03_ソノラマ







≪今日はねー、和食にしてみたの。わたしは食べてきちゃったから、全然お腹に入らないけど、侑士ご飯まだでしょ?≫

「………」

≪…侑士ーーーーーーーー!?≫

「!…と、すまんすまん…ちょお仕事んことで、頭が…」

≪大丈夫?そんな侑士を急かしたくはないけど…でも、早く帰って来てね♪≫













Manic Monday -ソノラマ-












「侑士、なーんかうわの空…」

「おお、すまん…あかんな、ホンマ、家におる時くらい、仕事のこと忘れなな?」

「そだよ〜!」

「お、これうまそーや。いただきます」

「はい、どうぞ!」


千夏は多少呆れつつも、笑って過ごしてくれた。

結局、あの後…飲み会に顔も出さんままに帰った俺。

そそくさと、二次会で伊織が待っとる言うて、飲み会に出かけて行った仁王。

千夏は、その頃一次会を抜けて俺の自宅マンションで、俺の帰りを待ってくれとった。

…和食の、晩飯こさえて。

本社のクリエイティブと少しの打ち合わせをしてビルを出た俺に、そういうて千夏から電話があったんがさっきのことや。

そん時も、今も、千夏に呆れられとる…俺、ほんま、どんだけやねん。

仕事から解放された途端、なんでこないに、伊織と仁王のことが気になんねや。


「…でもまぁ、侑士のクライアント大変そうだもんねー。いろいろ考え事しちゃうのも無理ないか!」

「あぁ…なんやほんま、問題が山積みやってな。堪忍な、千夏」


「んーん!わたしは全然大丈夫。仕事してる侑士も好きだもん」

「ははっ…おおきに」


ホンマはちゃう。

俺は、プライベートに仕事は持ち込まへん。今までずっとそうやってきとる。

そこまで仕事漬けんなると、体が持たへんようなってまうでな。

これは俺の中の絶対や。入社した時から、仕事から抜けた時間は仕事の事は考えやんようしとる。

せやけど…今は仕事っちゅうことにさせてもらうわ…。

ホンマは…仁王に言われた事のせいやけど…千夏にこんなこと、言えるわけあらへんし。


「明日は、休日返上しなくていんでしょ?」

「ああ、明日は休日出勤なんてせえへんよ。まだ最初の段階やからな。休日がないなるんは、あと何ヶ月か後やろな…撮影に入りだしたりしたらな。多分、その頃は休みはないやろ」


「う〜〜〜、大変。事務員は楽してます」

「ホンマやで〜。ええご身分…」


明日、明後日は土日で休みや。

仁王が今日俺に言うてくれて良かったで…あれが平日で翌日も仕事みたいな日やったら、俺はその翌日、伊織と仁王にどんな顔して接してええかわからへん。

とりあえずは二日、会うことはないで…いろいろ気持ちの整理もつく。

………やって、ただでさえ…ただえさえ伊織が目の前に現れて、めっちゃ戸惑っとる俺に…この仕打ちはないで、仁王…お前は俺の心を読もうと必死やったな。


「侑士、おかわりは?」

「ああ、もらうわ…」


「じゃ、チューして」

「はっ?」


「はー?じゃない!」

「ああ、はいはい姫さん…んっ」


千夏の唇に軽くキスをすると、千夏は嬉しそうに笑いながら、茶碗を持ってキッチンへ行きよった。

今は千夏の前や、しっかりせな、俺。平静を努めなあかんで俺…。

……何十回、言い聞かせたやろう。

あかん、あかんと思いながらも、俺は完全にうわの空やった。

キスしょーが、千夏が目の前で優しく微笑もうが、おもろい話しとろーが…。

最低やな…恋人が目の前におるんに、考えとるんは元カノのことやって。

ちゅーか、そもそもなんで伊織と仁王が知り合いやねん。

おまけに仁王が伊織に惚れとるってどういうことやねん…!






―黙っちょったらわからんぜよ忍足―

―あんなぁ仁王、俺と伊織の関係は昔の事やで。何でわざわざ俺に未練がないかって、お前が聞きにくるんじゃ―


―お前さん、おかしな事を言うのう…昔の事じゃから聞いちょる。お前らがどんな別れ方をしたんかは、俺にはわからんよ。だがわだかまり残る別れ方をしちょるのは伊織を見ればわかる。だから聞いちょるんじゃ。後で文句でも言われたら、たまらんからの…―

―あほか…なんでお前が伊織を口説くのに、俺が文句つけなあかんねん。勝手にしたらええんとちゃうの?―


―俺がお前さんに質問した理由はもうひとつあるぜよ―

―は?―


―…邪魔はするなっちゅう意味じゃ…どっちかっちゅうと、こっちの意味合いの方が強いがの―

―…はっ…あっほらし…お前が伊織に惚れとるのはようわかったわ。俺からも忠告するで仁王。恋愛に夢中んなり過ぎて、仕事が疎かにならんようにな―


―ほぅ…いい返事をもらえて意外じゃ忍足。じゃ、俺は伊織に会いに二次会に行くとするかのぅ―

―あー行け行け。ほなさいなら―






どんだけ、どんだけ俺がこの会話中に動揺したか…仁王に伝わってないことを願うばかりや。

…伊織と俺は、確かに、わだかまり残る別れ方をしとる。

高校、卒業前やった。俺がもっと、伊織の気持ちを理解しとったら…。

ほんま、自分が情けないわ…今やったら、絶対にあんな過ちは繰り返さへんのに。

別れて一ヶ月もせんうちに、伊織の居らん日常に耐えられへんようになった。

せやけど、そう思った頃にはもう遅かった…。

伊織の友達から、新しい彼氏が出来たって聞いて…おまけに、携帯は繋がらへんかった。


「ねぇ侑士、そう言えば来週の月曜は佐久間さんと外出だよね?」

「え!ああ!ああ、せや…営業先にな、挨拶と打ち合わせに行くねん…」


「同じ氷帝だったんだっけ?クラスメイトだったの?」

「いや、同級っちゅうだけや…クラスは、一緒んなったことはないで…」


いきなり千夏の口から飛び出した伊織の名前に、一瞬跳ね上がりそうんなった…

せやけど千夏は、いたって世間話っちゅう感じやった。


「広い学校だもんねー。同期にも氷帝の人多いんでしょ?」

「うちの会社はなんでやろな?特に多いわ…ま、広告代理店も業界やし、派手好きが多いんちゃうか」


まぁ…そらそうやわ…あのチームん中で、俺と伊織の関係を知っとるのは仁王だけ…。

そう安心しつつ、なんとなし、千夏の話に合わせる。


俺は伊織と別れてから、まともな恋愛は出来へんかった。

誰と付き合っても、全く続かへんままの7年を過ごしてきとる。

…で半年前、千夏と付き合い出した。

千夏は穏やかで、優しい女や。ここ何年かの付き合いん中で、一番続いとる。

伊織との恋愛中に感じた、胸が軋むような喜怒哀楽は感じられへんかっても…千夏と付き合って、俺はやっと、まともな恋愛出来るようんなったんかもしれへん…そう、思ったんはこないだのことやったのに…。

仁王と…どこで知り合ったんやろな…伊織は…。

………ほんま、面影残したまんま綺麗になっとった。

あの頃、ずっと、一生俺のもんやって信じてやまんかった、伊織に再会してもうた…。


「佐久間さんは派手好きって感じじゃないよね。なんか、やっぱり大人の女って感じで、わたしもちょっと大人モードに走りたくなっちゃった」

「はは、さよか…」

「そっか…侑士は来週、佐久間さんと営業か…」


千夏の口から「佐久間さん」連発は、正直、心臓に悪い…。

そんなん思いながらビクビクしとると、ふっと千夏が影を落としよった。

気分でも悪いんやろか思て、心配んなって、覗き込む。


「どないかしたか…?」

「なーんか、あの人綺麗だから、心配だな〜〜〜なんて。えへへ」

「…ふっ…あーほ…」


…………女の勘っちゅうのは、ほんま、シャレにならん。







◇ ◆ ◇







「佐久間、準備出来とる?」

「はい、出来てます」


「よっしゃほな、車で移動すんで」

「了解」


10時に約束しているクライアントとの打ち合わせの為、わたしと侑士は9時に車に乗り込んだ。

あのむしゃくしゃした週末からわずか数日。月曜日だ。

今日は外出が多いからと、車で出勤してきていた侑士。

社内で呼びかけられて、地下駐車場に行ってから彼の車に乗り込むと途端に、…懐かしい、侑士の匂いで体が包まれた。

まるで、抱きしめられているような錯覚に陥りそうになる。


「ちょお汚れとるけど、堪忍な」

「いや、全然汚れてないよ侑士。相変わらず、綺麗好きなんだね」


「そうか…?」

「うん、男の人にしては綺麗にしてると思……あの、これ、位置変えてもいいかな!?」


綺麗にしてるなーと思いながら乗った途端、いきなり座り心地が気に入らない。

きっと小さな小さな体の女の子が、かわいこちゃんして乗ってるからこんなに座席が前にきてるんだ!!(誰とは言いませんけどもね!)

イッライラしながら侑士の返事も聞かずに座席の位置を変えるわたし。

心なしか、口調も荒っぽくなる。

そんなわたしを不思議そうに見る侑士に、なんだかまたイラついて、聞かれてもいないのに答えた。


「わたしはゆったりしてるのが好きなの!」

「いや…別に、何も言うてへんやろ…」


「だって今じとーっとわたしのこと見てた!」

「いや…なんでいきなりキレ気味なんやろって思ただけやで…気にせんといて。お前のヒステリックは慣れとる…」


「はぁ!?」

「喚くなやうっさいのぉ…ほれシートベルト締めて。車出すで」


ヒステリックは慣れとる…って発言にかなり意義を唱えたいところだけど、確かにわたしにはヒステリックなところがある。

侑士はそんなわたしを、いつも宥めてくれていた。

思い出してまたドキドキする。

それに今、こんな密室で侑士とふたりきり…どうしよう、何、話したらいんだろう。


「………」

「………」


「…あー…えっと、今日は天気がいいね」

「ん?あぁ…ああまぁ…せやな…」


昔なら、なんてことなかったこの沈黙。

むしろあの時は、侑士と喋る事というよりも、一緒にいることが大事で。

こんな沈黙が起きても、わたし達は慌てもしなかった。

沈黙が心地良い時さえあった…

ただ、見詰め合ってキスするだけで、それだけで良かったデートだってある。

それが今では、「何を話そう何を話そうなんか話題を作らなくちゃ!!」と考えてしまうのは、やっぱり離れてた期間がわたしたちを他人にしてしまったことによるものだろうか。


「…先週の飲み会、どうやったん?」

「あ…侑士来なかったよね!すごい楽しかったよ。まぁ侑士が仕事終わった頃は、すでにみんな、ヘベレケだったけどね」

「ははっ…せやろなぁ…あいつら酒、そんな強うないでなぁ」


運転中に正面を見てる侑士をいいことに、話すついでにとばかりに、どさくさに紛れて彼を見ては、その表情を確かめた。

話してる時にその相手に顔を向けるのはおかしな事じゃないし。


…見ていると、思わず髪を梳いてしまいたくなるほどの黒。

長い睫毛は、真っ直ぐと前を見据えている。

紺色のスーツから伸びる右手はハンドルを回して、左手はわたしの座席横にあるBOXに肘ごと掛けられていて…相変わらずの、イイ男。


「……」

「……」


あ、やだ、どうしようまた沈黙。

ぼーっと侑士を見ていたら、返事をするのも忘れてたせいでまた車内が静かになった。

音楽がかかっていたって、何も話をしないのはなんだか気まずい。


「侑士…あの…」

「ん…?」


「……そ、吉井さんと、どうなの!?」

「…どうって…?」


「だからどうって…そりゃ、うまくいってるかな〜って意味でしょーよ」

「…なんで同じこと聞きよんねん…」


「は?」

「いやなんでもあらへん」


わたしが取り繕うと、侑士がボソッと何かを呟いた。

声が小さくて全く聞こえなかったけど、いい雰囲気じゃなかったのは確かだ。

もしかして、喧嘩とかしちゃったんだろうか……やっだわたし最低!心の奥底で喜んでる…ホント、も、最低…


「別になんもあらへんよ。普通にうまくいっとるわ」

「あ…あ、そうなの。あは…はは…あー、良かった、何より」

「………」


彼女の話題は気分を害してしまうのか?

…もしかして、口ではそんなこと言いつつやっぱり喧嘩してんじゃないの?

わたしの頭の中では様々な憶測が飛び交う。

だって侑士、全然楽しそうな顔して喋らないし。

普通、最愛の彼女のこと聞かれたら、うまくいってる時は誰だって笑顔になるはずだもん。

金曜、そういえば吉井さんは一次会で抜けてった…わたしはあの時、絶対侑士の家に行くんだこの人!って思ってむしゃくしゃしたけど、もしかしてあの後ふたりで何かがどうかなって大喧嘩しちゃったとか…

やっだわたし最低!!やっぱり喜んでる…すごい自分勝手な妄想を繰り広げて自分を元気付け―――


「何でそんなこと聞くん?」

「ぅえ!?何!?何が!?」


「……堪忍、なんか考え事しとったみたいやな」

「あ…あいや、いいの、いいの全然…」


ごちゃごちゃ考えてる途中にいきなり話しかけられて、わたしは体ごと「ぎゃ!!」と叫んでしまったようになった。

侑士はそういうわたしに慣れてる。

高校の時からずっとだもん、無理ない。

だから今だって、多少呆れ顔でこっちを見た…こいつ変わってへんなぁ〜くらいに思われてるきっと。


「あー…で、えっと、何?」

「せやから…何でそんなこと聞くんや?」


「あ…ああ、あー…吉井さんのことだよね?えっと…」

「それ以外に他になんか話題あったか?ああ、天気の話したな…」


嫌味ったらしく、侑士は信号待ちをいいことに、わたしに白けた視線を送る。

もしかして、わたしの気持ちを見透かしてるのかな…。

もしかして、わたしにまだ想われてたらウザー…くらいのこと考えてる?


「わたしの時のような失敗を繰り返してほしくはないからね!も、あの頃の侑士って女心微塵もわかってない感じだったし、今もそうなら困りモノ〜」

「…はぁ…さよか」


バカなわたし…わざわざその気はないって振り撒くこの感じ。

おまけにその気はないって思わせたいだけなのに、余計なことまで口走って…


「そう、だからそのー…彼女とのことで何かあれば、わたしで良ければ相だ―――」

「ない」


「…………あらそー」

「…お気遣いどーも」


結果、侑士を不機嫌にさせる始末…あー…もう…なんでこうなる!?













「―――当社のCFには斬新さがあります。消費者に、御社の堅いイメージを…言葉は悪いですが、ぶち壊すんです。今までのCFじゃ、失礼ですが堅すぎます。これでは、十代は飛びつきません。この頃、他の代理店は老人や子供を使った…それは勿論、伝えたいメッセージにもよりますが…所謂、単純に大人社会に受けのいい【癒し】と【普通】さを織り交ぜたようなCF制作しかしていません。当社は受けがいいだけで忘れられるような単純なCF制作は致しません。今求められているのは、心に残るCFです。【癒し】だけでは、それは叶いません。十代から五十代にまで伝わる斬新さが必要です。それは何年経っても、色褪せないもので、例えば…――――」


侑士の営業力は、とにかくこの喋りにある。

少し発音に訛りの残る標準語。それがまた愛らしいではないか。

その愛らしさから一転、相手にとって不足な部分を容赦なく指摘する。

大事なクライアントだからこそ、こちらも言わせていただきますってもんだ。

ここでクライアントは心を開く。ただヘコヘコしてる営業と、この男は違うと思わせる。

侑士の話術で、何本のCM契約が成立しただろう。

そして彼の参加したCFは、どれを見ても素敵だ。勿論、それはクリエイティブの力もあるけれど。

その侑士の営業力にわたしが見惚れている時、控えめな音で会議室の扉がノックされた。


「失礼します、DDBの仁王様から、忍足様にお電話が入っていますが…」

「ああ!そらすいません!佐久間さん、用件聞いとって」

「はい」


営業中、携帯の電源を切っておくのは絶対だ。

だから緊急の用事がある時は、相手先の会社に電話をするようになっている。

クライアントの前ではわたしを「さん付け」するとこも、さすが営業マン。

自分は男尊女卑のブタじゃありませんと、密かにアピールしている侑士には感服する。


「もしもし」

≪おぅ、伊織か…忍足はうまくやっとるかの?≫


会議室から出て、事務員の人に渡された白い受話器を耳に当てた。

わたしが電話に出ると、すこし微笑んだような雰囲気を雅治から感じた。

そして彼は、早速成果を聞いてきた。


「もう絶好調。ほんと、すっごいやり手だね、彼は」

≪ははは…今度俺と営業回る時も、お前さんにそう言わせたいもんじゃのう≫


雅治の声は優しかった。

どういうわけか最近、この人から尖った印象を受けることがなくなってきている。

最初はいろんなところに目を光らせて、飄々としながらも、何かにつけて鋭く警戒している男、という感じを受けていたのに。

これも、長年の友情の証だろうか。それともわたしが慣れただけ?


「はいはい、それはいいから、用件は?」

≪ああ、次にお前らが回る予定だった取引先が、時間をずらして欲しいっちゅう連絡があったからの。午後2時からじゃったとこを、3時にしてくれっちゅう話だ。それだけならメールしたんだが、今のクライアントが時間を延ばしてもええようじゃったら、忍足に粘ってもう一押しするように伝えてくれ。そこの広報はなかなかお堅い人間なんでな。口説き落とすのに時間がかかる。今日の何時間じゃ、うんとは言わんじゃろうて≫

「了解」


雅治も、さすがと言わざるを得ない。

なんというか、本当に侑士と雅治が組んでしまったこの状態…これじゃどこの営業チームも太刀打ちできないんじゃないだろうか。


≪おう…じゃあ、頑張れよ…≫


なんだか雅治らしくない、心配したような声色。

大手との会議内容が気になるんだろう。確かに、このクライアントを掴めば動く金もデカイ。

わたしは咄嗟に、彼を安心させようと元気な声を出した。

もちろん、クライアント社内の人間には聞こえないように、小声で…。


「それも了解。いい感触だから、きっと大丈夫!」

≪おう…あー…それと、伊織≫


「ん?」

≪…なるべく、はよ帰ってきんしゃい。忍足と、寄り道せんようにな。…じゃあの≫


半分冗談のような雅治の口調には、リーダーらしき警告という感じは受けなかった。

不思議な感覚…友達にからかわれているという感じでもない。

だいたい、雅治はわたしと侑士の関係を知らない。ただの同級生だと思ってる。

だから、からかわれているはずもないのだけど。


「すみません、ありがとうございました」

「いえいえ〜」


事務員の人に挨拶をして、受話器を置いてから会議室に戻った。

とにかくわたしはなんだって意味を捉えようとして考えすぎの傾向にある。

今は仕事中。余計なことは頭から排除しなくては。


会議室で、メモを取っているようなフリをしながら、さっきの雅治からの伝言を侑士にそっと手渡しした。

侑士はクライアントとの質疑応答を繰り返しながら、自然とそのメモを読んで、わたしにアイコンタクトを取ってきた。「了解」の意だ。

その目が真剣な眼差し過ぎてドキドキしたわたしは、なんて不謹慎なんだろう。




* *




「やっぱあそこガード堅いわ…」

「そう?侑士、すごい上手にやってると思ったけど…」


「問題はこっからやで…まぁでも、お前の意見もなかなか良かったわ。まるでずーっと代理店におる人間レベルの話やったわ」

「あら…それはそれは…敏腕の営業さんに褒められると嬉しいですワ♪」


感触はまずまず、といったところで、侑士とわたしは次の取引先に向かっていた。

車は氷帝学園があった近郊に進み、懐かしい街並みを眺めては胸が詰まりそうになる。


「さて何にするかな…あー…この辺は懐かしいな。何食べたいとかある?」

「えっ…いや…あー…ない、特に無い。侑士の好きなモノでいいよ」

「はぁ、さよか…ん〜…何にしょー…」


車はそのまま右折した。

結局、さっきのクライアントが時間を延ばしてくれることはなかった。

おかげで次の取引先との会議まで三時間という長い時間を持て余すことになったわたし達。

侑士が、時間は有り余っているけど、昼食はなるべく取引先の会社がある

近くのお店で食べたほうがいいと提案してきて、今に至る。

でもそこは、7年前の、わたし達のデートスポット…。


「……あかん、信号にひっかかってしもた…」

「そういうこともあるよね…うん…」


この想い出の街並みを見て、懐かしいのは確かにそうだけど、侑士の冷静さがどうも癪。

普通、ここでこそ朝のようにギクシャクして当然だというのに。

懐かしいな〜じゃないっつの。

それだけで済まされない時間を、わたしとあなたは過ごしてきたはずだ。


「あ…」

「え?…あ…」


その時、信号待ちの車内から見えた風景に、侑士が声をあげた。

その声に、街並みを見ていることが耐え難くて項垂れていたわたしの頭が漸く起き上がる。

侑士も、思わず声が出てしまったんだろうと安易に想像がつく。

彼の視線の先には…あの頃のふたりがデートの待ち合わせにしょっちゅう使っていた…あの時と同じ、何も変わらないカフェがあった―――。





to be continue...

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