

最後に残ったビールを一気に飲んでから、客間に消えた。
疲れたから、早く休みたいのは当然だ。眠るのに、酒の力がいるのも頷ける。
すでに深夜2時。さすがに明日の仕事は伊織さんも休むやろう。俺もたまたま店休日だ、いろいろ手伝うこともできる。
あれこれ考えながら寝室に向かっていたとき、妙な不安を覚えて、俺は客間前で立ち止まった。
すすり泣く声が、聞こえた気がしたからだ。
軽くノックして、そっと扉を開ける。俺に気づいたんだろう、真っ暗な部屋のなか、伊織さんが身をよじって背中を向けた。

「女性の寝室に入ってくるなんて、最低です……」

涙声だった。

「そうやの」

俺はベッド脇に腰をかけて、ほんの少しだけ出ている頭に手を乗せた。

「なに……してるんですか。わたし、期待してません」
「そうか。まあ普通は、そういう解釈になるか」
「襲ってきたら、通報しますから」
「そのつもりなら、とっくにそうしちょる。だが泣いとる女を襲うような趣味は、俺にはない」

子どもをあやすように、俺は伊織さんの頭を撫でた。
現場で背中を撫でた、あのときのようにそうした。いろんな意味で、俺は今日、ずっと伊織さんをこうして撫でながら、傍にいるべきなんだと感じる。

「仁王さんはそういうの、本当に慣れてらっしゃいますよね。正直、少しうらましいです」
「ん?」
「女性の扱いというか、人との距離感というか。同い年なのに、全然その、偏差値のようなものがわたしとは雲泥の差ですから。ちょっと困るんです、そういうの。わたしは慣れてないですから」

伊織さんは泣いている自分が恥ずかしいのか、懸命にいつもの自分を装っているようだった。
それならと、俺も行動とは似合わない、いつもの自分を出すしかなさそうだ。

「……ひょっとして俺、くど」
「口説いてません!」
「早いのう否定が……まあ、そう怒りなさんなって。俺はそう思われがちやから、そういう自分を演じとる部分もあるんよ。伊織さんと一緒だ」
「え」
「実は不器用じゃったりする。惚れた女とかには、とくにな」

なんの報告だ、と思いながら、こんな話をする機会もなかなか無い。
ほんのりと、この状況を楽しんでいる自分に、不思議と居心地の良さを感じていた。

「……だからわたしには、スマートでいられるんですね、逆に」
「ははっ。俺に惚れてほしいわけでもないじゃろ?」
「……こんな、触れてきたりして」
「まあ、髪に触れるのは俺の仕事じゃから」
「……それなら少し、お願いがあるんです」

言い終わってぐるっとこちらに顔を向けた伊織さんは、目にいっぱい涙をためていた。
その表情に、俺はなにも言えずに、伊織さんの言葉を待った。

「寝るまででいいです。そこにいてくれますか」
「……ええよ」

俺の手の下で、伊織さんは拗ねた子どものように泣きながら、眠った。





「どうぞ、召し上がってください」
「……すごいご馳走じゃのう、朝から」

夜が遅かったせいで7時に目を覚ますと、キッチンからいい香りがしていた。
俺の目の前に並べられたのは旅館のような朝食だ。

「勝手にすみません。冷蔵庫に入っているものを使わせていただきました。わたしにできることは、これくらいしか」
「いや、朝食をつくる手間が省けて……うまい」
「美味しいですか?」
「うまい、ものすごく」
「それはよかったです。少し緊張したんです、あまり自分でつくった料理を人に出すことがないもので」

口に入れた味噌汁が絶妙にうまい。
それと同時に、伊織さんの表情が柔らかくなっていることに、俺は安堵した。

「仁王さん、朝が早いんですね」
「伊織さんもじゃろ」
「何時に起きられるかわからなかったので、遅くても6時には用意しておこうと思っただけです。わたしの朝はいつも夜明けと一緒なので」
「俺もそんなもんなんよ。朝のほうが、人間、効率がいい」
「はい、わたしもそう思います。ですから今日も、食事をとって後片付けをしたら、早々に姉の家へ向かおうと思います」

その毅然とした声に視線だけ向けると、伊織さんは眉を動かしてきた。

「なにか」
「大丈夫なんか、そんなに早く行って」
「姉には伝えてあります。6時に連絡をしたら、軽く嫌味を言われましたけど。『普通の会社員は寝てる』とかなんとか」
「ははっ。それ、俺もよう言われる」
「姉の怠け癖にはホトホト呆れます。あの人はまともな時間に起きて仕事をしないんです。裁量制だとかなんとか言って、いつも起きて最初にする仕事は『ランチに行くことだ』なんてチャラチャラ言うような人です」
「ちゅうことは、昼に起きちょるってことやの」
「おっしゃるとおりです。それで深夜まで働いています。まったく、わたしからすれば効率が悪いったらありません」
「同感だ。まあそういう輩、知り合いにもおるからなんとも言えんが」

『姉』の悪口を言い出すと、伊織さんは自分を保っていられるのかもしれない。
一晩寝てひと息ついたこともあるだろうが、昨日よりは日常を取り戻しているようだった。

「ウィークリーマンション、本当に探すんか」
「はい。姉の家にずっといるなんて無理ですので、新居が見つかるまではウィークリーマンションで過ごします」
「金は?」
「保険金がありますし、それが振り込まれるまでは貯金でなんとでもなります」
「そうか。ならとりあえず、今日はウィークリーマンションやら新居やらを探してから、お姉さんの家に行ったらどうだ?」
「それも考えたんですが、一旦は姉の家に行ったほうが得策かと」
「だが先に住居を探したほうが、お姉さんの家にいる時間を短縮できる可能性もあるし、買い物も今日のうちにしたほうがええ」
「おっしゃることはよくわかりますが、そんなにバタバタ動けるでしょうか」
「ひとりじゃ無理かもしれんが、ふたりならできる」
「え」
「仕事、今日休むんじゃろ? 俺も今日明日と仕事が休みなんよ。手伝う」

伊織さんが目をまるくした。
昨日の今日で、「はいそうですか」と俺がのん気に休日を過ごせるとでも思ったか?

「悪いです仁王さん、そこまでお世話には」
「女のひとり暮らしって不動産屋にナメられるんよ。男と一緒に回ったほうが偉そうにされん」
「それはそうかもしれないですが、でもですね」
「考えてみれば俺、伊織さんに会ってからずっと伊織さんのお世話しちょる」
「え」
「伊織さんの気遣いが、いまさらじゃっちゅうこと」





伊織さんはぐうの音も出なかったのか、結局、俺らふたりで不動産屋を回った。
ウィークリーマンションも探せば結構あるもんで、伊織さんの会社に近い場所のウィークリーマンションを翌日入居で借りることができた。今日は居心地の悪い『姉』の家に泊まるだろうが、明日にはウィークリーマンションに住みだすだろう。
そうして洋服やら日用雑貨品を買って回った頃には、もうすっかり夜になっていた。

「仁王さんすみません、今日は本当に……」
「男手があってよかったじゃろ?」

スーツケース2個分はある荷物を抱えて、俺らはタクシーに乗っていた。
伊織さんは滅多に見せない笑顔を向けて、力強く頷いた。

「このお礼は絶対させていただきますし、ご恩も絶対に忘れません」
「伊織さんの口からそんな言葉が出てくるとはの」
「……それはどういう意味でおっしゃってるんですか」
「貸し借り大嫌い人間じゃろ」
「あのときはまだ、仁王さんのことをよく知らなかったのでそう言ったんです。おっしゃるとおり、わたしは貸し借りは嫌いですが、ここまで親切にしていただいてツンケンするほど、腐ってはいません」
「ふうん。じゃあいまは、俺のことを知れたから甘えられるっちゅうわけだ」
「仁王さんが見かけによらず、とても優しい人だということはわかりました」
「……ひとこと多い」
「ふふ」

会った当初から昨日まで、まったくと言っていいほど笑顔を見せなかった伊織さんが、嘘のようだった。
人が打ち解ける瞬間を感じたことは何度もあるが、これほど心を開いてくれたと思える瞬間は、そうあるものじゃない。

「伊織さん、お姉さんの前じゃ笑わんのか?」
「なんですか、急に」
「いまからお姉さんの家じゃろ? その笑顔はしばらく封印されるんかなと思って」
「別に姉の前だけではありません。わたしはあまり、笑わない人だとよく言われます」
「笑ったほうが、かわいい」
「え」
「じゃから、もったいない。たった1日でもその笑顔が封印されるのは」

またしても伊織さんが目をまるくして固まっているあいだに、タクシーは目的地についた。
高級住宅街にある一軒家の前。
それを見ただけで、伊織さんが『姉』を苦手だ、と言った意味が少しだけわかる気がした。
伊織さんの趣味とは、違うだろうなと思う。空気感、そのものが。

「仁王さんは、いつもそういう感じなんですか」
「ん? なんの話だ?」

家を見上げながら荷物を運ぶ俺に、伊織さんはぶつぶつと言いながら俯いていた。
少し刺激が強かったか。だが、俺は本音をそのまま口から出す性格だ。
本当に笑顔が可愛いと思った、それだけの話。

「女たらしって言うんですよ、そういうの」
「たらしこんじょるつもりないって」

伊織さんが家のチャイムを押した。
なかから、「はーい」という男の声が聞こえてきた。この家の家主だろう。伊織さんからすれば、義兄か。

「じゃあ人たらしです。いや天然たらしだ」
「たらしを外すことはできんのか?」
「できませんね」

表札には「吉井」とあった。
あれ、と思った瞬間、その扉が開けられた。

「伊織ちゃん、こんばんは。大変だったね」
「こんばんはお義兄さん、1日だけど、お世話になります」
「ゆっくりすればいいのに。えっと、こちらは?」
「仁王といいます、彼女の友人で、少しお手伝いを」
「そうですか。義妹がお世話に……」

そのときだった。
奥から、パタパタという忙しい足音とともに、聞き覚えのある声がしたのは。

「伊織いらっしゃい、大変……」

彼女の「大変だったね」という声は、俺を見たせいで、最後まで届かなかった。
一方で俺の視線も、向かってきた彼女の姿にくぎ付けになっていた。

「……仁王さん? どうしたんですか」

彼女も、俺の姿に立ち尽くしていた。
そこにいたのは、俺の恋人……千夏さんだった。





to be continued...

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