10_疑惑
「…あ……そっか…」
「……ん…」
「あ…、起こしちゃった…?」
「…起きちょったんか……おはようさん…」
Manic Monday -疑惑-
「今、起きたとこ」
目が覚めたら、そこはいつもと違う天井で。
わたしは人肌に包まれていた。すごく、それが温かい。
「そうか…。で、なにがじゃ…?」
「え?」
「なーにが、そっか、なんじゃ?」
「ああ、うん…いつもと違う部屋だなーって思って、そういえば、泊まったんだって…」
そう言うと雅治は、まだ眠たいのか目を閉じたまま微笑んでから、ゆっくりとわたしの唇にキスをした。
そんな雅治が、すごく愛しい。本当に大好きで、愛しいと思うのに…。
昨晩――
雅治に突然誘われたことで少し動揺していたわたしだったけれど。
ふたりで買い物して、ふたりで料理を作っていたらいつの間にか不安は消えていた。
やがて夜になって、当然のようにわたしを求めてくる雅治に抱かれて。
雅治は、すごく優しかった。
ひとつひとつのキス。
愛撫する指先。
抱きしめる手。
見つめる瞳。
「伊織…」と囁く、掠れた声。
その全てが。――酷く、優しかった。
残酷にも。
それが、わたしに彼を思い出させてしまうなんて。
雅治がもっと乱暴に抱いてくれたなら、思い出さずに済んだかもしれない。
その優しさは、あまりに彼と似ていた。
そんな責任を雅治に押し付けてるわたしは、最低。
わたしは、懸命に雅治だけを見ようと必死だった。
頭の中に出てくる人を消そうと必死で。
雅治に申し訳なくて、思わず涙が出そうになった。
こんなに好きなのに、どうしてあの人のこと考えちゃうんだろう。
そればかり。
答えはわかってる…。
わたしが雅治のこと、本当に好きだからこそ…彼の面影がわたしを邪魔する。
どうでもいい相手なら、何も考えずに抱かれてる…今までだって、そうだったように。
「どうした?」
「え?」
「なーんか、考え込んどりゃせんか?」
「あ…ううん。幸せだなーって」
寝ぼけ眼できつく抱きしめて、わたしの頭を撫でる雅治。
何を考えてたのか見透かされるのが怖くて、咄嗟に調子のいいことを言うわたしは卑怯だ。
「…そうか。俺も幸せじゃ…愛しちょるよ…伊織」
「うん、わたしも愛…っ……雅治――っ…」
裸のままきつく抱きしめられた体に、嵐のようなキスが降ってきた。
雅治の頭ごと抱きしめたわたしは、彼の愛に、溺れた。
◆ ◇ ◆
「あれ?忍足…今日土曜だぜ?」
「ああ、ちょお仕事たまっとってな。なん?お前今日撮影?」
「そうだよ〜。土曜に入れてこなくたってなあ〜。まあタレントのスケジュール上、しょうがないけどさ…あーやべ、そろそろ行くわ俺。たまには本社にも顔出せよ!じゃあな!」
「おう、気ぃつけや」
休日――。
そんなん、言われんでもわかっとる。
せやけど今の俺は…部屋でひとり、何もせんとおることなんか出来へんかった。
昨日…営業から帰ってきた俺を、仁王が睨んできよった。
それは一瞬やったけど、嫉妬の光を宿しとったのは間違いない。
定時近くんなって、伊織が仁王に呼び出されて。
そんな伊織が赤い顔して仁王のデスクから出てきた時、俺は気が狂いそうやった。
挙句の果てに、ふたりが一緒に帰って行くんを見て…。
伊織が昨日…仁王に抱かれたんやと思うと、仕事でもして気ぃ紛らわさんとどうにもならん。
せやから、俺は用もないのに事務所に行って、急ぎでもない仕事をしよと思とった。
ぼうっとしながら、俺はなんでか、エレベーターを使わずに階段を使こた。
休日で誰もビルにおらんせいか、空気が悪い。
事務所に入ったらムッとしそうやと思いながら、そのドアを開けた。
せやけど、そこは意外にも快適な空気が流れとって。
「?」
人の気配がして、ゆっくり事務所内を覗くと、真剣にパソコンと睨めっこしとる千夏の姿があった。
「あ、間違った…!」
「千夏?」
「え!?っゆ、侑士…?」
千夏はなんやら必死にパチパチ打ち込んどって。
休日やっちゅーのに、こいつまで何してんやろと思いながらも、俺は千夏に近付いた。
「どうし…たの?」
「…や、暇やったで、仕事、片付けよ思てな…千夏こそ、どうしたんや?」
「えっと…実は月曜の午前中までに仕上げてなきゃいけない仕事、忘れちゃってて…だから…」
ああ、それは俺がやれ言うた仕事やと、すぐに気付いた。
苦笑して千夏を見ると、千夏はぎこちなく笑いよった。
「ごめんね…出来ない部下で」
「いやいや、ええねんて。千夏も雑用みんなに押し付けられて、忙しいんやろ。ええよ、俺のは後回しで」
「ううん。どうせ来ちゃったんだから、ちゃんとやる」
「…さよか」
微笑む千夏に、ああ、俺のことはもう吹っ切れたんやろうなと思た。
千夏の最近の表情は明るい。
あれからしばらく月日が経っとるし、それも当然っちゃ当然や。
俺はそれに安心しながら、自分のパソコンを付けた。
その時…ハードが起動する音がカリカリと唸る中、俺は違和感を感じた。
「…千夏ー」
「はい?」
「俺のパソコン、俺の外出中に誰かいじったりしよる?」
「え…いや、そんな様子ないけど…どうして?」
即座にコントロールパネルを開いて、イベントビューアを確認した。
せやけど、終了は金曜日の午後、俺がパソコンを閉じた時間になっとる。
その前も、その前も…起動も終了も俺が付けたり消したりした時間やった。
「や、勘違いやったわ。堪忍」
「ふうん?」
千夏はさほど気にならん様子で、またパチパチと資料を作り始めた。
俺はエラーチェックを選択して、再起動した。
エラーチェックが済むまでの時間はノートパソコンで仕事や。
実は感じた違和感は、起動の遅さやった。
たまに、いたらんソフトをインストールしたりなんやかんやすると、次にパソコンを付けた時に起動が遅なる。
まあでも、使っていくうちにパソコンは古なる…俺はひとりでそう納得して、ノートの電源を付けた。
◇ ◆ ◇
「海外ロケ…ニューカレドニア…!?うっそー!」
雅治と初めて結ばれてから、三週間が過ぎた頃だった。
雅治とは相変わらず、いい関係を続けていて。
一方侑士とは、数日はぎこちなかったものの…最近はまた、お互い普通に接することが出来るようになっていた。
さて、二時から叶野部長も来る営業全員参加のチーム会議の為、わたしはテーブルを拭こうと会議室に入った。
するとそこに、月方さんと栗津さんチームの資料が置かれてあったのだ。
「あー伊織、おったおった。叶野部長が遅れるらしいで、会議三時からんなっ――」
「侑士!」
「え、なんや…」
わたしが目をキラキラさせて近寄ると、侑士はぎょっとして身を引いた。
呼んだ人間が振り返っていきなりキラキラしていたら、確かに気味悪いかもしれない。
「月方さん達、ニューカレドニアなの!?来週!」
「…ああ…そういやそうやな」
資料を見れば、彼らのチームはCF撮影の為、来週にもニューカレドニアへ二泊四日で行くことになっている。
ニューカレドニアは、わたしがずっと行きたいと思っていた場所のひとつだ。
「すごい!すごい羨ましい!!わたしも行きたい!!」
「あほか。行けるわけないやろ。ちゅうかなんでこんなとこに資料撒き散らしとんねんあいつら…」
「ずるい〜…」
「ずるいちゃうわ。仕事やねんから…ああ、でもそういやお前言うとったなあ。ニューカレドニア行きたいて」
「え…」
懐かしんだ侑士に、わたしは目の奥が揺らいだような気がした。
わたしがニューカレドニアに行きたいと思っていたのは確かだけど。
それを侑士に言ったのは、もう10年近く前の、たった一回だけだったはずだ。
侑士と、結婚したら新婚旅行はどこがいい?って、いつだったか話した、あの時だけ。
「あ…、堪忍。変な話したな……」
「…っ…」
それを、覚えてるなんて。
胸の奥が締め付けられた。
侑士もそれに気付いたのか、はっとした顔をして、わたしに申し訳なさそうな顔をする。
――もしかして侑士もずっと、わたしを忘れられずにいた…?――
場違いな感情が、途端に沸いて溢れて。
わたしは咄嗟に、どんな時に話していたか覚えていないような振りをした。
「…え、どこが変な話?そうだよ!わたし昔から言ってたよね!」
「……おう、せやな」
誤魔化した唇が少し震えたけど。
わたしのあっけらかんとした態度に侑士が切なく笑ったから…きっと、誤魔化しきれてる。
「…頼んで、みようかな」
「え?」
「雅治がリーダーなんだもん、彼がいいって言ったら、ロケに行けるよね。それに、CFロケって行ったことないんだ。海外ロケなら尚の事、勉強になるはず!」
「……そ…お前なあ、そんなやましい気持ちで、仁王がOK出すと思うか?」
侑士の動揺が、怖いくらい見てわかった。
あの、ポーカーフェイスの侑士が…わたしみたいなのにバレるほど、動揺してる。
それでも、構わないんだ。
わたしが愛してるのは、雅治なんだから。
お願いだから、そんな顔しないで。
あなたを傷つけることで、あなたが遠ざかってくれるなら…わたしは。
「言うよ。だってわたし達、ラブラブだもん。わたしの言うことなら、聞いてくれると思う。わたしにだけは、甘いんだよね」
「……さよか。ほな、行けるかもしらんな?聞いてみたらええよ」
「うん…そうする!」
目を少しだけ伏せて微笑んだ侑士を見るのが辛くなって、わたしは会議室を出た。
ちょうど入れ替わりに、資料を忘れた月方さん達が入ってきて、ぶつかりそうになって。
「おっと!ごめん佐久間さん、大丈夫だった?」
「す、すいません…大丈夫です!こちらこそごめんなさい」
脆くなっていた感情がそのせいで揺れたのか、堪えていた涙が出そうになる。
わたし、何やってるんだろう――どうして侑士を、傷つけなくちゃいけなかった?
違う…、必要だったんだ…わたしも、彼を忘れるために。
侑士に二度と、あの日みたく、揺さぶられないようにするために。
□ □
「…なんじゃって?」
「だから…ニューカレドニア…行きたいです」
会議終了後。
呆れた顔した雅治が、じっとわたしを見つめる。
だけどその瞳は当然、いつもわたしを見つめる瞳とは違った、冷めた色をしていて。
「…ほう。勉強のため、ちゅうたのう?」
「そう!だってロケ経験ないもん!これからプロジェクトを進めるにつれて、経験不足の人間が営業にいるなんて、そんなのプレゼンも絶対失敗しちゃうと思うんだけど!」
「また調子のええことを言うてからに…」
侑士にあれだけのことを言った以上、ただ彼を傷つけるためだけだと本人に悟られないようにするには本当に雅治にOKを出してもらうしかない。
そうすれば、あの発言はわたしが本当にただのろけただけになる。
そうじゃないと、効果がない。
…なにやってるんだろう…相変わらずその思いは、胸の奥底にあるのだけど。
お願いお願いとねだるわたしに、雅治は首を捻りながらため息を吐いた。
でもそのすぐ後に…微笑んでおいでおいでのポーズ。
スモークのかかるこの部屋で雅治といちゃつくのは、一体何度目になるだろう。
隣に座ると、雅治は自然と肩を引き寄せて、そっと抱きしめてくれた。
わたしの頭は、ふわりと彼の胸の中に落ち着く。
彼の部屋に泊まってベッドで寝てる時も、こんな風だ。
「行ってみたいんじゃの?ニューカレドニア」
「うん…一度は行ってみたいと思ってたの」
「おうおう、やましい理由じゃのう」
「だめ…?」
「…ええよ。但し、叶野部長からのお許しが出たらな」
「本当!?やった!」
「あの人がOK出すかどうかは知らんぜよ?ただお前さんのことは気にいっちょるようじゃけどの」
「ああ…神様って本当にいるんだ」
「感謝なら俺にしんしゃい」と微笑んだ雅治は、そのままわたしの顎を掬い上げた。
柔らかい熱に、ゆっくりと目を閉じる。
そう、これで良かった…これで…わたしの目的は、達成される。
◆ ◇ ◆
伊織のニューカレドニア行きの件に、叶野部長はあっさりOKを出した。
ただ、社員三人の中に女がひとりじゃ何かと不安じゃろうという理由から、吉井も同行することになった。
どうせ経費で落ちるもんじゃから、あの人も好きな提案をする。
まあ、上が許しちょるわけじゃし、チームには何の問題もないが。
伊織にその事を報告した翌週の木曜日。
出張前日の祝杯と称して、ふたりでシャンパンを買って帰った。
伊織を抱いてからというもの、頻繁になった…所謂、お泊り。
その度に俺らは愛し合った。その度に、俺は伊織を好きになっていく。
だから当然、今日も愛し合った。
なんせ明日から伊織がニューカレドニアへ出張じゃ。
たったの四日だが、少しの間離れることが、柄にも無く寂しく感じる。
「伊織」
「ん…?」
「少し、話せんか?」
「うん?」
情事が終わったばかりの火照った体を引き寄せる。
どういうわけか、衝動的に俺の頭の中に浮かんできた二文字。
付き合ってまだ二ヶ月足らずで、人をこれほど愛せるもんじゃろうかと自分に疑問が沸いちょる。
それでも、衝動っちゅうのは止められんから厄介じゃ。
「明日から、憧れのニューカレドニアじゃのう?」
「うん!すっごい楽しみ!…ね、雅治のおかげだね。ありがとう」
「おう…ええとこ、じゃったらええのう」
「うん、きっといいとこだよ〜!そんなに観光は出来ないだろうけど、景色だけでも堪能してくる」
嬉しそうに話す伊織は、目を輝かせながら俺の胸に甘えてきた。
なんとか気分を落ち着かせようとしても、そんなことされたらどうにもならん。
やはり、衝動を止めるのは不可能なようじゃ。
「のう」
「んー?」
「来年にでも、ふたりで行かんか。ええとこ、じゃったら」
「え!…ほ、ほんと?そんな暇ある?」
「今のプロジェクトが終わったら、だが…まあ暇は出来る」
「本当に?あー、でも行くんだとしたらシーズン中だよね。じゃないとお休み取れない…ゴールデンウィークかー、お正月かー…」
目線を上にしながら、うーん、うーんと考えよる。
少女に戻ったような伊織が、可愛くてたまらんかった。
こめかみにキスしても、何食わぬ顔で頭の中のカレンダーを捲っちょるようじゃ。
「シーズン中じゃのうても、有給、取れると思うぜよ?」
「え!有給使う――っ…」
目を真ん丸にした伊織がこちらを見て、俺はそれと同時に伊織に唇を寄せた。
伊織は黙って、俺のキスを受け入れる。
ゆっくりとその唇を離した後に、俺は小さく頷いた。
「…新婚旅行に行くっちゅうのは、どうかの?」
「え…っ…」
「……結婚、せんか?」
自分の心臓と思えんくらい、激しい動悸が走っとった。
俺でもこういう時は緊張するもんなんじゃのう…と、他人事のように思う。
だが、伊織がすぐに答えを出さんことくらい、俺にでもわかる。
まだ付き合って二ヶ月じゃ。そう簡単にOK出来る話じゃなかろう。
「…あ…えっと…」
「ちなみに、俺の耳はいい返事しか聞こえんようになっちょる」
俺が笑ってそういうと、伊織は困惑した表情を残したまま、ぎこちなく微笑んだ。
すまん…やっぱり、困らせちょるよの。
「雅治、あの…」
「ゆっくり、考えてくれたらええ」
「え…」
「そんなすぐに返事を出せとは言わんよ。いきなりそんなこと言われても、驚くことしか出来んじゃろう?」
「……雅治」
「それにお前さんは、俺を好きになって間もない。じゃから、ゆっくり考えんしゃい」
その言葉で、伊織の中から困惑の表情が消えた。
深呼吸をした伊織は、「嬉しいよ…」と呟いて、俺の首に手を回してきた。
「…あっちで…綺麗な海でも眺めながら、ゆっくり考えてみる」
「そんな暢気な時間が、あればええけどのう」
「ふふっ…そだね。でもとにかく、返事は戻ったらさせて?」
「おう。…悪い返事でも、お前を離しはせんよ」
深く口付けた後、俺は伊織をもう一度抱いた。
あと四日後が、待ち遠しくてたまらんかった。
――だが…その四日後。
伊織の返事を聞くことは、…出来んかった。
◆ ◇ ◆
「仁王、忍足、ちょっと話がある」
それはよう晴れた月曜日やった。
伊織がほんまにニューカレドニアロケに同行して四日後。
今日、月方と栗津と吉井と一緒に、伊織が帰ってくる。
土日はいつも会えんのに、なんでやろ…海外に行っとるって思うだけで、俺は寂しかった。
飛行機事故やらなんやら、不吉な心配をしては、伊織のことを考えた。
新婚旅行で行こうて約束しとった、ニューカレドニア…。
少しでもそのこと、思い出してくれへんやろうか…そんな勝手なことも、考えた。
そうして過ごした土日を経て、会社に行った途端。
事務所に珍しく会議もないのに叶野部長と見慣れん顔の男が来た。
なにやら深刻そうな顔で俺と仁王を呼びはって。
嫌な予感がした俺は仁王と顔を合わせて、事務所の真ん中に位置するテーブルに座った。
「何かあったんですか?」
「……まあな。ああ、こちらはうちのシステム部の方だ」
仁王が聞くと、部長は疲れきった顔をして、もう一人の男を紹介した。
俺も仁王も、思わず構えながら会釈をする。
椅子にゆっくり腰を降ろした部長は俺らに向いて、正面で掌を組んだ。
「単刀直入に言う」
「はい」
「……この部に、産業スパイがいる」
いきなりの部長の発言に、俺らは呆気に取られた。
ゆっくり視線を仁王に流すと、仁王もゆっくりと俺を見た。
突然すぎて、意味がわからん。
「…二週間前ほどから発覚していた。極秘プロジェクトの情報、顧客データ、そのほとんどが他社へ流れてる」
「ちょ…待ってください、それは…」
「そうだ、仁王のデスクにしかない情報だ」
「…俺のパソコンデータから…?」
「そうだ。お前のパソコンデータ情報がほとんどだ」
「嘘や…なんでそんな…」
「おかげで、他社が同じ戦略を企てている。プロジェクトの一部の会社からの連絡で発覚した。当然、うちの魅力はなくなる。この時点で、このプロジェクトは90%失敗だ」
全身が脈打っとるみたいに、俺は体が熱なった。
怒りで気が狂いそうになっとる…せやけど、それは俺よりも、仁王の方が強いはずや。
仁王はこのプロジェクトに、全てをかけてきとる。
俺も勿論そうやけど…せやけど仁王は、俺よりももっとこの政策に力を入れとる。
その証拠に、こいつは他の仕事全部蹴って三年も準備してこのチームに来よった。
今の政策が失敗なら、こいつの三年は全部無駄んなる。
「誰じゃ…誰が…」
「仁王、なんか心当たりないんか?」
「あるわけないじゃろう!!誰よりも厳重にデータの保管をしてきちょる!」
「わかっとる、せやけど…!」
「落ち着けふたりとも。もう出てるんだよ。何の為にシステムを連れてきたと思ってる」
珍しく声を荒げた仁王が俺に食ってかかってきた時やった。
叶野部長の一言で、場の空気が一転する。
気まずそうに俺と仁王のやり取りを見とったエンジニアが、遠慮がちに声をあげた。
「あ、じゃあ…説明させてもらいます」
「頼んだよ」
叶野部長はため息をついて、システムの人間を促した。
俺と仁王は、その男に注目するばかりや。
「発覚したのが二週間前でして…叶野部長から要請があったので、こちらで探りました。恐らく、仁王さんのパソコンを時間をかけてハッキングしていったんだと思います。そこでデータを入手。それから、データ送信の際はあらゆる国のサーバーを通して、わからないようにしていまして…最終的に出てきたのは忍足さんのデスクから流されている情報でした」
「は!?」
「あ、いや!それは勿論、忍足さんを嵌めようとしたか、単なる遊びに過ぎないようなものです。なんというか、スパイ行為そのものを楽しんでいるような感じですね。例えるなら愉快犯です」
「なん…っ…なんやと!?」
俺が頭にきて思ったことをそのまんま口にしたら、その男は申し訳なさそうに縮こまった。
「す、すいません…でも、最後が忍足さんだっただけで。結局、この一ヶ月で全員のパソコンから送られています。お二人ともご存知だと思いますが、うちのデータは持ち出し禁止になっていて、データを持ち出そうとするとロックがかかります。ただ、そのロックは結構脆いです。ハッカーの手にかかればすぐに解読出来る程度のものなんです。ですが、そのデータを送るのはこの会社の端末にログインしないと出来ないように組んでいます。当然、内通者もそれは承知で、ログインをその度にしているんですが、そこからデータが送信されたとなると、すぐにバレてしまいますよね?ですからあの、それで、その度にいろんな端末を使ってはログイン情報を消してたみたいなんです。消したログインデータの復旧も出来ないようにいろいろと手の込んだことをしてました。ですが、僕も一応、海外で資格を取っているエンジニアなんで…非常に時間はかかりましたが、ようやく今日の二週間後に、名前をあげることが出来ました。うちのパスワードはどうやったって、履歴を変えることも出来ないですし、端末が何であれ本人しかログイン出来ないように…」
「ああ、細かい話はようわからん!!はよ誰か言んしゃい!」
仁王が苛立った様子でエンジニアを急かした。
エンジニアはまた「すいません」と謝ってから、ジーンズから一枚の紙を取り出した。
「-ChateauCantemerle-…シャトーカントメルル。この部の全端末からこのパスが出てきました。最後にこのパスワードから他社にデータが送られているのは、昨日深夜二時です。場所は、ニューカレドニアからでした。…あの、これを探るのは大変な作業です。だからバレる確率は0に近いと踏んだんでしょうね…すぐに誰か判明しました」
「……ちょっと待ちんしゃい、シャトー…っ」
あの仁王が。
真っ青な顔をして、エンジニアの男を見た。
俺はわけがわからへんで、その様子を見ることで精一杯やった。
そこに、ずっと押し黙っとった叶野部長が呟いた。
「ニューカレドニアには、大手他社の支社がある…俺もお前達も、完全に嵌められたんだよ」
「…これが、使用者のデータです」
エンジニアが最後に出したプリントとその説明に…俺と仁王は、完全に声を失った―――。
「このパスワードを使ってログイン出来るのは、佐久間伊織さんだけです」
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